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を冷凍カロリーメイトで再現出来るるとか言う話を小耳に挟んで実行して見たのだが、パキンとサク感だけ味わえて、肝心要のシャキ感が無かった。大分惜しい所まで来ているとは思うんだがね。そんな今日この頃。後は卒業生内でお別れ(?)会に行ったり、久方ぶりに酒と煙草とスマブラとワンダに溺れながら夜を過ごしたりと、ボヘミアンな感じで、まぁ案外と恙無く生きてます。何だかんだでっ。

 しかしBLAME!はまじ面白いですよ。今更だが。一巻読んで思わず大人買いしてから、何でこれをスルーしてたのかと後悔するレベル。何度目かという感じだが。そしてそもそも読むに至った理由が、ハルシオンランチの一コマなのは内緒。や、まぁ、前々から存在自体は知ってたんだけどね。

 内容としてはあれかな? 古き良きローグ型RPGのシステムを、SF的な解釈の中で、ストーリーと世界観に反映した感じ。物凄いストイックな作品であり、与えられる情報は極々僅かで、物語としての起伏も少ない。けれど、圧倒的な画力から描き出される構造物やガジェット、キャラと言った記号によって、言葉で表せない何かを浮かび上がらせて来る感覚。それはサイバーパンクの王道と言えば王道なのだけれど、絵によってここまで伝えてくるのは見事というより他なるまい。

 まぁ台無しの一言を言ってしまえば、ヒロインのシボさんがねぇ、いいんだよねぇ。サナカンもメンサーヴ様も好き(あ、プセル他珪素生物忘れてた)だけどさぁ、やっぱシボさんですよねぇ。行き成り腐乱死体で現れたと思ったら、主人公の二倍近い大きさの男前な御姉様になってピンチ救ったり、気付けばロリになったり、敵と融合したり、別の世界線からさらっともう一人出て来たり、実はスペア用意してたり、準ボス級の存在に変貌したり、素敵に異形な自動人形ボディに収まって見たり、妊娠したりと、人格をデータ化した存在であるとは言え、ここまでその性能を遺憾無く発揮し尽くし、幾つかにおいてはそれを凌駕したヒロインは居ないのでは無かろうか、いや居ないねっ(反語)。

 と言う訳で、やっぱり今更だけど、まだ読んでない人は是非に……あ、実はアンドソーオンの例の作品はまだ読んでないんですけれどパンチラですってね?
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 昨日はバイトも休みという事で、元・文系大学生、現・文系フリーターならば読んでおかねばならぬとかねがね思っていた、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を、丸一日掛けて読了する。まぁヴォネガット先生曰くの、亜米利加人がペル・メルという発音でポール・モールを呑むのと同じ考えもあったがね。肺ガンは、体の良い自殺、と。ドグマグを読んだ俺も、これで何時何時発狂しても問題無くなった訳である。

 冗談はさて置くとして、しかし今作、期待していた狂気、恐怖は然程感じられなかった。余りに饒舌過ぎる語り口は、世界に没入させるより寧ろそれを拒絶する様に感じられてしまい、その意味では少々肩透かしを食らってしまった。発狂の噂はそれこそ体の良いキャッチフレーズであるから無視するにしても、受けていた印象としては近代日本文学版ネクロノミコン的なものだったのであるが。

 そういえば、以前親父殿から今作を借り受けようとした時、「ドグマグよりもこっちの方が面白いから」と言って『少女地獄』の方を差し出されたのだが、その意図が何と無く解った気もする。

 ただその分、冗長なまでに理知的な言葉で練り込まれた、用意周到且つ底意地の悪い迷路世界を愉しむ事が出来たかな。何が底意地の悪いと言えば、この迷路の構造か。出口の無い迷路なんてものは、実体化した幻影並みに有り触れたもので新鮮味も何も無いのだけれど、入り口の無い迷路などという代物は、始めて見たかもしれん。

 出口の方は寧ろしっかりとあって、ご親切にもそこまでの道順はちゃんと示唆されているのだよね――正直な話、物語の一応の開始時点で、何の疑念も抱かずに直ぐ隣へ行ければ、そのまま抜け出せたのではと思う、二人の博士が違う言葉でそう予告している様に――が、そこへ行く為には入り口の在り処を思い出さねばならず、そして元来た道を辿り、これまで何をして来たかを理解すれば理解する程、出口へ行く事は出来なくなり、そこで自らを手に掛けるか、再び奔走を始めるか……どちらにせよ朽ち果てる他無く、しかも用意のいい事に、実はまだ迷路に入ってすらおらず、故に入り口も出口も未だ無くて、これから再び、もう一度、正に悪夢的な迷路の中を、出口求めて彷徨わねばならない、だが出口へ至るには……そういう可能性も予め提示されているのである。

 この何もかもが曖昧模糊とした感覚は何とも日本的だね……恐らく、神をも恐れぬ不退転の自我を持ってすれば、脱出可能な迷路だろうに、それを保つ事が容易では無い……寧ろ確固たる自己なるもののアンチテーゼであり、そう言ったものが通用しないという意味では、成る程、確かに今作は恐怖であり、狂気であるかもしれない。

「アアッ……お父オさァ――ン……お母アさ――ン……」

 しかし、にも関わらず、不快を覚えずに、どころか切なくも物悲しい気持ちにさせたのは、迷路を形作っている一端が血縁、肉親という、条理、道理を超えた先の、切っても切り離せぬ関係にあるからだろうか――この辺りもまた日本的と思わせるが――終盤、全てを理解する事は誰にも出来ないという事を含めて全てを理解した『私』が、感極まる様に叫んだ上の台詞が最も印象的で、心に残っている。
2010.02.13 読書感想
 言い訳がましくも益体の無い話を一つ。

 見ての通り、自分はこのBlogで、本の事については殆ど取り上げていない。映画に関しては見る度にその記事を書き、偉そうに批評家面した感想を書いているにも関わらず、である。

 それが何故かといと、まぁ理由は幾つかあるのだが、一言で言ってしまえば、解らないのだ。この本はこの読み方でいいのか、この読み方で読んで、仮に面白かったとしても、それが作者の書きたかったものなのか、正しかったのか否かが解らない。もしかしたら全部丸ごと最初の前提からして間違っているかもしれないと思うと、迂闊に手を出せないのである。それだけの知識も無い。

 だから自分が特定の本について感想を述べると言う場合は、余程であるか、仕方の無い場合であり、後者の場合は有体に要素の善し悪しを挙げてから何がどう面白かったかどうかを単に述べるだけか、或いは剥き出しの原石そのままの思考を吐露する、いや吐露する事で研磨しようという、感想以前のものになるかのどちらかである。この後者の後者によって、甚だ不快な目に合わせてしまった方々は実に申し訳無く思う。まぁ、一部に関しては、それのそれ以前な独断と偏見があった事は否定出来ないが。

 さて、ならば映画なんかは良いのか、というとこれが良いのである。何せ、これは複合要素の作品だから。映像、音楽、脚本、演出、それから役者に監督等と、無数の要素が絡み合って出来ている映画というものは、それらを追っている内に確信(否誤字)へと至れる、とどのつまりは解り易いのだね。まだ読書というものに比べれば、遥かに。たった数万文字の記号の羅列から物事を正しく想像する事から始まる読書とは、その前提条件からして違うのだ。

 勿論その為に本を読む事は、空想の沃野は無限とも言える広がりを見せ、我々をここでは無い何処か、或いは何処かであるここへと我々を誘ってくれる。そこは歴史ある形式であり、流石と言わざるを得まいが、と同時に、だからこそ、容易に手出し出来ないのもまた確かな事で。

 だからこそ読書によって得た何かは、ぐっと胸に堪えたまま、それを真に糧と出来るその日まで取っておくべきであると、自分は考える。良く小中高生が夏休みの宿題として読書感想文を行なったりするけれど、これ程無意味な事も無いのではないか。たかだか十数年、読んだ本の数も両手で数えられる程度の者に、何を語れる事があるというのだろう。その倍を生きて尚、ろくに語る事が出来ないのだというのに(小学二年の頃、帰りの会で読み聞かせた本の感想を強制させ、本人判断でまともな事を言えなければ帰らせないという事をした女教師がいたが、彼奴はまだ元気であろうか)。何とも情けない事ではあるがね。

 と、ここまでが所謂一つの前口上として、先程フィリップ・K・ディックの『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』を読み終えた。上遠野がディック作品の中で一番好きと言っていたとかで、読んで見たのだが、成る程、実に歪曲王だった。まぁ逆なのだがね。そして実に面白かったのだけれど、それを上手く言う事は自分じゃとても出来そうにないので、ヴォネガットがティーンエイジャーのファンにたった数文字で己が作品の本質をずば抜かれ、何もこんな一杯作品を書く必要は無かったと(彼流に冗談めかして)書き記した逸話宜しく、またすこぶる納得し、首肯し、唸り、そうそうそうだよそういう事だよと呻いたものとして、作品冒頭に掲げられた一説を引用するに留めたい。

 これがそれだ。うっぉーん。

 つまりこうなんだ結局。人間が塵から作られたことを、諸君はよく考えてみなくちゃいかん。たしかに、元がこれではたかが知れとるし、それを忘れるべきじゃない。しかしだな、そんなみじめな出だしのわりに、人間はまずまずうまくやってきたじゃないか。だから、われわれがいま直面しているこのひどい状況も、きっと切りぬけられるというのが、わたしの個人的信念だ。わかるか?

  ――パーキー・パット・レイアウト社で各部下の流行予測コンサルタントに配布された録音メモの一部。レオ・ビュレロが、火星から帰った直後に口述したもの。
 よもや地元に来ていたとは、今更ながらにWirklichの理であるお久しゅう。いやはや、Moiraの予約もまだしていない(何処でやろうか例の如く思案中。ただ特典に余り心惹かれないので、これはポイント目当てに我がバイト先という選択肢もありか)身ではあるけれど、ね。折角の機会だったかなと少し後悔。

 さて、それとは全く話は変わるが、藤崎竜の新作『屍鬼』の一巻、二巻を購入した。
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 読了してから大分立つも、何だかんだと書いていなかったトライガン・マキシマム最終巻の感想である。
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 映画の記事が最近とみに多い事は自他共に認める所であり、仮にもこれは物書きとして如何なものかと、本の方で一つ書いてみたいと思う。という訳で、今回はサイバーパンクの名作『ニューロマンサー』の感想をば。
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 理一押しの愛すべきボンクラ作家、ジャック・ヨーヴィルことキム・ニューマン師匠のウォーハンマーノベル第四弾にして完結編(らしい。実に残念な事であるが)『シルバーネイル』を先程読了したのでその感想をば。
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 トライガンと共に、ヘルシング九巻も共に購入。で、まぁとりあえず叫ぼうか。

 せーの、はいっ、
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 話題に触れられなくなった(確かそう言う名前である。少々うろ覚えで失礼)漫画スレッドにて挙げられていて、少し哀しくなったトライガン・マキシマムの単行本第十三巻を購入。雑誌の連載はもう終わっている為、これで流石にもう終わりかな、と思っていたのだが、
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 先のブララグヨルムンガンドと共に、こちら『黒博物館 スプリンガルド』も購入して来た。
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 というわけで、ブラックラグーンことブララグの第七巻を購入してきた。
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 ウォーハンマー三部作第三巻にして最終巻は『ベルベットビースト』である。

 やはりネタバレがあるのでご注意を。
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 先日漸くベルベットビーストを読み終えた所で、ジャック・ヨーヴィル=キム・ニューマン先生のウォーハンマー三部作の最初、『ドラッケンフェルズ』の感想をば。読み終えてから最も時間経過しているので細部微妙なのはご愛嬌。
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 SBRことスティール・ボール・ラン十三巻を購入した。
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 タイトルから解る人は解るだろうが、シグルイ九巻を読んだ。超今更になるがな。
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2007.07.05 地底旅行
 活字とSFとネタ分を補給する為に、ここ最近はこう言った作品ばかり読んでいる。

 今回は、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』である。
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 紀元、戦記と来たドラキュラ三部作最後の崩御は、タイトル通り死の物語だ。
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 ドラキュラ三部作(続編は多分無いだろう)の二作目が舞台は、第一次世界大戦末期である。
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