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 かつて、スナッチの感想記事を上げた時、「残念ながら、うちのバイト先には無いみたいなんだけれども」と言ったが、あれは嘘だ。いや、ふらっと探して見たら、何と発見……うぅむ、無い無いとばっかり思っていたのだが、案外と侮れぬものだ。他の見たかったものも探して見ようかなぁ。

 まぁそういう訳で、ガイ・リッチーの初作品『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』である。

 黒木さんだったかな、自分にガイ・リッチーは合うだろうと言ってくれ(ちょっとドライでブラックな辺り、と)これを進めてくれたのは。他にもあれは面白いという後輩から聞いていたのだが、確かにこれは面白かった。英吉利のその年の年間興行成績一位を取ったそうだが、頷ける話である。

 登場人物達が自分達の都合と理屈で好き勝手に振舞った結果、自体がどんどん複雑になって行き、そしてそれがまた次々に解消されて結末へと至る様は、正に脚本の妙であるな。その状況を産み出す、出て来る連中出て来る連中のどうしようも無さも笑ったし、煙草の染みの様にフィルターがかった映像、スタイリッシュな演出、そして要所要所の音楽の使い方も素敵だった。

 ただ何と無く、それだけという感じを受けたのも、確かではあるのだが……見終えた後に残る『何か』というのはちょっと無かったな。娯楽映画にそういうのを求めても仕方が無いのかもしれないが、英国版タランティーノと呼ぶには、御洒落に過ぎる印象だな。いや、嫌いでは無いのだけどね。ちょっと納得が行かぬ感じである。『スナッチ』は、最後のブラピからのオチで上手く締めていたと思うに、これからではあるのだろうな、うん。リボルバー、は飛ばして、ホームズはどんな感じかな? 悪い話は聞いていないが、さて。
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 実はつい先日まで、これがあのブラッチャーヤー・ピンゲーオ監督の、つまり『マッハ!』『七人のマッハ!』『トム・ヤム・クン』に続く、ムエタイ映画(しかも美少女アクションと来たものだ)である事を知らないで、すっかりスルーしていた『チョコレートファイター』を今更ながらに見る……矢鱈レンタルされてるので可笑しいなぁ、とは思ってたんですけどねっ。誰もそうだって言ってくれないんだもんっ、今畜生っ。

 そして、またこれが今まで見て無かったのを悔いるもので――主人公が男性から少女になった、という事で思い出すのは『ウルトラヴァイオレット』であり、あの『リベリオン』の(アクション的)続編という事で、ガン=カタっ、ガン=カタっ、と盆暗魂を滾らせて見てみれば、かなり微妙でがっかりしたものであるけれど、今作は正にその真逆であり、期待を裏切らない出来栄えであった。

 まず、何はともあれ、アクションが素晴らしい。毎度毎度良くぞここまで、と感心するより他無いその容赦の無さっぷりは、縦令少女が主人公であろうとも全く変わっておらず、実際、EDにて流れるメイキング映像は壮絶であり、痛々しくも凄まじい。この生の迫力は、本当に凄かった。

 話に関しては、有りがちと言えば有りがち――但し、タイのお国柄にしても随分生々しく、そして結構なタブーを破っている様は、凄いと思った――けれど、娘と母の絆を軸にしたそれは、素直に胸を突いた。同じアジア圏だからか、日本の描写も違和感無く(個人的には、要所で関心する程)見る事が出来たし、阿部ちゃんもまた格好良かった(実は彼をそう思ったのは、始めての事だったりするが)。

 ただまぁ、若干不満もあるにはあって、最初と最後の阿部ちゃんのナレーションは正直蛇足だったと思うし、それ以上に、主人公が余りに強過ぎて、カタルシスが寸止め気味になってしまったのは残念な所。闘う事への精神的葛藤も弱点らしい弱点も直ぐに解消され、実質的に無双状態(苦戦はするが、敗北は無い)というのは、ちょっとね。敵側に居た知的障害気味の少年が、テーマ的にもアクション的にももっと頑張ってくれるかと思ったのだけれど、意外とあっさり退場してしまった為、拍子抜けしてしまったし。やはり、対峙する存在というのは大事だと思う訳で、だからこそ、燃えるものも燃えるのだが、うぅむ。

 とは言え、これが素晴らしいアクション映画なのは間違い無しである。『闘う美少女』という形容がこれ程までに相応しい者も他には居ないだろう、主役たるジージャー・ヤーニンの、可憐且つ華麗なムエタイアクションを是非に堪能して貰いたい――所で、劇中重要な小道具として登場する『マッハ!』等の映像挿入を見て心躍った(本当はブルース・リーを使いたかったそうだけれど)身としては、トニー・ジャーとの共演を夢見てしまう訳だが、流石にもう無理かなぁ? やぁ、でも、だからこそ見てみたくもなるのだけれど。
【AVALON】――――――――アヴァロン

 広義にはシミュレーションをふくむ体感ゲームを総称して<アヴァロン>と称する。
 一九八○年代に米陸軍が開発したコンバットシミュレーターをその原型とし、二○世紀初頭に飛躍的な発展を遂げた大脳生理学の成果を導入することで、所謂《ブレインストームタイプ》のシステムとしての実現をみた。
 プレイヤーは視覚や聴覚を経由せず、大脳皮質への低周波による直接励起によってゲーム内の時空間を体感し、プログラムされたシナリオの蓋然性の内部でその戦技を競う。戦闘は任意に選択された状況下において、個人またはその所属する集団単位で設定され、《フラグ》と呼ばれる特定の標的、またはプログラムの支配下にある標的の全てを倒すか、あるいはプレイヤー自身が<死ぬ>ことにより終了する。
 ゲーム内の現実はプレイヤーによって擬似的に体感された架空の世界に過ぎない。しかし、その戦闘行為が覚醒後の被験者におよぼす影響、とりわけその<死>の体験の心理的、生理的影響の危険性は早くから指摘され、多くの地域で非合法化されながら、しかし今世紀中葉の不安定な政治経済状況下に熱狂的ブームを巻き起こし、若者たちの間に《パーティー》と称する非合法集団を頂点とした無数のゲームフリークスを生みだした。

(ノベライズ版 押井守『Avalon 灰色の貴婦人』より)



そして“アヴァロン”を生み出した伝説のプログラマーたち――

“九姉妹”はそのフィールドに新たな試行領域をつけ加えた。

獲物を求めて荒野を彷徨う孤高の猟師たちの世界

人々はそれを“アヴァロン(f)”と呼んだ――




 と言う訳で、マイ・フェイバリット・ムービー『アヴァロン』の世界観的続編、アサルトガールズを見る……世界観的続編、と言ったのは、まぁ予告を見て貰えば解るだろうけれど――KOTOKOだしなぁ――思い起こせばもう十年近く前、今は亡き、と言うのも今は昔な特撮雑誌『宇宙船』でその存在を知り、深夜にテレビで遣っていたのを食い入る様に見たのが、始めての押井映画だった『アヴァロン』、ビデオに録画して映像が磨耗するまで何度も見た『アヴァロン』、始めてサウンドトラックなるものを自費で購入した映画だった『アヴァロン』、手垢が付く程、ノベライズを繰り返し読みふけった『アヴァロン』、ネットゲームの話題が出る度に「しかし、そろそろ『アヴァロン』オンラインゲーム化しないものか」「ドラグノフ抱えてアッシュごっこ……胸が熱くなるな」「○○だぁ、やばいぜっ、どぉすんだよぉ!!」と言い続けた『アヴァロン』、目玉焼きの黄身にパンをぐじゅぐじゅと付けて、くっちゃくちゃ喰う旨さを教えてくれた『アヴァロン』、そしてテーマ的に最早無理と知りつつもその続編を夢想していた『アヴァロン』……ストーリ的な繋がりが無いとは言え、そんな『アヴァロン』の続編が、よもやこの様な形で出されるとは、中学生の頃の俺は、想像すらしていなかったに違いない。正しく、コレジャナイアヴァロンである……あの蠱惑的な、黄昏色の世界は、何処へ言ってしまったのやら。

 まぁしかし、明らかに某狩猟ゲームの影響を仄めかすこの映画、蓋を開けて見れば――匂い立つ予算不足の香りは否めないとは言え――また実に押井映画であると共に押井映画で無く――スラップスティックなオチに大ゴケしつつもこう思う。嗚呼この作品――インタビューでもほろっと言っていたが――『アヴァロン』を始めとする、これまでの作品への一種のアンチテーゼ、それこそパロディなのだな、と。

 冒頭数分程度のナレーションに纏められ、後は僅かに台詞内でだけ言明されるゲーム外の世界(尚、冒頭部はノベライズからの引用であると共に、今作唯一の押井節である)、中欧的画一的街並みから一変、黒い砂ばかりが何処までも続く荒野と化した戦場、威厳も糞も無く、ただ暴れ、ただ狩られるだけのモンスター、浪漫のみを糧に独り獲物を求め続ける放浪者イェーガーは、三人の女達(グレイ=灰の名を冠する、リアルでは親のスネカジリな狙撃手、夫と子供を養う為、日々の生活の為にゲームで稼ぐ屈強な女戦士、奇行と奇声しか上げぬ黒衣の魔導師(ブラックウィドゥ)という組み合わせは、『アヴァロン』主人公にして、『灰色の貴婦人』の重要人物アッシュの要素をそれぞれ想起させる)に翻弄され、徒党を組んで終端標的(フラグ)=フィールド・ボス、マダラスナクジラを狩るも――この件が、またある意味象徴的だ。犬と鳥が手を組み、魚を倒す、という――最後には出し抜かれ、そして巻き起こるあの結末――

 ここにはあの、古典的RPG『ウィザードリィ』に意匠を置いた、現実と虚構、二つの世界を行きつ戻りつ揺れ動き続ける苦悩者、己の中の真実を得るが為に半ば永遠の求道を認め、神に等しき者へすら銃口を向けた彷徨い人の姿は皆無であり、どころか、そう言った姿勢を否定している様に映る。

 特に中盤(ここは、イェーガーが砂漠を歩き続けるシーンの次に、お気に入りの場面でもあるが)、砂に半ば埋もれた、学び且つ歩む学童(二宮尊徳では無い)二宮金次郎像と、その上に置かれた(螺旋をその背に背負う)蝸牛に対して、イェーガーと三人の女達がそれぞれの反応を示す場面は、『アヴァロン』と『アサルトガールズ』の相違を端的に表したシーンであると思う――蝸牛と戯れる三人の女達と、それを食すイェーガー、そして金次郎像の上に遺された“殻”を打ち砕くグレイ――だから『アヴァロン』では無い、深みも何も無いB級映画だ、というのは、ある種尤もであると思う訳だ――何時までも悩むだけでは意味も無い。いい加減、目を覚ましてもいいんじゃないか、と。

 とは言え、ヴィルヘルム・マイスター的な、トニオ・クレーゲル的な気質を本懐とする私みたいな人間としては、それでも尚、あの理屈で積み上げられた後ろ暗い世界が望ましいのであり、そして何よりも重要な事は、スカイクロラから継続されるある種前向きなそのテーマがどうであれ、それが作品として面白いかどうかは、全く別の次元であるという事だろう――うぅむ。セピア色に染まる、虚実綯い交ぜな都市風景、「脚力のパラメータを限界まで上げた俺の走りはマジオリンピック級」というノベライズの描写にニヤニヤした人間としては、黒い荒野と白い雲海ばかりが広がる風景に忽然と浮かぶ球状のGMや、台詞の随所にあるゲーム的内容(そして当然だが、結局どうしても漂ってくる押井らしい雰囲気に)、まぁこれはこれで、とそれなりに愉しむ事は出来たのだけれど――予備情報も、その手の感性も持たなければ、ただの冗長で『解っていない』B級SFアクション映画に過ぎないに違いない。

 尤も、そんな奴がこんな映画を見る訳も無いか――ある意味では『立喰師』の、つまり完全に趣味の映画として、ファンであれば、愉しむ事が出来る映画、と、言った所であろうか。

 そうそう、後今作、結構『アヴァロン』を思わすシーンがあって、そこでもにやっとするのだが(冒頭ナレーションで映されるツィタデルとか)、スタナーの犬喰い(件の目玉焼きぐちゃぐちゃ)を遣ってくれた事は、個人的にとても素晴らしかった。やっぱ目玉焼きはこうでなくっちゃ。
 現実と虚構の対立、対比と来て、お次は虚構(うそ)と現実(ほんとう)を綯い交ぜにして生きた男の物語、という訳で、ソダーバーグ×マット・デイモンの『インフォーマント!』を見んとす。

 国際的カルテルの事実を密告した為に、企業幹部と内通者の二重生活を強いられる事となった主人公マーク・ウィテカー。FBIの指示の元に諜報活動を行う彼は、しかしそれとは別の、ある犯罪を犯していた――実際に起こった事件を元にした作品だそうだが、基本的にはブラックコメディ・サスペンス。ノリとしては、コーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』に近いかな? ソダーバーグだから、解り易い意味でのスタイリッシュさが溢れ出ており、兄弟程の深みは無いが、まぁ、これはこれという所か。

 ただあちらが、登場人物達が己の意思と判断で好き勝手に動き回った結果、映画を見ている側の人間で無ければ、何が何だかさっぱり解らない状況に陥ってしまったという(あの兄弟お得意の手法だろう)のに際し、こちらはすっかりお父さんというか、太ましくなられたマット・デイモン一人の言動によって、事態が何とも複雑怪奇なものへと変貌してしまっている様が描かれており、映画としては上にも言った様にそれ程のものとも思えなかったが、このウィテカーという男が、個人的に身に積まされた。

 人は何故嘘を付くのだろうか――衆目を集める為? 己が利益を得る為? 物事を円滑に進める為? 創作の喜びを感じる為? 廻りの反応が愉快の為? 誰か或いは己を、傷付けるもしくは傷付けぬ為? 隣人の、社会の、国家の、世界の正義の為? それが良い事だと考えた為? 妻や子供達、家族を守る為? 皆がそうしている為? 嘘を付く事が習慣付けられてしまった為? 嘘を嘘と理解していない為? そもそも何が本当なのか、解っていなかった為? 何もかもがぐちゃぐちゃになって、判断出来ていなかった為? どうしようも無く嘘を付かねばならないサガが人間にある為?

 私自身、嘘が好きな身であり、好き好んで嘘を付いては、嘘付きと呼ばれる事を愉しんでいたりするけれど――小説然り、このブログもある意味で然り――何故か、と言われると明白な答えは無く、だが強いて言えば、上に出した仮説の、全て何もかもがその通りなのだと思う――そして、マーク・ウィテカーという男の心理も、そういう事だったんじゃないか。そして多分、そんな嘘について自体、考えた事も無かったのではあるまいか、と。

 マーク・ウィテカー、狼少年が狼に襲われる事無く、狼が遣って来たと叫び続けながら、そのまま大人になってしまった様な男――終盤、その嘘の綻びが解ける様に、髭を反り、髪を失った彼の姿は、何とも惨めで弱々しい。そして、嘘を指摘された彼が、何が本当なのかと尋ねられた時に返した言葉『解らない』――その時のあの表情――うぅむ。私的に考えさせてくれる作品である。
 イングロリアス・バスターズの次に見るのがこれというのも、我乍らちょっとどうなんだというチョイスなのだが、まぁそれはそれと、『戦場でワルツを』を見る。あの『おくりびと』――と言いつつ、自分はまだ見てないのだが――と、アカデミー外国語賞を争ったイスラエルのアニメ映画である。何とイスラエルだ。

 さて。バスターズが、虚構と現実の対立(そしてあまつさえの大勝利)をタランティーノ流の手法で見事に描き出したのに対し、今作はドキュメンタリー(現実)をアニメ(虚構)で描写するという手法が用いられていた。しかも我々の想像するアニメとは別種のもので、一種の切り貼り絵というべきか? そしてFlash。グラフィックノベルにも影響を受けたそうだが、確かにそんな感じで、なかなか興味深い。

 と、その前に。この映画、内容が内容だけに物議を醸し出しているらしいが、理としてはそう言った、政治、歴史的な所に興味は無い。虐殺やら何やらなんて、昔から行われて来た事であるし、そうほいほいと人間が変われるとも思っていない。また細かい事情にも疎ければ、沈黙するに限るというものである。

 だから、この映画が扱っているものに関して、自分は何も言うまい――ただ強いて言えば、あのイスラエルからこれが産まれた、と言うのは特筆すべきと思う――が、先にも上げた、このアニメ描写は凄い。

 ポップカルチャーの雰囲気を纏いながら、描き出される凄惨な場面は、一種のフィルターを通した感覚、戦場でワルツを踊っている様な違和感を感じさせつつも我々にそれを馴染ませ、受け入れさせ、すっかり油断した所で――現実と虚構の対比、それによって一皮剥いた、一つの強烈な真実を曝け出す手法は見事というより他無い。

 あの最後が全て、と言ってしまえばそれまでだが、その一点だけでも評価に値するだろう。うぅむ、アニメという媒体を逆手に取ったこの構造。重ね重ね、これをイスラエルで造った、というのは凄いな。
 ブラッド・ピットとタッグを組んだというのが、大々的に宣伝されているけれど、印象としてはパルプフィクションのブルース・ウィリス……まぁ、トゥルーロマンスの時よりはよっぽど重要だし、前面に出ているから良いかな? という感じのタラちゃん最新作『イングロリアス・バスターズ』を見る。

 劇場へ見に行く見に行くと行った挙句、結局行けずに、心待ちにしていたのだけれど――あのオチの通り、今作は最高傑作では無かろうか。タラちゃん、では無く、クエンティン・ジェローム・タランティーノという一人の映画監督としての。少なくとも、これまでの作品とは一線を画しているのは間違い無く――うん。面白い。確かに面白い、のだが、デスプルーフの次がこれとは、いやはや正直どう反応して良いものやら。

 ただ、やっている事に関しては何一つ変わっていないのだよね――王道をあえて外すのが王道と言わんばかりの、次の瞬間に何が起こるか予測が付かない事を予測出来る、様でさっぱり出来ない脚本、長々と続けられる事で独特の緊迫した空気を醸し出すあの会話、小ネタや小物の扱いの上手さ、一癖も二癖もある登場人物、往年の映画オマージュ、そしてB級的アクションとバイオレンス――と。

 けれど、にも関わらず、今作を別格と呼びたくなるのは、これまでとは違う明らかなテーマ性を感じただけで無く、それが隅から隅まで、全編に渡って行き届いている様に思えたからで――実も蓋も無い事を言えば、今作には無意味なものが無いのだ。『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』の如く限られた時間と場所の中だけでは無く、『ジャッキー・ブラウン』の様な悲嘆さも矮小さも無く、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(あれは脚本と出演だが、充分過ぎる匂いを放っているかと)『キル・ビル』『デスプルーフ』等で印象深い、悪乗り染みた、付いて行ける人にしか付いて行けないネタや性癖のオンパレード(これが褒め言葉であるのは、言うまでもあるまい)に留まる事無く、清濁交わり、聖俗絡み合って、一つの映画作品へと昇華されている――それを高みへと上げたものこそ、これまで暴走気味であった映画への愛であり、今作では、それが概念的なものとして抽出され、作品を見事に牽引しているのである。

 というのも、今作で感じられたテーマとは、即ち映画への愛であり、そこから導き出される所の現実(史実)と虚構(映画)の対立であるのだ――無駄と呼ばれていた、良くて雰囲気付けとされていた会話、言葉というものが、今作では重要な要素として扱われ、またあらゆる場面、登場人物が、その対立構造にぴた、ぴたっと嵌め込まれて行く――彼だからこそ出来るぶっ飛び具合はそのままに行われる手腕は本当に見事で、反応に困ったのはその為だったりする。これはまるで何処かの巨匠が撮ったかの様な映画では無いか、と。

 そして、そんな今作を象徴する様な存在が、クリストフ・ヴァルツ演ずるハンス・ランダ親衛隊大佐であるのは、最早言うまでも無いだろう――彼は凄い。ブラッド・ピットも悪くは無いのだが、今作の彼には遠く及ばない――アメリカ、ハリウッド映画のアンチテーゼとも言うべき存在として四ヶ国語を自由自在に駆使し(各国の言語がそのまま使われ、一応の主人公達が母国語が、直ぐに化けの皮が剥がれる程度の外国語しか出来ないというのは、実にいい皮肉である)、作中の誰よりも冷酷で、誰よりも明晰、しかもウィットに富み、ユダヤ・ハンターの名に相応しい行為を遂行したと思えば、気紛れで逃亡者を見逃したり、意図も容易く祖国を裏切ってあの大団円、もう笑うしかないあの大団円に一役買って出たり――第一章のフランス語から英語へ切り替える展開や、メラニー・ロランにミルクを奢る演出等が抜群なのは言うまでも無いけれど、そんなランダ大佐を怪演と呼べる領域まで演じ切ったヴァルツこそ天晴れである。サミュエル・L・ジャクソンといい、監督は本当、良く見つけてくるものだ。 

 と、まぁ掛け値無しに褒めちぎった所で、唯一不安があるとすれば、今作を撮ったその次をどうするのかという事であるけれど――あのオチを見る限りは、大丈夫かな? ともあれ、『イングロリアス・バスターズ』見ているこちらが、ちょっと困惑してしまう程の、実に良い映画であった。二時間半と、結構な長丁場だが、それだけのものがあるのは間違いあるまい。
2010.05.12 人生に乾杯!
 久方ぶりのジャケ借りである。仕事最中に見つけて思わずそのまま借りてしまった。いやぁ、サイトにも載っているけれど、この画のインパクトは大概では無かろうか。

 まぁなので、ハンガリー映画である事も良く知らずに見る事となったのだが、いやはやこれは見て大正解だった。最初の方こそ、独特の欧羅巴映画っぽさがきつく、構成も良く解らなくて、正直少し退屈だったのだが、老夫妻が手に手を取っての一大逃避行をおっ始めた所から俄然面白くなり、映画の中へと一気に引き込められた。

 年金問題という、日本においても他人事では無い問題を上げつつも説教臭さや堅苦しさは無く、何処かとぼけた印象を受ける個性的な人々と巡り合いながら(個人的に、キューバ人の友人が素敵だ)我が道を行く老夫妻の姿が何とも素晴らしい。

 酸いも甘いも味わい尽くした、と言うのは正にこういう事なんだろう。決して愉しい事ばかりでは無かった、苦しみならば今でも転がっている――だが、それでも進み続ける。二人一緒に、慎ましやかな幸せを目指して。その姿勢が実に良い。最後のオチも、他の作品だったら、おいおいちゃんと責任取れよ、と、まぁ納得し兼ねる所だけれど、この夫婦だったら、笑って許せてしまえる。苦笑い浮かべながら、それもまた人生だね、と。まぁハリボー(と思ったんだが。Kなら解るかな?)の熊ちゃんには、神のお恵みを。

 そして、その後を追う二人にも、産まれて来る命にも。

 かく訳で、実に良い映画であった。私も、年を取ったら、あんなご老人になって見たいものである――まぁ、その為には、とりあえず免許が要りますがね。伴侶? 伴侶は、頑張れば、うん。

 と、それからもう一つ。この映画、また背景が綺麗なんだよね。サイトを見るに、ちょっと映画の内容とは離れた御洒落感やお国柄(感想で幾つか上がっていたが、確かにハリウッド映画の影響というか、これでハンガリー映画が解るか、というと微妙な所である)が漂っていて、それは無いよ、と言いたくなったけど、でも背景は別格。淡く澄んだ空の青と、枝葉茂る森の緑、その間を何処までも伸びる土の道――行きたい国が一つ増えたね。
 つい先程、お父上と共に、アリス・イン・ワンダーランドを観て来たで御座る。二人で。

Q:男二人でアリスとか辛くなかったですが?

A:リアル松戸ハッター二人みたいなものなので平気です。全然平気です。


 ジョニデ程イカしちゃぁいないが。最後に一緒に見に行ったのが……記憶している限り、『エヴォリューション』だから、偉い久方ぶり。この選択が我乍らまた何とも親子という気分にさせてくれるね本当。

 それはさておき、『アリス~』だが、うーん、正直こんなものかな、というのが一番の感想。ティムもジョニーも好きだけど、ちょっと毒気が薄いかな? それこそ、噂のナイトメアばりの後味の悪い、は行き過ぎとしても、その爪の垢程度は欲しかった。またアリスと言うにも奇妙奇天烈さが物足り無い。総じて言えば、そこまででも無い、という所であるな。まぁちょっと期待し過ぎしたという気がするし、ディズニーと考えればこれ位でも……んーむ。後、オチもちょっとね。”あの"アリスとして、ああいう最後はしちゃいけ無いと思うよ、仮に成長したとしても、ね。

 が、まぁしかし、そこそこ愉しむ事は出来た。ワンダーランドは荒廃した部分も含めていい雰囲気を醸し出していたし、新人というアリスもなかなか可愛らしく、ジョニー・ザ・ハッターや赤の女王ヘレナも相変わらずイカレておられた。ただ、個人的にちょっと食傷気味且つ実は余りマッドじゃ無い(ヘレナは、王の斬首を嘆く辺りがらしくて良かったかな)ハッターさん達よりも、元々に加えてフカキョン吹き替えの所為で、メンヘラ具合が酷い事になっている白の女王アン・ハサウェイが素敵だったね、うん。一番アリスアリスしていたのはこの人だったと思う訳で、白無垢のお城が下に広がる満開の桜の木というイメージは、美しくも狂気一歩手前であり、個人的にはこういった部分をもっと押し出して欲しかった次第。やぁ、E:ヴォーパルソードにパンダースナッチ搭乗の勇者アリス対ジャバウォックなんて、その筋の人間からすればコテコテ、余りにコテコテの様相も嫌いじゃぁないですけど。

 と言う訳で、うぅん、ぶっちゃけそこまで強くお勧めは出来ないんだけれど、映像から伝わって来るセンスはやはり良いので、ティム好きならば観てもいいかな。今回、自分は吹き替え及び通常版で観たので、字幕の、3Dでもう一回観る事になるやもしれないね。
2010.03.26 SAW6
 駄作である。

 はっきり言ってこれだけでもう終わらせたい所なのだが、しかしそんな事は、見る前から解っていた事でもある……3で疑い、4,5の時点で、これは駄目だと確信……にも関わらず、あえて見てしまったのは、まさかと同時にもしやと思ってしまったからで……まぁ結局駄目だったんですけどねっ。

 とりあえず言いたい事を列々上げて行くならば、

1.いい加減後付の連発は止めれ。今更アマンダの真相を出されても……

2.ジグソウパートとゲームパートは、しっかりと話を絡ませるべきだ。

3.ホフマン刑事はムカつくだけで魅力が無いので、(※)さっさと殺して三代目を出せ。

4.ゴードン先生はどうした。

 こんな所だろうか。まぁグロさは相変わらずでゲーム性が下がり、若干説教臭さが増した、かな。脚本については、もう言いたくないや……ラストの小ネタは良かったと思うよ、小ネタ止まりになってしまったが……でも、だとしても、7出たらとりあえず見ちゃうんだろうなぁ、嗚呼もう、つ、つまらない、でも見ちゃうっ(びくびく)って感じで。この辺りで一度リセットするか、とんでもない変化球(でもジェイソンXは勘弁な)が来る事を望む……無理だって解ってるけどさっ、セブンなだけに期待しちゃってもいいじゃないっ。

 ※追記:三代目、は彼女でいいのかな? どうも今回だけという風に見えなくも無かったけれど。後、刑事もぎりぎりで……いかん。ファンサイトなんてものを見たから、妙な妄想が。でももう一度はなぁ……
 実は余り見る気も無かったのだけれど、ちょっとした機会でレンタルして来た。

 最初DVDか劇場かで予告を見た時は、例の自由の女神だけで、一体これは何なんだ、と思ったものだけれど、詳細を耳にしたら何と怪獣モノという事で、二重に驚いた記憶がある。まぁでもハリウッドの怪獣モノと言えば、イコールでマグロ喰ってる奴が出て来る、最早回顧の部類に入りかね無い偉大な先達が居られる訳で、正直期待はせずに鑑賞せんとす。

 で、感想なのだけれど、正にそこそこ、という感じの代物だった。

 良くも悪くも『“ホームビデオで偶然にも撮影された記録映像”を装った映画』これが全てなのである。

 あくまでも映画。頑張っても映画。どうしようもなく映画。

 ブレアウィッチ的撮影手法(後、宣伝もあるかな)で“リアリティ”とやらを追求するのは一向に構わないし、見ていて成程、結構引き込まれるものも……映像酔いという意味でも若干……あって、その辺りはそれなりに面白かったのだが、その所為で返って虚構の部分が目立ってしまった感がある。

 所謂不気味の谷効果は、一般的な物事全てに言えると思うのだが、例えば最初の妙に長い前振りも異変勃発の印象付けにしか思えなかったし、『そろそろイベントが発生しても良い(する)頃だな』と思い出す絶妙なタイミングでHAKAISHAの姿が映されたり、話の進展が見られたりと、作劇としての構成が非常に解り易く、幾分興が削がれてしまったのが事実である。

 やはり現実はそれ単体では不十分であり、より本当らしく見せるには、見る者の幻想もまた満たしてやらねばならないのだろう。どう頑張っても映画が映画たる事実は変えようが無いのだから。

 まぁその様な感じで乗れに乗れなかった代わりに、深夜に見た事もあって、アトラクション感覚でかんらかんら笑いながら見る事が出来た。文字通り最後の瞬間までビデオを撮り続けたハッドさんマジ男前とか。後、単純にあのオチは好き。半ば解ってはいたけれど、しっかりあそこまで持っていったのは良かった。救い様が無いからこそ逆に救いとなっている、悪くない冗句である。
 しなくちゃ、テリー・ギリアムにごめんなさいしなくちゃ(二回目)。

 この狂気っ!!

 この幻想っ!!

 見世物小屋そのものと言って良い華々しい如何わしさっ!!

 絢爛豪華を装いつつも一皮向けば全て何もかもが崩壊する嘘偽りっ!!

 これが、これこそが正に映画、否、幻画である。いやはや、素晴らしい。最初から最後までテリー・ギリアム全開の世界に浸らせてもらった。スタッフロールの後には、思わず拍手してしまいそうになった程である(流石に人目があったので止めたけれど)。撮影中に没したヒース・レジャーの役を、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの三者が受け継ぐ、そして監督がテリー・ギリアムという辺りから期待していたのだけれど、それを裏切らない見事な出来の作品で、理はこういうものこそ見たかったのだ。

 はっきりと言って、その魅力を口で説明するのは難しい、もとい出来ない。表裏一体、鏡合わせの存在である、不死の賢人パルナサス博士と悪魔のMr.ニックが自分達の賭けの舞台として織り成す空想世界、それに翻弄される博士の娘と、彼女を愛する為に救おうと、鏡の中へと入って行く青年、が、その者すら見た目通りの外見では無いという一筋縄では行かぬ構成に随所に挿入される黒くて素敵極まりない冗句(特に女装婦人警官による『君も警察に入って合法的に暴力を振るおうっ』ダンスには笑った。それがパルナサス側である事やママンオチも含めて)など、要素を挙げる事は出来ようが、この幻画の本質はその目くるめく映像、そう、映像である。是非これは劇場で見て貰いたい。劇場で見、その世界に溶け込み、やがて元に戻れ無くなる様な、そんな胡散臭さを味わって来て貰いたい。

 いや、本当、良いものを見させて貰った。少し、アバターなんてものを直前に見てしまった影響が入っているのでは無いかと思ったりもするけれど、それでもこれは見に行って欲しい。お勧めの作品である。
2010.02.11 アバター
 まるで成長していない(AA省略)

 というのがアバター初見の感想であり、最終的な感想であった。

 良くも悪くも王道。ただそれに尽き申すという感じの映画である。

 成る程、設定的にはなかなか面白い。が、その興味深い設定を使ってやる事がこの内容とは、到底思えない。ジェームズ・キャメロンって『Avalon』を絶賛していた人だから、思想的に影響或いは共感している様な節が見られるのだけれど、だったらもう少し映画としてもどうにかして貰いたかった。まぁ大衆受けはしないだろうけどさ、そういうのはもうタイタニック辺りで行なえていると思うのだし。

 そして、映像。確かに綺麗だとは思う。しかし、それだけだ。綺麗ではあるけれど、決して凄いとは思わなかった。この映像の進み方は云わば画質の進化であって、それ以上でもそれ以下でも無い。家電のテレビモニタの宣伝には打って付けだろうがね。どれだけ画質が向上しようとも、それによって描かれるのが平凡なものだったなら、どうしようもあるまい。これは似た様な事を何年も前から言っている覚えがする事でもあるが。個人的には余り評判の芳しくない2002年版『タイムマシン』を劇場で見たのと同じ印象位しか受けなかったな、今作の映像には。というかこの系統の作品の映像は、この時代のもので限界かと。

 と、まぁ、盛大に貶して見たけれど、王道一本道という事で細かい色々に目を瞑ってやれば、楽しめる作品なんじゃないかと思う。映像も、自分は噂の3D版じゃないし(3Dって何なのか、さっぱり解らないのだが)……というのは、次に一緒に見た『Dr.パルナサスの鏡』を見るまでのもので、うん、ごめん、やっぱり駄目だ。正直DVD化されるのを待つか、理の様に無料で見るか、地上波初放送を待つべきだ。或いは家電屋へ行こう。きっと素晴らしい映像を体験出来る筈だ、モニタで。

 そうそう、今作に出て来る青肌の半猫人間ナヴィはなかなかエロかった、とだけ加えておこう。首から下は、相応に。上? 嗚呼、それはほら、あれだ、映画としては何かもういいやと見限ったハリーポッターと秘密の部屋のネコマイオニーに絶望した(多くの者達が味わったものと信じている)、あの感覚である……あれはあれでいいと思うんだけどさ。もう少し、こう手心というか何と言うか。
 ここ最近まともに映画見る気概が無かった所で、久々に。見るものが無いからという理由だろうか、矢鱈レンタルが多い『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』である。昨日の深夜に返って来た所をどうにかゲット。

 X-MENで人気の高いキャラ、ウルヴァリンのスピンオフという事であるが、いの一番に出て来た感想は、「これがどうやって1と繋がるんだ?」という所かな。いや、一応三部作(と言って良いのか知らないが)全部見終えたが細部はもう忘れているので詳しい事は何とも言えないのだけれど、どうも一作目とこのローガン=ウルヴァリンが結び付かない。特にヴィクター=セイバートゥースと義兄弟設定というのが、かなり腑に落ちないのだけれど、あんないい奴だったろうか、あの男? 他にも細部でちらほらと首を傾げる所があり。うーん、これはスピンオフという事で、パラレル扱いと見るべきなのだろうか? だったら、ZEROじゃないだろう、と思うのだけれどね。

 そしてまた、脚本的に登場人物と要素を詰め込み過ぎて希薄になっている印象が。中でも、子供時代のくだりは、もう少し長くした方が良かったと思う。父親と息子というのは、この映画の中で何度も出て来る重要な関係の筈なのに、肝心の実父との時間が短過ぎて何ともかんとも。まぁあそこを長くしたら、相対的にウルヴァリンの活躍が減るから、というのは解らないでも無いけどさ。

 まぁそう言う訳で、基本的にはウルヴァリンが吼えて暴れて記憶を失う映画なのだけれど、その分、アクション的にはなかなか。素敵だったのは漸く登場したガンビットと、今回のラスボス・デッドプールだね。前者は、ストーリーに殆ど絡まなくて、絡んだと思ったら実にKYか、美味しい所でちょろっとと言う感じなのだけれど、映像的には格好良い。後者は、正にラスボスらしい、他ミュータントから得た複合能力がイカス。実は密かにアメコミ実写映画で不満なのは、ラスボスが強そうに見えず、カタルシスが余り感じられない事だったりする。結構見たけれど、これはと思ったのは、インクレディブルハルクのアボミネーションと、辛うじて三作目のフェニックス位か。この辺りが日米のヒーロー感の違いなのだろうけれど、その点、デッドプールは良い。文様の様な術式用のペン入れ、スキンヘッドに塞がれた唇、両腕から生えた日本刀と不気味なビジュアルもさる事ながら、自己再生、瞬間移動を自在に駆使しての格ゲーばりのチェーンコンボ、果てはサイクロップスのオプティックブラストを使う等と、チート臭い強さが素晴らしい。どうやって勝つんだこいつ、と思ったものだが、その勝ち方も力と技の融合でまた良しだ。原子炉の上、黄昏の空を背景にした義兄弟のタッグ戦も、絵面としては好みの物で。

 総じて、色々と目を瞑れば、派手なビジュアルが格好良い映画として、楽しむ事は出来た、かな。うん、格好良さという点では、今作がシリーズの中では一番良かったかな……色々と目を瞑った上での格好良さだけれど。次はマグニートーのスピンオフで、後デッドプールのスピンオフ(!)もやるらしいが、どうなる事やら。個人的には、ガンビットのスピンオフが見たいんだが……どうもディスられっぷりが半端無いそうだし、どうだろうな。
 実は劇場で見た前作だが、今回はDVDレンタルで。

 とりあえず、トランスフォーマー リベンジで何かぐったりした分、今作でほっこりと出来た。

 一作目は、博物館の展示物が動き出すという娯楽要素に加え、うだつの上がらないオヤジが如何にして父親たる人間になるか、というドラマ部分も割にしっかりしており、二つ合わせて親子で楽しめる、良い意味でのファミリー映画だったが、前作のヒットを受けて、今作はあくまでもアトラクション的要素に力を入れた様だ。主人公の動機付けがいまいち薄く、若干盛り上がりに欠ける感があったのは残念な所。

 ただその分、製作者側も随分とまぁはっちゃけてネタに走っており、そういうものだと割り切って見れれば、楽しめる映画と思う。実際、理は楽しめた。ちょっと遣り取りをくどいと感じてしまい、時々だれる事もあったけれど、基本的にはジェットコースター的に次から次に湧いて出るネタにくすりと笑う事が出来たね。ベイダー卿とか、『300』ネタは笑うというか、この映画でそれをやるかっ、という感じだったが(特に後者)。オーウェンは良い奴なんだけどねぇ。今回は友情じゃなかったんだったか。

 と、その中でもお気に入りは、絵画及び写真への影響と、三人の悪役かな。絵(写真)の中に出入り出来るというのは、深く考えると何かがおかしい気もするが、ビジュアル的には面白い。白黒世界で、かけずり回る場面は良い味わいだった。三人の悪役も、この設定と場所だからこそ出来るものだし、こう言ったクロスは大好物。アル・カポネだけモノトーンなのも出自が知れてベネ。描き方自体はちょっとステレオタイプ過ぎた気があるが、致し方無い、かな。

 まぁともあれ、童心に帰って、楽しむ事が出来た映画だった。このノリで、世界各地の博物館が動き出すという風に続けて行っても、面白いかもしれない。大英帝国博物館とか。秘宝館とか。

 そうそう所で、ちょっと前作の話を忘れてるんだが、ラリーは離婚したままであっただろうか。新ヒロインとのロマンスの度に、おい妻子持ち、と突っ込んでいたのだが、どうだったかな。
 と言う訳で実質的新年一発目の映画、がこれというのも何だかなぁ。あ、第一作目もか。

 ともあれ、そんな第二作目であるけれど……うぅん、何だろうなぁこれ、ともう一回。

 確かに映像は凄い。前作よりも数多くのトランスフォーマーが敵味方に入り乱れて四六時中暴れ回る姿は、なかなか素敵である。原作を良く知らないので、その存在を初めて知った動物型、擬態型、合体して戦う連中等、見ていて新鮮なものも多かった。特に合体型は、その登場に負けず劣らずの大活躍で、かなり燃えさせて貰った。まぁやられ方が余りに呆気無さ過ぎる感はあるけれど、それはご愛嬌という所であろうか(レールガン自体は格好良かったんだけどね。一発というのはなぁ)。

 だがしかし、今回はどうにも盛り上がる所で盛り上がりきれなくて消化不良、という印象である。最近の理の趣向が大分変わって来ている事も多分にあると思われるが、それ以外にもあるんじゃないか、と。

 一つは派手さのバーゲンセールで食傷気味に陥った事か。上にも挙げた通り確かに素敵だ、素敵ではあるが、だが緩急も無く延々とやられると、流石に辛いものがある。またこれは敵役の力量不足、というのもあるだろう。確かにオプティマスは中盤戦闘不能に陥った訳だけれど、リベンジという名にも関わらず、その後のディセプティコンに目立った活躍は感じられなかった。正体を現して大暴れするのだー、と息巻いたものの、結局そんな事は起こらず、あれよあれよとエジプトでの戦いになり、そして結局復活、更には強化されたオプティマスに一蹴された印象が強過ぎる。

 これは先に見たバイト先の後輩も言っていたし、多分見た者全員が思った事だろうが、リベンジとはディセプティコン側の、では無く、オプティマスの、という事だったのだな。それはそれで構わないのだけれども、敵役にも相応の活躍をさせてくれないと、カタルシスは出ないものだ。ザ・フォールンとか。

 で、もう一つは脚本面で、いやさ、整合性が取れてないだとか、浅いだとか、そんな事はもう前々から解っていた事だから、最早何も言うまい。が、それにしても、あのサムの日常シーンはもう少しどうにかならなかったのだろうか……。これはもしかしたら理だけかもしれないけれど、あのノリとテンションと流れが余りに辛くて、思わずスキップしてしまった。どうせ見なくても話は解るだろうと思ったのだが、別に何の問題も無かったぜ。あんなものをやるのだったら、もう少し敵味方の配役のバランスを、ねぇ?

 と言う訳で、トランスフォーマーの活躍は相変わらずで良かったのだけれど、もう少しこう、小手先に目を向けて頂きたい映画であった……言うだけ無駄という気もするし、そういう作風だと言われれば、それまでなのだが。いかんなぁ、本当に趣向が変わって来ているのかもしれん……。
2009.11.18 セブン
 理は基本的に王道的な作品をちゃんと見ない、或いは見ていなかった事が多い。自分でも不思議なのだけれど、多分有名どころはわざわざ映画館に行かずとも、レンタルで借りて来ずとも、テレビか何かでやるだろうと思っているからな気がする。

 まぁ往々にして、そんな時はバイトか何かで見られないケースが多々なのだが。

 という訳で『セブン』である。ブラピでフィンチャー監督で『ファイトクラブ』が面白かったからの繋がり。

 あぁ博打ならば兎も角、関連性も無い監督の映画を見たくは無い、というのも少しあるかもしれない。

 さて、そういう事で見た今作なのだけれど、うぅん面白い。四週連続一位だったか、確かにこれならば取るだろうな、という内容である。銀残しと呼ばれる手法で彩られた独特の世界の中、モーガン・フリーマンにブラッド・ピット、そしてケヴィン・スペイシーがまた何とも痛々しいまでの好演を行なっている。

 尤も、現在に至るまで類似の作品が多々出、この手のサイコサスペンス的なものにも慣れて来た為か、それ程強い衝撃は……最後のあのシーンも含め……受けなかった、かな。ミルズの写真が公開された時点で何と無く予想していたけれど、あーあーという風であったし。初見であれば、と思うと大変に勿体無い限りである。こちらこそあーあーという風だった。

 ともあれ、面白さという点では納得する事が出来た、良い作品であった。
2009.11.10 風が吹くとき
 バイト先にあったのを思わず借りて来てしまった。所謂ジャケ借りだ。リマスター版である。

 が、しかし、やられた……油断していた……スノーマンの作者が原作者とか、絵柄とか、内容とかで、勝手に『心地良い破滅』(終末SFモノに置ける主人公の哲学的に達観した態度を皮肉った言葉)ネタかと思っていたら……面白い、確かに面白いのだが……何とも、恐ろしい程にリアルな話であり、笑うに笑えなくて、もう笑うしかない状態であった。勿論主成分は苦味一択。

 何と言いましても、主人公である中年のジムとヒルダの夫妻がね……片や、新聞や冊子やらを鵜呑みにして、物事に自分流の好解釈を与える紳士、片や、良くも悪くも家庭の事にしか目がいっていない主婦、総じて呆れる位楽観的な人物なのだけれど、決して悪い人間では無く、寧ろ善良な市民で……。

 そんな彼らに襲い来る運命がまた実に酷いという始末。何が酷いといって、一発で終わらないのが酷い。核ミサイルが墜ちた、で物語ならENDにしても良かったろうに、そこからずるずると放射能によって衰弱して行く夫妻の姿が描かれる。淡いタッチでデフォルメされたキャラである分、より一層悲惨さが増す。にも関わらず、夫は最後まで国家や政府が自分達を救助にしてくれると信じているし、妻はその夫の言う事を信じていて、一緒に神様にお祈りを……あーぁ、という感じである。この辺りのリアリティが、もう本当、見てて居た堪れなかった。

 と、確かに良かったのだけれど、これは安易に見るものでは無かったな。気軽にふと借りてしまって、余りの重みにちょっと後悔している。ただただ不運や不幸を描いただけの戦争作品とは違う、もうこれは黒い笑いとでも言って良い程の現実味溢れる残酷さ。今作、公開当時は教育委員会等のホールで上映されたらしいが、きっと俺みたいな連中も多かった筈だね。はっはっはっはっはっは、はぁ。
 名前だけは聞いていて、しかし見る機会は無く、いざ見たら名作で、どうして見なかったのかと訝しがる。今までに何度も味わって来た感覚であるけれど、今作も同様のものであった。

 その設定からして実にそそられるものであるのだが、造られた世界がまた素敵である。正に舞台っ、という雰囲気が、びしばしと伝わって来、それが合間合間に挿入されている外の世界の光景で後押しされている。監督インタビューや、あからさまな宣伝、壮大極まりない装置や反応の数々には笑ってしまった。

 まぁ何とも悪質極まりない冗句で、多分それ単体では耐え難い代物になっていた(この所為で、未だにシザーハンズが見られない。前半のバーベキューシーンで、もうギブアップ状態)のだけれど、ジム・キャリーの明るさの所為で、程好く調和されているのがいい。それにしてたちの悪い冗談には代わり無くて開いた口が塞がらなかったけれど、でも余りにどうしようも無くてついつい笑ってしまう。

 その白眉が、何と言ってもクライマックス、クリストフとの会話。彼も決して悪人という訳では無くて、正に正真正銘の生みの親としての愛をトゥルーマンに注いでいた訳だけれど、そんなクリストフへの返答が、もう、嗚呼~って泣き笑い状態。いやぁ、いいね。全てを知った上での反応が、激昂でも悲嘆でも無く、あれとはね。うぅん、その後のオチも含めて、正にトゥルーマンである。ですよねぇ、って。でも、それも踏まえて、感動させて貰った。実に良い、映画である……と、思ったら、これ『ガタカ』の人の脚本か。そういえばまだ感想書いてなかったけれども、あれも実に良い映画であり、とすればなかなか納得だな。
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