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 ソニーでは、ハンコック、ハルク、アイアンマンが三ヶ月連続でDVD化されるという事で三強ヒーロー……いい迷惑な気がするがな……として扱っており、中でも発売日が一番早く、ウィル・スミスの人気があるハンコックが筆頭に上げられている(というよりも、他二つの扱いがあんまりだ。バイト先だとハルクなんて二本しかレンタルとして入れていない)のだが、ウィル・スミスが好きくないので無視して、インクレディブル・ハルクを見た。

 個人的には評価しているが、世間的にはすこぶる評判の悪い前作からキャスト等を一新した今作は、改めてハルク誕生を描くのでは無く、その続き、ハルクになった後の話として始められる。

 これがなかなか面白かったのだが、それと同時に前作が不評だった理由にも心から納得した。

 一作目はヒーローとしての苦悩、人間の心や境遇を持ったまま超人的力に目覚めてしまった男の葛藤と、それを如何に克服するかに焦点が置かれ、ドラマが展開されていた。ハルクの扱いは怪人というよりも最早怪獣で、GMNさんも言っていたけど、確かにモンスターに近かった。今作では更に苦悩の先、ヒーローとしての決意、超人的力と如何に折り合いを付け、それを使うかという点が重視されていた。前作ラストでもそれは明示されていたけれど、もっと解り易く、重みを置いて語られている。こちらの方が受けが良い訳だ。映画としては前作だって決して悪いものじゃぁ無いと思うけれど、ヒーロー映画としてはこちらに軍配が上がるかな。

 で、ハルクのヒーローとしての立ち位置に一役貢献しているのが、ティム・ロス演じるヴィラン(悪役)のブロンスキー=アボミネーション。ブルース=ハルクが、闇の中に潜む何かから、苦悩する怪物を経て、緑の英雄になって行く様に、彼も軍隊(全体)の中の古参兵から個としての強者(怪物対人間を描いた二戦目はなかなかツボだったね)を超え、ハルクと同じ起源を持っていながらも力だけを求める怪物へと変貌する。前作のブルース父がなった吸収能力者はその姿も力も扱いも抗い難い自然、神であり、ブルースの抑えられないハルクという力の象徴であった訳だが、しかし対峙する存在ではなかった。対してブロンスキーは人間の心が持つ善に対する悪として非常に解り易く配置されており、ギリシャ風の円柱が聳え立つ廃墟での最終局面はそれが際立ち、英雄対反英雄という神話然とした闘いがテーマ的にも良く噛みあって、実に面白かった。ハルクなんて必殺技名を叫ぶしな。

 という風に、テーマとしても映像としても今回はヒーローの姿を描いていて、なかなか良かった。欲を言えば、一度封じた変身を復活させるに至るブルースの心情や、力を求めるに至るブロンスキーの心境がもう少しあった方が、映画としては締まった気がするが、しかしこれでも充分かな。

 さて、来月はアイアンマン。ラストに社長がちゃっかり出ていて、結構愉しみである。
 
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2009.02.19 天帝
 ぐへへへへとごねた所、三日の猶予を貰ったのだが、結局数時間もオーバーした上に、本日までに誤字修正と称して大分手を加えてしまった。いやぁ編集者たる後輩には実に悪い事をしたものだと思っている。思っているだけであって実際の行動が違うのはまぁ何時もの事。

 まぁそれでも何とか三本全て提出出来たのは良かったかな。一本は事前に、一本はぎりぎりまで、一本は締め切りオーバーして、と過去、現在、未来を網羅したノルニルの三姉妹仕様だがな。出来としては、最後になる程、ちょっとずつクオリティが落ちている気がするけれども。切羽詰るのは余り良くないな。

 しかし最近、自分の作家としての限界みたいなものを感じて来ている。意欲はまだまだあるし、技能も書いている間に伸びて行くとは思うのだが、何かぱっとせず終わる気がする。

 というのも、最後に完成した作品を読ませた友人曰く、面白いが薄いと言われてしまったのだな。人物の内面部分を描くのが苦手だよな、とも。実際それは自分自身良く解っているし、スーパーダッシュの評論でもその辺りの旨(公表は控えてくれとの事で詳しくは語らないが)を指摘されたから、どうにかしたいとは思っているのだけれど、向いていない事も解っている。キャラクター小説、ライトノベルレーベルに作品を送るには、致命的な欠点なのだろうな。

 ただ、人間中身なんてそう大差無いとも感じてしまう。イメージとしては歯車だ。色や形や傷やある場所かかる力接する他の歯車等で差は出て来るけれど、根本的に歯車である事には変わり無い。それが時代の、というよりも、もっと深く遠くにある何か凄いもの、何なら神と言ってもいいが、そこからの流れによって動かされている。

 だから、個々の歯車には余り思い入れが無い。固有の感性、悩みというのが解らないとも言われたが、確かにその通り。理由があって行動がある、その根拠が解らないというのはただ単に見方が違うか、知らないか、忘れているだけ。悩みというのも、悩み方や周囲に問題があるのであって、悩み自体は全て等価では無いだろうか。サラリーマンのおっちゃんがハゲで悩むのも、貧民国の子供達が食べ物に困るのも、苦しみという意味では等しく重いのでは無いか。そう感じてしまう。

 まぁ、だからこそ厚みを出すには歯車のバリエーションを目一杯増やして、全体の機械をより複雑にしないと行けないのだろうが、その為にはもっと知識を増やさなくては行けない訳で、それに仮令増やしても何処かで行き詰まりそうな気がする。求められた物を書く、商業ライターに向いている、とは言われたが、これは褒め言葉じゃないね。

 それであっても今はただ、書きたいものを書き続けるつもりだがな。高みへ高みへ、果ての果てまでだ。
 バイト先のDVD特集コーナーにて、格別流したいものも無かったので『イーグル・アイ』をチョイスしたのだけれど、宣伝映像が結構面白そうだったので借りて見た。で、さっき見終わる。どうも自分は時間を置くと記事を書く気が無くなる様で、鉄は早い内に打ての精神で感想だが、まぁまぁまぁ予想通りのサスペンスでアクションな映画だった。

 『謎の女の指示に従い、男女二人組が翻弄されつつも、とある目的の為に行動する』というあらすじを見ていた時から、嗚呼そういえば映画化するものねニューロマ、と思ったのだが、実際見れば案の定ニューロマ。列車の逆走、自分宛に鳴り出す見ず知らずの人の携帯電話、赤信号が次々に青になって行くなど、なかなかそれっぽい映像を見る事が出来て面白かった。アクションもテンポ良く流れて一定のレベルを保っているしね。

 ただ、テーマ的にはニューロマには届かないというか、やっぱりそこに落ち着いたかという所。何だろうね、『ジャンパー』とか『シューター』を見終わった感覚に近いかもしれないな。脚本は悪くないし映像も素敵だが、ただ肝心の中身が在り来たりで面白味に欠けてしまう。折角良いネタを扱っているのに勿体無い限りだ。

 うーん、そろそろ実際に出て来ても何もおかしくないネタなんだし、好意的に受け取ってもいいと思うのだがね。 因みに自分は昔、中長編小説を書いて友人に読んで貰った時に、そういうネタに抵抗無いよね寧ろばっち来いだよねと褒められた覚えがあり、全力でYESと頷いたのだが、世間はまだまだ厳しいのかもしれないな。

 Q:そういうネタって何ですか? A:ノイラとかアリスとかときゃっきゃうふふ
 
 しかし最近良く出る青みががかったジャケットの映画は外れ、というか、薄いものが多いな。如何にもサイバーですよー、映像凄いですよー、と謡っているのだろうけれど、ちょっとね。いや、まぁ、そういうのにほいほい付いて行っちゃうのがボンクラの由縁だが。

 所で、そんなイーグル・アイだけれど、もし見るのならば、日本人としては是非吹き替えで見て貰いたいものだ。ある意味一番の主役であり、存在自体が見せ場の様なもので、且つネタでもあるというお方を吹き替えによってとっくりと味わえるのだけれど、ほら、あれだ、

 謎の女の声が田中敦子だ。

 『貴方がネットにアクセスする時、私は必ず貴方の傍に居る』ですね。や、意味が違うけれど。まぁ開口一発、余りの狙い済ましっぷりに大いに吹かせて貰った。狙い過ぎて最早ネタバレのレベルに達してしまっているがな。坂本真綾でも良かったかもしれん。
2009.02.10 てんてー
 何処かの港 走り抜ける私と彼女 追い駆ける者どもの手には銃が握られ 躊躇無く撃ち放つ

「もう駄目逃げられないわ」 「いいやあれに乗るんだ」

 波間に漂う一隻の小船 板の様なそれの上に乗って二人 波間を向かう

「この船エールが無いし沈んでるし大丈夫なの」 「流れに身を任せれば安心だ」

 波はウォータースライダーさながらの勢いを持って 沈み掛けの板切れを運んで行く

 ぐるりと一周 港の反対側へ

 そのまま落ちた洞窟の先に広がるのは古いアパルトメント階段の踊り場

 壁に穿たれた五つの銃痕 縁は黄緑色に発光している

「ここはもう駄目だ、私は下へ行く」 「解った後は任せろ」

 私は息子を残して階段を下りる

「くそ、後一つなんだ、後一つ言葉が解れば」

 銃痕の中には言葉があった けれども最後の一つだけが解らない

 解らなければおしまいだ

 私が階段を下りると扉の前には母と娘

「私達はもう諦めたわもう何もしない」 「馬鹿な事を、嗚呼もう時間が……」

 二人を無視して階段を下りる私は息子を通り過ぎ母子を通り過ぎ背景は白く文字は黒く

「嗚呼、嗚呼、終わった、おしまいだ……」

 母と娘は扉の奥に吸い込まれ迫り来る文字の一つは「裏返って引きずり込まれた」

 一番最後に子供達の声がタイトルコール

『地獄てんてーは無地がスキデス』

 ひぐらしの様な子供達の笑い声

 ………

 ……

 …

 という様な感じの夢を朝見てがちでびびったのだが、一体これは何を表しているのだろう。物凄く気になって仕方が無い理である、Guten Abend. いやさ、起きたら心臓やばいし汗やばいしおまけに左手は首筋で脈計ってるしで、これはあれか、SUN値か。SUN値が減っているのか。

 まぁ実際危うい。何がって締め切りが危うい。後四日しか無いが、実質的には二日なのに、全然終わる気がしない。限界に挑戦しよう。そう思い、テーマを決め、三本書く事にしたのだが、見事に首絞め捲くりである。嗚呼、期限破るかもしれん、どーしよーと言いつつ、結構破る気満々だったりする。何か皆の頁数少なかったら恩赦を考えてくれると編集者が言ってくれたので、こいつを頼みにぐへへへへだぜ。
2009.02.03 要再読
 凄まじき戦士と対等にやりあうなんてディケイドさんマジぱねぇっすとか、アクシズばりのクライマックスの後でやっちまったよアンドレイ君とかで盛り上がりつつも、ケアちゃんの出番が無い事に憤慨する。そんな感じの日曜日。

 憤慨と言えば、パイレーツの2が日曜洋画劇場でやっていたので見た。

 続編である事に配慮せず細かな所へ眼を瞑れば、これはこれで娯楽アクションとしては悪くない作品かなとと再認。特に後半の三つ巴戦とかね。そして何よりクラーケンっすよお客さん。いやぁやっぱいいわクラーケン。無数の触手が縦横無尽に襲い狂い、成す術も無く人間達を飲み込んで行く様は、ボンクラ魂を熱くさせてくれるものだ。

 まぁそれと同じ位に、その後のクラーケンの末路を思い出して、憤慨したのであるがな。

 ここで漸く繋がった。三つ子の魂百まで。そんな日曜日。

 後何で火曜日の早朝にこんなの書いているかと言うと、大学サークル用の冊子が為に急ぎ執筆(何と期限がバレンタインときたものだ)していたら日曜日の深夜はそのままぐっすり寝てしまったので、では珈琲をがぶ飲みだいと、最近カフェイン取ると眠くなる病が消え出したのを幸いに、祖母から貰ったネスカフェのイタリアンローストをブラックで飲んだ所、やっぱり眠くなる→アンレム睡眠でドリームラッシュひゃっはぁ→眼が覚める←今ここである。コーヒー&シガレッツの一幕で、「寝る前に珈琲飲むとハイスピードカメラで撮った様な夢が見られてお勧め」みたいな台詞があったが、あれはガチだという事を身を持って実感した次第だ。いや実際これどうしようマジで。
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