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2009.11.18 セブン
 理は基本的に王道的な作品をちゃんと見ない、或いは見ていなかった事が多い。自分でも不思議なのだけれど、多分有名どころはわざわざ映画館に行かずとも、レンタルで借りて来ずとも、テレビか何かでやるだろうと思っているからな気がする。

 まぁ往々にして、そんな時はバイトか何かで見られないケースが多々なのだが。

 という訳で『セブン』である。ブラピでフィンチャー監督で『ファイトクラブ』が面白かったからの繋がり。

 あぁ博打ならば兎も角、関連性も無い監督の映画を見たくは無い、というのも少しあるかもしれない。

 さて、そういう事で見た今作なのだけれど、うぅん面白い。四週連続一位だったか、確かにこれならば取るだろうな、という内容である。銀残しと呼ばれる手法で彩られた独特の世界の中、モーガン・フリーマンにブラッド・ピット、そしてケヴィン・スペイシーがまた何とも痛々しいまでの好演を行なっている。

 尤も、現在に至るまで類似の作品が多々出、この手のサイコサスペンス的なものにも慣れて来た為か、それ程強い衝撃は……最後のあのシーンも含め……受けなかった、かな。ミルズの写真が公開された時点で何と無く予想していたけれど、あーあーという風であったし。初見であれば、と思うと大変に勿体無い限りである。こちらこそあーあーという風だった。

 ともあれ、面白さという点では納得する事が出来た、良い作品であった。
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 若かりし頃の夢よもう一度(と言っても、一年前位か)と、SNSやら何やらのコミュにせこせこ参加中。とりあえず二つ、三つ? 結局は中身と知りつつも、外見を気にしてしまうこの哀しさが、ヴィルヘルムというかトニオ君というか、まぁその辺りの一部の人間に偉く嫌われる人達。ともあれ、本格的に動き出すのは、卒論が終わってからになるだろうけれども、何処か良い場所でもあれば、紹介して頂きたい限り。
 http://twitter.com/RiheiKinome 始めて見た。
 ここ最近は卒論の為の資料集め兼読書をしながら、MTGに耽っている。というよりも、MTGに耽りながら、卒論の為の以下略という所だろうか。合間合間には何時もの様にバイトでいらっしゃいませ。授業も実質二つしか無い為、ある意味ではかなり暇しており、サークルの一年生に、また逢いましたね、と言われてしまった。まぁそりゃそうだろうと苦笑いしか出て来なかったけれど。

 所で、MTGにおける我がカラーは青と緑である。MTGを始めたのは中学一年の頃になるから、まぁ結構良くやっているとと感心する限りであるけれど、最初に買ったテーマデッキからして青緑(ネメシスの消散デッキね)だった。そこから某デュエルファイターの影響を受けつつ、緑は抜けつつも基本的に青を使い続け、アポカリプスで神秘の蛇を手に入れてからは、俄然青緑であり、そして数年間のブランクの後は、一貫して青緑である。たまに白が入りもするが、この二色からぶれる事は殆ど無い。今日も、さり気に本領を発揮して来たという、青緑ランデス・リヴァイアサンでふはははして来た。ムル・ダヤの巫女とアルパクァに寄るライフ回復機関が絶妙に美味しい限りで、何ともまぁ、皆にうざがられている。

 だが大学に入ってから作ったデッキはと言えば思い出せる限りで、ついえし希望による青緑187ループデッキ、ヴィダルケンの黒幕による青緑187ループデッキ、逆説のもや+夢生まれの詩神をキーにした青緑バウンスライブラリー破壊デッキ、プーカの悪戯を使って色々悪さするデッキ、ぼくらのリヴァイアサンをキーにした青緑187ループデッキ、そこに白を足してロウクスやら管理人やらキッチンやら騎士長を積み込んだデッキと、我ながらろくでもないものばかりであり、うざがられるのも無理は無い――大学に入る前から、ライジングウォーターとかアンクタイドとか蛇対立とかカウンター総体の知識とか組んでいたから、この傾向は大昔から変わってはいないのだろうが。

 さて、こうやって我が製作デッキを連ねると、ちょっとしたものが解って来る。デッキには作成者の人格が出る、というのが私の持論だが、それを踏まえた上で製作デッキを見返せば、『基本的に地雷(非主流)である』『相手に直接干渉出来るものが極端に少なく(干渉するにしてもバウンス等の間接的手段で)自分の利益(≠ゲームの勝利)を求める方に焦点が置かれている』といった共通点が出て来ようか。青と緑という色ならば、ある意味そうなって然るべきなのだけれど、優秀なクリーチャーをカウンターで守るクロックパーミッションに走らないで、芳醇なマナやドロー等のサポートを使って好き勝手にやろうという辺りが、何とも保守的であり、また内向的である――対戦相手に鬱陶しがられる筈だ。このデッキ(作ったのは自分だし、使っているのも勿論自分だが)にとって、対戦相手及びその行動は、自らの行動を阻害する一因に過ぎず、その勝負は、本質的に独り遊び、それも、地雷=少数派、つまり個性的である事を欲する、となれば勝つ事と一致しないデッキである為に延々と行なわれ続ける、たちの悪い独り遊びなのだから。そんなものに付き合わされるのは、正直しんどいであろう。デッキを交換して対戦した作成者が言うのだから、まぁ間違いあるまい。

 と、ここまで来た所で、長年自他共に浮かんでいた疑問、何故私は独逸文学を専攻したのか、そもそも何故独逸なのか、という所に、明白な解答が得られた気がする。カード遊びでも小説でも、自分が何をやっていると言えば、それは総じて自己探求であり、求めるのは所謂『内面性』という奴なのである。外では無く内へ、只管に己自身へ眼を向け、高みへと達し、救いを見出す。何時からそうだったかは解らない、が恐らくそれが、それこそが私の本質であり、また望む所であるのだ。その事はまた独逸と独逸人の特徴であり、独逸文学の一ジャンルとして名高い教養小説が描くものであり、また俺が卒論として選び、このblogの名にもなった『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』にて描かれているものなのであり、だからこそ私はMTGにおいて青緑なる色を元に、かようなデッキばかりを作成しているのである――先の後輩に、何故かと聞かれた答えも、これではっきりと言えよう。『俺が求めるのは己自身の魂の成長であり救済であり、独逸と独逸人も同じものを求めていたのだ』から、と。

 何か物凄い今更な気がしなくもないけれど、今まで浮んでいたもやもやが急にすっきりしていい感じの晩秋の夜、という奴である。決して、某デュエルファイターの独逸代表が、青緑対立デッキを使っていたからでは無いのだよ、うん。
2009.11.10 風が吹くとき
 バイト先にあったのを思わず借りて来てしまった。所謂ジャケ借りだ。リマスター版である。

 が、しかし、やられた……油断していた……スノーマンの作者が原作者とか、絵柄とか、内容とかで、勝手に『心地良い破滅』(終末SFモノに置ける主人公の哲学的に達観した態度を皮肉った言葉)ネタかと思っていたら……面白い、確かに面白いのだが……何とも、恐ろしい程にリアルな話であり、笑うに笑えなくて、もう笑うしかない状態であった。勿論主成分は苦味一択。

 何と言いましても、主人公である中年のジムとヒルダの夫妻がね……片や、新聞や冊子やらを鵜呑みにして、物事に自分流の好解釈を与える紳士、片や、良くも悪くも家庭の事にしか目がいっていない主婦、総じて呆れる位楽観的な人物なのだけれど、決して悪い人間では無く、寧ろ善良な市民で……。

 そんな彼らに襲い来る運命がまた実に酷いという始末。何が酷いといって、一発で終わらないのが酷い。核ミサイルが墜ちた、で物語ならENDにしても良かったろうに、そこからずるずると放射能によって衰弱して行く夫妻の姿が描かれる。淡いタッチでデフォルメされたキャラである分、より一層悲惨さが増す。にも関わらず、夫は最後まで国家や政府が自分達を救助にしてくれると信じているし、妻はその夫の言う事を信じていて、一緒に神様にお祈りを……あーぁ、という感じである。この辺りのリアリティが、もう本当、見てて居た堪れなかった。

 と、確かに良かったのだけれど、これは安易に見るものでは無かったな。気軽にふと借りてしまって、余りの重みにちょっと後悔している。ただただ不運や不幸を描いただけの戦争作品とは違う、もうこれは黒い笑いとでも言って良い程の現実味溢れる残酷さ。今作、公開当時は教育委員会等のホールで上映されたらしいが、きっと俺みたいな連中も多かった筈だね。はっはっはっはっはっは、はぁ。
アモンクロック
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終端・螺旋果て

「わしにどうしてあんたを救うことができよう? おのれを救うことさえできぬわたしに?」微笑をうかべて、 「まだわからんかね? 救済はどこにもないのじゃ」
「じゃ、これはなんのためなんだ?」リックは詰問した。 「あんたはなんのためにいるんだ?」
「あんたがたに示すためじゃよ」ウィルバー・マーサーは答えた。 「あんたがたが孤独でないことをな。わしは、いまもこれからも、つねにあんたがたといっしょにいる……」
 フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
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4.大いなる神の発条遊戯

「……われわれには、あなたがた人類に隠しておかねばならないことが多数あった……だからこそ、われわれが強いられたことのために、われわれを非難はしないでほしい。これだけは忘れないでいただきたい――われわれは、つねに、地球人をうらやんできたのだ」
 アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』
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3.愉快な堂々巡りの行き止まり

「スキップ! メッセージだよ! メッセージの内容を知らせにきたんだ! メッセージだよ! スキィィィィィィィィィィィィップ!」
 カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』
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2.交差せざるを得ぬ者達

わたしは人間の苦しむのを見ているだけです。
人間というこの世界の小さい神さまは今も同じ型にできていて、
天地の最初の日と同じように気まぐれです。
あなたがあいつに天の光のうつしを与えなかったら、
もすこし具合よく暮らすでしょうに、
人間はあれを理性と呼んで、それを
動物よりもっと動物らしくするためにだけ使っています。
………………
人間という奴が毎日苦しんでいるのを見ると、気の毒になってしまい、
わたしでさえ、あの哀れな連中をいじめるのがいやになります。
 ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』
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1.日々は巡る、渦の様に

……すなわち、本年、わが太陽は東より昇りきたり、やがて西へ落ちゆくことになるであろう。さすれば、すべての蟹は横歩きを始め、すべての水たまりは、いずれ蒸発することとなる。河なるものは上流から下流に向けて流れるであろうし、自転車の前輪は、常に後輪を先にゆくことになるであろう。……驚くべきことに、インクで書かれた文字は雨に滲むことであろう。そして本年もまた、多くの人々がこの世に生まれ、そしてまた多くの人々が死することになろう……
 クラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター』
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始端・螺旋在れ

「でも、あの娘の心はわかるまい」
 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』
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 名前だけは聞いていて、しかし見る機会は無く、いざ見たら名作で、どうして見なかったのかと訝しがる。今までに何度も味わって来た感覚であるけれど、今作も同様のものであった。

 その設定からして実にそそられるものであるのだが、造られた世界がまた素敵である。正に舞台っ、という雰囲気が、びしばしと伝わって来、それが合間合間に挿入されている外の世界の光景で後押しされている。監督インタビューや、あからさまな宣伝、壮大極まりない装置や反応の数々には笑ってしまった。

 まぁ何とも悪質極まりない冗句で、多分それ単体では耐え難い代物になっていた(この所為で、未だにシザーハンズが見られない。前半のバーベキューシーンで、もうギブアップ状態)のだけれど、ジム・キャリーの明るさの所為で、程好く調和されているのがいい。それにしてたちの悪い冗談には代わり無くて開いた口が塞がらなかったけれど、でも余りにどうしようも無くてついつい笑ってしまう。

 その白眉が、何と言ってもクライマックス、クリストフとの会話。彼も決して悪人という訳では無くて、正に正真正銘の生みの親としての愛をトゥルーマンに注いでいた訳だけれど、そんなクリストフへの返答が、もう、嗚呼~って泣き笑い状態。いやぁ、いいね。全てを知った上での反応が、激昂でも悲嘆でも無く、あれとはね。うぅん、その後のオチも含めて、正にトゥルーマンである。ですよねぇ、って。でも、それも踏まえて、感動させて貰った。実に良い、映画である……と、思ったら、これ『ガタカ』の人の脚本か。そういえばまだ感想書いてなかったけれども、あれも実に良い映画であり、とすればなかなか納得だな。
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