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2010.02.28 フリーダム
 と言うのは正直余り好ましからざる状況と思うのは封建社会の従者側の子孫だからか。日本人が無礼すぎる程に礼儀正しいのは、大半の者達がそう言った先祖を持っているからと授業で聞いて、妙に納得した覚えのある理である。

 先日は大学に行き、成績発表を見て、無事に卒業が決まったのを確認して来た。

 そこに見事、と付けられぬのは、今後の行き先が決まっていないが故であり。

 まぁこうなってしまったのも自業自得、ちょっとした体たらくと思いながら、もう暫くは今のバイト先で御厄介になりつつ、サークルに遊びに行ったり、公募送ったりという日々になりそうである……余り変わっていないのは、まぁお約束という所で。

 あ、目標としては未だ取ってない運転免許を確保する事ですね、ええ、身分証として。
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2010.02.23 神託
 バイト先のリニューアル・オープンに向けて、棚の移動やら何やらをする。別の店舗からの手伝いも来てくれたので、割に早く終るかな、と思ったが、別段そうでも無かった。まぁ、動かしながら、位置の確認をしていたともなれば、仕方もあるまいけれど。

 その帰り、手伝いの子と話した所、三月一杯で辞め、県外で一人暮らしするのだという。確か専門大で今年卒業と聞いていた為に、へえ、では仕事先が見つかったんだ、と問うと、いやそんな事は無いですよと返って来、何だ俺もそうなんだよ、と思わず二人して大笑いしてしまった。そんなものだ。

 しかし、どんな事情があるのか知らないけれど、一人暮らしという発想は無かった、というのも、何とも情けない話ではあるが、やっぱり必要に駆られないとどうしても、ね。いやまぁ、必要に駆られる必要があるのは確かな時期なのだけれど、必要に駆られる必要に駆られる必要が起きないのだから仕方が無い、と、いう所で、一人暮らしっ、そういうのもあるのかと思ったのが、一昨日の深夜。

 今? 久々に引いた風邪で俄然ぐろっきーで御座いますよ。

 これは遠江を離れてはならぬ、というサイレントヒルの神様からの御言葉に違いない候。
2010.02.19 瑪瑙の心臓
 久々に一本書けたと思ったら、こんな出来のもので正直一体どうしたものかという所だが、しかし出来てしまったものは致し方が無い。人間、根を詰め過ぎるとろくな事が無いという好例だろう。
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2010.02.13 読書感想
 言い訳がましくも益体の無い話を一つ。

 見ての通り、自分はこのBlogで、本の事については殆ど取り上げていない。映画に関しては見る度にその記事を書き、偉そうに批評家面した感想を書いているにも関わらず、である。

 それが何故かといと、まぁ理由は幾つかあるのだが、一言で言ってしまえば、解らないのだ。この本はこの読み方でいいのか、この読み方で読んで、仮に面白かったとしても、それが作者の書きたかったものなのか、正しかったのか否かが解らない。もしかしたら全部丸ごと最初の前提からして間違っているかもしれないと思うと、迂闊に手を出せないのである。それだけの知識も無い。

 だから自分が特定の本について感想を述べると言う場合は、余程であるか、仕方の無い場合であり、後者の場合は有体に要素の善し悪しを挙げてから何がどう面白かったかどうかを単に述べるだけか、或いは剥き出しの原石そのままの思考を吐露する、いや吐露する事で研磨しようという、感想以前のものになるかのどちらかである。この後者の後者によって、甚だ不快な目に合わせてしまった方々は実に申し訳無く思う。まぁ、一部に関しては、それのそれ以前な独断と偏見があった事は否定出来ないが。

 さて、ならば映画なんかは良いのか、というとこれが良いのである。何せ、これは複合要素の作品だから。映像、音楽、脚本、演出、それから役者に監督等と、無数の要素が絡み合って出来ている映画というものは、それらを追っている内に確信(否誤字)へと至れる、とどのつまりは解り易いのだね。まだ読書というものに比べれば、遥かに。たった数万文字の記号の羅列から物事を正しく想像する事から始まる読書とは、その前提条件からして違うのだ。

 勿論その為に本を読む事は、空想の沃野は無限とも言える広がりを見せ、我々をここでは無い何処か、或いは何処かであるここへと我々を誘ってくれる。そこは歴史ある形式であり、流石と言わざるを得まいが、と同時に、だからこそ、容易に手出し出来ないのもまた確かな事で。

 だからこそ読書によって得た何かは、ぐっと胸に堪えたまま、それを真に糧と出来るその日まで取っておくべきであると、自分は考える。良く小中高生が夏休みの宿題として読書感想文を行なったりするけれど、これ程無意味な事も無いのではないか。たかだか十数年、読んだ本の数も両手で数えられる程度の者に、何を語れる事があるというのだろう。その倍を生きて尚、ろくに語る事が出来ないのだというのに(小学二年の頃、帰りの会で読み聞かせた本の感想を強制させ、本人判断でまともな事を言えなければ帰らせないという事をした女教師がいたが、彼奴はまだ元気であろうか)。何とも情けない事ではあるがね。

 と、ここまでが所謂一つの前口上として、先程フィリップ・K・ディックの『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』を読み終えた。上遠野がディック作品の中で一番好きと言っていたとかで、読んで見たのだが、成る程、実に歪曲王だった。まぁ逆なのだがね。そして実に面白かったのだけれど、それを上手く言う事は自分じゃとても出来そうにないので、ヴォネガットがティーンエイジャーのファンにたった数文字で己が作品の本質をずば抜かれ、何もこんな一杯作品を書く必要は無かったと(彼流に冗談めかして)書き記した逸話宜しく、またすこぶる納得し、首肯し、唸り、そうそうそうだよそういう事だよと呻いたものとして、作品冒頭に掲げられた一説を引用するに留めたい。

 これがそれだ。うっぉーん。

 つまりこうなんだ結局。人間が塵から作られたことを、諸君はよく考えてみなくちゃいかん。たしかに、元がこれではたかが知れとるし、それを忘れるべきじゃない。しかしだな、そんなみじめな出だしのわりに、人間はまずまずうまくやってきたじゃないか。だから、われわれがいま直面しているこのひどい状況も、きっと切りぬけられるというのが、わたしの個人的信念だ。わかるか?

  ――パーキー・パット・レイアウト社で各部下の流行予測コンサルタントに配布された録音メモの一部。レオ・ビュレロが、火星から帰った直後に口述したもの。
 しなくちゃ、テリー・ギリアムにごめんなさいしなくちゃ(二回目)。

 この狂気っ!!

 この幻想っ!!

 見世物小屋そのものと言って良い華々しい如何わしさっ!!

 絢爛豪華を装いつつも一皮向けば全て何もかもが崩壊する嘘偽りっ!!

 これが、これこそが正に映画、否、幻画である。いやはや、素晴らしい。最初から最後までテリー・ギリアム全開の世界に浸らせてもらった。スタッフロールの後には、思わず拍手してしまいそうになった程である(流石に人目があったので止めたけれど)。撮影中に没したヒース・レジャーの役を、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの三者が受け継ぐ、そして監督がテリー・ギリアムという辺りから期待していたのだけれど、それを裏切らない見事な出来の作品で、理はこういうものこそ見たかったのだ。

 はっきりと言って、その魅力を口で説明するのは難しい、もとい出来ない。表裏一体、鏡合わせの存在である、不死の賢人パルナサス博士と悪魔のMr.ニックが自分達の賭けの舞台として織り成す空想世界、それに翻弄される博士の娘と、彼女を愛する為に救おうと、鏡の中へと入って行く青年、が、その者すら見た目通りの外見では無いという一筋縄では行かぬ構成に随所に挿入される黒くて素敵極まりない冗句(特に女装婦人警官による『君も警察に入って合法的に暴力を振るおうっ』ダンスには笑った。それがパルナサス側である事やママンオチも含めて)など、要素を挙げる事は出来ようが、この幻画の本質はその目くるめく映像、そう、映像である。是非これは劇場で見て貰いたい。劇場で見、その世界に溶け込み、やがて元に戻れ無くなる様な、そんな胡散臭さを味わって来て貰いたい。

 いや、本当、良いものを見させて貰った。少し、アバターなんてものを直前に見てしまった影響が入っているのでは無いかと思ったりもするけれど、それでもこれは見に行って欲しい。お勧めの作品である。
2010.02.11 アバター
 まるで成長していない(AA省略)

 というのがアバター初見の感想であり、最終的な感想であった。

 良くも悪くも王道。ただそれに尽き申すという感じの映画である。

 成る程、設定的にはなかなか面白い。が、その興味深い設定を使ってやる事がこの内容とは、到底思えない。ジェームズ・キャメロンって『Avalon』を絶賛していた人だから、思想的に影響或いは共感している様な節が見られるのだけれど、だったらもう少し映画としてもどうにかして貰いたかった。まぁ大衆受けはしないだろうけどさ、そういうのはもうタイタニック辺りで行なえていると思うのだし。

 そして、映像。確かに綺麗だとは思う。しかし、それだけだ。綺麗ではあるけれど、決して凄いとは思わなかった。この映像の進み方は云わば画質の進化であって、それ以上でもそれ以下でも無い。家電のテレビモニタの宣伝には打って付けだろうがね。どれだけ画質が向上しようとも、それによって描かれるのが平凡なものだったなら、どうしようもあるまい。これは似た様な事を何年も前から言っている覚えがする事でもあるが。個人的には余り評判の芳しくない2002年版『タイムマシン』を劇場で見たのと同じ印象位しか受けなかったな、今作の映像には。というかこの系統の作品の映像は、この時代のもので限界かと。

 と、まぁ、盛大に貶して見たけれど、王道一本道という事で細かい色々に目を瞑ってやれば、楽しめる作品なんじゃないかと思う。映像も、自分は噂の3D版じゃないし(3Dって何なのか、さっぱり解らないのだが)……というのは、次に一緒に見た『Dr.パルナサスの鏡』を見るまでのもので、うん、ごめん、やっぱり駄目だ。正直DVD化されるのを待つか、理の様に無料で見るか、地上波初放送を待つべきだ。或いは家電屋へ行こう。きっと素晴らしい映像を体験出来る筈だ、モニタで。

 そうそう、今作に出て来る青肌の半猫人間ナヴィはなかなかエロかった、とだけ加えておこう。首から下は、相応に。上? 嗚呼、それはほら、あれだ、映画としては何かもういいやと見限ったハリーポッターと秘密の部屋のネコマイオニーに絶望した(多くの者達が味わったものと信じている)、あの感覚である……あれはあれでいいと思うんだけどさ。もう少し、こう手心というか何と言うか。
2010.02.10 孤独のキネマ
 ポップコーンとオレンジジュース(なっちゃんだけど)って映画館の味だよなぁ、と今日は久しぶりにバイト休みという事で、カルディでお勧めされたミントチョコと珈琲買いに行くと共に、映画を見に行く。タイトルは、『Dr.パルサナスの鏡』……が、時間間違えてしまったので、調整の為に『アバター』も一緒に。3Dはやっていなかったが、まぁ話の種という事で。どうせ会員カードの特典で無料だったし。

 まぁ映画の内容に関してはそれぞれまた記事を上げるけれど、一つだけ言える事は、この喰い合わせ、某所で上げられていたデュエリストとトム・ヤム・クンの如しだった。ある意味では、選択を間違えたかもしれない。片方が片方の完璧な噛ませ犬に成り下がっていたのだから……どちらが噛ませだったかは、言うまでもあるまい。

 ともあれライダー見に行って以来、久々の大スクリーンだったので、その辺りは素直に堪能出来たな。

 所で、映画始まる前の事前予告が長い、のは置いておくとして、ああいう所で映画と関係無い、普通のCMが流れるのは、実に幻想をぶち壊してくれるので止めて貰いたいのだが如何なものか。そうでもしなければ、今やって行けないのだろうな、とレンタル屋の繁盛を見るに解っているつもりではいるが、しかしどうも、ね。せめて公開始まったら、映画関連だけのものを遣って貰いたいものだ。

 後、アバターとパルナサスの間のランチ兼お茶には隣のデニーズで。ああいう所に一人で行くのは実は結構初めてだったりするけれど、なかなか悪くないもので。飛び込みで頼んだデザートの所為で少し出費が大きくなったのは痛かったが。後、チキンジャンバラヤをもしゃもしゃ食ってたら、レジを済ませていた新卒リーマン風の三人組が、『マナ加速で四ターン目に』とか『プレインズウォーカーが~』とか言っていて、思わず反応してしまった。何だか微妙に感慨深いものである。しかし良く聞き取れなかったけれど、四ターン目に何を出すつもりなのだろう。レクシャルか?

 と、そういう所で実に良い休日が過ごせた次第。次行くのはダウニーホームズとティム・アリスだな。
 ここ最近まともに映画見る気概が無かった所で、久々に。見るものが無いからという理由だろうか、矢鱈レンタルが多い『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』である。昨日の深夜に返って来た所をどうにかゲット。

 X-MENで人気の高いキャラ、ウルヴァリンのスピンオフという事であるが、いの一番に出て来た感想は、「これがどうやって1と繋がるんだ?」という所かな。いや、一応三部作(と言って良いのか知らないが)全部見終えたが細部はもう忘れているので詳しい事は何とも言えないのだけれど、どうも一作目とこのローガン=ウルヴァリンが結び付かない。特にヴィクター=セイバートゥースと義兄弟設定というのが、かなり腑に落ちないのだけれど、あんないい奴だったろうか、あの男? 他にも細部でちらほらと首を傾げる所があり。うーん、これはスピンオフという事で、パラレル扱いと見るべきなのだろうか? だったら、ZEROじゃないだろう、と思うのだけれどね。

 そしてまた、脚本的に登場人物と要素を詰め込み過ぎて希薄になっている印象が。中でも、子供時代のくだりは、もう少し長くした方が良かったと思う。父親と息子というのは、この映画の中で何度も出て来る重要な関係の筈なのに、肝心の実父との時間が短過ぎて何ともかんとも。まぁあそこを長くしたら、相対的にウルヴァリンの活躍が減るから、というのは解らないでも無いけどさ。

 まぁそう言う訳で、基本的にはウルヴァリンが吼えて暴れて記憶を失う映画なのだけれど、その分、アクション的にはなかなか。素敵だったのは漸く登場したガンビットと、今回のラスボス・デッドプールだね。前者は、ストーリーに殆ど絡まなくて、絡んだと思ったら実にKYか、美味しい所でちょろっとと言う感じなのだけれど、映像的には格好良い。後者は、正にラスボスらしい、他ミュータントから得た複合能力がイカス。実は密かにアメコミ実写映画で不満なのは、ラスボスが強そうに見えず、カタルシスが余り感じられない事だったりする。結構見たけれど、これはと思ったのは、インクレディブルハルクのアボミネーションと、辛うじて三作目のフェニックス位か。この辺りが日米のヒーロー感の違いなのだろうけれど、その点、デッドプールは良い。文様の様な術式用のペン入れ、スキンヘッドに塞がれた唇、両腕から生えた日本刀と不気味なビジュアルもさる事ながら、自己再生、瞬間移動を自在に駆使しての格ゲーばりのチェーンコンボ、果てはサイクロップスのオプティックブラストを使う等と、チート臭い強さが素晴らしい。どうやって勝つんだこいつ、と思ったものだが、その勝ち方も力と技の融合でまた良しだ。原子炉の上、黄昏の空を背景にした義兄弟のタッグ戦も、絵面としては好みの物で。

 総じて、色々と目を瞑れば、派手なビジュアルが格好良い映画として、楽しむ事は出来た、かな。うん、格好良さという点では、今作がシリーズの中では一番良かったかな……色々と目を瞑った上での格好良さだけれど。次はマグニートーのスピンオフで、後デッドプールのスピンオフ(!)もやるらしいが、どうなる事やら。個人的には、ガンビットのスピンオフが見たいんだが……どうもディスられっぷりが半端無いそうだし、どうだろうな。
 昨日は、ワールドウェイク身内ブードラ大会に参加して来た。

・総勢十三人、二ブロックに別れての総当たりで、上位二名のリーグ戦。自分は七人の方でごーごごー。

・最初に引いた青白ミシュラが全ての元凶であった(あ、身修羅って変換した)。
 象さん通るも華麗に流し、出来たデッキはフィニッシャーが居ない青白似非コントロール風味。
 どうしてこうなった、と上天の貿易風とひきつりが俺を呼んでいたのだ……。

・だがウギンお前は駄目だ。

・Q:何故駄目なのですか? A:所謂一つのハルピンだから。

・まぁ仕方が無いと、頑張って見る。相手は順に黒緑ウィニー風味、貴人入りエスパー同盟者風味、赤単スライ風味、グリクシス・コントロール風味、青白コントロール風味、赤緑ステロイド風味。

「いいぜ。てめぇがピックミスしてろくなクリーチャーのいねぇ俺を平気で殴り殺せると思ってるなら、まずはそのふざけた幻想(トークンorゼンディコン)をぶち壊す」

イオナ「ジャッジメントですのっ!」

・心が折れそうだ……。

・何故私は象さんは兎も角、幽霊と精霊を見逃したのだろう、青白の癖に。

・それでも結果は一勝六敗なのは、運が良かったからだと言わざるを得まい。

・終了後、別ブロックで同じくしょっぱいエスパータッチ赤風味のデッキを作った友人と遊びでやる。

そげぶ→ジャッジメントですのっ→そげぶ→ジャッジメントですのっ→そ(ry

・この気持ち、正しく愛だっ!!(錯覚)

 そんな感じの大会模様であった。

 あ、象さんは手に入れました。

 お友達が増えたよ!! ”やったねリヴァちゃん!!”
 ドミニアに輝く面晶体、ゼンディカーの最後が来るというー、って事でMTGはワールドウェイクである。

 今日(まぁ正確には昨日だが)発売という事で、早い人は既に手に取っているだろうが、自分の近くにはカードショップが無い為、日曜日に行なわれる身内でのブードラ大会までお預け。まぁ、そこで目ぼしいものが手に入るかもしれないし、急ぐ事もあるまい。

 で、まぁリスト見て色々と思い馳せるカードはある。かつて伯林の壁崩壊二十周年で組んだ青白壁デッキ(フィニッシャーは僕らの成金様で、決め台詞はインベーダー的に並ばせた壁の向こうから「俺の値段を言って見ろ」)に入りそうなライフゲイン壁とか、個人的にWizと考えている同盟者の中で忍者やらサムライに匹敵するであろう新同盟者達とか、187同盟者デッキのお供足りうるインスタント・トークンとか、クリーチャーデッキで、ちょっとくすぐったいぞ→FFR・ダダダ・ダイソシィが出来そうな土地以外好きなだけぶっこ抜きカードとか、俺得両方バウンスとか、俺得(その2)土地二枚出しキャントリップとか、劣化不毛(いや充分と思うが)とか、窓に絶対居る星辰揃っちゃった青黒ダゴン様とか、イラストがどう見ても『たまにはロリコンもいいよね!』です本当に(ry)とか、とかとか。

 だがしかし、何と言っても理の一押しはこいつですよ、こいつ。

テラストドン/Terastodon
(てらすとどん)  (6)(緑)(緑)
クリーチャー — 象(Elephant) WWK, レア
テラストドンが戦場に出たとき、最大3つまでのクリーチャーでないパーマネントを対象とする。あなたはそれらを破壊してもよい。これにより墓地に置かれたパーマネント1つにつき、それのコントローラーは緑の3/3の象(Elephant)クリーチャー・トークンを1体戦場に出す。
9/9
Illus.Lars Grant-West (115/145)


 以下は脳内多元宇宙にて。

「壊すの!? これ、壊すの!? ねぇ! パーマネント! パーマネント三つ壊す!?」
「あぁ、クリーチャー以外を最大三つまでね」
「本当!? 大丈夫なの!? バランス壊れてない!?」
「あぁ、ファッティだし、トークン出るから大丈夫だよ」
「そうかぁ! 僕リバイアサンだから! 土地以外全部戻すから関係ないから!」
「そうだね。関係ないね」
「うん! でも壊すんだ! そうなんだぁ! じゃぁ使っていいんだよね!」
「そうだよ、使っていいんだよ」
「よかったぁ! じゃぁ使おうね! 象さん使おう!」
「うん、使おうね」
「あぁ! ビッグマナだから使えるね! ね、ご主人様!」
「うん、サモントラップしていいよ」
「あぁー象さんと僕は一緒に戦場に出るよー! やるデスしようねぇー!」


 理のワールドウェイクは、こいつを四枚集める所から始まる様である。
 人類の無意識と宇宙の意思が望んでいる週末的な発音で。

 昨夜、小説友達兼まいみくの黒木さんとだらだらとメッセしていた時、臨床心理士の事務を遣っていた友人さんの話を聞いた。曰く、その人の場所では、子供の患者に箱庭(療法)をさせていたそうなのだが、状態が良くなって来ると、皆最後には、曼荼羅を作り出すのだという(少し調べて見たが、これは取り立てて珍しい事では無く、寧ろ普遍的に見られる現象なのだとか)。

 この時点で、あー、という気分になったのは、常々お前は本当に箱庭(世界)が好きだな、と良く小説を読んでくれるてけーの君が言った台詞を思い出したからだけれども(それ以前に、会話の流れとして、自分が小説を書く意義は得られぬ救済を自分で作る為=一種の箱庭療法じゃないの、というものだったが)試しに曼荼羅の項目でウィキって見たら、更に得心が行った。

 以下引用。

 全ての曼荼羅に共通する点としては、(1)複数の要素(尊像など)から成り立っていること、(2)複数の要素が単に並列されているのではなく、ある法則や意味にしたがって配置されている、ということがあげられる。密教系の絵画でも、仏像1体だけを表わしたものは「曼荼羅」とは呼ばない。「曼荼羅」とは、複数の要素がある秩序のもとに組み合わされ、全体として何らかの宗教的世界観を表わしたものと要約できるであろう。

 これは正に拙作『アモンクロック』で試みた事そのものであり、またその他の作品でもまた行なって来た事でもあり、詰まる所、私にとって小説を書く事とは、即ち、曼荼羅を描く事に他ならなかった様である。アモンの感想でこれが一つの完成形などというものを貰ったりしていたが、言われる筈だ、あれで一つ悟りの境地に達したのだから。そりゃ小説も書けなくなる訳だよ、必要ないのだから。

 しかしそれは地上に住まう者としてどうなんだ、という所でもあり、嗚呼早く問題起きねぇかなぁ問題。
 良い買い物をしたと思う矢鱈でっかいクライスコーヒーと、あれ赤ってこんな不味かったっけ、と久々に酒絡みでがっくり来たジョニー・ウォーカーをがっぶがぶ飲みつつ、ぼちぼちと生きてます、と、毎度お馴染みの花束風に……しかし短編読む読むと言ってからどれ位経っているだろう。或いは長編読んでからも? 正直、ネタは覚えてるが内容半ば忘れて……いかんなぁ、読み直すか。

 それはさて置き。

 まぁ卒論も書き終え、口頭試問も無事に終え、後は結果を待つばかりなれど、気分的には最早フリーダム。気付けば一番長くやっていたバイト先で、実質店長直属のフリーターの兄ちゃん的ポジションが着々と進行中……いや良いのだけれどね。このまま就職出来れば……無理なのは良く解っているが。

 何よりも悪いのは執筆についてで、正直ろくに書けていない。アモンクロックが分不相応に受けが良かったからか? 或いは特に義務として書く必要が無くなった、自由の身になったからか? どうにも身が入らず、書いては消し、書いては消し、という感じ。うぅん、自分自身に聞きたい所だ、どうやってお前は小説なんてものを書いてたんだい、と。

 ともあれ、ぼちぼちとはやって行こう、うん、そう言う時期もあるだろうさ。

 ただ、何と無く、ノートPCのキーの調子が最悪(しかもAとエンターと来たものだ)というのはあるかもしれん……止め具が割れてたからスティック糊で補強して見たけど、これ流石に駄目かなぁ、修理出さんと。
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