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2010.05.30 Dead Poets Society
 『いまを生きる』は名訳だと思う、例の如く見てないけれどっ。見たいけれどっ。

 ともあれ、最近は自動車学校に通ってたりする。乗って見て解る、嗚呼これは車社会というものが誕生する筈だという道理。こんな巨大な機械が、指先と足先と意思の切れ端で動いてしまうなんて狂気に触れれば、そりゃぁもうパラダイムシフトも起ころう筈である。まぁ、ゴーカートにて渋滞を起こした男にとって、MT車の運転はなかなかしんどく、見栄張らずにAT車にしとけば良かったと後悔したりしているが、まぁぼちぼちとやっている――とりあえず、独立型運転支援ユニットの早期開発を望む所である。

 後は去年も参加した、小説家になろうのSF企画『空想科学祭』に今年も出張ってみたり。実は運営委員の一人に選ばれたのだけれど、実質名目上で――まぁ、書く事に意義を見出したいと思っている。投稿まではまだ大分時間があるので、今からじっくりねっとりネタを練って置く次第。ぎぶみーねた。

 それから、大学サークルの冊子の品評を頼まれた、というか願い出た為、時間見付けて読んでいる。自分が抜けた後にも、こうやって続くものがいるというのは、不思議な気分だ……抜けた割りには結構顔を出しているのはご愛嬌だが。まぁ内容としては色々言いたい事はあるのだけれど、それは言うべき所で言うが、ただ一点、とある人物に対して、この名文句を引用させて貰おう。

 SF作家たちがおびえて顔を見合わせる中で、ひとりがいった、
「あれは第二のハーラン・エリスンだぞ」
 するとまたひとりが、この人物についてはロバート・シルヴァーバーグというだけで名前は伏せることにするが、こう言った、
「今のうちに殺そう」
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 唐突だが理は、血液型診断という奴を相応に信じている。

 理由としてはまず始めに感覚的なものだ。人間含む動物の生存に欠かす事の出来ない、宗教的にも重要視されている血液という代物に、明白な、異なるものと混合する事の出来ない明白な差異がある。これが事実として広く知れ渡った文化圏の中、その血液型という差異が、一個人の人格、人間形成上に何の影響も与えない――とするのは、ちょっと思えないのだ。これが、例えば他の動物、他の文化圏であるならば、話は別であるけれど、少なくともここ日本という地で、それは無理があるのではないか。少なくとも先行研究が無い、発端が疑わしいという理由だけで、断固として否定してしまうのはどうなんだろう、と。

 まぁここで、影響なんて無い、と断言されてしまうと元も子も無いが、そういう事を言う人には、歌の通りにこう返しておくとしよう――それなら君は、幸せなんだろうね、と。

 それから実体験としてある程度、血液型の差異というのは確かに感じる訳で――私は自他共に認める生粋のA型、という事は翻って、B型にも映る様なのだけれど、個人主義者たるB型とは基本的に相性最悪だし、無軌道良い所取りのAB型は理解が出来ないし、王国乃至王様のOは慣れるまでが辛い――そして、この手の話題を出した時、B型は何も言わずとも謙遜し、卑屈となり、産まれて来て御免なさいという空気を醸し出し、A型は(表面上は)話題に乗ってくれ、O型は賛否はともあれ最後は、『でも血液型とか関係無いよねー』で終わる感覚も、余り外れた事は無い。AB型? 放って置いても、構うまい。

 さてそう言った、信じるに値するだけの理由が出来た上で、それを受け入れてしまうのは、指針としてまた有効だからである――ここで言って置くが、理は別に、血液型だけで全てが決まるとは思っていない。どういう行動、性格を示したから、何型だ、等というレッテル張りもどうかと思っている。ただ、血液型は、人間の個というものを成り立たせる膨大な要素の内の一つ――誕生日とか星座とか髪の色とか体型とか体質とか両親とか先祖とか母国とか言語とか故郷とか教育とか食事とか衣服とか、そういった諸々と同じ様な――だと考えており、それを知っておく事で、理解と納得と安心と、その人への対応法を得る事が出来ると思っているのだ。最低限、その方向性なりは得られる、と。

 これを例えるならば――あれだ、ほら、ポケモンのタイプみたいなものだろうか? みずタイプのわざが効くからと言って、それがほのおタイプであるとは限らないが、ほのおタイプであるならば、みずタイプのわざも、じめんタイプのわざだって効くのである。予めそれを知っているならば、対処も可能、と。勿論それが全てでは無いと言った通り、変なとくせいを持っていたり、別タイプのわざを使ってきたり、見た目が素敵だったり、別種の戦法を取られたり、ステータス的にタイプとか余り関係なかったりと、困惑する事も間々あるが、とは言っても、知らないよりかは知っている方が、どうこう出来ようものがあるでは無いか。

 ――と、そんな理由で持って、理は結構血液型診断という奴を――妄信しない程度に――信じている訳だが、この感覚は、信じると言った様に信仰即ち宗教的で、まぁ科学だ非科学だ似非科学だと、どうこう言うのは可笑しいと思っていたりする――押し付けや、それを道具として扱う事は問題外だが、だが、遮二無二否定してしまうのは、宗教や信仰心を否定するのにも似た愚挙では無かろうか。無神論者は無神経とは良くぞ言ったものだが、正にその通りに、『宗教とは阿片である』という格言を――その先にまだ言葉があるにも関わらず――嬉々として語る様な按配である――まぁ、某所で見たコメントや、某茶室での遣り取りで思う所があったので、だだっと書いて見た訳だが、どうなのだろうね? こういう風に考えている人間は、決して少なく無いとは思っているのだけれど。
 現実と虚構の対立、対比と来て、お次は虚構(うそ)と現実(ほんとう)を綯い交ぜにして生きた男の物語、という訳で、ソダーバーグ×マット・デイモンの『インフォーマント!』を見んとす。

 国際的カルテルの事実を密告した為に、企業幹部と内通者の二重生活を強いられる事となった主人公マーク・ウィテカー。FBIの指示の元に諜報活動を行う彼は、しかしそれとは別の、ある犯罪を犯していた――実際に起こった事件を元にした作品だそうだが、基本的にはブラックコメディ・サスペンス。ノリとしては、コーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』に近いかな? ソダーバーグだから、解り易い意味でのスタイリッシュさが溢れ出ており、兄弟程の深みは無いが、まぁ、これはこれという所か。

 ただあちらが、登場人物達が己の意思と判断で好き勝手に動き回った結果、映画を見ている側の人間で無ければ、何が何だかさっぱり解らない状況に陥ってしまったという(あの兄弟お得意の手法だろう)のに際し、こちらはすっかりお父さんというか、太ましくなられたマット・デイモン一人の言動によって、事態が何とも複雑怪奇なものへと変貌してしまっている様が描かれており、映画としては上にも言った様にそれ程のものとも思えなかったが、このウィテカーという男が、個人的に身に積まされた。

 人は何故嘘を付くのだろうか――衆目を集める為? 己が利益を得る為? 物事を円滑に進める為? 創作の喜びを感じる為? 廻りの反応が愉快の為? 誰か或いは己を、傷付けるもしくは傷付けぬ為? 隣人の、社会の、国家の、世界の正義の為? それが良い事だと考えた為? 妻や子供達、家族を守る為? 皆がそうしている為? 嘘を付く事が習慣付けられてしまった為? 嘘を嘘と理解していない為? そもそも何が本当なのか、解っていなかった為? 何もかもがぐちゃぐちゃになって、判断出来ていなかった為? どうしようも無く嘘を付かねばならないサガが人間にある為?

 私自身、嘘が好きな身であり、好き好んで嘘を付いては、嘘付きと呼ばれる事を愉しんでいたりするけれど――小説然り、このブログもある意味で然り――何故か、と言われると明白な答えは無く、だが強いて言えば、上に出した仮説の、全て何もかもがその通りなのだと思う――そして、マーク・ウィテカーという男の心理も、そういう事だったんじゃないか。そして多分、そんな嘘について自体、考えた事も無かったのではあるまいか、と。

 マーク・ウィテカー、狼少年が狼に襲われる事無く、狼が遣って来たと叫び続けながら、そのまま大人になってしまった様な男――終盤、その嘘の綻びが解ける様に、髭を反り、髪を失った彼の姿は、何とも惨めで弱々しい。そして、嘘を指摘された彼が、何が本当なのかと尋ねられた時に返した言葉『解らない』――その時のあの表情――うぅむ。私的に考えさせてくれる作品である。
 イングロリアス・バスターズの次に見るのがこれというのも、我乍らちょっとどうなんだというチョイスなのだが、まぁそれはそれと、『戦場でワルツを』を見る。あの『おくりびと』――と言いつつ、自分はまだ見てないのだが――と、アカデミー外国語賞を争ったイスラエルのアニメ映画である。何とイスラエルだ。

 さて。バスターズが、虚構と現実の対立(そしてあまつさえの大勝利)をタランティーノ流の手法で見事に描き出したのに対し、今作はドキュメンタリー(現実)をアニメ(虚構)で描写するという手法が用いられていた。しかも我々の想像するアニメとは別種のもので、一種の切り貼り絵というべきか? そしてFlash。グラフィックノベルにも影響を受けたそうだが、確かにそんな感じで、なかなか興味深い。

 と、その前に。この映画、内容が内容だけに物議を醸し出しているらしいが、理としてはそう言った、政治、歴史的な所に興味は無い。虐殺やら何やらなんて、昔から行われて来た事であるし、そうほいほいと人間が変われるとも思っていない。また細かい事情にも疎ければ、沈黙するに限るというものである。

 だから、この映画が扱っているものに関して、自分は何も言うまい――ただ強いて言えば、あのイスラエルからこれが産まれた、と言うのは特筆すべきと思う――が、先にも上げた、このアニメ描写は凄い。

 ポップカルチャーの雰囲気を纏いながら、描き出される凄惨な場面は、一種のフィルターを通した感覚、戦場でワルツを踊っている様な違和感を感じさせつつも我々にそれを馴染ませ、受け入れさせ、すっかり油断した所で――現実と虚構の対比、それによって一皮剥いた、一つの強烈な真実を曝け出す手法は見事というより他無い。

 あの最後が全て、と言ってしまえばそれまでだが、その一点だけでも評価に値するだろう。うぅむ、アニメという媒体を逆手に取ったこの構造。重ね重ね、これをイスラエルで造った、というのは凄いな。
 ブラッド・ピットとタッグを組んだというのが、大々的に宣伝されているけれど、印象としてはパルプフィクションのブルース・ウィリス……まぁ、トゥルーロマンスの時よりはよっぽど重要だし、前面に出ているから良いかな? という感じのタラちゃん最新作『イングロリアス・バスターズ』を見る。

 劇場へ見に行く見に行くと行った挙句、結局行けずに、心待ちにしていたのだけれど――あのオチの通り、今作は最高傑作では無かろうか。タラちゃん、では無く、クエンティン・ジェローム・タランティーノという一人の映画監督としての。少なくとも、これまでの作品とは一線を画しているのは間違い無く――うん。面白い。確かに面白い、のだが、デスプルーフの次がこれとは、いやはや正直どう反応して良いものやら。

 ただ、やっている事に関しては何一つ変わっていないのだよね――王道をあえて外すのが王道と言わんばかりの、次の瞬間に何が起こるか予測が付かない事を予測出来る、様でさっぱり出来ない脚本、長々と続けられる事で独特の緊迫した空気を醸し出すあの会話、小ネタや小物の扱いの上手さ、一癖も二癖もある登場人物、往年の映画オマージュ、そしてB級的アクションとバイオレンス――と。

 けれど、にも関わらず、今作を別格と呼びたくなるのは、これまでとは違う明らかなテーマ性を感じただけで無く、それが隅から隅まで、全編に渡って行き届いている様に思えたからで――実も蓋も無い事を言えば、今作には無意味なものが無いのだ。『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』の如く限られた時間と場所の中だけでは無く、『ジャッキー・ブラウン』の様な悲嘆さも矮小さも無く、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(あれは脚本と出演だが、充分過ぎる匂いを放っているかと)『キル・ビル』『デスプルーフ』等で印象深い、悪乗り染みた、付いて行ける人にしか付いて行けないネタや性癖のオンパレード(これが褒め言葉であるのは、言うまでもあるまい)に留まる事無く、清濁交わり、聖俗絡み合って、一つの映画作品へと昇華されている――それを高みへと上げたものこそ、これまで暴走気味であった映画への愛であり、今作では、それが概念的なものとして抽出され、作品を見事に牽引しているのである。

 というのも、今作で感じられたテーマとは、即ち映画への愛であり、そこから導き出される所の現実(史実)と虚構(映画)の対立であるのだ――無駄と呼ばれていた、良くて雰囲気付けとされていた会話、言葉というものが、今作では重要な要素として扱われ、またあらゆる場面、登場人物が、その対立構造にぴた、ぴたっと嵌め込まれて行く――彼だからこそ出来るぶっ飛び具合はそのままに行われる手腕は本当に見事で、反応に困ったのはその為だったりする。これはまるで何処かの巨匠が撮ったかの様な映画では無いか、と。

 そして、そんな今作を象徴する様な存在が、クリストフ・ヴァルツ演ずるハンス・ランダ親衛隊大佐であるのは、最早言うまでも無いだろう――彼は凄い。ブラッド・ピットも悪くは無いのだが、今作の彼には遠く及ばない――アメリカ、ハリウッド映画のアンチテーゼとも言うべき存在として四ヶ国語を自由自在に駆使し(各国の言語がそのまま使われ、一応の主人公達が母国語が、直ぐに化けの皮が剥がれる程度の外国語しか出来ないというのは、実にいい皮肉である)、作中の誰よりも冷酷で、誰よりも明晰、しかもウィットに富み、ユダヤ・ハンターの名に相応しい行為を遂行したと思えば、気紛れで逃亡者を見逃したり、意図も容易く祖国を裏切ってあの大団円、もう笑うしかないあの大団円に一役買って出たり――第一章のフランス語から英語へ切り替える展開や、メラニー・ロランにミルクを奢る演出等が抜群なのは言うまでも無いけれど、そんなランダ大佐を怪演と呼べる領域まで演じ切ったヴァルツこそ天晴れである。サミュエル・L・ジャクソンといい、監督は本当、良く見つけてくるものだ。 

 と、まぁ掛け値無しに褒めちぎった所で、唯一不安があるとすれば、今作を撮ったその次をどうするのかという事であるけれど――あのオチを見る限りは、大丈夫かな? ともあれ、『イングロリアス・バスターズ』見ているこちらが、ちょっと困惑してしまう程の、実に良い映画であった。二時間半と、結構な長丁場だが、それだけのものがあるのは間違いあるまい。
2010.05.12 人生に乾杯!
 久方ぶりのジャケ借りである。仕事最中に見つけて思わずそのまま借りてしまった。いやぁ、サイトにも載っているけれど、この画のインパクトは大概では無かろうか。

 まぁなので、ハンガリー映画である事も良く知らずに見る事となったのだが、いやはやこれは見て大正解だった。最初の方こそ、独特の欧羅巴映画っぽさがきつく、構成も良く解らなくて、正直少し退屈だったのだが、老夫妻が手に手を取っての一大逃避行をおっ始めた所から俄然面白くなり、映画の中へと一気に引き込められた。

 年金問題という、日本においても他人事では無い問題を上げつつも説教臭さや堅苦しさは無く、何処かとぼけた印象を受ける個性的な人々と巡り合いながら(個人的に、キューバ人の友人が素敵だ)我が道を行く老夫妻の姿が何とも素晴らしい。

 酸いも甘いも味わい尽くした、と言うのは正にこういう事なんだろう。決して愉しい事ばかりでは無かった、苦しみならば今でも転がっている――だが、それでも進み続ける。二人一緒に、慎ましやかな幸せを目指して。その姿勢が実に良い。最後のオチも、他の作品だったら、おいおいちゃんと責任取れよ、と、まぁ納得し兼ねる所だけれど、この夫婦だったら、笑って許せてしまえる。苦笑い浮かべながら、それもまた人生だね、と。まぁハリボー(と思ったんだが。Kなら解るかな?)の熊ちゃんには、神のお恵みを。

 そして、その後を追う二人にも、産まれて来る命にも。

 かく訳で、実に良い映画であった。私も、年を取ったら、あんなご老人になって見たいものである――まぁ、その為には、とりあえず免許が要りますがね。伴侶? 伴侶は、頑張れば、うん。

 と、それからもう一つ。この映画、また背景が綺麗なんだよね。サイトを見るに、ちょっと映画の内容とは離れた御洒落感やお国柄(感想で幾つか上がっていたが、確かにハリウッド映画の影響というか、これでハンガリー映画が解るか、というと微妙な所である)が漂っていて、それは無いよ、と言いたくなったけど、でも背景は別格。淡く澄んだ空の青と、枝葉茂る森の緑、その間を何処までも伸びる土の道――行きたい国が一つ増えたね。
 最初に付け足して置いた台詞は、所謂孫引きであり、 こちらにて見つけた。自身、その作品を未読であるが、今作を一言で表すのに、相応しい言葉だと思うので、あえて置かせて貰う。即ち、
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 例えば、貴方の目の前に、『押すな』と書かれたボタンがあるとする。貴方がゴブリンで無く、視力を持ち、飾りで無い脳髄を供えているならば、まぁそんなものを押す事はあるまい。が、しかし、上島を例に上げるまでも無く、『押すな』とは『押せ』という意味も暗に含んでいる。見るなのタブーは、同時にまた見ろのタブーでもあるのだ。誰もがその結果どうなるかを期待し、固唾を呑んでいる以上、そうせねばならない。さて、ここで言いたいのは、所謂自由或いは自由意志の問題だ。もし貴方がそのボタンを押さないとすれば、貴方はボタンを押すなという誰かの意思に従った事になる。もしそれに反して、貴方がそのボタンを押したとすれば、やはりまた貴方はボタンを押せという誰かの意思に従った事になる。どちらを選んだにしても、どちらかの意思に従った事になる以上、貴方の自由或いは自由意志が何処にあるというのか。
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 ニッサ「私はソリンを許さない」みたいな? 或いは、主(マロー)がお前の名は何かとお尋ねになるとそれは答えた。『我が名はエルドラージ。我々は混沌であるが故に』とか。ゼンディカー中のマナをかき集めて、究極超苦悩火(ウルティメイトプラズマ)をぶっ放して見たりとか。あれの脚本家、ギャザ好きが講じてマナとか出してたし、萌えチャン(個人的にハイレベルなキタローというイメージが強いジェイスさんの、オサレ漫画の方が読んで見たいのだが)でその筋に人気出ちゃったり何だりした日には、上手い事実写化とかしてくれまいかねぇ。D&D程度にはなると思うんだよ、うん。

 まぁそんな感じで、先日はROEのブードラに行って来た。以下は徒然なるままに。

・十時半に開催というのは、最近の自堕落な生活からすると、ちょっと辛いが、何とかする。

・十時半に俺覚醒。

・電話越しの会話:「もう時間だけどお前今何してんの?」→「……起床なう……」


・急いで駅に行くもダイア変更の煽りを受け、確定遅刻が、まさかの確定大遅刻になると知る。まぁここは仕方が無い、流石に迷惑も掛けられないと、主催者に参加事態の旨を伝える。残念無念また来週……

な訳も無く。久々の休みだひゃっほいと、街で珈琲やら煙草やらハリボーやらの趣向品と共に六パック程購入すれば、颯爽とシールドデッキを構築。その系統で一番気に入っている一本満足バー・タピオカ入りチョコケーキをシャキサクしつつ、いや実際はもっちゃもっちゃだけれど、ともあれ丁度ドラフト終了した昼休み目掛けてれっつ来襲。気分は神秘じゃない蛇野郎、またはマイ・フェイバリット・悪役の苗字なあの人の如く。祭りの(略) と言うか何でガンバライドだとルル山なんですかね、あの人。

・所で、今度から製造がスウェーデンになったとかで、カードの質が大分落ちているらしい。言われて見ると、確かにちょっと柔らかく、気持ち薄く成っている気がする。が、それより何より重要なのは、あの中毒性のあるギャザ臭が無くなっている事であり、これはちょっとどうなんだよWoCさんよぉ。

・それはさておき、出来上がったデッキは、不死の天使+重大な落下入り白緑エルドラージ(三主神は居ないが、侵侵略と手、及び大群守りをゲット)。カードパワーに物を言わす。これぞマジックである。

・因みに皆のデッキをチラ見して行くと、どうもパワー・オブ・パワーの三主神は見当たらなかった。流石の神話レアという所か。まぁ、あんなものがほいほい出て来られたら、ゼンディカーどころの騒ぎで無い大災厄が巻き起ころうというものである。この次元もまた破壊されてしまった、おのれ(ry

・そういえば、ストーリーやら設定見る限り、「貴様一体何者だっ」「通りすがりのプレインズウォーカーだ、覚えておけっ」な彼も出て無かった様である。こいつは然程でも無いだけに少し意外であるか。

・その癖、おとーやんにでも口説かれてネガ入りしたと思われる世界の破壊者の下僕サルカンは矢鱈お見受けした辺り、かなりの偏りを感じずには居られなかった。しかもその内の一枚がフォイルと来れば、これはもう偏りというか歪みであり、きっとニコルが彼にもっと輝けと囁いていたに違いない。

・尚、そのフォイル・サルカンをピックした男は、サルカンと一緒に爆発的道滅ぼしギミックを投入していた。所謂一つのデモコンデスな香りがぷんぷん漂って来たが、俺は嫌いじゃない、嫌いじゃないぞ。

・尚々、私の方では、後光差し込む臨死体験が見えた気がするが、気の所為にしておくんだぜ。

・そんな感じで始まった大会は、特別ルール:クエストを採用したスイスドロー方式である。これは何かというと、定められた条件=クエストを達成し、それを宣言する事で、順位によるものとは別にお宝=パックが貰えるというもの。元々は限られた資産の中、上位者とそうで無い者に対し、平等に景品を得る機会を与えんが為に、という措置らしいが、なかなかに面白いと素直に感心。が、パックが途中で無くなって以降何も無し、というのは(臨時にクエスト達成集計係となった自分から見て)景品どうこうを抜きにして少し寂しかった為、また行う時は、クエスト・ポイントも添付し、最終的な順位付けに付与するという手も宜しいかと感じた。これぞ正に階段の機知という奴であるが、参考までに一つ。

・まぁ、かく言う自分は、そういうのとは関係無く、人数的に余った奴に只管乱入していた訳だが。

・とりあえずエルドラージは(解っていただが)出るとやばい。邪神やばい。マジやばい。前にも書いた通り、青緑で使うつもりは更々無いが、これは別個でデッキ造りたいなぁ種夫辺り使って。そしてメタボメタボと専ら評判の不死の天使のリミテッドでの鬼畜さは異常。CIPに在らずんばクリーチャーに在らず、というのが我が心情の為、彼女を使う事は無いだろうが、良い天使である。だが一番の収穫は、何と言っても重大な落下。そうでも無いと思っていたが、いやいやいや、これは充分メイン採用して良いカードだ。まだそこまで高騰していない様だし、リバイアサン失き後を見越して、揃えるのも良いかもしれない。

・関係無いが、ベランダで吸うダビドフって、フリーターの味だよね。

・他のカードについて:レベルアッパーは、ギミック的にもシチュ的にも、面白い。特に師範。先輩(前回のワールドウェイク・ブードラではエスパー同盟者を組んで居られた)が、バンドレベルアッパーを作ってられたけれど、その活躍ぶりたるや、曖昧じゃない虎眼先生レベルだった。実際の所、彼が出て来なくとも弟子達は勝手に暴れていたので、ちょっとしたオーバーキルというか、嗚呼これぞ虎眼流か、という所であるが。構築でも通用するのでは、という気にさせてくれる、好きなカードである。

・族霊鎧も、今の所、良いバランスに見える。プレイに対応されたら厳しいが、そうで無ければ、かなりのアドバンテージを誇っている。飛行アンブロッカブルに付けられた蛇の陰影とか、実に嫌らしい(褒め言葉)。その性能たるや、これまでのオーラと比べると、ノーマルとネクスト位あると言うのは過言であるな。多分それを言うならエタチャ(チャンピオンじゃないよ)辺りだろうし。ま、トーテム・アーマーという名称から思い浮かんだだけですけどねっ。

・しかし後ほどウリルに付けられた時は、ちょっとした絶望を味わったぜ……

・と、そんな感じに、エルドラージを重大な落下したり、マトリックス付けた破壊者が文字通りの滅殺したり、高~中速展開でぼっこぼこにされたりしつつ、大会終了、お疲れ様。優勝したのが、サルカン(光ってないけれど)入りのデッキである事には、ちょっとした運命を感じたり感じなかったり。

・終わった後のピックは基本のーたっちだが、交換会にははせ参じ。記憶の壁とオンドゥの巨人、ジャディの生命歩き、巣の侵略者にペラッカのワーム辺りをちょろちょろとげっちゅぅ。

・で、まぁ早速廻して見たが、記憶の壁+上天の貿易風シナジーは、テラリバだと要らないかな? 空飛ぶグレイブティガー居れて、青黒で遣った方がいい気がする。面白いとは思うけれど。侵略者は良いね。チャンプ+マナ加速で、リバイアサンとの相性も良い。エルドラージ? ドローンという事で。

・だがそれよりも何よりも重要なのは、ジャディのサラダ館生命歩き及びペラッカにキッチンを、オンドゥの巨人に彼方地の幻視を見た事か。主にリバイアぐるぐる的な意味で。特にオンドゥさんは、一マナ増えただけで、かなり死に難くなり、その土地加速における相手のうんざりした顔たるや、俺マジックやってて良かったという気持ちに心底させてくれる。

・いやぁCIP使い回しって本っ当に良いものですねぇっ。

・俺は俺のままに(by カマールお兄さん)。でぃず・いず・まじっく。である。
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