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 今日は木曜日であり、今年最後の木曜洋画を見ていたのだが、うっかり寝ていて途中からだった。おのれ、『沈黙の陰謀』で戦闘医者スティーブン・セガール先生が大暴れする話だと言うのに。まぁ途中から見てもやっている事は変わらない事はよく解る映画だな。

 所で、GATSさんの所でこんな記事を見つけた。
 成る程、と思った。ゲーム脳と比べれば、全然マシである。

 フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と言うSF作品がある。

 そこでは人間と有機的アンドロイドが支配関係にある。しかし見た目は寸分違わないので、アンドロイドが反旗を翻すとなかなか困る。では何処で二者を見分けるかと言うと、様々なテストがあるが、主人公は感情移入テストと言うものを行っていた。これは動物を殺す事(あの時代核戦争で人間も含む動物が激減している)に関連した質問をしたり絵を見せて、心拍数や脳波を計り、感情移入が出来るかどうかを図るものであった。つまり、陳腐な言い方だが、思いやりの心があるか否かが、人間とアンドロイド=非人間を別つものなのである。

 そう考えると、上の記事で言っている事も解る。

 しかし、そうだとしても、人間は何処かで思いやる心を忘れているものだ。

 一番解り易いのは食べ物だな。我々が食べるものは全て生きている。植物だって何だってそうだ。生きて無かったものは食べられない。食べても栄養になら無い。そしてそこには当然彼等が生きてきたロマンがあっただろう。

 我々は、それをどれだけ実感して生きているだろうか。少なくとも、自分は日々の生活でその様な事を考えながら生きてはいない。食べ物は所詮食べ物、と言ってもいい。勿論ある程度は感謝する。しかし、それにも限度がある。「天にまします我等が主よ、今日も我等に食事をおあたえ頂き感謝致します」と言った後は、ばりばりむしゃむしゃごくごくである。

 そう言うものは上げて行けば切りが無く、全てのものにはそれが生まれて来た、作られて来たロマンがある。本は木や羊の毛を取り、それを元に、何処かの誰かが作っている。今このBlogを書く為の電気だって、今この世界を見せている光だって、今自分が呼吸している空気だって、誰かが、何かが作ったもので、当然そこにロマンはあっただろうが、誰も自覚などしていない。

 だからまぁ、確かにある程度思いやりの心と言うのは必要なんだろうが、本当にある程度なんだと思う。もし、全てを思いやる心があるとすれば、その存在は生きて等居られないから。

 しかし多くのゲームはしっかりとその手の事を考えていて、ちゃんと書いてある。例えばマリオは、あれはどう見てもテロリストによる国家侵略である。シューティングゲームだってそうだ。大抵は国家、人類の危機である。ついでに無人機である事が多い。

 逆に言えば魔物を倒すに至る理由等あるのだ。と言うか、お前は今にも襲い掛からんとする魔物を相手に彼等のロマンを思うのかと言う話な訳だがな。

 結局、無理矢理ちゃんと読まないのはプレイする側であり、ゲームは悪くあるまい。

 読み返してちょっとグダグダしてるが、言いたい事は、上の記事は半分は合ってると思うけどゲームだけを槍玉に挙げらているのは腑に落ちないと言う事で教育として教えるのならば全てのものにそれは必要であり、要するに親だよ親、親の育て方が悪いに尽きると思った次第。その意味では、割合妥当だな、この記事は。

 ゲーム差別は良くない。ゲームと、ゲーム開発者に思いやりを。
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