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 かような訳で暑苦しいのを見て体温を上げようと今日で『トムヤムクン!』を見た。回数的には何度目か解らない程見ている作品で、恐らくアクション的には現代における最高峰では無かろうか。

 だが、自分は思う。この映画は、アクション映画であると同時に、ある意味において究極の恋愛映画である、と。アクションについては至る所で触れられている為、今日はその方面からの感想と考察を記そう。勿論、ネタバレありありなのでご注意を。
 さて、『トムヤムクン!』の主人公はトニージャー演ずるカームである。彼は王が乗る象を護る古式ムエタイの戦士『チャトゥラバート』の末裔であり、象使いの青年だ。彼は象のポーヤイ、そしてその子であるコーンと愛し合いながら逞しく成長してゆく。だが平和な生活の中、中華系の密輸組織によってポーヤイとコーンが浚われてしまうのである。

 これがこの映画の冒頭であるが、この後カームはどうするのかと言うと、単身密輸組織に手を貸した連中のアジトに踏み込み、中に居る者どもを瞬く間に再起不能に。ブラックラグーンの第一話を髣髴とさせるボートアクションを経て、組織のトップが居るオーストラリアへと向かうのである。

 当然ながら、彼は英語を話せない。知り合いも居ない。手掛かりはタイのアジトで見つけた一枚の写真のみだ。

 オーストラリアでは、道中敬愛するあの人やペットターイ・ウォンカムラオ(あの人に対するサモ・ハン・キンポーの様な存在)演じる同じタイ出身の警官や女性、仏僧侶と出会うが、戦う時は独りだ。彼は、たった独りで警察機関の圧力、無数のヤクザ者、エアギア部隊にカンフー使い、カポエラ使いに剣術使いとの死闘を繰り広げるのである。

 そこに、彼の像に対する愛情の全てが篭っている。

 カームは全体を通してかなり台詞が少ない。トニージャーが余り台詞を覚えられないからと言う話も聞くが、兎に角言わない。その台詞は全てポーヤイとコーンを心配するものであり、一番多く言った台詞は「象は何処だっ!!!!」である。

 そこをして、役者としての実力不足を指摘する声があるがそれは違う。

 台詞等要らないのだ。全ては、物言わぬ肉体が代弁している。

 CG無し、ワイヤー無し、スタント無しの、純然なる肉体言語だ。

 その愛が最も花開くのは終盤である。コーンを助けたカームだったが、剣術使いの戦いの後、体格差で二倍以上あるプロレス使い(あってるのか、この言い方)に、連戦の疲れもあってか、敗北してしまう。

 それでも生まれた時から一緒だったポーヤイを助けたいカームは、コーンと共に密輸組織の表向きの会社のイベントが行われている建物(シドニー・オペラハウスかな)に来襲。だがそこで、彼は衝撃の事実を知るのである。

 彼が愛して止まなかったポーヤイは既に殺害され、黄金で装飾された骨の像にされてしまっていたのだ。この時のカームの心中は、察するに余りあろう。(全体を通してのテーマだろうか、タイ人が中国人をどう思ってるかが良く解るシーンでもある)

 号泣、咆哮。そして、隙を突いて脇腹を刺された彼の中で、何かが弾けた。

 襲い来る黒服達をこれでもかとばかりに返り討ち。足で手を絡ませ、腕を背と肩に背負って在らぬ方向へと捻じ曲げて行く、所謂四十九人連続関節決めを敢行するその姿は、クリリンを殺された悟空がスーパーサイヤ人となってフリーザを圧倒したシーンを髣髴とさせる壮絶なものだ。

 ラストバトルでは、先に敗北したプロレス使いを相手に互角の戦いを見せるも、途中密輸組織のボスである女男(元は男だった様だが今は身も心も女の様だ)がSMの女王様ルックで現れ(FFVにこんなボスがいたな、そういえば)更にボスの側近で、如何にもな眼鏡の中国人が連れてきた三人のプロレス使い相手にダウンしてしまう。

 だが、投げ飛ばされた先のポーヤイの元で、「ついて来れるか」とでも言う様に走りながら寝ているこちらを見てくるアーチャーチャトゥラバート達の幻影を見たカームは、満身創痍の体ながらも腕に象の大骨を巻き付けて立ち上がったのだ。

 人と象の愛が、生死を別けて尚、一つとなった姿である。

 圧倒的な力不足と、数の利を、ポーヤイの力で互角にまで戻した彼は、さらにかつて父親が語ったチャトゥラバートが居る意味、彼等が護るべき象の、大きな獣の弱点=足元の腱を狙うべしとの言葉を思い出し、鋭く尖った骨で手足の腱を切り裂いて行く。

 往生際悪く足掻く最初のプロレス使いに止めを刺すと、彼は屋上にてヘリで逃げようとする側近を、2m以上は確実にある相手を蹴り落とし、さらにフックに捕まって飛び去ろうとするボスに向かって、下が何も無いにも関わらず、躊躇無く膝蹴りを繰り出したのである。

 全てが終わって事件が明るみに出た時、カームはポーヤイの牙の上で眠っていた。屋上から落ちた丁度真下が、今まで戦っていた場所だったのである。そこで彼は、在りし日の思い出、ポーヤイの牙の上で同じ様に眠っていた少年時代の夢から覚めると、すがり来るコーンの元へと歩み寄ったのだ。

 この様に、この映画象に対する空前絶後の愛で戦う男の物語である。

 例えばハリウッド映画であれば、単身敵地に乗り込み戦うワンマンヒーローと言うのはゴロゴロ居る。しかし、彼等の多くは銃火器を使い、また真正面からは戦わない。そして同時に、その目的は家族が巻き込まれたか、国家存亡の危機である為か、何故か偶然にもスティーブン・セガール自分が巻き込まれた為かが殆どだ。自分のペットが浚われたからと言う理由では決して無い。(ペットは違う気がするが他に言い方が思い浮かばなかった)

 更に彼は、自らが世界の中心であると言う自己中心的な主観に囚われた上で愛する者についてただ嘆き哀しみ助けを乞うたり、ましてや崩壊する船の中携帯電話で愛の台詞を囁き合ったりは決してしない。彼は象の為ならば、世界の果てまで赴き、力の限りその愛を取り戻すのである。

 これが恋愛映画と言わずして何と言おうか。こう言う訳で、『トムヤムクン!』は、人間と人間のみを限定とした意味ならば例外視しなければならまいが、究極の恋愛映画なのである。

 個人的にはトニージャーにはこの路線、言葉少なく肉体でその意思を表現するキャラとして進んで貰いたいものである。ジャッキー・チェンの様な、コミカルさ(自分が、特にジャッキー映画で余り載れないのがこの部分が強く感じるからだ)は彼には似合わない気がする。まぁもう少し明るい、純粋に笑っている姿は見てみたいが。

 尚、『マッハ!!!!!!!!』は仏教的因果応報の話であり、『7人のマッハ!!!!!!!』はタイの愛国心(これはタイ映画に共通している気もするが)の詰まった映画である。それもまた、違う意味で純然たる肉体言語を行使している素晴らしい作品であるので、見る事を推奨する。
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