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「それでは、こちらが約束の報酬でございます。エーリカ様があなた方の仕事の手際良さに感嘆しておられまして、多少色を添えてありますよ。」
 ドレスデン市街にある小さなカフェ『カルプフェン』。人影もまばらなその店の、片隅にあるテーブルに座るベンノは、反対側に座るゲオルク、アナベルに向けて相当な紙幣の束、貨幣がたっぷりと詰まった皮袋を差し向けた。
「ありがたく頂戴致しますわ。」「……どうも。」
 アナベルは祈璃社(ギリシャ)神話のヘレネもかくやの満面の笑みで応えながら、ベルンシュタイン家給仕より手渡された報酬を受け取った。重さに耐えられず、テーブルに置いた皮袋が、硬質且つ金属質な音を立て、アナベルの顔を更にほころばせる。
 だが、ゲオルクの方は何か浮かない顔をしていた。
「如何なさいましたかな、ゲオルク様。万事は全て解決されたと言うのに。」
 その様子を見て、ベンノが心配そうに彼に聞いた。
「いえいえ、いいのです。仕事の後は大体こんな感じですから。」
 ゲオルクはむぅと黙ったままで、代わりにアナベルがそう応える。そうですか、と然程興味無さげにベンノは答えながら、立ち上がった。
「それではこの度はありがとうございました。」
「こちらこそ。久しぶりに良い仕事をさせて貰いました。奥方様にも宜しく言っておいてくださいませ。」
 アナベルの言葉に、承りました、と言うと、ベンノはくるりと背を向け、扉の方に向かう。と、彼はドアノブに手を掛けながら、首だけ後ろに向けながら、
「ああ、一つ忘れていました。ゲオルク様。」
 そう聞いた。
 はい?と彼は応え、給仕は続ける。
「アルフレート様が警察に送られる時、不思議がっておりましたよ。ゲオルク様に捕まった時投げ飛ばされたのだが、あの体で普通にやって、私を投げ飛ばせるとは思えない。東洋の格闘技でも習得しているのでは無いか、と。何かおやりになっていたのです?」
 皇州において、徒手空拳の格闘技は余り発展していない。単純明快な腕力や、より堅くて間合いも長い武具を用いた方が強いだろうと言う合理性が求められてきたからだ。身体的に劣っていると思われた相手に体よくやられて、アルフレートはさぞ驚いた事だろう。
 その事を思いつつ、ゲオルクは苦笑を浮かべて、
「あれは日本(ヤーパン)式の格闘技で柔道(ユードー)と言う格闘技です。その中の、トモエナゲと言うもので。昔こちらに留学していた日本人に…えぇと、モリ、と言う名前だったかな…まぁ教わったのですよ。護身術としてね。」
「成る程。機会があれば学んでみたいものですな……それでは。」
 彼の答えに満足したのか、ベンノは頷くと、ぐっとドアノブを回した。そして、一週間前とは打って変わった心地良い晴天の下に出て行った。
 ゲオルクはその背中に向けて、アハハと手を振っていたが、扉が閉まり、彼の姿が見えなくなると、ハァァァと言う重苦しい溜息を漏らしながら、ずるずると椅子にもたれかかった。
「……疲れた。」
 心の底から思っていた事を口にする。
 そんなゲオルクに向けて、意地の悪い笑みを浮かべながら、アナベルが言った。
「あら、でも報酬は良かったからいいじゃない。流石ね、名探偵さん?」
「よしてくれ。推理出来ない探偵なんているものか。僕はただの役者だよ。」
 ゲオルクは苦笑に応えるが、その口元は笑みに成り切れてなかった。何時もそうだ。この仕事の後は決まって疲れる。特に心が擦り切れ、磨耗するのだ。
 彼と彼女の仕事、それは一言で言えば、騙りである。
 つまりそう、ゲオルクは探偵等では無いのだ。
 そこにいるのは、普段は場末の劇場で平凡では無い演技力を無駄に浪費する気の弱い青年と、両親の遺産で金と暇だけはある気の強い商人の娘に過ぎない。彼自身言ったが、決してシャーロック・ホームズやオーギュスト・デュパンと肩を並べられる様な者では無いし、各国で事件を解決したと言うのも勿論嘘だ。
 では何故この様な事をしているのか。
 それは簡単に言えば囮の為だ。
 罪を犯そうと考えている人間がいて、彼の所に自分は名探偵だ、と言う人間が現れたら、彼等はどの様に思うだろう。名探偵を出し抜こうと考え、行動するだろうか。確かに、犯罪そのものに愉悦を感じる類の自己陶酔の激しい人間であれば、そうするかもしれないが、その様な人間は稀だ。犯そうとする犯罪が自分にとって重要であればある程、犯人は慎重になる。犯行を取りやめようと思うかもしれない。そうしてくれるのならばどれだけありがたいか解らないが、犯行の重要性が止めると言う選択に決める事を躊躇させる。だがそこに犯罪を行うのは探偵がいる為に危険、と言うジレンマが発生する。
 そんな時、彼等は一体どうすればいいか。
 答えは明白だ。
 邪魔な探偵を先に殺せばいいのだ。
 だがそこに罠がある。探偵、特に名探偵と呼ばれる人物は頭脳明晰であるのは間違いないが、身体能力はどうかと言うと、必ずしも高くは無い。勿論、中にはどちらにも秀でた…シャーロック・ホームズが世界最高の探偵と称されるのはこの辺りに起因するのだろう…探偵も存在するが、イメージとしては余り健康的でないと言うのが一般的である。犯人から見れば、犯行を行う為の一障害物以外の何者でもあるまい。それも容易に突破出来る程に、貧弱且つ貧相な。
 しかし先に言った様に、ゲオルクは探偵では無い。役者である。観客全てに聞こえる様な力強い発声。己の感情を体現する為の動作。喜怒哀楽を指し示す機敏な表情作り。役者には演技力云々の前に体力が必要なのだ。元より彼は、最初から犯人と直接戦うつもりで行動している。日本の格闘技にも精通している。そんな彼を簡単にどうにか出来ると侮った…勿論そうさせる様に見せたのだが…犯人が挑めばどうなるかは、先程アルフレートが身を持って示してくれたのである。
 ゲオルクは犯人がこの様な心境に至り、自分を殺しに掛かってくれる様演技する。それをアナベルが助長する。彼はさも素晴らしい探偵であり、どんな事件であれたちどころに解決して来たのだ、と吹聴するのだ。
 彼等はこんな三文オペラ的行為を、依頼されて行う。顧客は自らが恨まれている、狙われていると思って止まない金持ち連中だ。その多くは、ただの被害妄想であるのだが、そうでない場合も少なくない。
 また顧客は、劇の進行を滞りなく行う為のサクラでもあった。ゲオルクと言う探偵を引き入れ、探偵に話題を集め、探偵が如何に凄いかを言う助手の言葉、その一言にいちいち感歎する為の舞台の外の役。
 今回の場合、この役目はエーリカが受け持った。本人は隠しているつもりでも、ベルンシュタイン家当主であり自身の弟であるクラウスに対するアルフレートの感情、即ち嫉妬と憎悪はありありと見て取れる程に放出されていた。そこで彼女は、ゲオルクとアナベルに話を持ち掛け、今回の芝居を行ったのである。それは見事に成功し、邪魔者は消えた。
 ゲオルクは彼女の笑みを思い出した。明るく、余りに明るいが故に何も考えていない様に見える笑み。だがその裏で邪な人間を燻り出す為、犯罪へと走る様貶める計略を考えている笑み。
 今後、ベルンシュタイン家が他のユンカー達同様に没落したとしても、彼女が居る限り当分の間は大丈夫だろう。そんな気が、彼にはした。似た様な人間をよく知っていたからだ。しかも直ぐ側に居る。
 ゲオルクはもう彼への興味を失って、紙幣と貨幣をテーブルにぶちまけ、その数を数えるアナベルを見た。
 この探偵演技を最初に考案したのは彼女だった。
 最初こそ失敗もしたが、最近は順調に軌道に乗り始めている。ゲオルクは、これを思いついたアナベルの非凡さに良い意味で呆れていた。自業自得なのだが、まだ罪を犯していない者を罠に嵌める様な行為に少々の罪悪感を覚えるとは言え。
「……うん。素敵ね、ベルンシュタイン家、かなりの額を余分に入れてくれてるわ。また来ないかしらね、あのゲルトって親父も怪しいと睨んでるのだけど。」
 数え終わったのか、紙幣と貨幣を纏めながらアナベルが剣呑な事を言った。商人の娘らしい冗談、のつもりかもしれないがはっきり言って冗談になっていない。最初はどうあれ、今はすっかり商売としているその態度に、ゲオルクは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「さて、それじゃ折角ですし、街でも見てきましょうか。美味しいもの食べて、新しい服も買って……ほら、何してるのゲオルク。早く行くわよ。」
 そうしている間にも彼を置いて彼女は行こうとする。
「……はいはい、直ぐ行くよ。」
 苦笑いを浮かべたままで、ゲオルクは立ち上がった。
 それは彼女にと言うよりも自分に向けたものだった。
 自分がやっている事は、結局アナベルが書いた筋書きに従ったものである。それは顧客と言う名の観客、或いはパトロンの意向によって多少変わる事はあろうが、自分がそれに対して、どう思うと、何を考えようと、変更される事は無い。
 ゲオルクは、ただただ探偵と言う役を演じる他無い。その点で言えば、選択肢を失い、犯人として行動しなくてはならなかったアルフレートと大差無いだろう。強いて言えば、筋書きを知っているかどうか、だろう。ある意味では互いに哀れと言う他無い。探偵と犯人が本質的に一緒と言うのだから。
 だが、それでも止めないのは、アナベルがかつてこの行為を始める時に語った思想故か。或いは、もっと純粋なものだろうか。二十歳を超えた彼女は、ずっと見てきた自分でも凄く魅力的に見えた。
 勿論口に出しては言わなかったが。
 既にアナベルは外に出ていた。急かす様、手を振っている。手を振り返しながらゲオルクは立ち上がった。
 思う所はあったが、今考えるのは止めた。閉幕のベルはとうの昔に鳴り終えている。今の自分は偽りの名探偵では無い。舞台を降りた、ただの役者なのだ。
 ゲオルクは再度急かすアナベルに向けて手を振り、足早に店を出ると、彼女の元へと歩んでいった。


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