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 第六章第七章:レストラン『A・アルニム』にて
「嗚呼……良い天気に外で食べる良い食事、なんて乙なものでしょう。」
 解鎮絃(ゲッティンゲン)大学から程近い場所のレストラン『A・アルニム』。そのテラスに並べられた円卓の一つでドルトヒェン・ヴィルトは、黄金の光沢を持つ白ワインに満ちたグラス片手にそううっとりと呟いた。
「いやはや、実にその通り。ここの料理は解鎮絃じゃ有名ですからな。私も前から来たかった。」
「えぇえぇ。これで安くて余分な人がいなければ、その料理ももっと美味しくなるんでしょうけどね。」
 その向かいに座るベルトルト・サヴィニーが口をもごもごと動かしながらドルトヒェンに相槌を打つ。だが当の本人は、彼の言葉どころか存在すら痛烈に否定した。『ヴィルト家の惨劇』の朝、病院のベッドで出逢った時から、ドルトヒェンはこの刑事が大嫌いだった。この男は人を人と見ていない。被害者を被害者と見ていない。あくまで事件とそれを解決する為の欠片としか捕らえていない。そんな風に思えてならなかったのである。
「おや、きつい言葉ですな。どうやら私は、相当嫌われている様ですぞ、ヴィルヘルム先生。」
「ふんだっ。」「……。」
 ベルトルトは苦々しく口元を歪めると、ドルトヒェンでは無く、その隣に座るヴィルヘルムに話を振った。
 ヴィルヘルムは何も答えなかった。火に油を注ぐ様な、或いは煮え立つ油に水を注ぐ様な真似はしたくない、と言うのが理由だが、それよりももっと単純に、彼もこの皇帝髭を蓄えた中年が好きになれなかったのである。
 自分よりも立場が上の者に対する余りに丁重過ぎる態度。皇帝髭が蓄えられた口元をにやりと吊り上げる笑い。その実、目の奥には冷たい火が宿り、その光はヴィルヘルムに向けられて離れなかった。それは始めて出逢った時から感じ、喫茶店『ファラダ』で語った時も、あの雨の日にも感じたのだ。そして今この時にすら。
 この男は何かを疑っている。もしくは隠している。だが一体何をだろうか。
 それを知る為に、ヴィルヘルムは話がしたいと言うベルトルトを昼食に誘った。訪問して来た相手を無碍に断るのは気が引けたと言う以上に、彼が持つ情報を引き出したかった。
 食事を楽しみにしていたドルトヒェンには悪いと思ったが、これも致し方無い事である。この男は、何か良く無いものを運んで来る気がしたから。尤も、それで先程から目を合わせてくれない彼女の態度は辛かったが。
 この様にドルトヒェンだけでなくヴィルヘルムすらベルトルトに対して好意とは逆の類の感情を抱いていた為、自然と空気は重くなった。抜ける様な青の中に所どころ描かれた白が美しい空の下、周りの円卓では家族連れや恋人達が楽しげに談笑し食事を楽しんでいると言うのに、この円卓だけそれが無い。多少会話があっても、
「……そういえば、一緒にいたあの若い刑事はどうした。」
「ああ、エミールですか?今日は非番ですよ。大方幼い娘の尻でも追っているのでしょう。」
「……そうか。」
 この様な按配であり、まるで発展が無かった。
 やがてそれすら無くなり、三人の間にはかちゃかちゃと食器がぶつかり合う音しかしなくなる。
 だがその分、ヴィルヘルムは料理を味わう事が出来た。
 ドルトヒェンやベルトルトがそう言う様に、ここの料理は美味かった。推挙したのはドルトヒェンで、ベルトルトが言った様に美味しいと評判だからだそうだが、確かにこれは噂に違わぬ味だった。特にこの地方の料理である塩漬け豚を茹でたもの、カッスラー・リップヒェンは塩加減が絶妙で、添えられたからしと実に良く合う。ドルトヒェン風に言うなれば『都会でもやっていける』味だ。店に自分の名前を付けた店主A・アルニム氏は非凡な腕をしているのだろう。これで値段が高くなければ、言う事は何も無いのだが。
 自分が払うべき金額を想像し、かすかに眉間に皺を寄せたヴィルヘルムは一口一口味わう様に食べ始める。相変わらず美味い。この肉の一切れ一切れの価値を考えれば、その美味さも一塩と言うものだ。
「おぉ、そうそうヴィルヘルム先生。」
 そこにベルトルトが身を乗り出して語り掛けて来た。思考が移ろいでいた矢先の事、完全に虚を突かれ、ヴィルヘルムは呻いた。ワインでも麦酒でも無く、無色透明な水が注がれたグラスを手に取り、一気に飲み干す。
「……本題か?」
 ふぅと一息付いたヴィルヘルムは、金縁の片眼鏡の位地を直しながらベルトルトを見つめる。中年刑事は口元こそ笑っているけれど、目は笑っていない。何時の間にかドルトヒェンも陶器の手を止めて、彼を睨んでいる。
「まぁまぁ、そう硬くならず、喧嘩越しにならず。私はちょっと確認に来ただけですよ。」
 掌を向けて両手を振ると、彼は椅子の下に置いてあった鞄からそれ程厚く無い書類束を取り出した。
「ヴォルフ・ティート。あの事件の犯人が、この前死刑判決を受けたのは知っておりますな?」
 後に『解鎮絃の食人狼』として土壱史、犯罪史、心理学史、義体史等にその名を刻まれる事となる猟奇殺人者、ドルトヒェンの父親と母親を食い殺し、本人の四肢を貪った男には、かつてヴィルヘルムが推測した通りの理由が存在した。しかし、そうだからと言って極刑を免れる事は適わなかった。彼は後々現れる土壱の食人鬼達、即ちゲオルグ・カール・グロスマン、カール・デンケ、フリッツ・ハールマンらに実を持ってその末路を知らしめたのである。それが齎した効果の程は実に怪しかったけれど。
「……勿論だ。」「……。」
 ヴォルフの名に瞳が昼間の猫のそれの様に縮こまり、一対の義手が深紅のスカートを引き千切れんばかりに握るドルトヒェンを横目で見ながら、ヴィルヘルムは苦々しく頷いた。死刑判決を受けたと言うのは新聞や人づてに聞いている。聞こえない筈が無い。だがそれは、当人に向けて直接言うべき話でもあるまい。幾ら大丈夫と言っても、完全に踏ん切りが付く筈も無い。この男はそれを果たしてどれ程自覚しているのだろうか。
 そんな思いを恐らくは露とも知らず、ベルトルトは手に持った書類束をヴィルヘルムに向けながら言った。
「彼は今独房で監禁されています。勿論取れるだけの義体を外してね。内臓関連はどうしようもありませんが、せめて腕や脚は取っておかないと。大暴れするんですな、痛ぇ痛ぇって。全く困ったものです。……所で先生、それが何か解りますかな?」
「ヴォルフ・ティートの義体写真か。」
 書類束を指差すベルトルトに、ヴィルヘルムはぺらぺらと捲りながらそう言った。
 それはヴォルフの全身図から始まる写真が添えられた報告書だ。機械が詰まった巨体に嵌め込まれた鉄の豪腕に怪物の如き脚。薄汚れた金髪の所為でまともに表情は見えなかったが、象の様な牙を付けた下顎だけは良く判別する事が出来た。義体はどれもこれも酷く錆びていたが、それでも恐るべき脅威が感じられた。
 次の書類に写されているのは、そこから取り外された各義体だった。腕、脚、そして顎。実際に四人掛かりで取り外している写真もあり、改めてその巨大さ、重厚さを感じさせている。
 更に捲れば、取れるだけ義体を外したヴォルフの姿があった。四肢の無い姿はまるで芋虫であり、申し訳程度に付けられた顎充てが何とも貧弱であり、一緒に切られたのだろう、すっかり刈り込まれた前髪の下から現れた虚ろな瞳が実に痛々しい。
 ヴィルヘルムは眼を背けたくなった。この眼だ。この眼が彼もまた被害者である事を告げている。ずっと見ていたら取り込まれそうだ。勿論それで同情しても、彼の犯した罪は罪であり、罰は受けねばならないだろう。だがやはり戸惑ってしまう。この様な慈悲を乞う弱者の眼を向けられては。
 その別人の様な写真から逃れる様にヴィルヘルムは書類を捲った。
 そしてそこに写っていたものを見た瞬間、全ての歯車は停止し、彼はびきりと動かなくなった。
「……ヴィルヘルム?……ちょっと、どうしたのよっ。」
 様子がおかしい事に気付いたドルトヒェンがヴィルヘルムの顔を見れば、その顔からは眼に見えて血の気が薄れて行っていた。驚きながら彼女が声を掛け体を揺らすも、彼は青褪めたまま写真から決して眼を離さない。
「どうです?何か解るのでは無いですかね、あなたなら。そら、義体職人の間じゃ普通らしいじゃないですか、この手の”おまじない”って奴は。」
「……何が言いたい。」
 ドルトヒェンを無視し、ヴィルヘルムは嘲る様な表情を向けるベルトルトに向けて漸くそう告げた。その台詞に彼は、ファウスト博士に対するメフィストフェレスの如く、唇を捲り上げて黄ばんだ歯を見せて更に哂った。
 その書類に写っていたのは、取り外した義体を分解している写真だ。外皮たる錆びた鉄が外され、素体が露になっている。中身は所どころ汚れや痛みが目立つが、思っていた程酷くは無かった。少なくとも、ここ一年の間に検査と修復を受けているのが見て取れる。消息を絶っていた男がその様な事をすれば、おぼろげでも足跡が残りそうなものだ。戦闘用義体を手掛けられる義体職人は、技術的も、金銭的にも限られてくるのだ。
 だが、ヴィルヘルムが注目したのはその様なものでは無い。
 彼が見ていたのが外皮の裏に刻まれた真新しい二つの文字だった。二つの文字は重なり合い、何かのマークの様な意匠であったが、装飾ではある筈が無い。この様な所に付けた所で、見る者もいないでは無いか。では一体何の意味があると言うのだろうか、そこに刻まれた『J』と『G』の文字には。
「義体職人は、己が作ったと言う証に義体の中へ印を刻むそうですな。勿論大々的にやってしまっては意味が無い、それはあくまでも自己満足の領域に過ぎませんがね。」
「おまじない、って……。」
 話を聞いていたドルトヒェンが、さっと自分の義手を見てみた。特にそれらしいものは無かったが、
「手首だ。右手首の隙間の所を見てみろ。」
 ヴィルヘルムが写真から眼を逸らさずにそう言った。
「あぁ……こ、れ?」
 言われた通り、ドルトヒェンが陽光に照らされて光輝く白腕の手首を見ると、小さな文字が彫られているのが見受けられた。言われなければ恐らく一生気付かなかったろう、陶器の肌と肌が被さる微妙な位地にそれは刻まれていた。それはヴィルヘルムのイニシャル、『W』と『G』を重ね合わせた様な意匠を組んでいた。
「……って、これっ。」
 その文字をじっと見つめていたドルトヒェンは、何かに気付いたのだろう、ヴィルヘルムの方を見た。正確には、彼が先程から凝視している写真の方を、だが。その写真に写っている『JG』は彼女の腕に書かれたものに筆跡やデザインがとても良く似ていた。
「ヤーコプ・グルムバッハ。」
「……っ!!!!」
 その時、ベルトルトがぼそりと呟く様に何者かの名前を言った。それを耳にした瞬間、ヴィルヘルムはびくんと痙攣し、今まで写真を見ていた瞳がベルトルトの方に向いた。右目が拡大し、血走っているのが良く解る。
「そう言う名前でしたな、『七人教授』(ジーベン・マイスター)の指導的立場にいた、あなたの兄は。」
「七人教授?……それにヤーコプ、って……ぁ。」
 何か思い至ったのだろう、ドルトヒェンははっとした表情を浮かべた。
 ヤーコプは『Jakob』、グルムバッハは当然『Grumbach』と記す。その二つの頭文字を合わせれば、『JG』だ。彼女は写真からヴィルヘルムへと改めて視線を移した。その名前と、次に語られた『七人教授』なる聞き慣れぬ言葉の真意を聞く為に。
 ドルトヒェンから見たヴィルヘルムの顔は青白く青褪めてた。幽鬼の様な、と言ってもいい。彼は心配そうに見つめる彼女の視線を無視するかの様に立ち上がると、黄色い歯を見せてにっと笑みを浮かべているベルトルトの元まで歩み寄った。
「……あんた、本当に何処まで知っている。」
 すっくと立ち上がったヴィルヘルムの身長はただでさえ高く、未だ椅子に腰を下ろしているベルトルトは見上げる様に彼の顔を見た。その右目が、カチカチと音を立てて中年刑事を凝視している。赤く血走った淡い青色の瞳が舐める様に全身を見渡す。それでもベルトルトは飄々とした態度を改めず、首を竦めながらこう言った。
「……少なくとも、上の連中が知っている程度には、ですよ。」
「上の、だと。あんたはここの警察じゃないのか。一体、」
 眉を潜めながらそう続けるヴィルヘルムに、ベルトルトは立ち上がった。身長差は明白で、ヴィルヘルムの方が大きかった。彼は中肉中背の中年男を見下ろす。だがやはり、ベルトルトの態度は変わらない。
 彼はにしゃりと笑いながらこう返した。
「警察ですよ、列記としたね。ただ一つ言うなら、私の出身地はここでは無く、鐘琳(ベルリン)です。」
「あんたは……まさかオットーの使いか。」
「そうなりますかね……彼はある事実を憂えている。この際だ、単刀直入に言いましょう、」
 二人の男は威嚇し合う獣の様に体と顔を密接させながら言い合っている。傍目から見ているドルトヒェンには、何の事だかさっぱり解らない話だ。だが、ヴィルヘルムの様子からするとただ事では無いらしい。彼女は心配そうな視線を、青年の背中に向ける。
 と、ベルトルトがその顔をヴィルヘルムの耳元へ近づけた。小さな声で何事かを囁く。
 ドルトヒェンからは遠過ぎてそれを聞く事は出来ない。
 ヴィルヘルムは暫くその言葉に耳を傾けていたが、
「っ……貴様っ!!!!」
 突然彼はベルトルトの襟首に掴み掛かると、絞め殺さんばかりに引き上げた。
「ちょっ、何してるのよヴィルヘルムっ。」
 ドルトヒェンの甲高い叫びが響く。その叫びに、周囲の視線がこの円卓に注がれた。
 そんな事は全く眼中に無いのか、ヴィルヘルムはベルトルトを掴んだまま離さない。眉は潜められ、頬は紅葉し、この男のイメージからは掛け離れた激昂具合が良く解った。その血走った右目はかっと見開かれ、意思を持った別の生き物かの如く飛び出さんばかりに刑事を凝視している。そしてその体の何処にそんな力があるのだろう、体格的にはがっちりとしたベルトルトを、ヴィルヘルムは易々と拘束していた。
「まぁまぁ落ち着いて。私はただ意思を伝えただけですよ。」
 流石のベルトルトもこれには溜まらず、汗を一筋垂らしながら苦笑いを浮かべる。襟首を掴む手に向けて、彼は離すようぽんぽんと叩いた。途端、ヴィルヘルムはすっと落ち着きを取り戻したのか、その手を離した。何時の間にか、右目も元の位置に収まり、傍目には左目と若干色の違うただの青眼にしか見えない。
「……解らない、私にも。あの後の事は知らないんだ……だが――」
「だが?」
 薄っすらと浮かび上がった額の汗を拭いながら、ヴィルヘルムは言う。彼は思案する様に青空を眺めながら、
「――調べる必要がある。」
 そう応えるや否や懐から紙幣を数枚出し、円卓の上に置いた。そしてそのまま街路へと歩き始めたのである。
「ヴィルヘルム!?何処行くのよっ。」
 突発的なその行為にドルトヒェンが慌ててベルベットの帽子を掴みながらその後を追う。しかし、ヴィルヘルムの歩みの方が俄然早い。彼はあっと言う間に石畳の街路に出ると、彼女の方に一瞥もくれず、走っていた馬車さっと手で呼び止めた。そのまま飛び乗る様に馬車の中に入ると、追い縋ったドルトヒェンが同じく中に入ってこようとするのを首を振って制す。
「何よこの手はっ。青くなったり赤くなったり……今度は貴方、何処に行くつもりっ。」
「すまない……だが、気になる事があるんだ。夕方までには戻るから、君は先に帰っていてくれ。」
 そう言うとヴィルヘルムは扉を閉めた。ドルトヒェンが慌てて離れるのとほぼ同時に、急ぐ様命じられた御者は馬達に鞭打ちながら、颯爽と馬車を進ませて行った。
「何だって言うのよ……。」
 走って来た為に息を切らしながら、ドルトヒェンはそう呟く。
 馬車は驚く程早く遠ざかり、その影はやがて見えなくなった。
「やれやれ……何て解り易い男だ。」
 遠目で二人の遣り取りを眺めていたベルトルトは首をすくめる。
 そして何事かと駆け付けて来た店員に、作り笑いを浮かべながら大丈夫だと応えた後、こう言った。
「あぁすみませんワインをもう一本。白の良い奴をください。料金は勿論グルムバッハ付けで。」

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