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 第七章第八章:愚かな狼は静かに語る
 静寂が支配し、喧騒が締め出された場を歩くと、人は自分が如何に騒々しい存在であるか良く解る。天井の低く、ろくな明かりも無い石組みの廊下を歩いている最中、ヴィルヘルム・グルムバッハが聞いたのは自らと蝋燭片手に前を行く初老の看守の靴音のみだった。これ程まで静かだと、逆に石の囁きすら聞こえそうな位である。
 まるで穴倉だなとヴィルヘルムは思ったが、その想像は間違っていない。
 彼が今居るのは、解鎮絃(ゲッティンゲン)の市街地からかなり離れた場所に立てられた監獄である。元々は教会か砦の類を改修したのだろう、大砲が飛んできてもびくともしなさそうな重厚な建物だ。
 この様な造りなのは義体の犯罪者を収容する為である。戦闘用義体を除き、多くの犯罪者は義体を付けたまま収監される。それは、外してしまうと生活に支障を来たすからだが、知っての通り義体はその性能と使い手第で、生身よりも精密且つ強靭な作業が行える。また、余剰スペースも多く、中に何か仕込み易い。それ故に生身の犯罪者よりも脱獄される可能性が高く、事実対策を取られていない監獄にて何度も脱獄を許したケースがある。
 故に現在の土壱の監獄は、これ程までする必要があるのかと言う程頑丈に作られている。土壱人の感覚が衣食住では無く、住食衣なのもまた一因だが、義体が社会に与えた影響が大きな理由だろう。大航海時代とそれに列なるコロンブスの交換によって皇路覇(ヨーロッパ)に現れた人外の存在、一括りに『保因者』(トレーガー)と呼ばれる者達が、詠霧趣(イギリス)や阿真利火(アメリカ)に多大な変化を齎した様に。
 だが強固に建造する事に拘り過ぎたのか、お世辞にも居心地は良く無い。息苦しく、絶えず圧迫感を感じる。光すらまともに差さず、あるのは光源にしては実に頼りない蝋燭程度だ。ヴィルヘルムが穴倉と形容したのはその為である。幾ら犯罪者と言えども、人道的措置の一つや二つは必要では無いか、と彼は思った。
「着いたぞ。」
 やがて看守がその脚を止めた。更にその前に、分厚い鋼鉄の扉が聳え立っている。
「解っていると思うが、本来死刑囚と面会させる訳には行かない。だがあんたの頼みだから、」
「解っている。無理を言ってすまない。」
 振り向き、そう言う看守にヴィルヘルムは帽子を取って軽く頭を下げながらそう言った。
「……なるべく早くしてくれよ。こんな事がばれたら、今度は腕じゃなく首が飛んでしまう。」 
「解っているさ。」
 彼は応えながら、がりがりと頭を掻く。その手は耐久性と出力に拘った鉄製の義手だった。
 ヴィルヘルムは再度頭を下げると、鋼鉄の扉に手を掛けた。鍵は既に看守が外している。彼は両腕に力を込めると、ゆっくりとその扉を左右に開けた。看守から蝋燭を借り受け、中へと進む。
 入った瞬間、異様な空気が肌と鼻に感じられた。刺す様に冷たい大気の中で濃密に滞った腐敗臭がする。錯覚なのだろうが、薄っすら色が付いている様すら見えた。ここまで来ると気体と言うより固体に近い。
 背後で看守が扉を閉めて行く。重厚な金属音が鳴り、鍵がされた事が解った。そんな密室の中、蝋燭を翳しながらヴィルヘルムが一歩進むと、明かりに照らされて全体が良く見えた。人一人が生活するのに充分とはとても言えない狭さで、粗末なベッドだけが中央に置かれている。来る時に見かけた他の牢屋と比べても明らかに見劣りする。ここまで来ると穴倉と言うより墓所、それも路磨(ローマ)時代の地下墓所(カタコンベ)と言えよう。
 だが、その想像も間違ってはいまい。
 何故ならここは、監獄の中でも最も奥深くにあるこここそが、死刑囚を収監する為の牢屋なのだから。
 正にそこは社会的には既に死亡した人間が生物としての死を迎える為に待つ、墓所なのである。
 ヴィルヘルムは更に一歩進むと、そんな墓所の主の顔を見た。
 主はベッドに座り、うっそりと俯いている。年齢としては若いのだろうが、ヴィルヘルムよりも老けて見える青年である。丸め込まれた頭の下には落ち窪んだ眼が光も無く闇を映し、巨体から這えた手足はそれぞれ二本を一本に縛られた鉄製の義腕義脚である。
「……俺に逢いタいナんて奴ハ誰ダい?」
 来訪者の存在に気付いたのだろう、青年は顔を上げた。蝋燭の光を受けても尚、彼の瞳は暗く淀んでいる。
 手足同様下顎に付けられた義体が重々しく擦れる音をさせながら開くと、彼はくぐもった声を発した。
「……こうして逢うのは初めてかな。」
 その様を見つめながら、ヴィルヘルムが言った。軽く眼を閉じながら頭を下げて、こう続ける。
「私の名前はヴィルヘルム・グルムバッハ。君の話を聞きに来たのだよ、ヴォルフ・ティーク。」
「……ヴぃルへルム……ヴぃルへルム……何処カで聞いタ名ダナ……ソノ顔モ見タ事ガアル。」
 ヴォルフ・ティート、ドロテーア・ヴィルトの両親を食い殺し、娘をも義体無くして生きられない体にした罪で絞首刑と言う罰を待つ男は喉を震わせ、ぶつぶつとそう言った。その様子は、後々負の歴史に名を残す様な凶悪な事件を起こした者には見えない。
「……私は君が襲ったドルt……ドロテーア・ヴィルトの、友人兼保護者だ。そして君を捕らえた者であり、『七人教授』(ジーベン・マイスター)の一人として、かつては鐘琳(ベルリン)に居た義体職人だ。恐らく、君ならばこの意味が解ると思うが。」
「……アァ、解ッタ。アノ時撃ッタノハアンタダッタノカ。ソれカラ七人教授、カ……懐カしイ名前ダナ、久しブりに耳にしタヨ。俺ノ義体ヲ作ッタ奴等ノ事ダロウ?」
「そうだ……直接作った訳では無いが……申し訳無いと思っている。」
 ヴィルヘルムはそっと帽子を胸元に当てると深く頭を下げた。
 皇州人の中でも土壱人は謝らない事で有名である。
「いヤいいサ、済んダ事ダ。アンタ方ダッてソンナツモりで造ッタ訳ジャアルマいし、戦闘用義体に敢行スルノヲ許可スルッて書類に署名しタノモ、過ちヲ犯しタノモ俺……ダしナ。」
 ヴォルフは縛られ、一つとなった義手を軽く振りながら、そう応えた。その表情には達観した様子が伺える。
 ヴィルヘルムはその義手を見た。あの雨の日に付けていたものとは違って、戦闘用では無く通常用のものだ。これならば然程出力は出ないと思えるが、だからと言って当局はその戒めを取るつもり等皆目無いらしい。
「今は落ち着いている様だが……やはり変えても駄目か?」
「……駄目ダナ。外しテモ……違ウ痛みガスル。今ハトりアえズ大丈夫ダガね。」
 そう頭を振ると、ヴォルフはじっと自らの手足を見つめながら応えた。
 彼が先の事件を起こしたのは、無い筈の部位に激痛を感じる後遺症を緩和させる為である。無論の事その方法は暗黒中世のオカルト的な行為であり効果等皆無、裁判においては言語道断と切り捨てられたのだったが。
「全ク……馬鹿げタ事ヲしタモノダ。」
 溜息交じりにヴォルフはそう告げる。そこにヴィルヘルムが言った。
「それなんだ。」
「……?……何ガ、ダ。」
「君の行った行為だ。何故ドロテーア・ヴィルトと、その両親を襲ったんだ。」
「……モウ知ッていルダロウ?」
 疲れた様な口調で応えるヴォルフに、ヴィルヘルムは首を横に振るう。
 そして、彼は口を開いた。
「私が聞きたいのは、何故その様な行為に走ったのか?と言う理由だ。思い付きで閃く様な事じゃない。医学、それもかなり偏った知識が必要な筈だ。失礼だが君の経歴を見た事がある。写真と一緒にな。その書類を見た限りでは、君がそんな怪しげなものに傾倒していたとは思えない。それに義体だ。君の義体は、明らかに最近になってから手を加えられている。整備等と言うレベルでは無く、改良と言える程に。そして……これから言う事が私が一番聞きたい事だ。外装の裏に書かれていた『JG』の文字、あれは誰が書いたんだ?君はその誰かに逢ったのか?」
 ヴィルヘルムは唇と舌を忙しなく動かし、言葉の弾丸を吐き出した。言う度にその語気は強く激しくなり、後から後から言葉が紡ぎ出されて行く。表情も剣呑になって行き、喋り終えた時には額に汗が滲み出ていた。
「……せッカちダナ、アンタハ。マルで、機関銃だ。」
 その乱射っぷりに圧倒されたヴォルフは頬をくっと釣り上げ、綺麗とは言い難い歯を見せた。
 苦笑のつもりらしい。
 はっと我に返ったヴィルヘルムは小声で謝罪を述べると、懐から取り出したハンカチで汗を拭き取った。
 だが熱くもなろうと言うものだ。
 何故ならば、彼がここに来た一番の理由がこの事を聞く為なのだから。
 ヴォルフは彼が汗を拭き終えるまで待つと、慎重に言葉を選びながら仰々しい口を開いた。
「……ソウダ……アンタノ考えル通りダ。俺に学ハ無いカラナ。痛みヲ和ラげル為ノ方法ハ、アル人ガ教えてクれタ。ソれカラ、義体ヲ直してクれタノモ、同じ人ダヨ。」
「それは……一体誰だ。」
 落ち着いたのも束の間、ヴィルヘルムは声を荒げて言う。それにヴォルフは首を横に振って返した。
「サァ……名前ハ知ラナい。教えてクれナカッタ。タダ、」
 ヴォルフはつぅっと瞳を上に向け、何事かを思い出そうとする様に続ける。
「ドウ言ウ風に出逢ッタカ、ナラ教えラれル、ナ。少シ長クナルガ?」
「構わない。聞かせてもらえるなら。」
 問い掛けに対する返答は実に素早かった。
 ヴォルフは喉から掠れた声を上げる。
 それがここにヴィルヘルムがやってきて始めて聞いた彼の笑い声だった。
「……アンタヤッパりせッカちダナ。最後マで我慢しテ”講義”ヲ聞けルカナ?ヴぃルへルム先生。」
 この年不相応に見える青年は写真で感じた様に、、元々冗談が好きな明るい人間であるらしい。
 苦手だ、と思いながらヴィルヘルムは厳かに頷いた。
 ヴォルフもそれを見て笑い声を止めると、自分も頷き返した。
「でハ……アノ夜ノ日ノ事ヲ話ソウカ。」
 それはおよそ三ヶ月前、まだ肌寒い三月の中頃まで遡る。
「俺ハ鐘琳ノ市中ヲ彷徨ッテいタ、何時モノ様に。」
 何処をどう歩いたかは覚えていない。激しい空腹と疲労で、頭の方に回す栄養等皆無だった。内臓部の義体を操作し活動を抑え、数日前に食べた古いパンのエネルギーをどうにかこうにか保って生きている状態にあった。
「マァ、モウズット前カラソンナ暮ラしダッタガね。」
 六年前は良かった。九死に一生を得て、義体遣いになった彼は戦後故郷に帰らず、半ば強制的に鐘琳にやって来た。まだ余り数が無かった戦闘用義体の実験被験者として、彼は当局から風土戦争時より続く義体研究所のある鐘琳に住む様に申し付けられたのである。勿論本人は快諾した。片田舎のシュヴァルムシュタットより、帝国の首都の方が義体を生かした良い仕事を得られると思ったのだ。
 この予想は当たった。通常のそれよりも高出力である戦闘用義体を用いた力仕事等、世界都市として今正に発展している鐘琳近辺には腐る程あったのだ。食い扶持には全く困らず、週に何度か研究所に赴き、検査と整備をするだけでも金が貰えた。故郷への送金も欠かさなかった。
「ダガソれモ最初ノ内ダッタ。」
 戦う為に造られた義体は見る者の心理も配慮され、異形の姿とされた。少なくとも、お世辞に美しいとは言えない造詣である。当然共に仕事する者達や、近隣の住人達からは奇異の眼で見られた。会話もぎこちなくなり、露骨に避ける者、陰口を叩く者も出て来る。精神的な疲労が募った。
 その頃から彼の身に後遺症が現れ始める。義体特有のそれは、医学的には無い筈の部位がある様に感じられる『幻肢』の一種とされるが、似た様な症例である『幻肢痛』と違うのは義体装着後は全く発生しない場合がある事、逆に今まで何事も無かったのに突然発症する場合がある事と言う点だ。不幸にも後者がヴォルフに起こった。
「……痛カッタ、苦しカッタ。」
 例えるならば、赤い血肉露のままの傷口に焼き鏝を突き込んだ様な痛み。研究所の者達はそれを、極度に心的な理由、外部からのストレスによるものであり、実際の身体に異常は無いと言い放った。現に麻酔も薬も効かなかった。義体を取ると言う選択肢もあったにはあったが、それでは生活に支障を来たすし、内臓部の義体は容易に取り外す事等不可能であった。四肢のそれを通常用に代えても変わらない。我慢するより他無かった。
 だが例え実際の体は何とも無くとも、どうしようも無く痛みは感じるのである。そんな状態でまともに仕事をする事等出来よう筈も無く、彼は下宿先のベッドで悶え続ける毎日を過ごした。
 唯一の救いだったのは研究所がくれる援助金であり、この苦痛を治すところか和らげる事も出来ない研究者達に苛立ちを感じながらもヴォルフは感謝していた。だがそれも長くは続かなかった。不慮の火災により、研究の中心人物が行方不明となり、研究棟も焼失。そしてこれを機に研究機関は閉鎖されてしまったのである。
 収入源を失い、貯蓄していた金を使い切った彼は下宿先を追い出され、ルンペンとして生きる事となる。
「正しク”ボロ切れ”ノ様ナ生活ダッタサ。」
 ここでヴォルフは自虐的に掠れた笑い声を上げた。
 ヴィルヘルムは何も言わず何も問わず、神妙な面持ちで話を聞いている。ただ義体職人としての責任からか、義体研究所乃至は研究者、その中心人物と不慮の火事の件になると、右目が僅かにキリキリと細まった位だ。
「ソンナ暮ラしヲ五年以上ヤッてれバ嫌でモ慣れて来ル。アノ日モ大丈夫ダト思ッタノサ。」
 だがそうでは無かった。極限状態を超えるか超えないかの瀬戸際を歩み続けてきた彼の心と体は、その日遂に超えてはならない河を越えてしまったのである。ヴォルフは意識を失った。霧立ち込める街路の石畳が眼前に近付き、拡がって行ったのが彼が最後に見た光景だった。
「コれで終ワりカト思ッタ。ソれでモ良いカト思ッタね。ダガ終ワりじャ無カッタンダ。」
 次に彼が気付くと、見慣れぬ天井が広がっていた。木製の、清潔そうな天井だ。吊り下げられた照明が妙に眩しい。どうやらベッドで寝ている様だが、体の感覚がおかしかった。首を傾けて見れば成る程、腕と脚の義体が取り外されていた。更に周りを見れば、何かの実験に使う様な道具が並び、また染み一つ無い壁が自らに近い事が解る。余り広い部屋では無く、恐らくは実験室或いは手術室の類と見て間違いあるまい。
 扉が見えないのは自分の脚の方にあるからかと思い、何とかそちらへ首を向けようとした時、足元の方で扉を開ける音がした。更に待っていると、扉を閉める音と共に足音が続き、そして眼前に何者かが顔を出した。
「顔ハ余り良ク見エナカッタヨ。明ルスぎてね。ダガ、」
 だが光を受けて輝く流れる様に美しい銀髪と左右で微妙に違う色をした青眼、左側につけた黒縁の片眼鏡は見て取れた。浮かび上がった輪郭から男である事も解った。それもまだ年若い、二十代も後半になった位の、だ。
 彼はヴォルフをじぃっと見下ろしていると、突然白い歯を三日月状に並べて、
”やぁお早う。君の名前はヴォルフ・ティークだね?写真だけど、顔を見た事があるよ。噂も色々とね。”
 そう透き通った美しい声に、久しぶりに出会った友達の様な気軽さで語り掛けて来た。
「俺ハ言ッタヨ、アンタハ?トナ。」
 その質問に彼はくすりと笑いながら応える。
”そんな事はどうでもいいじゃない、馬鹿だなぁ。重要なのはね、僕が君を助けたと言う事だよ。”
 どうやらそれは事実であるらしい。ヴォルフは今まで感じていた疲労も空腹も薄れている事に気が付いた。
「ダカラ俺ハコウ言ッタノサ、助けてクれてアりガトウ。ダガ、何ノ為に、ト。」
 その言葉に青年はくすくすと声を上げて笑った。
”放っておけなかったからさ。そら君はアレだ、義体の後遺症で苦しんでるんだろ?僕はそれを治せるんだよ。”
「俺ハ驚いタね、本当カ、ッて。」
”あぁ勿論。ただ治すと言っても完璧じゃ無い、和ませると言う所かな。それでもよければ方法を教えるけど?”
 その言葉に、ヴォルフは四肢の無い体で飛び上がらんばかりに喰らい付いたと言う。
「ダガソノ”方法”ヲ聞いタ時ハ、流石に躊躇シタヨ。」
 青年が言った治療方法。
 それは、
”傷む部分と同じ部分を食べるんだよ。腕だったら腕、脚だったら脚、内臓だったら内臓、とね。”
 だった。
 ヴォルフは驚き慌て、それはまさか人間の事ではあるまいな、と返した。青年はそ知らぬ顔で、他の動物でも似てるなら植物でもいいだろうけど、多分人間が一番だろうね何せ同じ者だから、と告げた。
「躊躇して、ソして拒ンダサ。ソンナ事ハ出来ナいッてナ。」
 それを聞くと、青年はとうとう堪えきれぬとばかりに高笑いを発した。甲高い叫びが周囲に木霊する。
 そしてこう告げた。
”君は本当に馬鹿だな。ヴォルフ、君は自分が感じている苦痛がどれ程のものか、自分で解ってないんだよ。”
 その声は実に妖しげな魅力を孕んだものであり、
”君の受けた痛みは社会(せかい)が理不尽に与えたものだよ。寄って集って君を侮辱したその結果がこれさ。”
 脳髄に直接語りかけてくる様な響きを伴う、
”不公平だろ?君ばかり。だったらそんな社会を象る人間一人や二人どうしようったって構わないじゃないか。”
 抗い難いハーメルンが笛吹き男の笛、或いは少年の魔法の角笛の音色の様な声であった。
 更に彼は何故この方法を取るのかとその由来を語っていたが、ヴォルフには最早どうでも良かった。
 応えは既に決まっていたのだから。
 傷付き、倒れた狼は、青年の言葉を受け入れたのだ。
「何故受け入れタノカ……今でモ説明ハ出来ナいガね。アノ時ノ彼ノ声ヲ拒ム事等出来ナカッタヨ。」
 その後、青年の手によって改修された義体を身に着けたヴォルフは、鐘琳から故郷シュヴァルムシュタットがある地方へと戻って行った。鐘琳近辺では人目に付く、と言うのがその理由だった。彼は戻る道中の牧場や奥深い森の中で、豚や鶏、兎に鹿等を襲い、その脚を、腸を恐る恐る食して見た。
「驚いタね。本当に痛みが和ラいダノダカラ。」
 だが、緩和されても直ぐにその痛みはぶり返した。
 人間が一番、と青年は言ったのを思い出す。鳥獣では効果が薄いのだ。ただし恐らくはそう思っているから、だろう。元々がオカルト的発想なのだ、その効果は心的理由、つまり思い込みによるものと言わざる得まい。
 だが一度刻まれた思想を容易に跳ね返す事は困難で、尚且つ人間を食す等もっと難しい。
 彼は引いては返す痛みの波に苦しみながら、野生の獣や家畜を襲っては貪り食った。
 それも徐々に心が慣れて来たのか、時が経つに釣れて効果が薄れてきた。
 とうとう彼は墓を漁り、人間の死体に手を出した。腐った肉は強烈な臭いと気味の悪い感触がして吐き気を催す。それでも必死に食べた割に効果は低かった。死んでいては同じ者と思えなかったのだろう。
 かくして一ヶ月の時が経ち、最早代用品では効き目が皆目無くなって来た。
 耐え切れぬ痛みに理性は掻き消え、本能によってその身を支配された彼は、とうとう五月のあの日に――
「――ソして今に至ルト言ウ訳ダガ……コンナ話で何カ参考にナッタノカ?」
「……ああ、充分だ。」
 溜息交じりのヴォルフの話を聞き終えると、今までしていたヴィルヘルムは厳かに頷いて見せた。
 そして彼は手に取った帽子を頭に被せ、軽く身なりを整える。
 もうこれで目的は達した。これ以上聞ける事も無いだろう。ならば長いは無用である。
「それでは私は行こう。今日は本当に助かった。感謝、するよ。」
「ソれハ良カッタ。」
 ヴィルヘルムの言葉に、ヴォルフは文字通り苦しげな笑みを浮かべて見せた。
 その前で鍵の外れる音がして、鉄の扉が左右に開いて行く。外で聞いていた看守が頃合と見たのだろう。
「もういいだろ?先生。そろそろ時間だぜ。」
「ああ、ありがとう。もう行くよ。」
 現れた看守に頷くと、ヴィルヘルムは扉の外に出ようとする。
「ソウソウ、忘れてイタ。ヴぃルヘルム、アンタに言いタい事ガアッタンダ。」
 その背中に向けてヴォルフが声を掛けた。
「何だ?」
 首だけを振り向かせて、ヴィルヘルムが返す。
 ヴォルフは頬の歪みを戻し、至極真面目な顔を浮かべながら、こう告げた。
「アノ少女に逢ッタラ、悪カッタ死ンで謝ルト告げてクれ。」
「……解った。」
 ヴィルヘルムは首を縦に振った。
 正直な所、その言葉をドルトヒェンに告げて良いものはどうか、解らなかった。
 また、こんな時にも冗談を混ぜる彼に辟易もした。しかし同時に哀しくもなった。彼の生来の性格が垣間見えたから。もし後遺症が無ければ、義体にならなければ、好青年として幸せに暮らしたのではなかろうか。
 だからこそ彼は受け入れた。無論、彼の思った事等ただの自己満足であり、既に遅い事は解っていたが。
 外に出たヴィルヘルムの背後で、鉄扉が閉められて行く。
 振り向いた彼の眼には、若干生気を取り戻しつつもやはり何処か虚ろなヴォルフの顔が見えた。
 それも僅かな間で、直ぐに鉄の厚い扉が、ぴっちりと閉められた。分厚い南蛮錠がしっかりと掛けられる。
 ヴィルヘルムは扉から、元来た廊下を見、歩き出した。
 早くこの墓所から抜け出したい、太陽の光を見たいと言う衝動に駆られて。

 ヴォルフ・ティークの死刑が執行されるのはこの日から一週間後の事であった。

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