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2007.08.08 省略 Omission
 醒歴1889年 九月 詠霧趣(イギリス) 論曇(ロンドン) 某貧民街(スラム)
 その場所についての描写を筆者はあえて長々とは記さない。
 勿論何時もの様に綿密且つ念入りに、賢明なる読者諸君にかの風蘭守(フランス)の作家ジュール・ルナールの作品『博物誌』にある『蛇』を想起させる様な、”くどすぎる”と言う手痛い言葉を吐かせる程詳しく書く事も出来る。だが書かないのだ。何故ならば、その場所は余りにも汚らしく、詳細に書けば読者諸君の精神衛生上良く無いからである。またくどくど書いても物語においては然して意味も無いからだ。
 かく書いている間に十二分に長くなってしまうのだが。
 それを棚上げした上で一文に要約するならば、その場所は魔女の厨である。
 そしてそこには今、二人の人間が居た。
 一人は見目麗しき若い女性である。羊毛の如く背中に垂れる金髪が美しい。だがその瞳は妙に険しかった。着ている服装が矢鱈豪華であり、専門の仕立屋に相当な額を支払って作らせたのだと推測出来た。
 もう一人は百歳を超えるのでは無いかと言う老婆である。実にこの場所に相応しい様相をしていた。
 二人は面と向かい合って座っている。
 入口側に女性、奥に老婆だ。見た目通りに、ここの主は老婆らしい。
「頼みがあるわ。」
 その時、女性が言った。綺麗だが、つんと棘のある声色だ。
「何なりと。お金さえ払っていただければね。」
 老婆が喉からしゃがれ声を振り絞る。実に耳障りで、聞く者を不快にさせる声だ。
「解っているわ。貴方は強欲な魔女ですものね……だから期待しているんだけど、」
 やはり女性もそう思っているのだろう、目をきゅっと細め、厭らしそうにこう続ける。
「殺したい奴がいるの。それも早急に、絶対に私がやったってばれない方法で。」
 女性はヴィヴィアンと名乗り、自分が今いる状況を話し始めた。
 ヴィヴィアンは…その名前を決して明かしはしなかったが…さる著名な資産家の令嬢であると言う。それ故に富の面において何不自由した事の無い彼女だったが、それはまた人間関係においても同様で、幾多の友人知人と共にハンサムで同じさる資産家の子息である好青年ジュリアンと言う婚約者まで居た。
 その関係が果たして彼女の人間的魅力からか、それとも別のものであるかは置いておくとして、ヴィヴィアンとジュリアンの仲は良好だった。少なくともそう彼女は言っている。何事にも公正であるが故に優柔不断で、物事を決めかねる彼を、自分が良く引っ張って行く事でバランスを取っていた、とそう語った。
 だが何時の頃からか、ジュリアンに一人の女友達が出来た。何処で知り合ったのだろう、彼女の名前はエミリーと言う。隠す程のものでも無い中産階級育ちの彼女は、その生まれ通りに見た目も平凡で、引っ込み思案な性格をしていた。既に両親は他界しており(それも片親は狂死したと言うのだから結構な話だ)残っている資産もろくに無い。陰気な貧乏女、とヴィヴィアンは彼女に好意的感情を抱けなかったと言う。
 しかし気付けば、ジュリアンとエミリーが一緒に居る時間は、ジュリアンとヴィヴィアンが一緒に居る時間よりも長いものとなった。最初は何一つ自分に勝てない哀れな庶民に同情しているのだろうと思い、どうせ直ぐに飽きるだろうと考えていたヴィヴィアンだったが、その想いとは裏腹に二人の関係はどんどん親密なものとなっていた。そして今では、明らかにジュリアンの心はエミリーに向けられていた。彼としては隠しているつもりだったのかもしれないが、傍目からは一目瞭然である。
 ヴィヴィアンは別に伴侶が浮気しようがしまいが、どうでも良かった。自分も似たり寄ったりな事をしていたからだ。婚約までしたと言うのに心変わりされたと言うのも、譲歩出来ない事も無い。
 彼女が許せなかったのは、その心変わりの相手がよりにもよってあのエミリーであると言う事だった。
 あの女の一体何が良いのか、ヴィヴィアンにはさっぱり理解出来なかった。筆者としては理解出来ないが故に、ジュリアンの心はエミリーに移って行った…彼の名の意味も知っていると、この結果は実に面白い…と思うのだが、当の本人がやはりそれを理解出来ないのだから、悪意が燃え上がるのも仕方が無い。
 かくしてヴィヴィアンのエミリーに対する悪意は時と共に昇華され、やがて殺意へと変わった。
 だが彼女は仮にも資産家の令嬢、滅多な事は出来ない。秘密裏に殺し屋を雇おうとも考えた。新大陸と旧大陸がクリストファー・コロンブスによって結ばれ、更に彼が生きた所謂大航海時代から暗黒大陸に光が指し始めた頃から、皇路覇(ヨーロッパ)に憤然と現れた人外の存在、『保因者』(キャリアー)によって栄えある大詠帝国、特に論曇の治安は悪化し、貧民層は行政の手が及ばぬ状況となっていた。金に糸目を付けねば、透明人間グリフィン…初代は既に死んでいるが最近あの薬の製造法を盗んで摂取した二代目が『犯罪界のナポレオン』の元に就いたと専らの噂だ…の如き恐るべき者を雇う事が出来よう。何なら今論曇を恐怖の渦に巻き込んでいるあの切り裂きジャックの犯行に見せたっていい。世界最高の私立探偵とて彼を捕まえられてはいないのだから。
 だが、金に困りはしないと言っても、それは自分のものでは無い。あくまで親のものだ。自分が工面出来るものには限界がある。それよりも卑しき化物達の手を借りる気にならなかったのだ。また、彼等とあの『教授』は裏で蜘蛛の巣の様に複雑且つ密接に結ばれている。『教授』に間接的にでも関わる事がどう言う事なのか、無知なヴィヴィアンでも聞いた事が無い筈が無かった。
 そこでヴィヴィアンは一計を案じた。彼女は科学技術が異常な発展と進歩を見せるこの近代において尚はっきりと解明されぬ所か皮肉にも時代によって肯定されつつある超常現象、魔術呪術に問題解決を求めたのである。
 ある意味では乙女らしく、また子供らしい発想である。しかしこの醒紀末の、大詠帝国において必ずしもそれは馬鹿にならぬ考えだった。事実、植民地である寅怒(インド)や南阿附利架(アフリカ)辺りでは刺殺より撲殺より銃殺より、呪殺の方がメジャーであるのだ。勿論その半数は出鱈目、検証不足と恣意的なデマである事が解っていたが、残りの半数はどう考えても常人が成せる業では在り得なかった。
 だから彼女が今目の前に居る魔女の老婆…こっそりと父の秘書を使い、散々苦労した挙句見つけ出した…に、人を呪い殺す方法を教授しに来る事は、道徳的善悪を語らなければ決して間違いでは無かったのである。
「さてそれじゃ魔女さん。お聞かせ願えるかしら、あの方法を。」
 一通り近況を語り終えたヴィヴィアンは、ふんと鼻息を鳴らしながら腕を組んで老婆に向き直った。
 全く持って人に教えを乞う態度では無かったが、老婆は特に気にしている様では無い。
「そうでございますねぇ。」
 歯の殆どが抜けた口をもごもごと動かしながら、自分の魔術の知識を検索している。
「さっきも言ったけど、早急に、ね。効果が出るのもだけど、実行するのも早い方が良いわ。それから出来るだけ簡単で、実現可能なもので頼むわよ。ドラゴンの爪を煎じて飲めとか言われたって困るんだから。」
 実に注文の多い事である。が、やはり老婆は気にも留めていない様だった。
 因みにドラゴンの爪云々と言うのは実現不可能な事では無い。幻想の生物と言われてきたドラゴンの存在は、他の伝説上の動物の様にリチャード・オーエン及びチャレンジャー教授等の手によって近年実証されたのだ。一説によると、これらもまた皇路覇の外から運ばれてきたある種の因子の影響であり、彼等もまた保因者の一種であると言う。とは言え、その存在が大変希少である事に変わりは無く、ドラゴンの爪が入手困難であるのは確かだが。
「それでは、ラプローの呪いはどうでしょう。恋人の心を貴方様の元へ戻すもので、」
 暫く思案してからそう言った老婆に、ヴィヴィアンは鋭く首を横に振った。
「話を聞く耳が無いのか、頭が無いのか、どちらなのかしら。私はエミリーを殺したいの。ジュリアンなんて、私の魅力で簡単に引き戻せるんだから。それよりも、エミリーをどうにか出来る奴を教えて頂戴よ。」
 その魅力があれば呪術に頼る必要なんて何も無い。老婆がひひっと引き攣る様に笑って、
「えぇえぇ、お金さえ頂けるならね、何でも伝授すると申し上げましたよ。ですがね、人を呪い殺すなんてのは、なかなかどうして危ないものなのですよ。呪いが逆流して自分に返って来る事もありますから。」
 その覚悟がおありですか、と聞くと彼女は今度、勢い良く首を縦に振った。
「構わないわ。そんな事に怖がってられないんだからっ。」
 しかし所詮彼女は金持ちのお嬢様に過ぎない。その覚悟とやらも、本人の気概はどうあれ、そんな程度のものに過ぎなかった。ヴィヴィアンは、老婆が挙げる呪術の悉くを拒否した。例えばこの様な感じで。
「では路磨(ローマ)にて禁止されていた由緒正しき邪眼の呪いをお教えしましょう。難いお相手を睨みながら、呪いの言葉を心の内で吐くのです。そうすればお相手は徐々に心と体を弱らせ、やがて死に至るでしょう。」
「徐々にでは困るのよ、徐々にでは。私は早急にどうにかしたいのよ。」
「ならば臓針の呪いは如何でしょう。これはお相手と等身大の紙人形を夜中に作りまして、同じく夜中に朱か、己の血を持って心臓の辺りに×の字を描き、そこを針で刺しながら、呪いの言葉を吐くものでございますが。」
「夜中に、と言うのが気に入らないわ。昼間じゃ駄目なの?」
「でしたら、この白蝋の呪いでしょう。まずは白蝋にて人形を作り、その中にお相手の髪の毛を三本入れます。そしてこの人形に向かって憎しみの言葉を三回唱えながら河に投げ捨てるのです。」
「蝋人形の作り方なんて解らないわ。代わりに執事に作らせようかしら。」
 万事この様な遣り取りである。
「お嬢様。」
 流石の老婆もこれには参った様で、すりすりと揉み手をしながらヴィヴィアンを仰いだ。
「呪いと言うのはそれ程容易いものではありません。覚悟だけで無く、道具の準備や少々の技術も必要でございます。これらを怠る事は出来かねまして、もし怠れば呪術は成功しかねるのでございますよ。」
 そんな老婆のささやかな抗議に、ヴィヴィアンは事も無げに言った。
「でも、貴方は本物の魔女なのでしょう?だったら私が言った様な方法も知っている筈だわ、それを教えなさいな。それに、私は顧客で貴方は労働者よ。ならお金を払う私の依頼に相応の態度で応えるべきよ。違うかしら?」
 彼女は言い終えると、さも当然の様に腕を組んで胸をそらした。このお嬢様は太古より脈々と伝わる魔術の継承者に向かって、近代社会が生み出した資本主義の触りを説く事の陳腐さに気付いていないのだ。
「そうですなぁ……。」
 それでも老婆は頷くと、暫く黙り込み、何か無いかと思案し始めた。この間会話は途切れ、重苦しい沈黙が厨を支配する。そんな空気に、或いは時間に耐え切れぬヴィヴィアンが指で腕を、靴で床を叩く音のみが木霊する。
 少々時間が経った後、老婆はあの引き攣る様な笑いをすると、ごそごそと何かを探して来た。
 老婆が持って来たのは、一本のナイフだった。黒い柄を持ち、鍔と鞘に赤く奇怪な紋様の装飾が成されている。恐らく知識のある者が見ればその紋様が如何なる宗教圏、魔術圏に属しているか解った事だろうが、生憎著者はその分野に疎い。そしてしゅらりと音を立てて抜いて見れば、良く磨き上げられた銀の刃が露となった。
 その刃に鏡の如く映った自分の顔に、ヴィヴィアンは思わず息を飲みながら見入る。光の反射には見えなかった。鏡面、つまりは境面を通して向こうの自分がこちらを見ている錯覚に囚われる。
「このナイフは――「気に入ったわっ!!!!」
 そして老婆が説明に取り掛かろうとした時、彼女は蜘蛛の如き骨と皮だけの指からそれを捥ぎ取った。
「……お気に入られましたか。」「えぇとってもっ。これを使えばいいのねっ!!!!」
 すりすりと指を撫でながら問う老婆に、ヴィヴィアンはうっそりとナイフを掲げながら叫んだ。
「えぇえぇ、そうでございますよ。因みにそのナイフは、」
「嗚呼もういいわ。貴方も、貴方の話にももううんざり。要するにこれで刺せばいい訳よね。」
 余程気に入ったのだろう、更に老婆が何事か説明しようとしたが、彼女は手でそれを制した。
 ヴィヴィアンの言葉に老婆はにたりと数少ない歯を見せる様に笑いながら言った。
「そうでございますよ。それで刺せば全て片が付きます。」
「でしょうね。全く、こんな良い物があるんだったら最初からお出しなさいよ。」
 その間も彼女の視線が老婆に向けられる事は無く、終始そのナイフの刃に注がれた。魔女が持ち出してきた呪術道具、その魔力に魅入られてしまったかの様に一度も逸らす事無く、である。
 暫くの間、様々なナイフからずっと見ていたヴィヴィアンは突然老婆に向き直ると、懐から皮袋を取り出した。すっと老婆が傅き、掌を上に向けると、彼女はそこに皮袋を落とした。ぢゃりんと言う硬質な音が響く。
「それじゃこれを貰って行くわね。お金はそれで足りるでしょ?」
 ヴィヴィアンはナイフを鞘に収めながらそう言った。足りなくとも、有無を言わせぬ物言いである。
 老婆は畏まり、皮袋にほお擦りをして見せると、例の笑みを浮かべて応えた。
「勿論勿論。これだけ貰えれば充分でございますよ。」
「そう。それじゃ私は行くわ……後ここ少しは掃除するべきね。臭くて鼻がもげてしまいそうだわ。」
 鞘に収めたナイフを懐に仕舞うと、ヴィヴィアンはそんな捨て台詞を残して出口へと向かう。
「ひひ、暇が出来たら。それでは、是非そのナイフをご活用してくださいませ。」
 そんな彼女の背後に向けて、老婆は頭を垂れて見送った。そして、その姿が見えなくなろうとする時、
「……まぁ、唯のナイフなんだけどね、それ。」
 妖艶にして妙齢な貴婦人の声色でそう呟いたのだった。



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