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3.
 一体どれ程の時が経ってか、ジョージ・サリンジャーは眼を覚ました。
「……おい起きたぞっ。」
「大丈夫か?酷い面だぞ、兄ちゃん。」
 まだ半分寝ている脳を起こすべく、金の巻き毛越しに頭を振れば、自分が今見知らぬ家のベッドに寝ている事が解った。周囲には人だかりが出来ていて、先程からずっと自分を眺めていた様だ。その中には見た覚えのある顔がある。確かあれは隣村の人間だった筈だ。
「ここ、は……ぅっ。」
 ジョージは上半身を起こそうとした。だが直ぐに鋭い痛みが全身を駆け巡り、半ばにも行く事無く再びベッドに戻ってしまった。苦痛だけで無く疲労感もある。丸一日農作業に励んだ後よりも酷かった。
「あぁあぁ、無理するんじゃないよ。」
 中年の女性が心配そうに彼を支える。他の者達も皆同様の表情を浮かべて彼を伺っている。
「だがその程度で済んで良かったな。何せ隣村は、」
「!!!!」
 彼等の一人が言った言葉を耳に受け、ジョージの眼に焼き付いた光景が再び燃え上がった。
 爆ぜる森。隠される太陽。一匹の紅い竜。背中への衝撃。そして竜が飛び去って行ったのは――
「っ、おいっ……私、の……村はどうなったっ……何があったっ!!??」
 呼吸するだけでも汗が零れる中、必死に胸を押さえながら彼はそう叫んだ。
 じっとジョージを見ていた皆は一様に視線を逸らし、何とも言い難そうに小声で相談を始める。
 その様子に、彼の中で漠然とした不安が芽吹いた。やがてそれは、一向に終わらぬ密談と共に徐々に大きく茂り、奇妙な確信となって彼の心臓に纏わり付く茨を成して行く。堪り兼ねてジョージは言った。
「誰か……誰でも、いいっ……教えて、くれ……村は、どうなったっ!!!!」
 彼の余りの剣幕に、皆の声が一斉に止まった。
 先程よりも強い不安を醸し出す重苦しい沈黙が辺りに漂う中、先程の女性が唇を開いた。
「……あんたん所の村が燃えてるのが遠くからでも良く見えたよ。見た事も無い化物が飛んでるのと一緒にね。それから酷い雄叫び……あれはこの世のものじゃない、悪魔の叫びさ。あたしたちは怖くって怖くってさ……家に閉じ篭ってがたがた震えてたんだよ。で……叫びが止んで、外に出た。誰か隣村を見て来い、って……若い衆が向かった。その途中であんたが畑に倒れてるのを見つけてね、ここまで運んで来たのさ。」
 女性の言葉を聞いている間に、ジョージの表情はどんどん薄れて行く。最後には一切の感情を見出せない、完全なる無表情となった。それは正しく絶望の表情だった。余りの痛々しさに、誰も直視する事が出来ない。
「……そんな馬鹿な……。」
 暫くして、ジョージはそうぽつりと呟いた。と、同時にがばりとベッドから起き上がり、外へと歩いて行く。皆は止めようとしたが、出来なかった。どうやって止めるべきか、いやどうやったら止まるか解らなかったのだ。
 石組みの家を出た途端に、ジョージはがくりとつんのめる。歩く事もままならないのだ。だが、立ち止まろうとはしない。道端で拾った木の棒を杖代わりに、外に出て来た皆の視線を背に受けながら一歩一歩歩いて行く。
 行かなくては。
 動ける様な体ではない。だがその一念が彼を動かしているのだ。
 ジョージは照り付ける午後の日を受けながら、畦道を、平原を進んで行く。変わり映えのない平坦な野原に、似た様な形になって流れ行く雲は時間の感覚を狂わせる。一生辿り付けないのではと言う焦りが彼を取り囲んだ。
 だが進む以上は何時か辿り付くものだ。たとえ辿り付いた先が望まぬ現実であれ、何であれ。
 小高い、と言っても実際は大した事も無い、丘を越え、彼はようやく自分の村へとやって来た。
 正確には、自分の村であった所に。
 その場所には、かつてジョージがそこで暮らしていたと言う記憶を思い起こさせるものは殆ど残っていなかった。辛うじて半ば炭と化して倒れている木の柱や焼け焦げた石の山が、前は家であったと思わせる。その程度であった。後は全て煤と灰の山へと変わり果てている。
 無論、生きている者は誰も居なかった。動いているものすら皆無である。
 呆然と立ち尽くして、辺りを眺めていたジョージはよたよたと歩き始めた。
 あの場所へ、己の記憶が正しければ我が家があった場所へ行く為に。
 もしかしたら、と言う期待があった。自分が無事だったのだから、と言う希望があった。
 それが全て儚い幻想だと解るのに、然して時間は掛からなかった。
 ジョージは何も遮る事無く、彼方まで見渡す事が出来る平原の前で、どさりとその膝を付けた。
 彼が倒れ込んだのはたった半日前に妻子に別れを告げた、扉であった所である。
 涙は出なかった。怒りも、悲しみも沸いて来ない。何も感じない。何も解らない。
 余りにも唐突で、不条理なこの事態に、彼の思考は凍り付いてしまったのだ。
 胸にぽっかり穴が開いて、そこから風が流れ込んで行く様に、ジョージの中にを虚無が流れて行く。
「サロメ……カラム……。」
 唯開いているだけ、と言う様子の唇から、今はもう居ない妻子の名が告げられる。それに応えるものはここには、いやこの地上の何処にも存在等していないにも関わらず、否、だからこそ彼は言わずにはいられなかったのだ。

 それからジョージは隣村で仮の暮らしを送る事となった。
 あの中年の女性が部屋を用意してくれた。他の者達も何かと彼の世話をしてくれる。
 だがジョージは抜け殻同然だった。何もする気が起きない。呼吸する事すら億劫で、だが死にたいかと言えば自殺する気すら起こらなかった。思考も散漫であり、一日何をしていたのかもおぼろげである。話しかけられてもろくに応えられず、応えるのにも数秒の時差が生じた。自分が今、果たして生きているのかどうかすらもあやふやだ。
 それでも周囲の村人達は渾身的にジョージに接した。彼があの村での唯一の生き残りであり、そしてその妻子を失った事を皆知っていたからだ。だが、それでも彼は良くなる所かますます虚無的な生活を送っていた。
 そんな彼が変わるのは、竜が舞い降り村が消滅してからおよそ一ヵ月後の事である。
 当初皆は詠国議会及ぶ詠国軍による竜討伐に期待していた。既に役人がこの地を訪れ、調書も取っている。何時自分達も襲われるか解らない状況だ。ジョージの事もあり、皆軍馬の嘶きが聞こえる時を待ち構えていた。
 だがその時は一週間、二週間、そして三週間経ってもまだ来なかった。
 痺れを切らした村人達は、再び訪れた役人に問い詰めた。一体論曇(ロンドン)では何をしているのかと。
 それに対して返って来た答えは、驚くべきものだった。
 議会は今、竜を退治するか、或いは捕獲するかで二分していると言う。確かに竜の実在は認知されているが、しかしその個体数は世界的に見ても限り無く少ない。目撃情報すら稀である。更に、詠国内での発見は今回が初だったのだ。故に何とかして生きた個体を捕獲するべきであると言う意見が持ち上がった。そしてそれに対する様に、いや四の五の言わず早急に退治するべきであると言う意見も上がって来る。
 この対立は自由・保守両党の内部でも起こり、現地の者達を無視して学者、軍人、記者、貴族、市民達をも巻き込んだ論争が繰り広げられていると言う。正に『会議は踊る、されど進まず』である。元々存在した都市圏と地方圏の違いに、一ヶ月前のあの日以来竜が姿を消してしまった事がそれに拍車を掛けた。
 農村の荒廃は火事が原因であり鳥か何かを竜と見間違えたのでは等と言う者までいると言う話に、村人達は憤慨した。しかし詠国は、議会制民主主義の時代である。話し合いが解決しない以上、どうしようも無かった。
 それでも納得が行かないと役人に食って掛かる村人達を尻目に、思案に耽る者がいた。
 ジョージ・サリンジャーである。
 図らずも村人達の熱狂的行動は、彼に冷静な思考能力を取り戻させていた。
 彼は考えた。国は何もしてくれない。例え村人達が何と言おうとそれは変わらない。
 ならばどうするか。動くのをただじっと待つのか。勇猛果敢な軍人達が栄誉を獲得しに来るのを?学者達がただただ己の為の生きたサンプルを欲するのを?記者達が自社の新聞の記事の為に躍起になり、市民達が酒の肴として、貴族達が話の種として面白半分に口にするのを?そんな事をしている間に、何時この村が竜に襲われるか解らないし、自分の妻子を奪った竜をそんな風に扱ってもらいたくは無かった。あれには相応しい最期がいるのだ。
 そして彼の思考は結論へと辿り付いた。
 他人に等任せてはいられない。奴はこの自分自身の手で倒さなければならないのだ。
 それは一個人の考えとしては馬鹿馬鹿しく、常軌を逸したものだっただろう。狂気と呼んでもいい。
 だがそれは、何もかもを失っていた彼を動かす動機としては充分過ぎるものだった。
 そうしてある日の夜、彼はこっそりと馬を借り受けると、北へと目指して村を出て行った。
 瞳の奥に、夜の闇よりも暗い情熱を秘めて。
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