fc2ブログ
10.
「これはまた派手にやったものね。とてもじゃないけど、人間業とは思えないわ。嗚呼、木瓜たわね私。片方は半分人間じゃなくて、もう片方はそもそも人間じゃなかったか……でもちょっとこれは呆れるわよ?」
 そう言って、魔女ルフィナ・モルグは辺りを見渡しながら肩を竦めた。
 今の彼女はルフィナの姿だ。淡い緑の縦巻きロールヘアと言う奇抜な髪形以外を抜かせば、絶世と言っても構わないだろう美女だ。その美しさは普段と……尤も、普段人前に出る時の姿は老婆モルグであるし、そもそも変身能力を持って二千年近い歳月を生きてきた魔性の女に『普段』等と言う言葉を形容するのは大変に滑稽であるのだが……変わらない。しかし、何時もこの美女の姿とセットで着ている髪と瞳と同じ色をしたドレスは、今日は鴉の羽飾りが付いた黒いドレスに成っていた。ベール付きの黒い帽子まで被ったその格好は、正に喪服である。
 そのルフィナが今居る場所は、つい先程まで戦争が行われていたかの様な有様の平原であった。至る所に焼け焦げた跡と共に巨大なクレーターが造られ、その周囲には降り積もった土砂と焼け焦げた草が円く山を成している。自然の中で何の制約も受けず伸びていた秋の草木は、象か或いはもっと巨大な生物によって無残に踏み荒らされている。何よりも酷いのは平原を二分するかの様に真っ直ぐ刻まれた跡であり、大地を抉り草花を散らして、長く伸びていた。平原にぽつんと佇む、木々の倒れた小さな森に向かって。
 ルフィナは森をじぃっと見つめてた。そして、何処からとも無くぱっと緑の日傘を取り出すと、優雅な歩みで巨人が鍬で耕した様な跡を辿り始めた。実に上機嫌な様子で、足取りも軽やかだ。黒いドレスが白いドレスであれば、何処ぞの風蘭守人画家が描いた貴婦人に見えた事だろう。
 そんな見目麗しき女性は、跡を頼りに森へと辿り付いた。そこは遠目で見るよりも酷い場所だった。強い衝撃を受け止め、木々と言う木々は倒れ、枝と言う枝は折れ、葉と言う葉は堕ちていた。その衝撃の主を埋める様に。
 それは一匹の竜である。より正確に言うならば、最後に『だった物』を付けよう。誰が見ようと、その竜は既に死んでいた。背中には錐で開けた様な円形の傷跡が痛々しく付けられ、かつてはその巨体を支えていただろう右翼はズタズタに引き千切られた傷の断面を覗かせている。高温で焼け爛れ、今だ煙が昇る口からは論曇(ロンドン)がテムズ川の汚泥の如き大量の血が流れたまま半ば固まっており、周囲の地面にはどす黒い池が出来ていた。
 その側にちょんとしゃがみ込むとルフィナは、人差し指で何も映さぬ水面を掬って見た。半固体化した液体が白い指にねっとりと絡み付く。ひくひくと鼻を近付け、匂いを嗅いで見た彼女は、徐にそれを口に咥えた。濃厚な血の味の後で、複雑怪奇な後味が舌に残り、彼女は思わず身震いした。その原因は味だけでは無かった様で、んっと声を上げながら、ルフィナはうっそりと竜の血溜りを見つめる。
「一体何年ぶりかしらね。百年?千年?多分もっとだわね。実に懐かしくて素晴らしいわ。ちょっと若過ぎるのが珠に傷だけど、今のままでも熟成させれば充分行けるわね。貴方の事は残念だけど、良い物を残してくれてありがとうね、ジョージ・サリンジャー?」
 火照る顔を手で抑えながら、彼女はそう言った。血溜りから視線を、竜の側で倒れている物に向けて。
 それはあのジョージだった。衣服は殆ど灰となり、溶けた金属が黒焦げた体にへばりつく様な状態だったが、ルフィナにはそれが数ヶ月の間だが共に居た男であるのが直ぐに解った。否、解っていた。ここに来た時から、ここに来る前から、彼が既に死んでいる事を彼女は解っていたのである。所謂蟲の知らせであり、一種の親子、血縁関係を結んだ保因者(キャリアー)同志に感じられるものだ。理由は定かでは無いが、片方に何かがあれば、もう片方は何と無くでもそれを知る事が出来るのである。ルフィナクラスの保因者であれば、確かな感覚として理解出来た。だからこそ、彼女は己の翼でここを訪れたのだ。
「この様子だと健闘した様ね。いえ、寧ろ押してたんでしょ。ふふ、今だから言うけど実は駄目なんじゃないかって思ってたのよね。私自身が相手したって絶対勝てない自信があるんだから。や、まぁ私はそもそも戦う気なんて無いんだけど。だと言うのにここまで戦い抜くんだから、本当に凄いわジョージ。死体すら残ってたんだから。生きてたら皆貴方を讃えた事でしょう。竜殺しの英雄・聖ゲオルギウスの再来、とね。」
 そう言いつつ、ルフィナは再び血溜りへと目を向けた。すっと手を降れば、先程まで存在すらしていなかった空き瓶がその指に握られている。もう片方の手にはスプーンが現れていた。それでこそぎ取る様に血を瓶に詰めながら、彼女は唇を振るわせる。既に物言う事の出来ぬジョージに向けて。彼の方に一瞥もくれずに。
「でも貴方は死んでしまったわ。哀しい事だけど、でも皆何時か死んじゃうものだからそれ自体は別にどうって事でも無いのよ、もう慣れたし。問題なのはね、何故貴方が死んだのかと言う事。こればっかりは、実際見てみないと解らないからね……ん、終わり、と。持ち帰れるのはこれ位ね、残念だけど。」
 ルフィナは喋りながら絶えず手を動かした。やがて空き瓶は竜の血で満たされた。そうして彼女はスプーンを瞬く間にコルクの蓋に変えると、瓶に押し込む。きっちり口に嵌めて密閉すると、彼女はその瓶を、襟から胸にひょいと入れた。何処に仕舞い込んだのか、服の上では最早瓶の形は確認出来ない。
「さて、それじゃ何が貴方を殺したのか、見させて頂くわね。」
 一連の作業を済ませ、ルフィナはジョージの側まで歩み寄った。その焼け焦げた顔をまじまじと覗き込む。
 そして、納得した様子で微笑を浮かべながら、こう言った。
「嗚呼……やっぱり貴方、呑まれちゃったのね。残念だわ、凄く残念。」
 ジョージは一切の衣服を纏わず、その体は真っ黒に焼け焦げていたのだがしかし、最期に浮かべていた表情は解った。笑い、である。それもただの笑いでは無い、盛大な高笑いだ。歯を剥き出し、舌を突き出し、顎を外れんばかりに広げながら笑っている。今にも暗い喉の奥から笑い声がしてきであった。
 その体は、仰向けの状態で、頭上に手を掲げながら仰け反ると言う奇妙且つ滑稽なポーズを取っている。直ぐ側に圧蒸式螺旋型機械槍ゲオルギウスが、まるで墓標の如く突き立っていた。
 しゃがみながら、半ば炭と化したその頬をルフィナは抱えた。間近まで顔を付けつつ微笑を湛える。
「随分凶悪な死に面じゃない。全く、どっちがどっちなんだか……。」
 と、その時竜の屍の影で、がさりと物音がした。どさっとジョージを離しつつ、彼女はそちらの方を見る。
 そこには、小さな竜の姿があった。恐らく親であろう、倒れている竜を丸々縮ませた様な真紅の鱗を持つ子竜は、前脚の付け根辺りに隠れてじっとルフィナを伺っている。見つめる大きな瞳には、ある感情が表れていた。それは人間のものに例えると恐れであり、悲しみであり、そして怒りであり、憎しみであった。
 ふっと微笑みつつルフィナが手を差し伸べると、二千年の歴史を感じ取ったのだろう子竜は、びくんと大きく震えて親の影に隠れる。そしてがさがさと草葉を揺らしながら、森の奥の方へと掛けて行く。暫くした後、ばさりと翼を羽ばたかせる音と共に、かすかに見える森の向こうの空へ、子竜が飛んで行くのが垣間見えた。
 フラレちゃったわね、と子供っぽく舌を出しながら言うと、彼女は再びジョージの方を向く。
「最初は兎も角、今回は一緒だったと言う訳ね。きっと貴方は、知らずに逝ったんでしょうけど。」
 そしてまた飛び行く子竜へと視線を移す。遥か彼方、迫り来る暗雲へと向かう彼は一度だけ吼えた。その声は甲高く、何処までも尾を引いて残り続け、やがて何の前触れも無く消えて行った。

 その後、近隣に住む人々が異変に気付き……異変が起こっている事に気が付いていた者も多数居たが、一体近付ける者が居たと言うのだろうか……森へとやって来ると、彼等はそこで正に神話からやって来た様な竜の屍と、怖気を感じさせる笑いを浮かべる男の焼死体を見つけて、仰天した。
 この事件はすぐさま論曇に伝わり、大いに議会と学会と新聞を賑やかした。半年程前に竜が襲ったと言う村があるサマセット地方で発見された為に再び竜論争が燃え盛る中、市民の関心は竜と共に居た男に向けられる。
 凄惨たる状態で竜は死んでいた事と周囲の荒廃した様相から、人々はこの男が竜を倒したのでは無いかと考えた。しかし、仮に保因者であってもこの様な化物を倒せるとは、保因者達自身でも思えなかった。しかもその男は完全に生身であり、武器らしきものは一切持っていなかったのである。
 結局世間は、この男が何者で何故そこに居たのかついに解らず、謎の焼死体は時の塵の中に埋もれて行く事になる。ただ最初に発見した者達だけは、その余りの死に顔に恐怖し、悪魔に魂を売ったのか或いは悪魔そのものに違いない、と村の酒場で震えながら囁き合ったのであった。
スポンサーサイト



Secret

TrackBackURL
→http://tasogaremignon.blog79.fc2.com/tb.php/483-4e3c82ac