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 第六章第七章 駆使される灰色の脳内歯車
「……。」
「……。」
 気まずい沈黙。
 それを破る為に言葉が紡がれる。
「……そういえば君のノイラと言う名前は、何処から付けられたんだ?」
「父は、ピグマリオンを逆から呼んだもの、と言っていました。
 途切れているのは名前的に変なのと女の子らしく無いからだ、と。」
「嗚呼、ノイラムギプになってしまうからな。博士の考えは正解だな。」
 その読みはかなり無理矢理であるが。
「私もそう思います。
 所で、そう言う貴方の名前は何処から付けられたのですか?」
「え……いや、良くは知らない。多分適当だと思うが。」
「そうですか。」
「あぁ、そうだ。」
「……。」
「……。」
 そして再び気まずい沈黙が訪れる。
 揺れる馬車の中で、アレックス・ボールドウィンは心底思った。
 これと自分は、こんな感じで果たしてやって行けるのだろうか、と。
 彼とノイラ・D・エディソンの二人は今、郊外のエディソン邸から論曇(ロンドン)中心部に向けて進んでいる。目的は彼が追っている事件の、最新の現場を彼女に見せる為である。尤も、その事件現場とは往来のど真ん中の事であり、また事件発生から既に一週間近くも経過していた。事件カ解決の手掛かりが残されているとは思えなかったが、やはり一度は現場を見ておくべきだろう。
 そう提案したのはノイラ自身であり、アレックスもまたそれに同意した。
 その彼女は今、事件の詳細を纏めた報告書を一心に見つめている。
アレックスとしては、あの恐るべき魔眼から逃れられるので、視線がそちらに向けられるのは大歓迎なのだが、それによって生じたこの空気もまた耐え難かった。
 彼は何とかその空気を会話で払拭しようとするもあえなく失敗し、更に重苦しい雰囲気が座席内を漂わせる結果を味わっている。恐らく、彼女が報告書を読み終えるまで当分それは変わりあるまい。
 彼は自分をこんな境遇に陥れたグラントを恨めしく思った。が、恨んだ所で何も始まらない。
 警官就任祝いに妹から貰った銀の懐中時計を開くと、時刻は午後一時半を過ぎ頃だった。
 まだ時間はたっぷりとある。
 長年の経験に基づく忍耐と方法で気持ちを切り替えると、彼はノイラが読んでいる報告書の内容を思い返す事にした。最初の事件が発生してから既に三年が経とうとしている。その間ずっと事件を担当しているアレックスは、何度も何度も報告書を読み返した為に、そこに記された事柄を暗記してしまっていたのである。
 彼は過ぎ去って行く風景を眺めながら、己が記憶へと目を向けた。

 事の起こりは三年近く前、論曇市内で起こったある強盗殺人事件に端を発する。
 その日は酷い嵐の日だった。
 朝から降り注ぐ雨に人の往来も少なく、街路にはただ雨音と、時折雷が落ちる音が響いていた。
 そんな日に、近所でも評判の変人で自称科学者サイモン・ピアースの家に、数人の強盗が侵入したのである。資産家の両親を若くして亡くし、その富裕な金で好き勝手に研究と称する訳の解らない行為をしている所を狙われたのだ。強盗達は住み込みで雇われているメイドをナイフで刺した上で更に主をも殺し、その財産を奪おうとした。だが間抜けにも、金庫の開け方を知っていた唯一の人物を殺してしまっていた為、何も盗む事が出来ぬまま一頻り暴れた後逃走した様である。
 何故盗んだか否かが解るかと言うと、強盗達が殺したと思い込んでいたメイドが実は生きていたからだ。腹部を刺されながらも何とか命を取り留めた彼女は、回復してから館を見て回り、何も盗まれていないと証言したと言う。ただ、普段から整理整頓と言う概念の無い人物の部屋が無法者の無遠慮な破壊行為で荒らされている現状では、確かな事は言い難かったが。
 しかし、少なくとも高価な物は何も盗まれていない、と彼女はそう言っている。
 運の良い事に、そのメイドは更に悪漢達の顔を見て、覚えていた。
 そうして、直ぐに強盗一味とその主犯が捕らえられた。
 この強盗計画を考案した男の名前はハリソン・バウチャーという。
 手癖の悪い連中の間ではそこそこ名の知れた人物であり、要するに悪党である。いや犯行の小ささから、小悪党と言った方が適切だろうか。彼が専ら行ったのはスリや空き巣、恐喝や、もっと程度を低めて無銭飲食と言った類で、精々数ヶ月警察のお世話になった事がある位だったからだ。それが何回も何回も、殆ど連続して行われる辺りが、この男が根っからの悪党である事を示していたが。
 ともあれ彼は捕らえられ、事件は何の変哲も無い強盗殺人事件として解決を迎えようとしていた。
 そんな時ハリソンは、猛烈な勢いでこう叫んだのである。
「旦那っ、俺がサイモンだかサーモンだか知らない輩を殺しちまったなんて、そいつぁちょっと嘘だぜ。
 誰かが俺を嵌めようとしたに違ぇねぇ。
 何故って、そりゃ旦那、俺はあの日あの時間ずっとパブで飲んでたからさっ。」
 当初警察はその証言を、当然の事だが、屑どもがする最後の悪あがきだと考えた。そして、この往生際の悪い男にきっちりと事実を叩き込んでやるべく、数人の警察官をハリソンが飲んでいたと言う酒場へ向かわせた。
 そこで彼等は常識ではありえない事実を知る。
 やってきた警察官達に向けて、店主はこう言ったのだ。
「あーあー、ハリソンですか。知っとりますよ、確かにあの夜うちに居ました。嵐の日だったからこっちはさっさと閉めたいって言うのに酷い飲みっぷりで、仲間どもと馬鹿騒ぎしてたもんだから良く覚えとりますよ。全く持って酷い男です。うちの店を根城にしてるんですよあいつら。何か大事でも起こしてとっ捕まって縛り首になって欲しいもんで……
 それで、あれが一体全体何をしたと言うんで?」
 この言葉に、警察官達は青褪めた顔で互いを見やった。
 その後の調べで更に、当夜店に居たと判明した者達……それらは全て、ハリソンの名前すら知らない全くの赤の他人である……にも同様の質問をした所、やはり店主と似たり寄ったりな回答が返って来たのである。小悪党ハリソンが通っている様な店だから、その証言者達の素性も余り良いとは言えなかった。
 だが、それでも大勢の人間がそう言うのだから証言として認めざるを得ない。
 一体これはどういう事だろうか。如何なるトリックを使えば、同じ時間違う場所に同じ人間が存在出来るのか。
 この事件を担当する事になった当時のアレックスは何か裏があるに違いないと考え、奴をこのまま拘留する事を望んだ。しかし、黒か白かはっきりしない男を何時までも警察の元に残しておく事は出来なかった。かくして、担当警部は納得出来なかったが、ハリソン・バウチャーは釈放された。
 それから一週間後、警察はハリソンの身辺を洗ったが何も出て来なかった。奴が港で日雇いの仕事を行い、銭を稼ぐと同時にそれをその日のうちに飲んで使い切る、どうしようも無い低所得者である、という以上には何も。
 だがしかし、ハリソンが釈放されてから、ある事件が頻発するようになった。それは正に強盗と呼ぶに相応しい所業であり、多くの者達が通り掛かりの街角で、街灯の下で、無残にもその財産と共に命を奪われて行ったのだ。
 そして命と金が消えるその度に、何度も何度もハリソンの姿が目撃された。実際人を刺していたと証言する者もいた。だがそれ以上に多くの者達が、何時もの酒場で馬鹿騒ぎをする小悪党の姿を見ていたのだ。勿論証言者はハリソンなんて知らぬ輩ばかりである。事件の単純性に加えてハリソンが慎重なのか、証拠らしい証拠も出ず、そういった証言に頼るしかなかった。
 この強盗殺人事件或いはそれを思わせる同種の事件は一ヶ月に何回も起きて、その度に上の様な事が繰り返された。幾度も綿密な調査が行われ、時には囮捜査も敢行されたが、そう言う場合に限って犯行は無く、また何も出てこなかった。
 そうしている間にも被害者は増えて行き、やがて記者達はこの事件を「ドッペルゲンガー事件」と呼び始めた。ドッペルゲンガーとは即ち『Doppelgaenger』土壱語で二重に歩く者、分身、そう言った怪異を現す言葉であり、実際にエイブラハム・リンカーンなどが目撃している奇妙な存在だった。
 同じ人間が二人も居ると言う、正にこの事件に相応しい名前であろう。
 その名前が世間に浸透し、好き勝手に記事が書き殴られ。
 探偵達が物知り顔で推理と称する妄想を語りながら。
 やがて流行り廃りの内に忘れられて三年。
 事件は未だ解決されていない所か現在も進行中であり
 ひっそりとだが確実に紙面を賑わせていた。

「読み終えました。」
 論曇の都会的な建築物が見え始めた頃ノイラは報告書をアレックスに返した。
 内面から呼び戻された彼は、ん、と受け取ると、それを懐に仕舞った。
 そして、彼女にこう聞いた。
「それで?何か解ったかな。」
 この言葉の半分は皮肉である。
 こんな人形如きに一体何が出来るというのか、と。
 だが、もう半分では期待もしていた。
 何か変わった答えが聞けるかもしれない、と。
 アレックスを無表情に見つめたままで、ノイラはぴたりと反応を止めた。今その美しい銀色の髪で覆われた頭の中で、人工頭脳が必死に稼動し、返答を考えているのだろう。警部は歯車の音が聞こえた様な気がした。
 暫くしてから、彼女は徐に言う。
「……この事件は、基本的に単純なものです。
 要は無理矢理襲い、お金を奪って行く。それだけです。
 だからこそ捜査は難しくなるのですがしかし、それよりも問題なのは、同じ時間に同じ人間が違う場所で二人居たと言う事実です。
 一度ならば偶然で済ませる事が出来ましょう。
 しかし二回、三回……そうなれば、話は違います。それは必然です。」
 ノイラの言葉にアレックスは首を縦に振った。
 その問題の前に、彼は長い間ずっと立ち尽くしているのである。
「だからこそ、その謎さえ解ってしまえば、事件は解決したも同然です。
 では如何なる方法を用いたか。」
 そこでまた少々無反応になった後、ノイラは言った。
「ハリソン・バウチャーが実は双子だと言うのは?」
 その質問に対し、アレックスは首を横に振ってみせる。
「奴は天涯孤独の身だ。家族は居ない。
 もし居たとしたら、もう当に解っているだろう。」
「では、義体による偽装は?」
「他人そっくりの精巧な義体を造れる人間は限られるし、金も掛かる。
 奴ではどちらも届くまい。」
 そもそも義体ではその魂を再現する事は出来ない。
 と、言うのは先程長々と語った話だ。
「成る程、それでは変装と言うのも無理そうですね。」
「義体同様、完璧な変装なんてものはありえないからな。奴がこれまでに起こしたと考えられる事件は既に百近いのだが、その半数尾上で顔が目撃されている。
 その中の誰一人として、ハリソン・バウチャー以外だと応えた者はいないんだ。」
 勿論、魂の再現が不可能なのは義体だけでは無い。
 どの様な方法であれ、それは絶対に不可能と考えていい。
 逆に言えば、魂とは存在固有の絶対的な特徴であり。
 仮に絶対があれば正にそれに置いて他は無いのである。
「ならば……詠国内の事件です、保因者(キャリアー)である可能性が高いのでは?」
「……俺個人としてはそれが一番高いと思っている。」
 幾度目かの問答の末に出された答えに、アレックスは少し驚きながらそう応えた。
 自分も同じ風に考えていたからだ。
 人外の存在である保因者ならば、そうした常識外れの事も出来るだろう。
 だが、
「だが……専門家に言わせると、それは一番ありえないんだそうだ。」
「何故ですか?変身能力を持った保因者なんて、沢山居ると思いますが。」

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