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 第十五章第十六章 不思議の国から抜け出して
 奇妙な一時だった。
 太陽が沈み、霧が薄っすらと立ち込める、そんな夜の空を眺めながら、アレックス・ボールドウィンははぁと溜息を付く。魔女の厨へと入り、そして抜け出すまで、現実の時間に換算して考えれば、精々一時間程度の事であっただろう。だが、実際はもっと、遥かに長い間そこに居た気がした。
 まるで異界にでも迷い込んでしまった様な気分である。
 いや、何処が異界かと言ってあそこ程異界じみた場所もあるまい。
 朽ちた建物奇妙な品々狂った来客意味不明な言葉魔女の笑い少女の絶叫――
 そして、去り際に言ったルフィナの台詞。
「馬鹿な娘よねぇ、本当。その程度で困惑するなんて。」
 彼女の真意の程は解らない、解りたくも無い。
 あんな恐ろしい者の考えなんて……
 論曇(ロンドン)の暗部には、彼女の様な者達が大勢犇いているのだろうか。
 そんな妄想が沸いて出るも、この都市を覆う霧の様に払拭する事が出来ない。
 アレックスは、自分がどれ程疲れているかを否が応も無く感じた。
 彼女を送り家路に着いたら早々に寝よう。そう思いつつ、空の星から一歩先を行く人影に目線を移す。そこにはノイラ・D・エディソンを抱き抱えて運ぶルイスの姿があった。既に夜も遅いこの辺りを、実質一人で行くのは危険だからという理由で、馬車が拾える通りまで着いて行く様に、ルフィナが命じたのである。
 アレックスにはこの青年の存在も思議だった。
 彼は一体何者なのだろうかと。
 警部は知らないが、保因者(キャリアー)の間に歴然と存在する社会に置いて、ルイスは一目置かれている者であった。数人しかいない親しい者からは顔立ちと肌の色、そして性格から『黒兎のルイス』と呼ばれて、逆に大勢いる親しくない者達からは『論曇の汚泥が産んだバロール』などという結構な名で恐れられている。
 その理由は、彼が邪眼持ちだったからだ。
 眼帯に隠されて右の眼球に収まったそれが、如何なる力を行使するのかは全く知られていない。あのルフィナを含む何人かの例外を除き、その眼を見て生きていた者は存在しないからだ。その眼は隠されて尚、力を発揮し、事実アレックスの様な、この界隈の人間から見るとカモにしか捉えられない者が堂々と歩いているというのに、その手の連中は息を潜めて隠れたまま、彼等の姿を見ようともしない。側に居る青年を恐れての事だった。
 尤も当人は、常日頃からそれを買い被り過ぎと感じているのだが。
 そんな事とは露知らずに、アレックスはルイスを観察している。
 視線に気付いたのだろう、歩みを止めぬままルイスは口を開いた。
「……どうか許してやって欲しい。」
「ん?」
「ルフィナの事だ。彼女は悪い人では無い、ただ、人が悪いだけなんだ。」
 その二つの意味の違いをアレックスは解らなかったが尋ねる気も起こらない。ただ「ああ」と頷いて置く事にした。
 別にもう逢う事もあるまい、少なくともこちらからは。そう端的に考えて言った言葉だったが、この一年と少し後に『緋色の瞳』と保因者の間で呼ばれる事件で再び出逢う事になろうとは、二人とも夢にも思っていなかったが。
 そうこうしている間に通りへと出た。
 街灯の側に立ち、通り掛かった辻馬車を呼び止める。
「じゃ、後は任せた。僕は帰るよ。」
 ルイスは馬車の中へノイラを入れると、アレックスへとそう告げた。
 彼が頷くと、青年はすっと淡い霧を掻き消しながら、元来た道を戻って行く。魔女の住いへと向かって。
 結局ルイスとルフィナがどの様な関係だったかは聞けずじまいだった。
「…………ふぅ。」
 込み上げる頭痛にこめかみを抑えながら、アレックスは最早数えるのも億劫な何度目かの溜息を漏らす。
 隣を見ると、薄眼を開けて虚ろな……尤も実際はそれとは全く逆の状態な……表情をして力無く背にもたれているノイラの姿があった。これで大丈夫だと言うのは、今でも信じ難いのだがしかし、信じる他あるまい。
 ノイラにはすまない事をした、とアレックスは思った。
 彼女自身が望んだ事とはいえ、まさかこんな事になるとは――
 それと同時に彼女がこれ程までに自分が人形であるのを気に病んでいた事が、彼にはどうもぴんと来なかった。
 何よりも気に病む事自体が、ただの人形ではありえないだろうに。それをこの聡明な少女は解らないと言うのか。
 だがその事を告げるだけの言葉も意思も、アレックスは持っていなかった。
 成る程、妹の様に接する事……理由は解らないのだけれど……は、間違いではあるまいし、それならば自分でも出来る。しかし、悩むアデルに対して自分は果たして何をしてやれただろうか?何もしてはやれなかったのだ。ただ彼女自身が自分の力で持ち直したからこそその関係を最悪なものにせずに済んだのであり、自分は何一つしなかった。あまつさえ悩みの原因である警察官と言う職務にかまけて、家を留守にしていた。
 現にここで苦悩しているノイラに、少女に対し、何をどうすればいいのか。
 そう言った経験に限り無く乏しいアレックスには、本当に解らなかったのだ。
「ん……。」
 とその時。
 長い思考によって己の内に篭っていたノイラが、びくりと眼を覚ました。
「ここは……。」
 彼女はきょろりきょろりと首を動かして、辺りを見回す。
「気がついたか。馬車の中だ……大丈夫、か?」
 それを見つめながら、アレックスは尋ねた。まるで腫れ物に触れる様に慎重に。
 彼の言葉にノイラは瞳を伏せながら、小さく頷く。
「はい……少し、瞑想していました。すみません、ですがもう大丈夫です。」
「……そう、か。ならば、いい。」
 あれで『少し』であるならば『多く』の場合一体どれ程の間瞑想しているのか、大丈夫と言う割に何故そんな沈みこんだ様子で話すのかなどとアレックスは思ったが、何も言わなかった。言えなかった、とするのが正しいのだが。
 その後一切会話を交える事も無く沈黙に支配されたままで、二人を乗せた馬車はエディソン邸へと到着した。
 ひっそりと静まり返った郊外の道へと先にアレックスが降り立ち、手を取ってノイラを降ろす。
「ありがとうございます……それでは、また明日に……。
 あぁ、明日は如何なさいますか?」
「……いやそれ何だが……明日はちょっと止めておこう。」
 夜の空気によってすっかり冷えた手を握りながら。
 警部はそう躊躇いがちに言った。
 根本的方法は解らなかったが今のこの少女にとって、局地的にはそうする事が妥当だと思われたからである。またそれは自分の為でもあった。その推理力は認める所であるし、また共に事件を解決すると言い合った仲だ。その力は是非使って貰いたいのであるが、しかしわだかまりがあっては行動にも支障を来たすだろう。その事について、彼女の最も親しい人間と相談したかったのである。
「……何故ですか……私ならば大丈夫だと言った筈です。」
 ノイラはしかし、その言葉に不満げな声を上げながら、彼を睨み付けた。思わず後退ってしまったアレックスであるが、ここで下がっては意味が無い。
「ならば俺が大丈夫じゃない。何、明日だけだ。
 一日過ぎたら何事も無く再開しよう。」
 彼は語気を強めて言い返した。彼女は納得行かないという様子だったが、
「解りました、一日だけですよ?」
 青い瞳を細めて、そんな言葉を紡ぐ。
「ああ、ありがとう。」
 礼を言いながらアレックスは、その銀色の髪を撫でようかと手を伸ばしたが、途中で止めて置く事にした。
 代わりに肩をぽんぽんと軽く叩く。それに対しノイラは何の反応も示さず、
「……それでは、また明後日に。」
 そう言い終えると、アレックスに背を向けて己の家へと向かって行った。
 彼女の背中にはかすかだが哀愁が漂っており、彼は思わず声を掛けそうになったが、やはり何を言えばいいか解らなかったので、ただ見送るだけに留めて置いた。
 自分一人だけになると、途端に忘れていた疲労感が押し寄せて来た。同時に湧き上がって来る欠伸を噛み締めながら、アレックスは再び乗り込むと、営業範囲を超えて長い間走らされた分料金が法外な額に膨れ上がっているとも知らずに、馬車を自分の部屋へと急がせるのであった。

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