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 第十七章第十八章 奔走のイヴ
 そうしてノイラ・D・エディソンとの関係についての考えを一端留保していたアレックス・ボールドウィンは、
「……本当に行く気つもりなのか?」
「言った筈です。行くのだ、と。」
 薄っすら現れた月の光に照らされているパブ『青猫亭』の前で。
 それとは別の事で悩まされていた。

 フィリップ・エディソンと酒場で過ごした次の日。
 彼は約束通りに彼女を向かえに行った。
 時刻は昼を大分過ぎた頃合である。明け方まで答えの出ぬ物思いに耽っていた為、起きるのが遅れたのだ。
 勿論理由はそれだけで無く、ノイラになるべく休んで貰いたかったからだが。
 彼女は大丈夫だろうかと思いつつ、ドアをノックすると、あのメイドでは無く少女自身が顔を出した。
「こ……こんにちは、ノイラ。迎えに来たよ。」
 軽い驚きを感じながらそう挨拶するアレックスに対し、彼女はすっと頭を下げて、こう返した。
「こんにちはアレックス。今日は遅かったですね。
 それでは、引き続き今日も捜査に努めましょう。」
 一日と半日の間大人しく過ごしていた為だろうか。
 その様子に変わった所は見受けられない。
 勿論、その銀色の髪を靡かせる頭の奥で何を考えているのか。
 人間であれ人形であれそんな事、傍目に解る訳が無かったが。
 走り出した馬車の中で、アレックスはじぃとノイラを見つめる。
 自分はどうすればいいのか、と。
 その視線に気付いたのだろう、彼女はくるっと彼の方に首を向けた。
「……何か?」
「あー……いや、別に……もう、大丈夫かな、と思ってな。」
 アレックスはその台詞が甚だ失敗だった事を、曇ったノイラの表情から悟った。
「……大丈夫だと何度も言っている筈です。」
 彼女はそう言うと、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
 警部の中でやれやれと溜息が堪って行く。
 暫くはそっとしておくべきだろう。
 或いはずっと。
 この話題には触れぬよう慎重に。
 そんな事を考えているアレックスを余所に、ノイラははっと身を乗り出すと、御者へと言った。
「そこを右に曲がってください。そのまま真っ直ぐ。」
 御者が頷き、言われる通りにする中で、警部はおやっと感じた。
 特に今日何をするか考えていなかったので、一度ヤードに戻ろうと思っていたのだが。
「どうした、何か用事でも?」
 そう聞いたアレックスへ、頷きと共に帰って来た答えは驚くべきものであった。
「はい。今からハリソン・バウチャー本人に逢いに行きます。」
「……正気か君は。」
 開いた口が塞がらない様子で叫んだ彼に、ノイラは睨みながらこう返した。
「あのルフィナ・モルグの言葉を、その、ずっと考えて……私は、よく、解りました……。
 保因者(キャリアー)の変身は、犯行としてありえない、と。
 一番高い可能性が消えた以上、残りの仮説も無意味でしょう。
 いえ、意味はあるかもしません。が、それよりも先に本人に直接逢って話を聞くべきです。
 謎は彼自身にあるのですから。違いますか?」
「いやしかし……。」
 彼女自身言い淀んだ魔女の厨での一件があったばかりである。
 そこまで性急になる必要はあるまい。
 そう考えたアレックスへ、ノイラは容赦無く言い放つ。
「何を悩んでいるのですか。
 貴方だって、何度も彼に話を聞きに行ったでしょう?
 なら、また行ったって構わない筈です。
 前にも言いました、自分で見て納得する事が大事だと。
 それを認めてくれていたと思ったのですが、違いますか?」
 それを認めたが為にあんな事になったのでは無いか、とアレックスは思ったが、ノイラの激しい言論の前に、彼は何も言う事が出来なかった。元より、どうすればいいかなんて解らなかったのだから当然ではあるのだが。
 
 かくしてハリソンが根城とするここ、青猫亭へとやって来たアレックスだが、彼はまだ悩んでいた。
 ノイラの言う事は、往々にして正しい。それは磨き抜かれた知恵と知識、そして穢れも何も知らぬ幼い魂からの熟慮によって導き出されたものであるからだ。
 ハリソン・バウチャーは、彼の所為と目される事件が起こる度に拘留され、哀れな人間を襲われている間自分は何処で何をしていたか、それを証明する者と物が居る事を高々と叫び、一日後に釈放されるというのが常だ。
 それを既に三桁へ到達しかねない回数繰り返しているのである。
 だから彼女の言う通り、アレックスは奴に対して何度も事情聴取は行っている訳である。ならばその回数が今更一つ増えようと何も問題は無いだろう。確かに、理屈としてはそれで間違いは無い。
 しかし、やはりこの前みたいな事になるまいか、と心配で仕方が無かったのだ。
 それは彼が、ハリソン・バウチャーについて幾度も逢い良く知っている為だ。
 この小悪党とあの魔女は、他者への嘲笑という点で良く似ていたのである。その見た目も、器の中身も、まるでお話にならない程度に差があったが。
 その気持ちは、時が満ちて、ハリソン行き着けのパブへやって来た今であっても全く変わっていない。だが厄介な事に、ノイラの方もその億を裕に超える極小要素が織り成す意思を変えるつもりは皆目無いらしかった。
「ここまで来た以上、四の五の言っても始まりません。
 さぁ、彼に逢いに行きましょう。」
 何か言いたげな表情を浮かべるアレックスに向けて、ノイラはそうきっぱりと言い放った。警部はその言葉に、
「嗚呼……そうだな、解った……解っていたよ。」 
 溜息交じりで応じた。そもそも、ここに連れて来てしまった時点で折れていると言っても過言ではなかったのだ。
 この場所は曇論(ロンドン)東部の、古くから船着場や港として知られているドッグランズに位置している。
 そこに集まる様な人間は二種類あって、大抵人聞きの悪い事情によって詠国及び世界各地から流れて来た荒ぶれ者、一日限りの職によって何とかその日の食にありつけている貧しい者のどちらか若しくはその両方であり、イースト・エンドと同程度の治安を誇っていた。
 特にハリソンが居る青猫亭があるのはドッグでも奥の通りにあり、また一段と無法が罷り通っている所である。今もまた、淀んだ水と腐った魚の臭いが溢れる通りのあちこちから、得体の知れない狩人達の視線が矢の様に飛んで来るのが、アレックスは感じられ、その度に背筋が震える思いになった。
 ノイラは、ここがその様な場所である事を解っているだろうか。きっともう解ってはいるだろう。だからと言って考えを変える気は毛頭無いと言う訳だ。或いは、あの魔女の厨へと行った為に、こんな所どうとも思っていないのかもしれない。全く持ってありがたく無い。異界でこそ無いだろうが、ここも危険である事に大差無いと言うのに。
 アレックスは、懐に手を入れると、中から一丁の拳銃を取り出した。
 今まで一度も使われなかったその黒い銃身には、回転式弾倉が取り付けられている。
 中には多くの保因者が忌避する銀の弾頭を用いた弾丸が六発装填されていた。
 警察支給の品であり、銀の弾丸はここ詠国においては無くてはならないものだったが、実際使うとなると聊か心許無い。だが、他に自分と彼女を守れる武器は無いのだ。いざという時にはこれを撃たねばなるまい。
 或いはこの拳か、など苦笑いを浮かべながら再び懐へと仕舞い込み、アレックスはパブの扉を見る。そして無言で自分の方を見つめるノイラへ一度頷いてみせると、彼女に先立ってその扉を開けた。
 もし叶うならば、いざという時が永遠に来ませんように。
 そう女々しくも願いつつ。

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