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 第十八章第十九章 無謀で豪快な西部の如く(Wild Wild West)
 ノイラ・D・エディソンより先に青猫亭に入ったアレックス・ボールドウィンは、その瞬間、阿真利火(アメリカ)西部の孤高のガンマンの気持ちを味わった。
 外面通りに整理されていない汚い品々で溢れ、すえた汗と煙草の煙が大気に満ちた店内では、既に素性の芳しくなさそうな先客で一杯だった。彼等は大変低俗な話題を酒の魚にし、安いジンを瞬く間に空にしてはお代わりを頼んでいる。余り手入れのされていないジョッキを荒々しくテーブルに叩きながら野太い声で注文が出される度に、臆病そうな店主がそそくさと新たな酒を渡そうとする。それを半ば無理矢理奪い、何が面白いのかゲラゲラ笑いながら男達は乾杯し合っていた。
 そこに唐突に現れた見知らぬ、加えて良い身なりの紳士に、彼等は一斉に視線の弾丸を叩き込んだのである。
 むっつりと口を閉ざした彼等は、新たなに入って来たこの男は何者だろうかと窺っていた。
 と、同時に。
 もしこいつがサツか或いはあの糞どもに通じている裏切り者なら、捌いて魚の餌にしてしまえ。
 そう、その眼光鋭い無数の瞳が語っていた。
 う、と圧倒されそうになる自分を何とか奮い立たせつつ、彼はカウンターの方へと進む。
 ノイラから受けた視線の痛みとは、また別の感触が全身に当たった。以前にも同じ洗礼を味わった事があるが、何度来ても慣れるものでは無い。彼が前へと歩む度に、視線も共に移動して行く。決して逃そうとしない。
 何処か別のものでも見てろ、とアレックスが心の内で悪態を付いていると、本当に視線が消えた。だが、それは別に彼の精神の声が届いたからでは無い。アレックスに続いて、ノイラが中へと入って来たからだ。
 一見すると人形には見えない少女に対し、男達がどの様な感想を抱いたか。
 それは彼等のいやらしい視線と小さく短い歓声と共に沸き起こった下卑た笑いを見ずとも、既にその美貌を見慣れたアレックスには、容易に想像が付いた。
 ふいに彼は、今こそあの拳銃の引金を引くべきいざという時では無いかと思った。だが、こんな事で一々不快になっていたら警察官なんてやっていられまい。
 ちらりと男達の羨望と欲望の対象になっているノイラ本人を見れば、そこには何時もと変わらぬ無表情な少女が居た。その冷静な様子にアレックスは思い直し、懐へ伸ばしかけた手を引き戻した。尤も、あの長過ぎる銀髪の中に埋もれた人工頭脳が実際どの様に感じ、どう想っているかは解らなかったが。
 その様な懐疑と情欲に満ちた視線の雨霰を潜り抜けて、二人はカウンターの前にやって来た。何か頼まなくては怪しまれると感じたアレックスは、他の客に倣ってジンを頼む事にした。
 この店主と彼は顔見知りである。ハリソンの証言に従い、何度も話を聞きに来ているからだが、余計なトラブルに巻き込まれる事を嫌がる店主は挨拶もせず無言で応え、ノイラも何か飲むか尋ねた。
 彼女はただ首を横に振るだけだった。
「おお、そこにいるのはアレックスの旦那じゃねぇですかい。」
 彼の前にまず現れていないジョッキが出された時、横から声が掛かる。
 二人が振り向くと、用でもたしていたのだろう、奥の扉から一人の男が現れた。
 ずんぐりとした小柄で、筋肉はありそうだがそれ以上に脂肪が付いた体型をしている。アレックスよりも頭二つ分は小さく、ノイラの倍は太い。その格好は小汚く、服はずっと着っ放しなのでは無いかと思われた。年の頃は四十代前半から半ばと言う所で、頭髪は少なく髭もまばらな顔には張り付いた笑顔の所為で、皺が目立っている。ただ、その笑顔はどう見ても偽りのものだった。どんなに注意力散漫の鈍い人間であっても、口元の筋肉を引き攣らせただけの笑いだと直ぐに気付く事が出来ただろう。
 アレックスはうんざしした想いで既知の男を見つめ。
 ノイラは興味深そうにじっと見知らぬ男を見つめた。
 そうこの男こそ。
 かのドッペルゲンガー事件の最上位容疑者、ハリソン・バウチャーである。
 同類達の視線が集まるが、彼は全く気にも留めていない様だった。
 そのままアレックスとノイラの元へとやぁやぁとやって来ると、
「こんな所にやってきて一体どうしたんで?
 ああ、あれだ、逢引ですな。
 いや警察の旦那も隅に置けねぇや。」
 そう言って彼女へにんまりと笑い掛けた。
 警部はこの中年を、握っているが口は付けていないジョッキで殴りたくなった。
 『警察』と言う言葉に反応した周囲の連中は、今や明らかな敵意を持って彼を見ている。何時本物の弾丸が飛んでくるか解ったものか。だがそんな事よりも、無垢なる少女がこんな男によって汚された気がしたのだ。
 それでも自制心を持って、どう見ても苦々しい様子にしか見えない笑顔を浮かべながら、アレックスは応える。
「……いや、そんなものじゃない。また例の事件の事で話を聞きに来たんだ。」
「まぁたあの事ですかい。
 何度も何度も言ってるでしょ、俺ゃ何もしてない、って。」
 ハリソンはやれやれと首を振りながら、肩を竦めて見せた。アレックスは、乾いた笑いを発しながらぎゅっとジョッキの柄を握り締める。思想の殻に閉じ篭っているのだろう、先程からノイラは何の反応も示していない。
「んで?このべっぴんさんは誰ですぁ。
 別に話聞くだけならこんな娘連れて来る筈ありませんからな。」
 その彼女へ、ハリソンはくいっと顎を向けた。
 アレックスはノイラの肩に手を回し、守る様に握りながら紹介する。
「彼女はその……探偵、だ。今日来たのも、この子にあんたの話を聞かせる為だ。」
 ノイラはその手に反応して一瞥するも、何の抵抗もせず受け入れて、ぺこりと軽く頭を傾けた。それに対し、ハリソンが見せた反応は、
「探偵っ、探偵ですってっ旦那。そりゃ一体どんな冗談ですかいっ。
 こんな娘っ子が、探偵とはっ。」
 セヴラン・モガールよりも酷い、腹を抱えての盛大な笑いだった。
 三人の様子を窺っていた店内の者達もまた一斉に吹き出し、ある者は指を刺して、またある者は脚で床を叩きながら、げらげらと大笑いする。ノイラの肩を抱くアレックスの指の力がぎゅっと強くなった。二人はまだ僅かの時しか過ごしていないが、彼はこの少女の能力は確かに認めていたのだ。その人間性と同じ位に。
「ああ……間違い無く、彼女は探偵だ。冗談では無く、な。
 お前を捕まえる為に、俺と共に行動している。」
 暫く何も言えず笑い続けていたハリソンは、アレックスのその言葉で這い上がる発作を漸く止める事が出来た。
「はー、ひー……はは……俺を捕まえるたぁ言ってくれるじゃないですか。何もしていないこの俺を?そりゃぁ、ヒンコーホーセイって訳じゃあぁりませんがね、なぁにも悪い事していない一般市民を牢屋にぶち込んじゃいけねぇや。それに?仮に?俺がいけない事してたとしてもですぜ。
 こんな小娘に捕まえられる訳が無ぇでしぜ旦那ぁ。」
「……いいえ、それは間違いです。私達、貴方を、捕らえます。」
 それでも尚にたにたと笑みを浮かべて図々しくもそう言うハリソンに対し、ノイラはここに来て初めて言葉を発した。その声は鈴と言うよりも鐘と言うべき、冷めて落ち着いてはいるが硬く確かなものであった。
 自分が言われた訳でも無いのに、思わずアレックスはどきりとした。
 ハリソンの笑顔もびきっと引き攣る。
 その強張った顔へ向けて彼女は更に続けた。
「もう一度、いいえ、何度でも。
 貴方を捕らえるまで言い続けましょう……私達は貴方を捕らえます、と。」
「……言ってくれるじゃ無ぇかい、お嬢さんよ。」
 ハリソンの頬を、一滴の汗が垂れて行く。
 彼はソーセージよりも太い指でノイラの顎を掴んだ。
 そしてその耳元へ脂ぎった口を近付けると、ここでは決して書けない様な卑猥極まり無い侮辱の言葉を発した。 ノイラの眼が、くんと大きくなる。もし彼女に赤面する事が出来たなら、紛れも無くそうしただろう。
 その言葉は余りに低く小声で発せられた為、怯えている店主も回りの客も、彼が何を言ったのか解らなかった。
 解ったのは当人達と、彼女の直ぐ側に居たアレックスのみであり。
 そして彼は、堪忍袋の尾を自ら叩き切る様に。
 その拳を、手に持ったジョッキごとハリソンの顔面に叩き付けた。
 周囲の者達が驚いて固まり。
 ノイラが更に目を見開くその前で。
 ジンが中空に舞い。
 中年の体が弾け跳んで行く。
 少女の小柄な体躯を小脇へ退かし、中身が零れて、皹の入ったジョッキを投げ捨てながら、警部は倒れたハリソンの元へと近付いて行く。と、仲間達に助けられようとしていた彼の体が、まるでばね仕掛けでもされているかの様にがばりと起き上がった。
 そして、顔面に向けて放たれた右ストレートを紙一重で避けつつ。
 渾身のアッパーをアレックスのボディへと叩き込む。
 がは、と背中を丸めながら。
 アレックスの口からぼたぼたと唾液が吐き出される。
 ハリソンは折れた歯をぺっと吐き出して。
 中指で彼を挑発すると。
 両手を顔まで上げて構えた。
 アレックスはきっと睨むと彼と同様に構え。
 そしてフットワークを効かせながらジャブを放つ。
 ハリソンはそれを、見た目にそぐわない機敏な動きでさっと避けた。
 二人は向い合い、さっと構え合った。
 時折思い出した様に左手で牽制の拳を放ちながら。
 必殺の一撃を見舞おうと巧みな足捌きで一定の間合いを保ちつつ、互いの動きに注視する。
 この詠国紳士の嗜みとでも言うべきボクシング対決に、喧騒が三度の飯よりも大好きな連中は何時の間にか観客と化して、主にハリソンの方へと歓声を送った。ノイラだけは極限まで瞳を開いたまま、何が起きているのか解らないと言う様子で、アレックスを青い目で追いかけている。
 唐突に始まったこの戦いは、同様に唐突に終わった。
「てめぇらいい加減にしろっ。
 ここを何処だと思ってやがる、俺の店だっ。
 リングじゃねぇぞっ。」
 今まで黙って見ていた店主が、とうとう鬱憤を爆発させたのだ。
 奥から持ち出したライフルを一発、天井に向けて撃ち込むと、その銃身をがんがんとカウンターへぶつける。その様子に、店中の全員がぴたっと押し黙った。
 その静寂の中で、我を取り戻した店主は視線に気付き、慌てふためきながら、
「や、いや……あー、あれです。
 刑事さんも、ハリソンさんも……やるなら外で頼みますよ。」
 そう言い繕う。あちこちから溜息と、それ以上に悪態が上がった。
「だ、そうですぜぇ旦那。どうします、まだやりますかい?」
 だらだらと滴り落ちる汗を拭いつつ、ハリソンは警部を見た。
 明らかに興が削がれたと言う様子で。
「いや……もういいだろう。」
 それはアレックスも同様である。
 冷静さを取り戻した彼は乱れた衣服と頭髪を整えつつ、こう言った。
「だが次にあんな事を言ったら、今度は拳骨では無く銃弾をお前の顔面に叩き込んでやる。
 それも六発、きっかり六発全弾だ。」
 ハリソンは、ぱんと店主の頬を引っ叩いてタダ酒を出させながら、「へいへい」と気の無い返事を返す。
「ただその時ゃ、あんたがお尋ね者ですがね。
 と、その前にここに居る連中が逃しゃしないかな。」
 その言葉に合わせて、警部に向けて無数の視線が飛んで来た。辛抱の足りない保因者だろう、猫の様に顎を開きながら威嚇するしてくる者も居る。
 ふんと鼻息を吐きながら睨み返すと、アレックスはくっと踵を返すと、無言で店の外へと出て行く。ノイラがその後へと続き、そして外へと出ようとする中でハリソンの方に振り向いた。中年は少女に向けて満面の……つまり、人に嫌悪感を抱かせる……笑みを浮かべると、
「まぁたおいでなお嬢ちゃん。出来たら一人でな。
 たっぷり可愛がってやるさ、ベッドの上でよ。」
 そう余りの品の無い冗句を投げ掛ける。
 それに対し、客達はきゃはきゃはと笑い声を上げて、更に続けた。
「それも大勢、ここに居る皆でなっ。」
 ノイラは極限まで目を細めて睨みつけると、急いでアレックスの後を追った。

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