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 第十章幕間:J.Gの現況
 醒歴1878年 七月 土壱(ドイツ) 鐘琳(ベルリン)

 それはおよそどの様な人間であれ哀愁を感じさせずにはいられない場所であった。
 見果てぬ彼方の地平線まで幾つかの雲を散らしながら、延々と広がり行く空は黄昏に染まっており、対する大地には瑞々しい草花が、茶色いキャンパスの隅から隅までを鮮やかな緑色で塗り潰している。周囲に害獣毒虫の類は皆無であり、大気もまた穏やかで風は無く、終わる一日の感慨を無用に掻き乱す事は無い。耳を傾ければ何処からか、落日を知らせる教会の荘厳な鐘の音が聞こえて来るだろう。人の耳や心、魂を無闇矢鱈に乱す蒸気機関の咆哮も、人外魔獣の奇声もここには無いのだ。
 ここはそんな、ある種の神聖さを感じさせる風景であり、人間の魂を震えさせる何かが顕在している地であった。
 簡潔に聖地と呼んでも差し支えあるまい。
 だが、一体誰が理解出来ようか。
 その聖域が、神妙な計算式に乗っ取った超写実的技法による書き割りと、決して枯れぬ様改良を重ねられた植物と、清浄且つ沈静な光と風を放つ機械によって構築されている、鐘琳地下に広がる閉鎖空間である事を。
 元より人々の無粋な眼から隠匿されている空間だ。それ自体知る者は少ない。更にこの美しき光景が、唯の箱庭に過ぎないのだという事実を頭の淵から解っている者等、本当に数える程しかいないだろう。
 ましてやその創造理由に至れば、その理解者はただの一人と断言する事が出来た。
 即ちこの閉ざされた世界の創造主にして科学の英雄、七人教授(ジーベン・マイスター)の頂点に立った男。
 六年前、鐘琳郊外に位置する義体研究所にて死んだ、いや殺されたと思われていた『万能の天才』。
 ヤーコプ・グルムバッハその人である。
 彼は今、己が産み出した人工の神域が中心に座り、麗しい微笑みを浮かべながら偽りの空を眺めていた。
 木製の白い椅子に腰掛け、波打つ銀色の髪を指で弄りながら。
 逆の手で傍らに腰を下ろしている少女の頭を撫でている。
 彼女はヤーコプと良く似た、十代になるかならないかという位の、あどけない顔立ちをした可愛らしい乙女だった。ふわりと羊毛の如く豊かな銀髪を揺らしつつ彼の脚に身を任せ、うっそりとした様子で愛撫されている。
 それは絵に描いた様な、誰もが見ほれる、兄と妹の仲睦まじい光景であった。
「ご覧、ロッテ。美しい夕陽だ。」
 左目に付けた金縁の片眼鏡越しに、左右で若干色の違う青い瞳を向けながら、ヤーコプは言う。
 ロッテと呼ばれた少女は髪を揺らして彼へと向き、にこりと笑って見せると、
「えぇお兄様。」
 笑みを讃えている青年の方へと、そう鈴の様な声を上げながら頷いた。
 ほんの少しの飾り気も無い、純粋に美しい笑顔を浮かべながら見合う二人。
 その瞬間の後、ヤーコプはぼそりとこう言った。
「……違うなぁ。」
「え?」
 彼はロッテの頭から手を離し立ち上がると、手の甲で少女の白い頬を力任せに打ち付けた。緑の絨毯が上に身を横たわらせ、驚いた様な顔で青年を見詰める少女の体に、容赦無く靴底が落される。べきりと何かが砕ける音と共に、ロッテの薄い唇から甲高い悲鳴が上がった。
 それでも尚ヤーコプは、彼女の華奢な体へ幾度も蹴りを叩き込んだ。
 小さな、とても小さな言葉をその唇で呟きながら。
「違う、違うんだよなぁ……うん、やっぱり違う……何回やっても違うんだよどうしても……到達しない……。」
 それは大体こんな台詞であり、その様な事を語る彼は酷く乾いた、表情の無い表情をしていた。
 ヤーコプはそんな顔付きに見合った、機械的で、淡々とした作業を繰り返す。
 その理不尽極まりない暴力により、ロッテの体は人の形を失い始め、単なる物へと変わって行った。
 匠の業というべき造詣により人間以外の何者にも見えなかった幼い顔は本来の面に戻る。脂肪を覆う陶器の皮膚が割れて、小さな歯車や螺子の類と共に噴出した赤い血潮がヤーコプの真っ白な服を朱色に染める。他の少女達の新鮮なる骨を利用して組まれた素体は白い破片となり、引き裂かれた神経糸の端々が草葉の間に広がって行く。そうして最後に魂を宿すという部位、七人教授の一人、クリストフ・フォン・アッシェンバッハが発明した稀代の傑作機械、歯車式人工頭脳がその強度限界を超えて踏み抜かれた所で、兄が妹に似せて造った機械仕掛けの人形はその活動を完全に停止させ、瓦礫の塊へと成り果てた。
 ヤーコプはそのガラクタを興味無さそうに見詰めながら、静かに思いを巡らす。
 まただ。くだらない運命の……世界、若しくは神の、とも言い代えられよう……悪戯でシャルロッテを失ったのを最初に、これで百十九回目の失敗だ。一体後何回苦渋を飲ませられたならば、あの愛くるしい妹を取り戻す事が出来るのか。或いはそれは不可能な試みなのだろうか?そんな事は断じて無い。もし、それが今この世界に置いてありえないのであれば、世界の方を変えてしまえばいいのだ。そうすれば、不可能なんてものは消えてなくなる。ただその為には何かを改良しなくてはなるまい。それは一体何だろうか。やはり本人の体を元にしなくてはいけないのだろうか。しかし歳月が現世に残された肉体すら奪ってしまっているのだ。さぁどうしようか。
「ヤーコプ様。」
 その時、決して変わる事の無い夕空を開けて、赤髪赤眼の女が姿を現した。
 彼女の声に、取り止めも無く続けられていたヤーコプの思考が現世へと舞い戻る。
「赤猫(ローテ・カッツェ)か。どうしたの?何か問題でもあったかな?」
 彼は即座に妹と良く似た、だが決定的に違う機械から眼を背けると、赤猫と呼んだ女の方へと視線を向けた。
 彼女はすっと身を屈めて畏まると、自分がここにやって来た理由を口にする。
「緑鶏(グリューナァ・ハーン)から報告が入りました。
 ヴィルヘルム・グルムバッハ様が解鎮絃(ゲッティンゲン)を離れ鐘琳へと向かっている、と。」
「……ヴィルヘルムが、かい?」
 真っ赤な唇から紡ぎ出されたその名前に、ヤーコプの、片方が義眼である両目は妖しく煌いた。
「えぇ。現地で知り合った少女と共に、だそうですが……如何なされますか?」
「そうかぁ……ヴィルヘルムが来るのかい。
 ああ、そうだったね、忘れていた。
 もっと早く来るんだと思ってたんだがね。」
「……ヤーコプ様?」
 女が訝しがりそうに見詰めるが、己の脳裏に目を向けている彼女の主はその視線に気付きもしない。
 思考の内側から込み上げてくる愉悦が、くすくすという笑い声となって零れる。
「あの、」
「うん、とりあえず様子見だね。
 手を出さない様、他の者達にも伝えてくれよ。
 嗚呼、君も同じだ。
 別命あるまで、宰相殿の動向を窺っておいておくれ。」
 だが二度目の問い掛けにはしっかりと反応した。
 それを受けた女は、金色の瞳で主人を見つめると、口元に笑みを浮かべながら静かに下がる。
 一人残されたヤーコプは、自らの野望、いや願望の為に何が必要であるかを改めて悟った。
 純粋で無垢な、或いは利己的な理由で部下となった者達……特に先の赤猫を始めとする、緑鶏、青狗(ブラウァ・フント)、黄馬(ゲルプァ・エーゼル)の直属の部下四人……は、実に良く活動している。
 だが彼等は所詮は駒、全体の機構を動かす為の歯車に過ぎない。
 真に重要なのは、その歯車を流れて行く力を生み出す動力源。
「やはり君が欲しいみたいだよ。全く、ちゃんと成長しているんだろうね……ヴィルヘルム。」 
 ヤーコプはくっと口元を歪ませると、沈んだまま停止している太陽の方へと視線を向けた。
 衣服に付いた血を拭う事もせず、人形の残骸に一瞥をくれる事も無く、ただそう、西方へと。

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