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 第二十章第二十一章 無慈悲な夜の女王は何処へと昇るか
 夜も深まり、霧も出始めた論曇(ロンドン)の静寂の中を一台の馬車が駆け抜ける。
 その速度は、恐らく牽引する二頭の馬が出せる最大のものであっただろう。
 安全など鼻から考えていない走りに、一人の酔っ払いが引かれそうになって罵詈を叫んだ。
 既に遥か彼方へと消えて行く馬車の後方に向かって。
 その中に居るたった一人の乗客、アレックス・ボールドウィンはそれを気にするでも無く、先程からずっとぱちんぱちんと銀の懐中時計の蓋を開け閉めしている。
 顔色は蒼白で、血の気が無い。ずっと時計を見つめる瞳は病的であった。
 アレックスが、論曇西部のある通りにて強盗殺人が起きたと言う知らせを受けたのは、つい先程の事である。ノイラ・D・エディソンを送り届け、グラント・ヒル警視に報告をし、酒場で数杯のエールを堪能した後、家に帰って眠る事小一時間。部屋に訪れた部下の、けたたましいノックに起こされた彼は、身支度も適当にエディソン邸へと向かった。酔いは微塵も感じなかった。
 到着すると、すぐさまノイラを呼び、馬車へと乗せる。最初逢った時は先の件の所為で機嫌悪そうだった彼女だが、事件について話を聞くとすぐさま顔色を変えた。アレックス自身、まだ詳しい事情は知らないのだが、部下の話に従えば、どうやらあの事件がついに三桁を記録した様である。
 馬車の中で二人っきりとなったアレックスとノイラ。
 だが、そこに暖かい空気は存在しなかった。
 あるのは肌を刺す様な冷たい空気。
 そして大きな不安と焦燥である。
 ノイラがじぃと見つめているが、アレックスはちらとも見ずに馬車を急がせ、時計の開け閉めを繰り返した。
 何か酷く、そう、酷く嫌な予感がしたのである。
 やがて二人を乗せた馬車は、現場となった通りへとやって来た。
 そこは一種の商店街となっている通りであり、昼間ならば様々な物を売る者達で溢れていた事だろう。だがしかし、今この時間にその様な者達はおらず、何処から来たのか知れぬ野次馬達と、既に到着していた警察官達がたむろしていた。 彼等は石畳のある一点を中心に何やら話し込んだり、床を調べたりしていた。そこには、今だ生々しい血痕が散らばっている。
 ノイラの手を取りながら馬車から降りたアレックスは、その警察官達の集まりの中に見知った人物の顔を、同僚の姿を発見し、喉を震わせた。
「ディルク、ディルク・シュナイダーッ。」
「Guten Abend、アレックス。少し遅かったね。」
 声を掛けられた相手は、そう土壱(ドイツ)語で夜の挨拶をすると、慇懃に頭を下げる。
 彼の名はディルク・シュナイダー。
 一見すると十代後半の若者だが、中身は齢百五十余の老人である彼は、土壱生まれの先天的保因者(キャリアー)であり、国の為に化物へと変異したある地方領主を長とする吸血鬼一族最後の一人であった。
 彼以外の一族の者達は、もう一醒紀近く前に、大英雄ナポレオン・ボナパルト率いる風蘭守(フランス)軍から、当時はまだ統一前で新聖路磨(ローマ)帝国であった土壱を守るべく馳せ参じ、そして全滅した。人外の家系としてはまだ日が浅かった分、皇帝への忠誠心が厚かった事に由来するお家断絶の悲劇と言えよう。
 だがディルクは、土壱人としては珍しく,吸血鬼としては至極自然な、至梨亜(イタリア)人の如き軟派者であり、皇帝に対する忠義も領地への愛着も持っていなかった。
 その為、家族親類が次々に倒れて行く中、彼だけが生き延びたのである。
 が、神秘を否定する啓蒙思想の嵐が吹き荒れる風蘭守に占領された土壱社会に、彼の居場所は無かった。増してや一族の者達を見殺しにした男などには。
 その当時はまだ魔女狩りの影響が残っており、他の多くの保因者達が騒乱と争乱に巻き込まれまいと森の奥深くや険しい山の峰へ隠れて行ったのだが、甘美なる文明の感受者であったディルクは、当時より保因者が社会に浸透しており、また吸血鬼の共同体があると聞く詠霧趣(イギリス)へと向かったのである。
 そんな彼が警察官などという仕事についているのは他でも無い、快楽の為であった。
 程好い刺激と適度な謎を味わえるのは興味が尽きず、永劫に近い寿命を飽きる事無く続けさせてくれる。その在り方は、あの魔女ルフィナ・モルグを始めとする、年長の保因者達に多く見られるものだった。その行為は大抵の場合、個人の生活を乱すものであるが、ディルクの場合は社会正義に断固たる立場を取って殉じているのだから、問題はあるまい。
 尤も、彼にはそんな事よりももっと致命的な、趣味趣向が存在したのだが。
「……そうか、ここはお前の管轄だったな。」
「うん。夜のこの辺り一帯は、ね。それに、別の用事もあるし。」
 流石に夜ともなれば冷えるもので、アレックスは揉み手をしながらディルクに近付く。元から体温が低い吸血鬼は全く平気な様子でにこやかにその長い牙をちらつかせながら応えると、すっとノイラの元へ近付き、挨拶をした。
「始めましてお嬢さん。僕はディルク・シュナイダー。見ての通りの吸血鬼です。」
「始めまして。私はノイラ・D・エディソン。見て解らないでしょうが人形です。」
 巻き込まれた金髪を震わし、赤い瞳を細めながら、ディルクは彼女の手を取ると、すっとその甲に口付けをする。眉を潜めているアレックスの横で、ノイラはさせるに任せていた。
 無言で、この者は如何なる者かと熱心に観察しながら。
 と、ふいに身を正したディルクは、ノイラの方に手を乗せて、こう言った。
「うん、確かに解らない、人間そっくりだ。
 いや、少なくとも僕よりかは人間だね、間違い無い。」
「……。」
「それに聞いていた以上に美しい。
 まさかこれ程とはね。全く、アレックスも羨ましいな。」
「……そうですか。」
「そうそう……それじゃ、ここは一つお近づきの印に。
 君の血をハーフパイントばかり頂いてもいいかn、」
 その瞬間。
 アレックスはノイラの肩を掴むと、強引に引っ張り、ディルクから離させた。
「アレックス、女の子にそんな乱暴な真似をするのは良く無いなぁ。」
「先にしようとしたのはどちらだ。大体、彼女には赤い血も無ければ黒い血も流れてはいないっ。」
「でもどんな味か試して、「みなくて大いに結構だ。」
 眼を丸くしているノイラをひしと抱えてがなるアレックスに、ディルクはやれやれと肩を竦める。
 実に残念そうな様子で。
 これが彼唯一の難点だった。様々な面において人間とそう変わらず、普通に接する事が出来るディルクだったが、その性癖と性欲は常軌を逸している。
 所謂博愛主義者で、男だろうが、女だろうが、赤子だろうが、老人だろうが、貴族だろうが、乞食だろうが、保因者だろうが、動植物だろうが、道具だろうが、何だろうが、問答無用で発情し、そして血を吸いたがる。
 勿論無理矢理では無いが、迫られる方としては堪ったものではない。
 ディルク達とその仲間達がする吸血行為は因子を広める謂わば性行為の代わりであったからだ。ただディルクの吸血への欲求は、同種のそれと比べても過大であり、吸血鬼仲間から公然と絶倫呼ばわりされている。もし今アレックスが止めなければ、ノイラの陶器で出来た白い肌には四つばかりの小さな風穴が生まれ、そして彼女は受容し切れぬ刺激に再び倒れた事だろう。
 無いとは思うが、それで吸血人形が生まれてしまったら、洒落にならない。ただでさえ彼を悩ませる存在が、これ以上手を付けられなくなってしまう。
 全くと頭を抑えるアレックスに、ディルクはにゃははと猫の様な口で笑って、
「何なら君でもいいんだけどね。」
 などと剣呑な事を言いつつ、花の装飾が上品な小さい器を取り出し、中の粉末を心地良さそうに鼻で吸った。
 アレックスの背筋に鳥肌が立ったが、それはこの肌寒い夜風の所為だけではあるまい。既にこの吸血鬼には前例があったからだ。女嫌いの警部に男色の気があると言う噂を最も吹聴した人物は、他ならぬディルクである。
 尚、その彼が今吸っているのは嗅ぎ煙草では無く、薔薇の香料である。今だ神秘のベールに包まれた吸血鬼の謎の一つに、どの様な手段であれ薔薇を接種する事で抗い難い性欲、吸血衝動を抑える事が出来るというものがあった。恐らく、薔薇の赤い色が血の色に似ているからと思わるが、詳しい事は解っていない。ともあれ、人間社会で生活を営む真っ当な吸血鬼達の中では、この様な携帯し易い形状へ加工した薔薇を常時しておく事が一種のマナーとされていた。勿論輸血用の血液を試みる者も居るが、誰とも知らぬ人間の血を飲む事は破廉恥な行為とされていた。吸血は、愛が無ければならないと思われているのだ。
 それを理解しない者も多かったが。因みにディルクは、特に粉末状にしたものを吸う事を好んだが、他にも液状にして紅茶に入れたり、香水として振り掛けたりするものもあった。
「……ん、さて、と。それじゃ、じゃれるのはこれ位にして。」
 ずず、とその種の薬を吸う仕草で薔薇を得たディルクは、途端に真摯な表情を浮かべる。牙は引っ込み、先までおちゃらけていた不真面目な青年吸血鬼の様子は微塵も無い。歳月が多彩な経験を積ませたのか老人の如き相貌が浮き出ている。
 その表情が醸し出す雰囲気によって、弛緩していた空気が一気に緊張し始める。
 再びアレックスに、あの嫌な予感が迸った。足元が底なし沼と化し、ずぶずぶと沈み、そのまま上がって来られない様な。出来れば、彼の話を聞きたく無かった。
 そんなアレックス彼の手に何かが当たった。
 見れば、まだ腕の中に収まっているノイラが、そっと指を握っている。彼女はすっと首を上に上げると、無言で頷いた。その手は冷え切っている筈なのだが、アレックスには奇妙な温かみが感じられた。
 それを受けて彼は、そうだ、と頷き返す。
 ここで逃げては、何の意味も無い。
「……そうだな。ディルク、事件の概要を教えてくれ。」
 アレックスがそう吸血鬼に向けて視線を送れば、彼は「OK」と言って、とんとんとこめかみを叩きながら語り出した。既にその全貌は、細部に至るまで記憶済みであるらしい。そこに現れた顔を見て、何時もこうなら良いのだが、と思いながら、警部と少女は彼の赤い唇から紡がれる言葉を聞いた。
「まず何が起こったか、はもう知っているだろうね、担当の君ならば。
 うん、ドッペルゲンガーだ。
 死因は刺殺。鋭利な刃物で心臓をずしゅり、と。
 殆ど即死だった様だよ、相変わらずいい腕だね。
 そして財布が盗まれている。
 偶然通り掛かった酔っ払いに、我等が容疑者殿の顔写真を見せた所、確かにこいつだったと証言している。こいつが、あの夫婦を瞬く間にナイフで殺したんだ、とね。やっぱり証拠が出て無くて、その証言が頼みなんだけど、酔っ払いの言い分がどれ程有効かだろうか……
 と言い忘れてたけど、被害者はエメリッヒ・ハルトマンとアンネ・ハルトマン夫妻。僕のかつての同郷人だ。所謂貿易商と言う奴でね、主に扱っていたのは珈琲だそうだ。今回詠国にやって来たのはそう言うお仕事だからでもあったんだけど、休暇も兼ねてた様だね。娘と、それと仲のいい友人と一緒にやって来ている。……一家団欒の最中に殺されちゃうだなんて、かなり嫌な死に方だね。ああ、まぁ僕にはもう家族なんていないけどさ。」
 眼を開き、カチカチと若く高いその声を記録しているノイラの上で、アレックスの顔は不安を通り越して、諦念に至っていた。ディルクが、先程からわざとある一点を言おうとしない事が解ったからだ。勘の良い男である、自分が何を恐れているのか察したに違いない。
「ああ、それでね。犯行が起きたのは……五時位だね。今から二時間前か。」
 そうら来た、と思いつつ、湧き上がる溜息を堪えながら、アレックスは首を横に振った。
 予感が的中した、と、そう漢字ながら。
「……なら、ハリソン・バウチャーは犯人では無いな。」
「おや、まただね。今度はあいつ、何をしていたのかな?」
 口元だけの皮肉げな笑みを造りながら、ディルクは尋ねる。
 ぐっとノイラの手を握り締めながら、アレックスは応えた。
 相手はもう既に解っているだろう解答を。
「……その頃あいつは俺とボクシングをしていたんだよ。
 大勢の観客とノイラに見守られてな。」

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