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 第二十二章第二十三章 愛とミスター・ボールドウィン
 ディルク・シュナイダーと別れて、自分の部屋へと戻った後も、アレックス・ボールドウィンの心は沈んだままだった。それは身体の方にも影響を与える。彼はベッドに寝そべったまま、ぼんやりと天井を眺めていた。
 酷く疲れている。ハリソン・バウチャーと殴り合った後で自分が事件の謎を回す歯車の一つにされた事を知らされ、それだけでもきついと言うのにとどめにあの平手打ちだ。あれは応えた。実に応えた。心身ともに、だ。ノイラ・D・エディソンに対する悩みも消えてしまう程に、その衝撃は凄まじかったのである。
 思えば、今日一日で色々な事が起こり過ぎだ。
 二十四時間以内の出来事である筈なのに、一ヶ月か、下手をすれば一年位経った気がしてならない。そういえば昨日も同じ事を感じていた気がするな、とアレックスは自虐的にほくそ笑む。
 ただ、今日は昨日とは少し違う。
 今彼の部屋には、彼だけでは無く、ノイラも居た。
 この部屋に招かれた家族以外の初めての女性である彼女は、何が面白いのか、先程からずっと部屋を見て回っている。男の一人住まいなんて、見ていて楽しいものでも無いだろうに。それもまた経験と知識なのだろうか。アレックスには良く解らなかった。何にせよ、こう言う時に彼女が普通の女性で無い事は、ありがたかい事だった。今は茶を出す事すら、いや起き上がる事すら億劫に感じている。
 ノイラがこの部屋を訪れたのは、もう既に夜も遅いから、と言う理由である。ここはヤードから程近いと言う程の距離では無かったが、少なくとも郊外にあるエディソン邸と比べれば雲泥の差だ。
 アレックスは、動力源である蒸気が切れるのを心配したが、朝一で戻れば大丈夫だと彼女が言うので、それならばと連れて来たのである。
 二日前の彼であれば、それは考えられない行為であった事に、彼自身気付いてはいなかったが。
 しかし、その理由は半分程度しか合っていなかった。
 実際はノイラに対するディルクの進言によるもので、曰く、
「今夜一番は一緒に居てあげてね?
 何か彼、放って置くと殴り込みに行きそうだから。」
 との事である。
 それだけありありと、表情に疲労が浮き出ていたのだろう。
 彼女はただただ、無言で了承した。
 アレックスは僅かに顔を起こすと、そのノイラへと視線を向けた。
 彼に対して背を向けている彼女は、銀色の長髪を揺らしつつ、家具の装飾や本棚に置かれた本の内容を事細かく見ている。余程興味深いのか或いは自分に気を使っているのかは定かでは無いが、小一時間前からずっとその調子であった。
 と、ノイラの動きがぴたりと止まる。
 訝しがったアレックスは、何とか起き上がると、その横へと向かった。
 彼女は、一枚の写真を持ってじっと眺めている。
 それは仲睦まじく家族揃って撮られたあの写真であった。
「それは俺の家族だよ。
 父に母、それから妹……何だ、その写真が気になるのかい?」
 視線を写真から離さないままで、ノイラは無言で頷いた。
 少し間を置いてから、ちりりと呟く。
「私の家族は父だけですから、今の所は……この人達は今何処に?」
「今はトーベイに。父が体を壊してな、ずっと療養している。」
「……貴方は?」
「仕事があるからな、論曇に残った。
 アデルは……妹は自分も残ると聞かなかったっけな。」
 恥ずかしそうにはにかむ妹の顔からその事を思い出し、アレックスはくすりと僅かだが苦笑いを浮かべる。その様子をじっと見つめていたノイラは、そんな彼に向かってふいにこう言った。
「……家族と離れて寂しいですか?」
「……どう、だろうな。」
 彼女の質問に、アレックスは顎に手を当てて思案し始める。
 離れていると言っても、それは距離的に有限なものだ。
 絶対に逢えない訳では無い。手紙も電報も送る事が出来るし、逢いに行こうと思えば鉄道に乗って直ぐにでも逢いに行く事が出来る。
 だがしかし、寂しいかどうかと言うと、少し考えざるを得ない。
 寂しさなんて普段は別に感じていないと言い切れる、が昨日の様な事もある。何かあった時に離れた者達の事を想うそれは、寂しいと感じているのでは無かろうか。そう結論し、彼は小さく頷きながら返した。
「そうだな俺は……寂しい、と思っている。
 家族と別れて、アデルの喧しい声が聞けなくて……。」
 ノイラは成る程とそれを聞くと、ふっと眼を伏せながら言った。
「……あの人も……アナベルさんも、やはり寂しいと思ったのでしょうか。」
 と。
「……前にもそんな事を言っていたな、君は……。」
 今にも泣きそうなその顔を見ながら、アレックスは言う。
 それは、初めて事件現場へと赴いた時に彼が不覚にも口に出してしまった言葉に傷付いた時や、魔女ルフィナ・モルグに問い詰められている時と同じ表情で。
 そして。
 ふいに。
 アレックスはノイラに対してどうすればいいのかを悟った。
 今まで散々悩んでいた式が。
 その瞬間に音を立てて解かれたのである。
「……君はどう思うんだね?」
「え?」
 くいっと首を向けながら、ノイラは眼を見開く。
 構わずにアレックスは続けた。
「君はどう思うんだ?両親を殺されたあの少女の気持ちを……君自身は?」
 それは問い詰める様な強い語気でも無ければ。
 突き放すが如き無関心なものでも無く。
 途中で言葉を濁し、あまつさえ言い淀んでしまう様な臆病なものでも無く。
 あくまでも彼女自身にその問いを考えさせる、優しく諭す言葉だった。
「…………解りません……解ろうと欲してはいます。
 ですが……解らないのです。」
 ぐっと全体に比べて豊満に造られた胸を掴みつつ、また眼を伏せながら彼女は本当に辛そうにそう応える。どれだけ少女に見えても、精巧に作られていようと、自分にはそれを理解する様な魂は無いただの機械なのだ、と。
 彼女は、五日の様に思い詰めた末に倒れてしまいそうな表情でそう言った。
「……ノイラ……だが、言わせて欲しい。」
 アレックスはしかし、それを否定する。
 その首に、その背中に手を回しながら、そっと優しく小さな体を抱きしめて。
 ノイラは少し驚いた様に青い眼を開く。
 だが、決して拒む様な事はせず、次にどの様な言葉が紡がれるのかとじっと待った。
 彼は、コチコチと高鳴って行く歯車の噛み合う音と共に、己の心音がドクドクと早まるのを感じた。
 赤面する自分を感じ、そして血液の循環が促されるのを感じた。
 家族以外の女性に抱擁する事に男性らしい羞恥を感じ、緊張していた。
 だがそれはこの腕の中にいる少女とて同じ事だろう。
 一度大きく息を吸いそして吐き出し。
 僅かでも頭の温度を下げると、彼は唇を開き、そして語った。
 今まで心の中でのみ言い、決して口には出せなかったその想いを。
「……ずっと……見ていて感じていた。
 君は、人の心が解らないのだと言った。
 それを理解したい、だが解らないのだ、と。
 それはあのルフィナ・モルグに示されて一時的に倒錯してしまった程に……。
 でもそれを含めて、君の仕草、表情、言動を見ていると……君はどう見ても少女にしか見えないんだ。
 ただの十代後半の、悩み多く感受性豊かで……とても賢く優秀な……可愛らしい少女、にね。
 俺はそんな君と言う存在と接している時、心打たれたものだよ……何度も、さ。
 だからノイラ……君が心を理解出来ないだなんて、思えないんだ……。
 どうだろう、何か、あるんじゃないか?」
 言いながら考えた為に途切れ途切れとなってしまい、ちゃんと自分が考えていた事が伝わったか不安だったが、ともあれアレックスは語り終えた。
 語り終えて、ノイラの唇へと耳を研ぎ澄ます。
 次は彼女がその問いへの答えを言う番だ。
 ノイラは完全に眼を瞑って暫し己の内面へと視線を向けた
 そして、僅かにそれを開きながら応えた。
「……解りません。やはり、解りません……。
 でも……でもアレックス。
 確かに……感じるものはあります。
 貴方と始めて出逢った時も共に仮説を語り合った時も瞬きの何たるかを教わった時も人形である事実を突き付けられた時も貴方から仲直りの言葉を頂いた時も私が倒れた事を酷く心配してくれた時も父と貴方が共に居る事を読書をしながら考えていた時も私の言動に貴方がうろたえた時も貴方が私の為にあの男を殴り付けてくれた時も乱暴ですが愉しそうに私を撫で回してくれた時もそんな貴方が事件を知り落胆した時も……そして今、貴方が私へそう言ってくれた時も……私は、私の中で、何かが動くのを感じました。
 そして、その時の私は、その変化に従い、動いている私を感じたのです……。
 でもそれが、何なのか……何なのかが解らないのです……。
 感じているのに解らない……解らない、のです。」
 彼女はそう言い終えると貝の様に押し黙った。
 それを見ながらアレックスは言った。
 さも神妙な顔を浮かべながら、
「ノイラ、君は……本当は馬鹿だったんだな。」
 などと。
 それはあの魔女が最後に呟いたのと、同じ言葉だった。
「……え?」
 行き成り言われた言葉を、彼女は本気で理解出来なかった。
 僅かに体を離し、彼の方を見つめる。
 その頭の上には、ありありと疑問符が浮かんでいるのを見て取れた。
 アレックスは、そんなノイラへと穏やかな微笑みを浮かべた。
 そして、答えを口に出す。
 彼女が待ち望んでいた答えを
「あぁ、君は馬鹿だ。
 実に馬鹿だ。
 感じている、その何かが解らない?
 何を言っているんだ。そうやって悩んでいる時点で君は理解しているんだ。
 嗚呼、ずっとそう感じていたが、口には出せなかった……。
 だが、今なら自信を持って言い切れる。
 君はノイラ、心を理解している。魂を持っている。
 この俺が、アレックス・ボールドウィンが断言しよう。
 いいかい、もう一度言うぞ。
 君は掛け替えの無い一人の人間、純粋な魂を持った少女だっ。
 間違いないっ。
 君と比べたら、ハリソンやモガールなんて塵芥以下だっ。
 だからそう……何も考え込む必要は無いんだ、ノイラ……。
 可愛いノイラ、美しき乙女よっ。」
 アレックスはそう言葉を紡いだ。
 、後で思い返すと顔から火が出る思いになる様な私的な台詞を、自分でも驚く程明瞭に、本心のままに。
 そして、そっとすべやかな銀色の髪を撫で始める。
 何度も何度も。
 そっとそっと。
 まるで喚いている赤ん坊をあやす様に。
 泣いている子供を慰める様に。
 或いは何者にも代えられない恋人を愛でる様に。
「……アレックス……嗚呼……。」
 ノイラは彼の言葉に驚き眼を見開き、感極まった様にその青い瞳を瞑った。
 もし、彼女に泣く事が出来たならば、そこからは熱い涙が滴となって迸った事だろう。
 その代わりに彼女は、ぎゅっとアレックスの胸に顔を埋めた。
「……今なら……ちゃんと言えますアレックス……。
 ありがとう、私は貴方と出逢えて嬉しい……と……。」
 その言葉に応えて彼は無言で頷くと、その厚い胸を貸し与えた。
 代わりにノイラの頭を優しく抱えながら、そっと美しい銀の髪を撫でる。
 腕の中と、胸の前で。
 二人は互いに相手を感じていた。
 アレックスは歓喜と感動を刻む人工頭脳の激しい歯車の音を持って。
 ノイラは熱き想いを血潮に滾らせて全身へと運ぶ心臓の音を持って。
 彼女の魂を、彼の心を。
 二人は確かに感じ、そして思った。
 この感情は、何物にも代え様の無い、特別な想いであるのに違いない、と――
 やがてアレックスとノイラは、どちらとも無く相手を離した。
 だがその視線は決して離れず、互いに相手を見つめている。 
「……。」
「……。」
 そのまま二人は一言も口を開かなかった。
 だがそこに満ちた空気は決して重苦しいものでは無かった。
 暫くの間彼と彼女は無言で見つめ合っていた。
 が、その後でアレックスが口を開いた。
「ノイラ。俺からも言わせてくれ。
 君と逢えて嬉しかった……加えてこうだ、共に事件を解決しよう、絶対に、と。」
 彼の言葉に、ノイラは真剣な面持ちで、力強く首を縦に振る。
 そして僅かに首を傾げながら、こう言った。
「えぇアレックス、絶対に……。
 所で。
 一つ貴方に頼みがあるのですが、よろしいですか?」
「ん、何だい。俺が出来る事ならば、喜んで受けるが。」
 そう優しく微笑み返すアレックスに、ノイラは少し迷った様に間を置きながら、その頼みを口にする。
「ハルトマン夫妻より先に……まだ調べていない、最初の、サイモンさんの現場を調べたいのです。」
「?……それはまた……どうしてだ。
 今更あんな所に行っても、もう何も出ないと思うが。」
 彼は笑みを崩すと、そう疑問の声を上げた。
 サイモン・ピアースの事件と言えば、もう三年近く前だ。主のいなくなった屋敷は事件の為に買い手も付かず無人の廃墟となっており、成る程まだ現場として赴く事は出来た。しかし、アレックスにしてもあの場所は何度も何度も調べに行っている。その度に、事件解決に繋がる手掛かりは何も出て来なかったのだ。そんな最古の現場へ、最新の現場より優先して行く事に、今更何の意味があるのだろうか、と。
 だが、
「……そこに何かがあるんだね?」
「えぇ……そう、告げている……気がするのです。
 私の魂が……あそこには何かがあると……いけませんか?」
「いや、大いに結構だ。
 俺は解らなかったが君なら何か感じられるかもしれない……。
 君を信じようノイラ。」
「……ありがとう、アレックス。」
 アレックスはそう言い切った。最早、疑う必要なんて何処にもないのだ。
 ノイラは、すっと眼を細めると、彼に向けて深々と頭を下げるのだった。

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