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 幕間第十一章 土壱の車窓から
 醒歴1878年 七月 土壱(ドイツ)北東部 フランデンブルク州

 土壱に置いて鉄道が敷設されたのは、1835年の事である。
 初めて製造された蒸気機関車はアドラー、即ち『鷲』と命名された。それはフランケン地方の大都市、かのリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇が舞台で有名なニュルンベルクからその隣町フュルトを繋ぐおよそ八キロ間を走るものであった。その後鉄道網は年を追う毎に距離を伸ばして規模も大きくなり、長距離間の脚として馬車に代わって行った。また風土戦争の時には、兵士と物資を迅速に運ぶ為の移動手段として大いに利用され、電報、そして義体と共に風蘭守(フランス)を惨敗させるのに一役買った程であった。
 この様に蒸気機関車は十九醒紀を代表する乗り物であり、鉄道は帝国必須のものなのである。
 故に解鎮絃(ゲッティンゲン)から鐘琳(ベルリン)を目指すヴィルヘルム・グルムバッハとドロテーア=ドルトヒェン・ヴィルトが鉄道を利用したのは、至極当然の理と言えた。わざわざそうと言う必要も無い程に。
 今、そのヴィルヘルムは、蒸気を上げながら猛烈な勢いで進んで行く機関車の客室に座り、時折揺れる席から物憂げに窓の外を眺めていた。開け放たれた窓からは夏の熱さを緩和する心地良い風が吹き込み、白い山高帽の下で切り揃えられている銀髪を揺らす。その左右で若干色の違う……金縁の片眼鏡を付けた右目は、超性能と呼ぶべき義眼であるのだ……切れ長の青い瞳には、新緑に染まった平原と、深緑に満ちた森林が、横から横へと映っては移り変わって行く。土壱最高の技術集団『七人教授』(ジーベンマイスター)の一人、猛り狂う『力』に魅入られた男、ハンス・エーヴァルトが既存の蒸気機関を過剰に改造して造り出した『超蒸機関』を搭載した機関車は、その鉄と樹で出来た巨体を只管前へと突き進ませる。
 車窓から見える風景のその一つとて、同じものは決して無かった。
 現れ、流れ、消え、また現れる光景をじっと見つめるヴィルヘルムは、そこからついと隣へと視線を動かした。
 そこにはドルトヒェンが、向かい合う形で反対側の席に座っている。
 彼女の好奇心に満ちた猫の様に大きな青眼は、ヴィルヘルムが景色を見ている間もずっとその手元、二人の間に置かれた机の上に注がれていた。そこには正方形に切られた新聞紙の束があり、ドルトヒェンは先程からずっと、その内の一枚を鼻歌交じりに折り込んでいる。
 新聞紙は中央で半分にされる、更に半分にされる、或いは開かれ、折り目を中心に角を中央へ向かわせる等の複雑な行程を経て、唯の正方形からより無数の角を持った別の形状へと変化を遂げて行く。彼女の傍らにはそうやって生み出された、抽象的な獣や鳥の形をした紙の造形物が幾つも置かれていた。
 ヴィルヘルムがドルトヒェンに、紙を用いて形を作るこの様な折り紙をさせているのは、義指の鍛錬の為である。ただ折る事のみを行うこの遊戯には道具の代わりに繊細さが必要であり、有効な訓練法の一つであった。また、義体中最も神経糸を使用しているのは義指であり、それを鍛える事は他の義体を動かすのにも役立つのである。フリードリッヒ・フレーベルが幼児教育の為に制定した恩物の効能は、決して伊達では無いという事だ。
 そしてその動きを見れば、ドルトヒェンがどれだけ熱心に練習して来たかが、ヴィルヘルムには良く解った。白い陶器製の指は淀み無く、素早く動き、無味乾燥とした文字とは違う生命の息吹が新聞紙に注ぎ込まれて行く。素晴らしき技術だ。以前にも思ったが、これ程まで精巧に義体を操る者には逢った事が無い。彼女がこのまま成長し、世に出れば、きっと卓越した義体遣いとして歴史に名を残すだろうと、彼は半ば本気で思った。
 同時に、何とも言い難き哀しみが、ヴィルヘルムの胸中をまるで一陣の突風の如く襲う。
 もう二ヶ月以上前になる、あの『ヴィルト家の惨劇』が無ければ、ドルトヒェンはこんな才能を見出す事も無く、ごくごく普通の少女として育った事だろうに。またその惨劇を起こした人物は全身戦闘用義体遣いのヴォルフ・ティークだが、彼をその様な姿に変え、更に狂気に走らせたのは他ならぬ自分の兄なのだ。極論になるが、それはヴィルヘルム自身が、ドルトヒェンの四肢を食い千切り、義肢に変えたと言っても良いだろう。
 彼はその事についてとても申し訳無く思う。と共に、今もまたそんな恐るべき実験を繰り広げているという兄、ヤーコプ・グルムバッハを止めなくてはと考えていた、いや考えさせられた。自身の罪が、彼を止められたのに止められず、見過ごして来たというその罪が許される為にその理由が何であろうとも、と。
 そうして彼は、自身へそんな風に思わせてくれた、今は折り紙に励んでいる彼女の方を見た。
 その視線に気付いたのだろう、ドルトヒェンも顔を上げてヴィルヘルムの方を向く。
 二つの青い視線が空気の上でしっかりと結ばれた。
「やだ何、どうかした?ヴィルヘルム。そんなに見つめちゃって。」
 紙を折る手を止めると彼女は、少女というよりも少年と言うべき、人を試しているかの様な微笑みを口元に浮かべてそう言った。胸が軽い衝撃を受けるのを感じながら、ヴィルヘルムは頭を振りつつその言葉に応える。
「いや……何だ、上手くなったものだな、と。改めてそう思っただけだ。」
「お世辞、じゃないわね貴方の場合。嬉しいわぁ、そんな風に言ってくれると。」
 彼の台詞に、ドルトヒェンは本当に嬉しそうに、ふふっと口元に白い手を当てて笑った。波打つ美しい黒髪がふわりと揺れて、艶やかな少女の香りがこの距離に居ても鼻を突く様である。
 その姿に、白いフリルのドレスを着た、銀色の髪の可愛らしい乙女の影と重なった。
 別の意味で心臓を高鳴らせたヴィルヘルムを尻目に、ドルトヒェンは再び折り紙に取り掛かる。
 瞬きして彼女を見れば、既にその影は消えていた。
 白いドレスは眼の冴える様な赤いドレスへと戻っている。
 ふぅと肺に溜まった空気を吐き出しつつ、彼はまたかと訝しがった。
 ヤーコプを止めると誓った解鎮絃六月の夜以来、ヴィルヘルムの中で、ドルトヒェンと妹であるシャルロッテ・グルムバッハを重ねるその頻度は、以前より増していたのである。
 鐘琳へ行く為に衣服や工具を纏めて荷造りをしていた時も、暫く留守にすると女中兼看護部であるブッフ婦人や患者の方々に告げていた時も、解鎮絃刑事警察警部、だが実際は『鉄血宰相』オットー・フォン・ビスマルクの使いの者であるベルトルト・サヴィニーを通じて鐘琳政府及び警察に電報を送らせていた時も、ヴィルヘルムの傍らには常に幼くして死んだ彼女、愛らしい銀髪を揺らすロッテの姿があった。
 その影は指に刺さった棘の様に、しつこく何処までも彼に付いて回っている。
 何故なのか。
 その理由をずっと考えているが、答えは未だ出て来ていない。
 もしかしたら、一生解らないものであるのかもしれない。
 どちらなのかすらも、ヴィルヘルムには判断しかねた。
 ただ言える事は、自分がドルトヒェンを、妹と同じ様に特別に感じている事であり。
 そう想うに足りるだけの何かが、二人には共通しているという事であった。
 或いはそれこそが、かつて自身が非科学的と断じた『魂』であるのかもしれない。尤も、哲学者でも神学者でも無い、唯の技術者、義体職人であるヴィルヘルムにその正否を決める事は出来なかったが。
 更に、たとえ魂の近似が正しかったとしても、本人に言う事は決して無いだろう。それが、自分に良く接してくれているこの少女に対しての酷い侮辱になる事位、彼だって良く解っているのだ。
 ヴィルヘルムがその様な思考を続けている間も、ドルトヒェンは紙を折り続けている。白磁の手の中でそれは、既に明白な馬の形に成ろうとしていた。本来ならばそこで終わるのだろうが、彼女は更に折り続けている。
 何を造っているのかと、じっと見ている間にも十本の指は動き、器用に紙を折って行く。
 暫くしてその動きが停止した。
 ドルトヒェンは、満足そうな笑みを浮かべると、出来上がったそれをヴィルヘルムに差し出した。
「どう?これ。結構自信あるんだけど、上手く出来ているかしら。」
 それは頭部から一本の鋭敏な角を生やした馬、一角獣の折り紙であった。
 成る程先程からずっとこれを造っていたのか、とヴィルヘルムは思いながら、その出来栄えを見た。生憎と、彼は折り紙の専門家では無かったがしかし、それは素人目に見ても実に素晴らしい出来であった。
 ふっと口元を綻ばせると、ヴィルヘルムはドルトヒェンへと言った。
「私には難しい質問だな。褒めるべき所しか見つけられないから、批評の仕様が無い。」
 彼の台詞に、彼女はきょとんと一瞬眼を丸くさせた後、頬をうっすらと染めながら微笑んだ。
「本当、一体どうしたの貴方。今日はちょっと変よ?」
「……そんなに変か?」
「えぇ。まるで風蘭守人か、至梨亜(イタリア)人みたい……嬉しいけど。」
 そう言ってはにかむドルトヒェンに、ヴィルヘルムの唇も緩む。
「さぁ……久しぶりに列車に乗った所為、かもしれないな。脳が揺れて、舌が刺激された。」
「それが何時もだったら、凄く素敵なんだけどね。」
 彼の言葉にそう応えると、彼女はすっと立ち上がって言った。
「じゃ、ちょっと風に当たってくるわ。直ぐに戻って来るだろうけどね。」
 その頬は着ているドレスと同じ位に赤みがかっている。
 ヴィルヘルムが頷くのを見ると、ドルトヒェンはそそくさとばかりに車両の外へと出て行った。
 後には白亜の紳士と、そして一角獣を始めとする紙の獣達が残される。
 人気の少ない客席の間でかなり目立つその真紅の姿が視界より消えると、ヴィルヘルムはふぅと溜息を零した。
 先に言った台詞の半分は本当であるが、もう半分は嘘である。
 彼の青い瞳の中でドルトヒェンには、絶えず白い影が付き纏っていたのだ。扉の向こうへと行くその瞬間まで。
 きっとこれの所為だ、とヴィルヘルムは一角獣の方へと目線を向けた。
 清純なる乙女を好むと言う獣は、伝説の様にその魂を誘い、兄の元へと運び行く。
「お帰りなさいヤーコプ兄様、ヴィルヘルム兄様。」
 いや、運ばれたのは自身の方であるのかもしれない。
 心中にて思い描かれるのは、かつて住んでいたハーナウの屋敷。
 自分もヤーコプも幼く、そして家族皆が幸福な生を謳歌していた時。
「ただいまロッテ……何だ、また御伽噺か?」
「うん、そう。だって母様はルードヴィヒのお世話に忙しくてちっとも構ってくれないんだから。」
「むくれちゃ駄目だよロッテも、ヴィルヘルムも、ね。さぁ御本をお出し、今日は何を読もうか?」
 二人の兄が学校から帰って来る度に、妹は彼等に良く物語を請うたものだ。
 それは日々時々によって様々であったが、多くはグリム童話……今思うと、その作者の名前や生い立ちに共通点を感じるものだが、当時はそんな事は知らなかった……を読ませられた。
 私とヤーコプは話を進ませながらそれぞれ対の存在を、例えば王子と悪魔、狼と少年などを演じ、読み合い、ロッテを喜ばせた。それは自分も同様で、最初こそ嫌々だったが、やっている内にその行為が愉快になって行った。
 それもやはり妹の存在があってこそだったろう。彼女はとても嬉しそうに、私達の言葉へ耳を傾けてくれた。
「えぇヤーコプ兄様もヴィルヘルム兄様も大好き。ロッテの為に遊んでくれるからっ。」
 役柄の中で、拙い土壱語ながらもそれだけは自分がやると言って聞かない姫の役を演じながら、ロッテは言う。
「ずっとずっと一緒がいいわ。他の人と結婚なんてしてあげない。ロッテはずっと、兄様達のお姫様よっ。」
 そうしてロッテは、誰の魂であれ掻き乱さずには居られない、愛くるしい微笑みを浮かべた。
 その笑顔が、別の顔へと変わる。
「ねぇヴィルヘルム……ヴィルヘルム?……もしもーし、おーい、やっほー。」
 ドルトヒェンの茶化す様な言葉が耳の奥に届き、ヴィルヘルムははっと白昼夢から解き放たれた。
 彼女の顔が間近に見える。首を傾げながら少女は、訝しそうに青年を覗き込んでいた。
「大丈夫?やっぱり何処かおかしいんじゃないかしら貴方。」
「あ、あぁ……いや平気だ、ありがとう。少し呆としていた。」
 心配そうに尋ねるドルトヒェンに、ヴィルヘルムは努めて明るく返す。
 その試みはどうして、少し上手く行かなかった。
「ならいいんだけどね。寝不足?何、貴方、眼を開けて眠る人だったの。知らなかったわ。覚えとか無いと。」
 腰に両手を当てると、鼻から息を吐きつつ彼女はそう皮肉っぽく言った。
 それは普段から良く言う言葉であり、つまりは自分の身を案じてくれているのだ。
 その心遣いにヴィルヘルムは感謝の想いで一杯になると共に、あの様な幻想に浸っていた自分を恥じた。
 どれだけ似ていようと彼女は彼女であり、妹は妹に過ぎないのである。
 それを同一視するなんて失礼極まりない事だ。以後、気をつけなくては。
 だが本当に出来るだろうか?
 ドルトヒェンの華奢な体を抱き締め、可憐な涙を味わって以来、幻視は酷くなっているというのに。
 そんな疑念を無理矢理打ち消しつつ、努めて笑みを浮かべながらヴィルヘルムは尋ねた。
「所で、戻って来たという事は何か用でも?」
「えぇ。見えてきたわ、もうそろそろ到着、ね。」
 言われて窓から顔を出せば成る程、線路が進む方に、緑の地平からそそり立つ様にして黒い塊が見える。
 風に飛ばされぬ様帽子を押さえながらそれを確認したヴィルヘルムは、己の思考を完全に切り替えた。
 二人の少女の間にある親和性は重要な事柄かもしれないが、今行動すべき事態は別にある。
 すっと首を引きながらこちらを見詰めているドルトヒェンに頷くと、彼は再び目的地へと視線を向けた。
 義体大国・土壱を支える、世界大都(メトロポリス)の一つ。
 帝国統一の中心国である、斧炉西(プロイセン)が首都。
 ヤーコプが居る、石と鉄で築かれた街。
 『機巧都市』……鐘琳へと。

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