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 今作は、ケビン・コスナー演ずる西部劇の英雄、ワイアット・アープの生涯(正確には少年時代から、OK牧場の決闘を経て、カーリー・ビルらを撃ち取るまで)を描いた伝記映画である。何か無いかとGYAOを開いたらやっており、前見た『許されざる者』が面白かった為に、同ジャンルという事で視聴。そしてついさっき見終わったので感想を書こうと思う。
 まぁ兎に角長い長い。三時間十五分もある。最長という訳では無いが、しかし最近見た中ではかなり長い方であり、深夜に見始めた事もあって、何度も意識が落ちかけてしまった。人間の集中力が持続するのは九十分までで、実際多くの映画はそれに合わせて作っているらしいが、確かにその通りだな。

 そんな長い上映時間を掛けて何が描き出されるのかと言えば、一人の人間としてのワイアット・アープだ。

 故に、この映画の中の彼は決して英雄と呼べる人物では無い。

 寧ろ率先して駄目人間である。

 その死に自棄になる程愛していた妻が居たのに娼婦に靡き、そうかと思えば別の女に簡単に鞍替えする。最初の妻の立つ瀬が無い上に、そも鞍替えした方の魅力が全く描かれていないので、ワイアットは唯の浮気者にしか見えない。また保安官の仕事も勤め、クラントン兄弟と敵対する訳だが、そこには正義感というより私憤がありあり見られ、共感はし難い。家族の絆を口にしながら血の繋がっていない兄弟の妻達にはきつく、その兄弟を死以外で省みる様な場面も無い事も、彼への感情移入を妨げる。その様な一連の精神不安定さを、妻の死の影響と見る事も出来る(実際端々にそれは見える)が、聊か描写不足で、最初の浮気っぷりもありとてもそうとは思えない。この役を演じたケビン・コスナーがラジー賞最低主演男優賞を取ったそうだがさもありなん、である。

 その様に、ある意味では物凄く人間的に、リアルにワイアット・アープという男を描いており、そのセットや服飾に拘った事と相俟って、正に伝記と呼ぶべき作品に仕上がっている。作中で「英雄は噂を通して作られる」と語っていた通り、西部の英雄像は後の伝聞、映画によって作られたもので実際は違う、所詮は唯の人間だ、という事を描くという意味では至極成功していたと言えるだろう。

 ただその成功が、映画としての面白味に繋がっているかといえば、断固として否だ。

 個人的にはそこそこ面白かったには面白かった。だがそれは映画として面白かった訳では無く、雰囲気ある西部の世界を感じ、また諸作品を見た事の無いワイアットの生涯をまがいなりにも知る事が出来たという知的な面白さである。歴史の教科書、ドキュメンタリーを見て「そーなのかー」と頷く感覚であって映画的娯楽では無いのだ。

 映画もとい作品に置いて、テーマはいの一番で大切なものだ。だがしかし、作品である以上は面白くなければならない。教養と娯楽が真に合致した作品を自分は完璧且つ完全な作品だと思うが、そこまで行かなくとも、何かを知らしめる為に見る者を楽しませる必要はあると思う。

 また虚構に築かれた存在を、現実はこうだったとしたり顔で語るのも個人的には微妙だ。確かにそうだったかもしれない、が、だから何だと言うのだ。リアリティなるものは要するに説得力で、その映画の、作品の中で如何にそれっぽく見えるかが重要なのだ。全くの嘘だとしても、疑われなければ何も問題は無い。あえて崩すのも良いとは思うし真実を知る面白さも認める所だが、そうする事で娯楽性が損なわれるならば作品として本末転倒であろう。

 まぁ何というか、凄い偉そう(何時の事だけれど)に言えば、作品というものを何か勘違いした作品である。少なくとも三時間掛けて行うべき内容とは思えず、自分としては歯痒い映画だった。諸作品に対するアンチテーゼとしても、もっと色々、こう、やりようはあったと思うのだがな。まぁ西部時代のリアルな映像とさり気に良い音楽、ニヒルな悪党ドク・ホリデイの姿、それからある種の反面教師を見聞きするには良い作品かもしれない。
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