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 醒暦1880年 八月 詠霧趣(イギリス)西南部 サマセット地方
 嗚呼どうしてこんなに退屈で退屈で仕方が無いのかしら。
 年季がかった木製の机の上に突っ伏して、傍らに置かれた花瓶の中に容れられている薔薇の葉を物憂げに引き千切り手で弄びながら、ロリーナ・ドジソンは、今日一日……まだ午後一時という所なので半日と言い直そう……だけで何度も口にしている言葉を、またしても心の中で呟いた。
 学校が夏の休みに入り、論曇(ロンドン)からここ、グラストンベリーにやって来てもう一週間になろうとしている。しかし彼女は、こんな田舎でどう過ごしたものかと、ずっと考えあぐねていた。
 そもそもこの土地を選んだのは彼女では無く、彼女の両親だった。
 彼女達家族は、食うに困る程金が無い訳では無いが、さりとて働かなくとも良い程に金がある訳でも無い、絵に描いた様な中産階級に属していた。
 だから両親は、猥雑で陰鬱な灰色の首都で過ごしている間に得たそれなりの貯蓄を使い、一ヶ月近くの間、何をするでも無く自由に、穏やかに過ごそうと考え、ここを選んだに違いない。
 違いない、というのは、父親も母親も、ロリーナに一言も相談せずに場所を決めてしまった為で、彼女はその事をずっと知らなかったのだ。
 前日になって旅行の事を聞いた彼女は、強く反対した。保養地にしてももっと良い場所があるだろうに、と。けれどもその意見が聞き入れられて貰う事は無く、半ば無理矢理にロリーナはここまで連れて来られてしまった。
 何時もそうなのだ。彼女の願いが、考えが、想いが受け入れられた事なんて一度も無い。子供の癖に口出しするんじゃない、と何時も否定される。もう十三を数える年齢であるというのに。
 そんな彼等は、実の娘を放って、田舎の自然と、歴史的な観光を楽しんでいる筈だ。この街の郊外には、あの英雄アーサー王が死して向かった約束の地、芳醇なる林檎の島(アヴァロン)の元になったと言われる丘があり、見渡しの良いそこの天辺には、天高く伸びる門が聳え立っている。他にも随所にその手の遺跡が転がっていた。だが先にも書いた通り、ロリーナはもう十三歳。御伽噺を信じる様な年齢では無いし、学問を志している訳でも無いから、大昔の、居たかどうかも解らない様な王様のお墓や廃墟になんか興味は無い。
 こんな事なら、何としてでも論曇(ロンドン)に残るべきだったわ。
 それでも余り変わり映えはしなかったかもしれないけれど、と、溜息を漏らしつつ、ロリーナはそっと手から薔薇の葉を離す。縁に付いたぎざぎざの、全体を覆うざらざらの感触が少し気に入っていたが、流石に飽いてしまった。今度は、ひらひらと板張りの床へ落ちて行く緑の欠片を目で追って行く。どんな風に回りながら落ちるのか、何処に行くのかを予測するのは新たな気晴らしになったが、それも僅かな間だけ。彼女は、葉の色より明るい新緑の瞳を伏せる。結局何処に落ちたのか確認する間も無く、葉は風に飛ばされて外へと飛んで行ってしまった。
 再び瞳が開かれると共にロリーナは、窓辺に差し込む午後の光によって照り輝く、肩程まで軽やかに流れて行く黄金の巻き毛を振り上げながら、勢いをつけて身を起き上がらせた。椅子の背の上、行儀悪くも両手を枕代わりにして頭を乗せて、考えるのは、学校の友達の事である。論曇(ロンドン)の事を考えている内に、彼女達の事が気になってしまったのだ。
 今頃何をしているだろうかもっと素敵な所で楽しく過ごしているだろうか、と。
 特に気になったのは、あのアデル・ボールドウィンの事である。
 仲の良い友達、と呼ぶには喧嘩が絶えなかった。というよりも、ロリーナが何かにつけてアデルにちょっかいを掛けるのだ。それで良く言い合いになり、ついには殴り合いにまで発展させてしまう。そんな関係だ。
 何故そうしたくなるのかといえば、その反応が面白いからに他ならない。
 アデルは、幾分無愛想だが、何事に対しても生真面目な少女で、他愛の無い一言でも本気で受け取ってしまう。何時だったかは忘れたが、年の離れた兄が父親と後を継いで警察官になるという事に彼女が愚図り、一悶着あったという話を人伝に聞いた時は、最高に愉しかった。授業の合間に、ロリーナはアデルへ、「お兄さんが危険な仕事に就くのが嫌なのね貴女。嗚呼何て兄想いな子なのでしょう。お兄さんの事が大好きなのよね。」と冗談半分に言ってやったのだが、そう言われた彼女は良く熟れた林檎の様に真っ赤にさせて俯いてしまったのだ。その表情が可愛くておかしくて、ロリーナは破廉恥にも大笑いしてしまった。人目も憚らず、涙が滲む程笑った事はあれ以来無い。尤も次の瞬間、眼を吊り上げながらアデルが放った掌によって、ロリーナの頬も赤く染まってしまった訳だが。
 そんな事を思い出して、彼女はくすくすと笑う。
 そしてまた、今あの娘は、大好きなお兄さんと一緒に居られているだろうか、と考えた。考え、考えて、それがどの様なものにしろ、自分には確かめる手段など無いのだという事に気付き、思い出し笑いを止める。
 その思考と表情を賽の目の様にころころ変えるロリーナは、今度はまた憂鬱そうな溜息を発した。
 答えの決して得られぬ物思いに耽るしか、ここではする事が無いのだ、本当に。
 後は、即興で思いつく様な子供の手遊びか、或いは、何度『嗚呼どうしてここはこんなに退屈で退屈で仕方が無いのかしら。』という言葉が脳裏を過ぎったかを数えるか位だろう。ロリーナはその数を正確に覚えていた。今日起きてからの回数を合わせると、五十一回になる。朝の八時前後に起きた事を考えると、一時間に十回の勘定だ。なかなか記録物では無いだろうか、我ながらに。
 そう考えた自分に少し笑いながら、しかし余りのくだらなさに直ぐ唇を閉ざし、彼女は五十二回目になる『嗚呼どうしてこんなに退屈で退屈で仕方が無いのかしら。』を無音で唱えようとした。
 『嗚呼、』までが、空気を介さぬ言葉として紡がれた時、ロリーナの耳に馬の蹄と車輪の音が届いた。馬車だ。どうやら彼女達が滞在している宿の前に留まったらしく、馬の嘶きや御者の声が直ぐ傍で聞こえてくる。
 ロリーナは、何気なく、宿泊している二階の部屋の窓から首を出し、外を見た。
 途端に心臓が高鳴った。
 まさか、と思ったが、自分がこの眼で見たのだから、間違えようが無い。
 退屈、などと嘆いている場合では無くなった。妄想に華を咲かせる必要も、だ。
 何せアデルでは無いが、自分の待ち人が、愛人がやって来たのだ。
 それもかなり予想外なこの瞬間にっ。
 居ても立っても居られず、ロリーナは青いスカートを翻しながら部屋の外へと駆け出した。狭い廊下で通り掛かった若い女中を避けつつ走り抜け、誰も見ていないのを良い事に階段を三段一気に飛び降り、出口へと向かう。
 両開きの厚い木製の扉を力任せに押し開けて外に出れば、涼しげな風が吹き抜ける空の下、あの人が今正に、馬車から荷物を下ろし、こちらへと向かっている所だった。ロリーナは駆け寄りながら、思わずに叫んだ。
「ハーバート叔父さんっ。」
 地面に置いた大きめの旅行鞄を持とうとしていた来客、ハーバートと呼ばれた男は、さっと鞄を降ろすと、
「ロリーナ、ロリーナじゃないかっ。」
 両手を広げ、その細くもしっかりと筋肉が付いた胸の内で少女を受け止めた。背中に腕を回して抱き付いたロリーナは、上品なフロックコートへ額を押し付けると、母猫に対する子猫の様に擦り動かし、その感触を堪能した。暫しの時間の後、満足して首を上に傾ければ、ぱっと真紅の華が花開いた様に笑みが浮かび上がる。そしてその唇からは、自分の肩に手を回して抱擁してくれている者に対する明朗快活な言葉が、まるで超蒸機関式紡績機によるものの如く、紡ぎ出された。
「お久しぶりハーバート叔父さん。帰って来たなんて知らなかったし、こんな所に来てくれるなんて思いもしなかったわ。お仕事は済んだ?今度は何処に行って来たの?寅怒(インド)?阿真利火(アメリカ)?阿附利架(アフリカ)?それとも日本(ジャパン)かしら?嗚呼、野蛮な所に行って、病気に掛かったりしてないでしょうね?
 それから一番大事な事。私に対するお土産はっ?」
 矢継ぎ早に放たれる台詞に、ハーバートはそのロリーナの三倍以上になる年齢の割に皺の少ない整った顔立ちへ、少々の苦さを加えた味のある微笑みを浮かべながら、自分の小麦色の髪の毛よりも輝かしい色のそれにそっと手を乗せて、
「今日は、久しぶりだねロリーナ。
 家に行ったらメイドにここだと言われてやって来たよ、元気そうで何よりだ。
 だが、幾ら元気だからって、そんな一気に語り掛けないでくれ。
 僕の口は一つしか無いのだから、一度に全てを答える事は出来ない。
 後で一つずつ、順番に、ゆっくりと語らせてくれよな。
 まぁ重要な事を二つ、先に言って置いて上げよう。
 僕は病人じゃないし、君へのお土産も勿論あるさ。」
「それはとっても愉しみだわ。何があるのか、期待して待たせてもらうわね。」
 髪の毛を抜ける心地良い指を感じながら、ロリーナは眼を輝かせてそう応えた。

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