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 →第二章
 そして気がつくと、ロリーナは独り、自分の部屋のベッドの上で寝ていた。
 窓から差し込む日差しが心地良い。外を見やれば、朝日と呼ぶには聊か登り過ぎな太陽が輝いている。どうやらあのまま眠ってしまったのをハーバートが運んだ様だ。
 服は着ていない。脱いだそれは畳まれて、椅子の上に置かれている。
 彼女は着替えようとして起き上がり、首から下がっている鎖に気がついた。胸元まで垂れたその先には、楕円形にカッティングされた、青い輝きを濃く煌かせる上等のサファイヤが付けられている。寅怒(インド)だと、カシミール地方で取れるものが高品質な事で有名であり、恐らくはそこから取れたものであろう。
 ハーバートが言っていた土産とはこの事だったのねとロリーナは微笑み、満足そうにそれを見つめた。そして彼女は彼に礼を言おうと、改めて起き上がり、新たな……サファイヤの青が映える様な赤い……服に着替え、部屋の外へと出た。首飾りを手で弄びながら廊下を歩み、昨夜自分と愛人が情事を共にした部屋の前に立つと、扉を軽くノックする。
 返事は無かった。
 もう二度、三度やっても中から声がする事は無く、ドアノブに手を掛ければ錠前が耳障りな音を立てる。訝しがっていた所に丁度良く女中がやって来たので、ロリーナはこれ幸いにと尋ねて見た。
「お早う。ねぇちょっと聞きたいんだけどさ。
 ここに泊まっている人、何処か出掛けた?」
「お早うございますお客様。
 あぁ、そちらの部屋の方でしたら、別のお客様と出掛けられましたよ。」
 恐らくはこの宿を営む者達の娘なのだろう、まだ少女と呼ぶべきその女中は、僅かに頭を下げながらそう応える。
 その望まざる答えに、ロリーナの心は聊か傷付き、同時に腹が立った。
 普通、あんな夜の後の朝に、恋人を放って遊びに行くかしら。
 勿論そうせざるを得ない理由はあっただろう。一緒に行った『別のお客様』とは、明らかに彼女の両親の事だ。一ヶ月ぶりに出会ったのはロリーナだけでは無い。父と叔父がその血の繋がりを、母と叔父が家族の関係を深めようと観光に誘ったとしてもおかしくは無いし、ここでは他にする様な事も無い。当然と言える事だ。恋人が寝ていたとしても、その仲は秘匿されているのだから、それを理由に兄弟及び義兄妹の親睦が拒否される事などありえない。加えてその恋人は疲れ果て、ぐっすりと眠りに落ちていたのだから。具体的な時間は解らないが、太陽の位置からすればもう午前が終わるのも近いだろう。
 だが理由を挙げ連ねても、そんなものは頭で生み出されたものに過ぎない。
 胸の中で形作られて行く感情を収める為に、それらの思考は少々弱過ぎた。
 置き去りにされた事で、ロリーナは態度と表情でそれと解る程機嫌が悪くなる。
 どうせなら起こして一緒に連れて行ってくれても良いじゃない、と彼女は思った。ハーバートは、彼女を子供だからという理由で区別、差別なんてしない人間だ。頼めば父を説き伏せてくれただろう。
 嗚呼、それをしなかったのだから、やっぱりあの人が悪いわね。
 ロリーナは、聞く者が居れば身勝手な物言いと咎める様な事を思うと、肩を苛立たせて部屋へ戻ろうとした。どうせ皆帰るのは夕方か、少なくとも午後になってからだ。ならば何時までもここに居ても仕方が無い。部屋に戻ってまた無為に時を過ごそう。帰って来たハーバートを叱責する事を願いつつ。
「あの、」
 その時彼女の背中に向けて、女中が声を発した。
 「何?」とロリーナは機嫌悪そうに振り返ると、その顔へ眼をやった。癖の強い赤毛にそばかす交じりの頬といった垢抜けなさはあるがそれでも決して器量の悪い訳では無い、田舎の華と呼ぶべき相貌を朱に染めて、女中は何か言いたげに俯きつつ、白いエプロンドレスの中ほどを握っている。
「……何かしら。用があるならさっさと言って欲しいんだけど?」
 煮えきらぬ少女の態度に、ロリーナは尖った言葉をその強張った唇より発した。
「……。」
 それでも女中は所在無さげに下を向いたまま、顔を赤らめているだけだ。
 ロリーナは胸をむかつかせながら、再び語気の強い催促の言葉を上げようとし、はたとある可能性に気付いた。
 嗚呼この娘もしかして――
 そうして彼女は、心の中からぽつんと浮かび上がったその可能性を、不機嫌故に酷く嫌味っぽく口に出した。
「……嗚呼……何が言いたいのか解ったわ。
 貴女……聞いてたのね?この部屋の中で何があったのか、を。」
 その台詞に女中の小さな肩はびくりと飛び上がった。同時に赤い頬はその髪の毛の色と同じ位に紅く染まり、眼は頭一つ小さい同年代の少女から逃れんとするかの様に、四方八方へと泳ぎ回る。
 やっぱりね、とロリーナはにやりと笑みを浮かべた。この宿の部屋の壁はそれ程厚く無く、床だって決して頑丈なものでは無い。間の離れた両親の部屋まで聞こえる筈は無いが、隣や下の部屋なら異変を察せられただろう。そして一階は、宿主の家族が寝泊りするのに使っているのだ。
 そして更にロリーナは、女中の方に一歩近付くと、再び鋭い言葉を投げ突けた。
「女中なら貴女、私とこの部屋の人がどういう関係かは解ってるでしょうね。家名は一緒なのは、宿泊帳を見れば丸解り。ええそう、そういう事。私達はそういう関係……それで?それを知った貴女は、私をどうするつもりかしら。黙っていればそれで済んだのに、声を掛けたって事は何か考えがあったって事よね?何かしら?お金を集るつもり?私達の関係を、ばらして欲しくなければ、ってね。」
「いえそんなつもりはっ。」
 捲くし立てる様に放たれる台詞に、女中は色めき立ち、慌てて顔を上げると、必死にそれを否定する。
 その反応で、胸に溜まっていたものが薄らいで行くのを感じつつ、ロリーナはもう一歩踏み込んで言った。脅迫を目的としたもので無いと言うならば且つ自分と同じ年代の少女ならこういう事でまず間違いあるまいと、我ながら驚くべき頭脳の回転によって導き出された解答を口にする。
「そう。じゃぁつまり貴女は気になったのね?私と彼の行為が。」
 それが図星だったのだろう、女中は言葉に詰まり、うっと呻き声を上げた。
 ロリーナは、ふふっと巻き毛を振るわせつつ、そっと耳元に唇を近づける。
「気になるんだ。それで声を掛けたのね。いいわ、教えて上げる。どんな感じでどんな風か、ね。」
 そうして語られようとした言葉はしかし、女中に伝わる前に潰えてしまった。微かな息を吹きかけつつ、ロリーナが唇を開いた矢先、女中自身が大声で「失礼しますっ」と言うや否や一目散に逃げ出してしまったからだ。
 まるでアデル・ボールドウィンみたい。
 初心な態度がとっても可愛らしいったらありゃしないわ。
 去り行く背中を眼で追い駆けながら、ロリーナはクスクスと愉しそうに笑った。

 その様な女中の反応によって、目覚めてから直ぐに悪くなっていたロリーナの機嫌も幾分かは良くなった。けれども完全に戻った訳では無く、結局その日の残りの時間も、彼女は鬱屈した気分で部屋に篭っていた。
 故に彼女は、夕方、父と母、叔父が帰って来ると、直ぐに彼の元へ駆け寄って、
「お土産ありがとう叔父さん。
 けど、一人だけ残して勝手に行くなんて酷いじゃない。」
 と、そう僅かに頬を膨らませつつ囁いた。
 対してハーバートは、年長者らしい包容力のある微笑みを浮かべてその黄金の髪の毛を撫でると、
「ああ、それは悪かった。
 けど君も悪いんだよ、僕を放っておいて勝手に寝ちゃうんだからね。
 まぁ何、君のお父さん……僕の兄貴が、面白い土産話を聞かせてくれるから。」
 そのまま先へ行くロリーナの父に続き、宿の中へと入って行ってしまう。
 何が土産話よ、と彼女は憮然としたままだったが、しかし少し興味はあった。
 父の事だからどうせ大した事では無いとも思う。
 それでもこの不満を少しは解かしてくれるだろう。
 その様な僅かばかりの期待を込めて、今宵も開かれた茶会に参加していたロリーナだったが、父の話、今日自らが見たという存在については、隠し切れぬ驚きを示すと共に、非常な好奇心を沸き立たせられた。

 正午が少し過ぎた位の頃、父と叔父、そして母は三人別れて森の中を散策していた。遺跡では無く唯の森、という辺りがロリーナには理解出来なかったが、『自然に帰れ』という事なのだろう。実に古臭い思想だ。
 そうして独り森の奥へと進んで行った父は、そこで葉がこすれ合う音を聞いた。
 一体何だろうと、音がした方を向いた彼は、たちまちに仰天した。
 高く聳え立つ二つの木々の間で、一頭の白い馬が立って、こちらを見つめている。まだ小さく、生まれて間もないといった様子で、肌を通して薄っすらと血管が透け出ており、まだ短い鬣がそよ風で揺れていた。
 だが、そんな事よりももっとずっと印象的だったのは、その頭部から生える一本の角だった。細く長く、螺旋を描きながら天へと伸び行くそれは、言い知れぬ美と、身震いしたくなる様な威厳を称えていた。
 一角獣。
 今醒紀に入り、神話の中にのみ生きていた幻獣達が、現実の生物として相次いで確認されているのをロリーナの父も知っていたが、しかしまさかこんな所で、それも自分が遭遇する羽目になるとは。
 そう暫くの間、父はただ呆然と立ち尽くしていたが、我を取り戻すと白い一角獣の元へ歩み寄ろうとした。もしその時父がもっと冷静だったならば、一角獣に関する言い伝えを思い出していた事だろう。だが彼にその様な余裕は無く、ただもっと見たい触りたいという一心で、近付いてしまった。
 そして案の定、処女以外に懐かないと言われるその獣は、父が動くや否や直ぐに身を翻すと、あっという間に森の更に奥の方へと駆けて行くと、現れた時と同じ葉音を立たせながら去って行ったという。

「まぁ……そんなものがこの近くにいるだなんて。」
 話を聞き終えたロリーナは、わざわざ口に出す事で、改めて事実を認識した。
 何も無いと思っていたけれど、面白そうなものがある、いや居るじゃない、と。
 母も叔父も、大なり小なり今の話には懐疑的だったが、少女の心は興味で一杯だった。だからだろう、彼女は、ちらりとハーバートの方を見つつ、父に向けてこう言った。
「ねぇ父さん。私もその一角獣を見てみたいわ。
 明日、一緒に森へ連れて行ってくれない?」
 その言葉に、母も含めた両親は目を見開いて驚き、森は危険な場所で大事な一人娘に何かがあっては困る、一角獣は下品で凶暴な生き物とも言われているのだと、口々にまくし立てる。
「まぁまぁ、良いじゃないですか。
 彼女ももう立派な貴婦人であるし、それに僕が付いて行きますよ。」
 それへ苦笑いを浮かべつつ制したのは、ハーバートだった。
 愛する姪の頼みとあって、無碍にする事は出来ない。
 彼が、どうせ本当に居るかどうかも解らないのだし、と言えば、両親共に黙る他無かった。ロリーナは感謝の言葉を述べると、彼の背中に腕を回し、逞しい胸板に顔を摺り寄せた。
 だが、ハーバートはハーバートで、別の事を心配していた。
 鼻に掛かる金髪に擽ったそうにしながら、彼は彼女の耳元で囁いた。
「もし一角獣にあったら、嘘でも良いから懐かれたって言うんだよ?解ってるね?」
 一角獣は処女に懐くというが、『処女』の頭には『心の清らかな』という言葉が付くともいう。精神に対する清濁の基準などなかなか判別出来るものでは無いが、叔父と秘事に及ぶ様な娘が清らかなのか、というと微妙な所だろう。またその行為も宗教的禁忌に触れたものだ。確かに彼女のその体は、純潔といえば純潔であったが、ある意味では街辻の娼婦よりも余程不純と言えよう。それを一角獣に、ひいては世間に見破られる事を恐れてのその言葉をロリーナは不快に思った。
 何よ偉そうに上から言って。私をそんな風にしたのは貴方じゃない。
 そして彼女は、僅かに眉間に皺を寄せながら、半ば冗談めかして、
「解ってるわよ。けれど、関係無い。その一角獣、私の虜にしてやるんだから。」
 貴方見たく、と囁き返すと、ハーバートの背中を指で抓る。
 うっ、という小さな呻き声が、ひん曲がった唇より上がった。

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