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 久しぶりに何だか上手く書けたので冊子に投稿した奴を。神秘の蛇は俺。異論は認める。
「ではここにサインを一つお願い致しましょう」
 そう言って差し出された承諾書に向けて、ダレン・エカンスはペンを走らせた。
眉間に皺を寄せながら『DAREN EKANS』と素早く綴り、音を立てて置いた金属の筆と共に紙を回転させると、笑顔の仮面を張り付けた中年の係員へ差し出した。
「これで宜しいかね?」
 たんたんと、己が名を神経質に指で打ち付けると、係員は尚も変わらぬ表情で、
「結構結構。契約は完了致しました」
 もう後戻りは出来ませんぞ、と片手の人差し指を口元へ引き寄せる冗談めかした仕草をした。それから片方を筆記用具へ伸ばし掴むや、さっと優雅に一礼して、
「では準備の為に少々お待ちを。その間に心の準備をお願いしましょう」
 ダレンの方へ骨筋張った背を向け、カウンターの奥へと靴音も無く消えて行く。独り後に残された彼は、憮然とした様子で部屋の脇に置かれている長椅子へと腰を降ろした。
 腕を組み、忙しなく辺りを見渡す。
 鼻先に乗せられた四角形状のレンズ越し、翠玉と蒼玉の双変異虹彩眼が視界に映るのは、清潔感漂う事務所の風景であり、特に音楽は無く、ただ天井に穿たれた窓から入り込む光が室内を照らしている。壁が白く塗られていれば、床の色もまた白であり、それが自然の、暖かな陽光によって眩しくも輝くならば、そこは何処と無く病院の中を思わすものであったけれど、しかしダレンはここがそんな場所では無い事を……少なくとも目的は患者を治療する為では無いのだという事を……良く、そう、良く知っている。
 彼は苛々とした様子で片足を揺すりながら、対岸にある白亜の壁の一辺を見据えた。
 そこには一枚のポスターが、一糸纏わぬ白い裸体で七色の後光を背負っている美しい少女が、両腕を大きく広げ、恍惚の笑みを浮かべて佇む姿が描かれている。
『I NEED YOU』
 彼女の剥き身の白い両脚が下には、その様な文句が黄金色に描き込まれていた。
 そんな人間等居る筈が無いのだというに。俺を必要とする人間だなんて。
 ダレンはその絵の中の少女を睨む様に見詰めた。見詰めながら片足を揺すり、別の足も揺すり、合わせて両の手の人差し指を太股が上で打ち付け、時に舌打ちを一つ、時に首を幾度か鳴らせながら、先程の係員が再び現れるまでの小一時間を待ち続けた。
「いやはやお待たせ致しました。それではこちらにどうぞ」
 それからそそくさと現れ、去って行った時と変わらぬ笑顔のまま、入口とは反対側に付けられた横開きの木製扉を指し示す彼に、ダレンは立ち上がって首肯した。
『JACK・B』と書き込まれている胸元の名札をちらと見据えつつ、どうぞどうぞと慇懃な動作で持って示された戸の方へと歩いて行く。
 ダレンが前に立つと、小さな吐息を吐きながら扉が横滑りした。
 その向こう側には、ここと変わらぬ白さを持った廊下が伸びている。
 奥に向けてゆったりと曲がって行くので奥は見えず、左右に別の戸も無い。彼にはこの廊下が、何処までも続いている様に感じた。決してそんな事は無いのにも関わらず。
「さぁ行きましょうか」
 何時の間にかダレンの横に立っていた係員はそう言うと一歩を踏み出す。
 両眼の瞼を落とし、その先を見据えようとしていた彼は、係員の言葉に少し戸惑ったけれど、だが何度か顔を横に振るうと、意を決した様に脚を動かし始めた。

 それは予想通り長い道程であった。
 曲がり角を超えてからその先に見えるのは更なる曲がり角であり、白い壁は何処までも汚れ一つ無く白いままで、別の扉もやはり見えて来ず、その終わりだって見えては来ない。
「一体この廊下は何処まで続くのかね、ジャック君」
 くっと眼鏡のブリッジを中指で上げつつ、ダレンは少し茶化した様に言った。
「ここですか? えぇ何処までも続きますよ、貴方が望み続けるまで」
 そこで脚を止める事無く振り向いた係員の顔には、名乗ってもいない名を呼ばれた事に対する動揺は微塵も感じられず、寧ろ意味深な台詞を持って彼の心臓を高鳴らせた。
「私が望み続けるまでとは……どういう事なのかね」
 その頬に一滴の汗を滴らせつつ、ダレンは言った。
 契約にはこの廊下について、何も書かれていなかった筈である。ただの一言足りとも。
 係員ジャックは彼の様子に尚も変わらぬ笑みと、更に含みを帯びた声を上げ、
「何いずれ解る事で御座いますよ。いずれ、いずれ……いずれ……いずれ……」
 最後の言葉を幾度も呟き続けながら、歩みの速度を徐々に、だが確実に早めて行く。
「お、おい、ちょっと待ってくれ」
 ダレンは慌てた。見る限りこの廊下は一本道であるが、こんな所に独り取り残されたくはない。仮令この先で待ち受けるものが孤独か、それに近いものであったとしても。
 だが彼が急ぎ、最早走り出しているにも関わらず、ジャックの背には追い付けない。
 その細い、とても筋肉があるとは言い難い体で、どうしてあれ程の速さが出るのかは大いなる謎であったが、しかしその疑問を抱いている暇に彼の姿は曲がり角の先へ、その曲がり角の先へ先へ、先へ先へ先へと逃げて行き、ダレンが遂に息を切らして脚を止まらせた時には、ジャックはもう何処にも居らず、ただ白い空間が満ちているのみであった。
「な、何だあの男……こんなの契約違反じゃないか……」
 だくだくと滝の様に顎先を流れる汗をハンカチで拭い、ダレンは呻いた。
 あの係員のにやけ面が酸欠気味の脳裏に浮かび上がり、苛立ちを覚えさせる。
 上着を脱ぎ、シャツの袖を捲りながら、ダレンは思った。
 今度逢ったならば恨み事の一つでも言ってやろう、と。
 ただ同時に、それは恐らくきっと永遠に来ないだろうとも感じながら、彼は自分の行く末を見据え、不必要になった上着を捨てると、仕方無く再び歩き始めた。

 単調な道、単純な歩みが続く。
 白い螺旋回廊は果てしなく、行けども行けども一向に終わる気配が無い。
 或いはもしかしたら、これは一つの堂々巡りなのかもしれない。もしそうだとすれば、中途で先に置いていった上着がある筈だし、最初の扉を考えればまず有り得ない事だとは思うけれど、ダレンはあながち否定出来ぬものを感じていた。既に相当な距離を歩いた気がするのだから。あくまで気がするだけであり、実際どうか知る手段は無かったけれど。
 彼はシャツの袖をぐいっと捲ると、剥き出しの腕で持って額を拭った。急に走ったせいか、酷く汗ばんでいる。シャツも肌にべっとりと張り付き、非常に気持ちが悪い。もし状況が許されるならば全部脱いでしまいたい程である。先程見たあの少女の絵の様に。
 だがあれは見目麗しい乙女だったからこそ許されたのであり、既に中年の域に達している自分が同じ様にした時の見っとも無さを思い浮かべ、ダレンは踏み止まった。
 それでも暑いものはどうしようも無いもので、彼は舌打ちしつつ胸元を緩めた。
 何だか酷く馬鹿馬鹿しい気持ちがして来た。
 自ら望んだ事だったとは言え、こんな事をして何がどうなるというのか。たった独り、何処とも知れぬ場所の真っただ中に置いてゆかれ、鬱陶しい暑さに心を曇らせながら、それでも尚進み続ける……不明瞭な契約に則り、あるとも知らぬ救済を求めて?
 そんな事は馬鹿のする事である。ダレンはそう思った。こんな事に意味など無いと。
 しかしそうであった時、誰が最も馬鹿かと言うと、この自分自身である事には違いない。その意味の無さにおいても。で無ければ、こんな所になど来ている筈も無い。
 だがそれでも尚、こうするより他は無いのである。
 とうとうシャツを脱ぎながら……それは湿気酷く、絞れば水が滴り落ちる程で……上半身裸の姿でダレンは足を動かす。仮にこの道の彼方が思う様な所で無くとも、もう彼に帰る場所は無いのだ。帰りを想う人間もまた然り。そのどちらとて始めからであったが。
「しかし、もしもこの先が、私の思い描く様な場所で無かったとすれば……」。
 そこでダレンは蒸れた皮靴を放り投げつつ、疲れの為だろう、声を出して呟いた。
「その時はジャック野郎を見つけだし……痛め付けてやる」
 仮令その機会が永遠に訪れずとも。そして俺がそう望み続けるまで。

 けれど望み叶わず(もしくは望み通り)思い描く先も、そうで無い先も一向に訪れない。
「もうそろそろだろうか……」
 ダレンは先程から何回も放っている言葉を吐いた。その度に決してそろそろでは無い事を知って、軽い絶望を覚えるのだけれど、だがそう言わずにおられなかった。
 彼は衣服を着ておらず、眼鏡すら捨てた産まれたままの姿で、白い道を進んでいる。
 何らかの細工がこの場に施されているのだろう、ダレンが感じる暑さは尋常で無く、汗は大瀑布の如く流れ続けている。恥も外聞も忍んではいられなかった。それを気にする他人も居ないのだ。少々掛かる視界の靄も、分かれ道が無ければ関係無い。
 ただその足取りは重く、不確かで覚束無かった。 
 熱に浮かされた曖昧な頭で、彼方へふらり、此方へふらりとダレンは行く。勿論にやにや笑いの係員などどうでも良く、願いは一つ、この歩みを終わらせてしまえる事のみだ。
 だが本当に?
 中途で壁に手を付いて、ダレンは虚ろにそう思ったけれど、応えられはしなかった。
 胸に手を当ててみれば、その答えは良く解っただろう。
 しかしそれを口には出来ない。
 そうする為には、些か歩み過ぎてしまっている。戻ろうにも、もう遠くへ来過ぎていた。
 行くしかない。
 ダレンはふぅと吐息を発すると、再び両脚を動かし始めた。その動きは緩慢で、遅々として進まず、行っては止まり、止まっては行きを只管に繰り返している。
 それは気力が、意志の力が成し得る技だった。或いは残された最後の矜持が。
 彼は自身が、全てに対して一切の興味を失っている事に気付いていた。この回廊の果てに辿り着く事も、そうするに足ると信じた契約にも、そこまでに至る己自身にも。
 だが、はいそうですか、と頷く訳には行かない。それは今までの行為を全否定するものだ。自分はここまで無駄な、無意味な行いをして来た、愚かな人間なのである、と。
 それは出来ない。それだけは、絶対に。
 身を守る服も無く、だらしの無い裸姿で、疲れ果て、息も絶え絶えに、しかしダレンが脚を 止めようとも、元来た道を辿ろうともしないのは、ただその一点が為である。
 その一点が為、彼は進んで行くのだ。何時までも、何処までも、
「もうそろそろだろうか……」
 本心では期待していない言葉を呟きながら、ふらりふらりと千鳥足で。
 そんなダレンは弱々しく、情けなくも見えたけれど、前を向いて歩む姿には確かさがあった。悩み多き、愚かな人間故の確かさ、彷徨う他には無いのだという確かさが。
 だが哀しいかな。彼が人間である事は、これこそ正に変えられない事実であり、肉に生きる者ならば、疲労は体に蓄積され、遂には精神を凌駕するものである。
 ダレンのその頭がくらりと揺れた。
 彼は咄嗟に掌を壁に付こうとしたけれど、間に合わない。
 両脚は意に反して崩れ落ち、その体は成す術も無く地へと付いた。
 そして襲い来る圧倒的睡魔にダレンはしかと挑みかかろうとしたけれど、瞼の重みは支え切れぬもので無く、彼は糸の切れた操り人形の如き無心さで、その意識を途切れさせた。

 暫く立ってからはっと我に返り、瞳を開けると、今まで居た場所では無かった。
 白い雲、青い空、陰りの無い太陽、心地良い風、一面に揺れる草花の群れ……
 言葉として上げて行けば驚く程陳腐な、だがそれ故に心穏やかな楽園の風景。
 ダレンは左右違う色の瞳でその光景を眺めながら、唖然とした表情を浮かべた。
 ここは一体何処なのか、という言葉が最初に思い出された。
 そしてそれから、深い、産まれ来てから初めての様に深い吐息を吐いた。
 ジャックが語った、「望み続けるまで」という言葉が思い出される。
 彼が吐き出した溜息は、もう終わってしまったのかという落胆と、これで終わる事が出来たのかという安堵の二つの感情が綯い交ぜとなって籠り、実に重たげなものだった。
 今それを体内から追い出したダレンは、何とも晴れ晴れとした顔だった。
 そして彼は突如として笑い出した。無味簡素な室内から一転し、誰彼関係無く否定する事の出来ぬ美しい世界の中心で、ダレンはげらげらと声を上げて笑い、大地にごろごろ転がって笑い、ほろほろと涙零して笑い、笑い、笑い続けた。
 どれだけ経った事だろう。
 気がつけば、彼の中にはもう一切の苦悩は無くなっていた。
 愚かと認められない愚かさは無く、自分が単純な、愚かな男だと感じた。
 一体何故自分はああも悩み、回り続けたのか、理解出来なかった。
 事はこれ程までに容易く、その満足は今までの人生の中で最も強いものだというのに。
 ダレンはすっかり軽くなった胸を張り、調子外れの鼻歌を歌いながら歩き始めた。
 空気は暖かかった。裸で無くとも大丈夫な位だけれど、裸の方が寧ろ清々しい。
 不快な蟲や獣や誰か、殊、自分にだけは決して憚れる事無く、彼は緑の道を行く。
 やがて不意に、ダレンの目の前に一人の少女が姿を現した。それは均整の取れた体に染み一つ無い白い肌をした美しい少女であり、その格好は無花果の葉一つ身につけてはいないものであったけれど、だが厭らしい所は欠片も無い。羞恥の心も自ずと消えている。
 そうして彼女はにこやかに、ダレンが一度も向けられた事の無い様な笑みを浮かべると、小さな、彼に比べればずっと小さな掌を差し出して来た。
ダレンも笑い、腕を伸ばして、
「行くのかね」
 と、言ったけれど、少女は何も応えず、ただ微笑みを浮かべるのみである。
 しかし彼にはもうそれだけで充分だった。
 ダレンは少女の手を取ると、微笑み合い、共に前を抱いて一歩を踏み出す。
 その胸中に不安は一切無く、安らぎと幸せだけが一体となって満ち溢れていた。

 そしてダレンの魂が、徒労と薬物が齎す幻覚によって至高の極地へと達した時、ジャックは相変わらずの笑みの中、肉卸職人の名前通りの包丁裁きを発揮させた。
 快楽成分に浸った体は珍しくも美味なる肉へ加工されるべくベルトコンベアの上を流れて行き、残された頭は生産者責任に則って写真撮影が行われた。
 しかしダレンは今、これ以上無いという位に幸福であろう。
 麗しい少女に抱かれながら、素敵な笑顔を浮かべているのだから。
 黄金色の文字が記され、七色の後光に満ちた缶詰の蓋が上で。
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