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1.日々は巡る、渦の様に

……すなわち、本年、わが太陽は東より昇りきたり、やがて西へ落ちゆくことになるであろう。さすれば、すべての蟹は横歩きを始め、すべての水たまりは、いずれ蒸発することとなる。河なるものは上流から下流に向けて流れるであろうし、自転車の前輪は、常に後輪を先にゆくことになるであろう。……驚くべきことに、インクで書かれた文字は雨に滲むことであろう。そして本年もまた、多くの人々がこの世に生まれ、そしてまた多くの人々が死することになろう……
 クラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター』
11:45

 時計の長針が十周程廻った後の首都は、早朝とは打って代わった活気を見せていた。
 当然であろう。
 偉大なるアモンが虚無の海より大地を引き摺り上げた最初の場所こそ、この地なのだ。
 螺旋角の神はここを世界の中心とし、それから創造が始められた。地を広げて空を膨らまし、川を流して海を溜め、草木芽吹かせ森を成し、丘や山を起こしてから獣、鳥、魚、虫を野に放って、譲り渡せぬ神の力つまりは螺旋の角無き己が写し身、人間を造られると、その中に自らの意思を伝える巫女マハを置き、人々にこの世界の統治を任せた。そうして創造にすっかり満足した神は、最後に全てを動かす力の根源たる太陽を産み出すと、果てを越えて外に向かい、被創造物を見守る事にしたのだ。
 そういう事になっている。
 神話とか伝説とか口伝とか諸聖典の一つ『メリアムン探求王の鎖骨』とかの中では。
 勿論地方毎に差異はある。例えば北方だと、アモンは太陽を産んだのでは無く、太陽こそアモンである、と言われているし、南方は東方と違って、マハの扱いがかなりぞんざいで、殆ど無きに等しい。この辺りそれぞれの特色が出て面白いのだが、特に西方では、虚無の海には既に他の神々も居て彼等との戦いに勝利したアモンが世界創造の権利を得た、その名も無き神々の屍や争いの痕が、天蓋を取り巻く星座に月の正体だとされている。多くの記述が中で、太陽が消えた暗き夜の間だけ光る砂粒やそれが形作る表象、輝く球体の事に一切触れられていない事を思えば、これはなかなか興味深い解釈であろう。
 だがまぁそれらも所詮、そういう事になっているものの一つだ。
 大した意味は無い。
 確かに言える事は、この都が、全ての長子であり、また人間の長女であった巫女の名を冠し、アモンを信奉する大多数の――極少数の、大北海に居る連中だけは抜かした――民族から地理的にも政治的にも世界の中心として扱われている、という事である。昨今はまた違うかもしれないけれど、隆盛している事には変わり無い。
 中でも新都の縁に程近い所へ建てられた駅と、その周辺の賑わいは凄まじかった。
 これも当然の事。そこは世界の中心の、芯なのだから。古代には神と巫女だったけれど、現代では神の技を模して造られた、四方の果てとを繋ぐ門がそこに収まっている。都市から出る者の数も、行く者の数も相当ならば、自然と留まる者も多くなる訳だ。その様を真上から見る事が出来れば、さぞ爽快だろう。尤も、この駅より高い建物は存在しない。創造主を貶める事無き様、神堂を越えてはならないとされている為だ。駅はちゃんとそれを守って造られている。神堂と同じ高さで建てられているのだ。
 現代のアモンなんて、大体こんなものと思ってくれて構わない。
 そんな神の家と並び立つ人の門の中に、ジェフリー・ノーマッドの姿があった。
 行き交う人と人との間に出来た空白の丁度真ん中に。
 もとい、空白の中に彼が居るのでは無く、彼の回りに空白があったと言うべきだろうか。
 ジェフリーは嘔吐していた。盛大に、激烈に、音も匂いも見た目も配慮する事無く、乗り場と車両の間に出来た小さな隙間から、線路に向けて吐瀉物を垂れ流していた。無精髭一杯の顎を大きく開き、茶に淀んだ瞳の元に涙の雫を浮かべ、如何にも東方風な黒のジャケットと茶のズボンを纏う引き締まった体を無残に折り曲げながら。猿に似ているが、造詣自体は悪く無い顔も、今は特に酷いものだ。皆が目を背けるのも頷けよう。
 まぁ、意気揚々と出て来た田舎者が巡る運命なんてこんなものだ。
 ただジェフリーの名誉に賭けてその意思を代弁すれば、嘔吐の原因は彼本人では無い。
 元を辿ればまた別にあるが、当面の元凶は間違い無く、列車の所為である。
 ジェフリーは大地の東の果て、カルナックからマハ・ザ・エルまで、その人間の乗物に乗ってやって来たのだけれど、道中、全くと言ってする事が無かったのである。強いて言えば窓を流れて行く景色を眺め見る位だが、そんなもの行為とは言えまい。加えて、最も速い乗物という触れ込みで期待していたのに、いざ乗って見れば期待外れも甚だしかった。精々馬と同じ位の癖に、三等客室の揺れはそれ以上のものだったからだ。確かに、疲れ知らずの飯要らずというのは評価出来るけれど、乗合馬車と思えばそんなもの関係無いし、それにアモン機構(クロック)はあくまで擬似的な太陽に過ぎない。無尽蔵の動力源では断じて無く、何処か、何時かの宗教狂いが造った倍増発条(スプリガンク)によって確かにその効果は格段に上がっているが、力を掛ける、つまり巻き込みを止めてしまえば、何時かは止まってしまうものだ。『疲れ知らずの飯要らず』というのは聊か誇張に過ぎる。馬の餌に干草を与え、育てる必要がある様に、発条を廻す回転者には滋養が不可欠である。まぁ、つまり食事だ。
 ともあれ発条列車(クロックトレイン)は言う程凄いものでも、また愉しいものでも無く、と来るならば、その慰めに酒や煙草に求めた所で一体何が悪いというのだろう、いや何も悪くなど無い。
 イカスじゃないか。
 そうジェフリーは確信している。折角胃の腑に収めたものを吐き出す事になった今でも。勿体無いと言えば勿体無いが仕方も無い。ワイルド・レイヴンの香り高い味わいと、ミスティック・スネイクの毒々しく乾いた甘味が無かったら、あの倦怠を乗り越える事は出来なかった筈だからだ。あな恐ろしや。その為のツケを今払わされているが、構うものでは無い。必要とあらば幾らでも呑むし、幾らでも吸ってやろう。無論己の意思のままに、喜んで喇叭(ラッパ)呑み、謹んで口風琴(ハモニカ)吸いだ。
 だが結局、ジェフリーの内臓を焼き付けているこの気持ち悪さに変化は無かった。
 嗚咽を漏らしながら、彼は思った。一体全体どうしてくれよう、この列車野郎。もし馬の様に生きていたならば、立ち所に縊り殺してやったものを、木と鉄の筐体ではそれも叶わない。精々もう二度と乗ってやらない位だが、そもそも今後乗る機会があるかどうかも解らない。それは正に神のみぞ知るという所だろう。何故ならジェフリーが、わざわざ腹立たしい発条列車(クロックトレイン)に乗ってまでマハ・ザ・エルにやって来たのは、その神に用があってのものだからである。創造主たるあのアモンに。居るかどうかも知らぬ輩に、だ。
 そこに宿る滑稽さは良く心得ているが、それでもしなくてはならない。
 | 胸糞悪い(ファッキン・アモン)。
 その用を済ますまでは、したくともお礼参りなんて無理だ、と彼は苦々しく思いつつ立ち上がると、いい加減出るものも出なくなった口の中を舌でこそいで、唾を吐き捨てた。
 それは真っ直ぐ下に落ち、ジェフリーの黒い革靴に見事命中する。
 彼はちっと舌打ちした。顔を顰め、がりがりと短く刈り込まれた金髪を掻く。拭こうかと思ったが、拭く様なものは生憎持っていなかった。服の袖で拭いてしまっても良かったけれど、流石にゲロ交じりの悪臭漂う唾なんて拭きたくは無い。
 仕方無くそのままにして、ジェフリーは空白を纏いながら、駅の外目指して歩き出した。
 荷を入れた皮袋の紐を握り締め、苛々と足早に踵を鳴らしつつ、心の内でこう呟く。
 もし、もしだ、もしアモンに出逢う事が出来たならば、もう一つの望みと共に、この靴に付いた唾をあの列車風情に舐め取らせる様願ってやらねば、と。何せ神様だ、本当にそんな奴が居たとすれば、不可能な事なんてありはしないだろうさ、と。
 馬鹿らしい話か? まぁ確かに馬鹿らしい、胸糞悪い冗句である。
 しかしその冗句を、彼は本気で言っていたのだった。

 鬱積された思いは靴に付いた唾の様に、ジェフリー・ノーマッドの心を支配していた。
 しかし何時の間にだろう、風が汚らしいそれを吹き流した様に、彼が人塵を抜けて駅から抜け出る頃には、胸糞悪さもすっかり消えて無くなっていた。どころか、更に駅前の通りを直走る発条駆動車(クロックモービル)の列を見たジェフリーは、すっかりそれに熱を上げてしまった。
 彼は度肝を抜かれたのである。目の前をびゅんびゅん走る馬も無い鉄馬車の群れに。
 螺旋屋根の高層建築は到着する前に見えていたし、阿呆みたいに居る人間だって自分もその一人と思えば、また実際馬鹿な連中とばかり相手して来た身としては、然程驚きも無い。
 だが、|駆動車(モービル)は別だ。ガタガタキュラキュラ、アモン機構(クロック)を高鳴らせて走る姿は、噂には聞いていたけれど、実に素敵である。こんなもの、カルナックには数える程、しかも古い型しか無かった。速度はやはり馬と同様か、寧ろ遅い位だが、それを余り在る格好良さが、甲虫(スカラベ)風な流線型を持つ車体から溢れている。特にそれが一杯あって、皆が使っている辺りが良い。自分にもそれを乗り回す機会があるという事である。
 中でもあの赤、情熱的な赤がいい、と人と車で隔てられた歩道を旧都に向けて行きながら――これも東方では珍しいものだ。そもそも真っ当な道が――ジェフリーは機嫌良く鼻歌を歌っている。曲名も作曲者も忘れてしまったし、自動巻譜(プレイヤーロール)が売られ始めてから大分経っているけれど、お気に入りの奴である。馴染みの酒場にて、良く自動六絃琴(プレイヤーギター)に奏でさせていた。陽気だが何処と無く切なく、激しい律動を持った曲だった。
 そんな調子でジェフリーはマハ・ザ・エルの奥に進んでいったのだけれど、上機嫌も長くは続かなかった。旧都に近付けば近付く程、駆動車(モービル)の姿が見えなくなっていったからだ。最早歴史的遺産という意味合いしか無い城塞を越えてしまえば、影も形も無い。後には馬車一台通るのがやっとという狭さを持ち、靴と蹄と車輪の所為ですっかり摺り切れた、昼日中であっても薄暗い曲がり道ばかりが残るだけである。
 そこに漂う空気は新都とは別物であり、文字通り古臭い。風と光を内に秘めるジェフリーには、何とも耐え難い場所だ。むっつりと口を閉ざして、彼は通りを進む。本来ならこんな所、とっとと去ってしまいたかったが、しかし目的の為には致し方も無い。
 ジェフリーは悪態を吐きそうになる自分を抑えながら、ただ歩く事に己を集中させた。
 だから、そのインを見つけたのは偶然であるし、入ったのも、まぁ気晴らしの様なものだった。確かに宿を探していたけれど、意味まで求めたつもりは皆無である。
 もし、そのつもりがあったならば、回転扉上に掲げられた丸看板の中の『INN』を囲う様に、面白い文句が描かれている事に気付いただろう。それは諸聖典の一つ『|アモンの寵愛を受ける娘《メリ=エン=アモン》の瞳』に詳しいが、あの巫女マハが、姿の見えぬ神に信仰を失い始めた同胞の不甲斐無さに哀しみ、人の世界を捨てて主の元へと旅立つ際に呟いたという言葉であり、『瞳』の中ではこの様に記されている。
「時は月より流れ出で、やがて太陽はそこに沈むでしょう。永遠に、二度と上がる事無く」
 しかしながら、ジェフリーが求めていたのは、ベッドである。意味深な台詞になど興味は無かった。未来の話で良ければ深い感銘を抱く予定だったが、それは今で無いし、そもそもこの時の彼は、言葉が書かれている事にすら気付いていなかった。
 ただ何と無く、という軽い気持ちで、ジェフリーは回転扉を廻し、インへと入った。
 中は彼の予想通りの場所であった。場末という形容が実に良く似合う。外から見た通り余り広くは無い一階は、この手の店にある様に酒場となっており、入って直ぐから殆ど無人の円卓が幾つか並んでいる。殆ど、というのは隅の卓に一人だけ先客が居たからだ。五角形の枠組みを持つ細長い眼鏡に緑の上着を羽織った男で、無骨な顔立ちの為に年齢は良く解らない。ゼンマイシダのラベルが貼られた青緑のボトルを小脇に置き、薄気味悪い緑の酒をちびちびと舐めている。その表情は普通に酒を呑むにしては真剣そのものであり、只者ならぬ雰囲気を醸している。ジェフリーが良く知っている雰囲気だった。
 悟られぬ様、横目で男を睨みつつ、彼は酒場の奥、カウンターへと向かった。
 インの受付も兼ねたそこには、主人だろう、一人の老人が佇んでいる。長い白髪を後ろに垂らし、横皺を深く刻んだ広い額の下、眼光鋭い茶の瞳をジェフリーの方に送っている。その肩には何故か一羽の小さな鵞鳥が止まっており、飼い主同様、今入って来た男の方を睨んでいた。尤も鵞鳥だけに、その視線はとても鋭いとは言い難いものだったが。
「何の様だい、若造(ヤンキー)」
 ジェフリーがカウンターの前までやって来ると、主人は胡散臭そうにそう言った。『若造』とは東方人の蔑称である。他の地方と比べて開拓の歴史が浅く、粗野という意味を持つ。
 そんな言葉など別に言われ慣れている彼は、気にする事無く応えようとした。
「嗚呼、インに来る輩の目的なんて一つだろ? つまりは、」
「ガーガーガーガー」
 と、合わせて肩の手乗り鵞鳥も唇を開けると、思わず彼は面食らって言葉を途切れさせえてしまう。ジェフリーは主人と鵞鳥を交互に見てから、咳払い一つ上げ、
「……あー、つまりは、泊まりたいんだ。出来るだろう、金はある」
 すっと上着の中に手を入れ、ただゴムで止められただけのヘリカ紙幣の束を出して行く。その時主人は、彼の右手の甲に刻まれた、時計の文字盤を思わす円形状に並んだ七匹の猿達を見逃さなかった。赤銅色の毛並みをしたそれらを視界に納めつつ、彼は口を開いた。
「ガーガーガーガー」かね?」
「何だって?」
 そこに丁度鵞鳥の喧しい鳴き声が被さり、ジェフリーは思わず手を止めた。
 主人は、ごほんと空咳を上げてから、もう一度全く同じ言葉を言う。
「お前は熱騒者(アメイモス)なのかね?」
 これも言われ慣れた、しかしマハ・ザ・エルで聞くとは思っていなかった名前である。ジェフリーは口元を歪めた。隠すつもりは無いが、晒すつもりも無い。だが、呼ばれて悪いものでは無いのも確かだった。恐らくこの都市でその称号を持つのは彼位だろうから。
「まぁね。珍しいだろ? 故郷じゃぁ、「ガーガーガーガー」
 そこで彼は意気揚々と、つまりは東方風の言い回しで持って主人に己の素性を語ろうとしたのだが、生憎と鵞鳥にも語りたい事があったらしく、その声は先と同様、すっかりとかき消されてしまった。二人の人間は暫し唇を閉ざし、声高に何かを訴える彼の方を見る。
「ガーガーガーガー」
「少し黙れイジドア」
「ガーガーガー、ッ」
「……それで、一体お前は何で名前だったんだ? 故郷じゃ」
 残念な事に、鵞鳥が何と言いたいのか理解して遣れなかった主人は、その黄色い嘴をぎゅっと掴んで彼を黙らせると、首を振ってジェフリーに促した。幾度にも渡る中断で、彼はすっかり興が殺がれてしまったが、気を取り直して、にっと笑いながら、
「瞬速漢(スピーディ)だ。なかなかイカした名だと思わないか、爺さん」
「そうかい、そりゃ確かに良い名だな、若造」
 だが主人は素っ気無く言うと、カウンターの下をごそごそと漁り始める。
 出鼻を挫かれた思いでジェフリーは吐息をつくと、その頭上から声を掛けた。
「何だい、あんたの方から聞いて来た癖によ。もっと喜んだらどうだい」
「両手を挙げてかね? 「ガーガーガーガー」まぁ興味も無くは無いよ。強いて言えば、そうだな、何でそんな輩がこの街に、しかも俺のインに来たか、って事だな」
 両手を離した為にまた鵞鳥が喚き始めるが、主人はそれを無視して聞いた。
「そう「ガーガーガーガー」そうだな――あんた噂は聞いてるか? 神様の噂だよ」
 カウンターの上に身を乗せて、笑みを浮かべながら、ジェフリーは返した。ただし、その瞳は素面のもので、喜びも嘲りも込められてはいない。真面目も真面目、大真面目だ。
 作業を行なう手を不意に止め、主人は顔を上げた。その色は、目の前の男と同じものとなっている。肩の鳥も空気を呼んだのか、自ずと黙って、二人の人間を見比べる。
「……アモン再臨……絶望に墜ちた子等を救う為の……」
 呟く様な主人の声に、ジェフリーはこっくりと頷く。
「そう、それだ。カルナックじゃその噂で持ち切りでね――俺はそいつを探してる」
「ここじゃまだまだ与太の類だがね……しかし、一体何の為にだ、スピーディ?」
 苦笑いが込み上げた。
「止めてくれよジェフでいいさ、あんたは?」
「ビル・ラザラスだ。で? もう一度聞くが、一体何の為にだね、ジェフ」
 その問いに対する答えは一際真摯に、だが口元は変えぬままで、
「勿論願う為さ……俺もそうなんだよビル。解るだろ?」
「……歪曲病か」
「歪曲病さ、イカスだろ?」
「くだらんな」
「何だって?」
「くだらんと言ったのさ」
 ジェフリーの解答に、ビルはそう呟くと、やれやれと首を横に振るった。そっと立ち上がり、鵞鳥の白い頭を撫ぜながら、客の方を見るでも無く、
「全く、生きるか死ぬかの瀬戸際になった途端、直ぐこれだ。普段はちっとも信じちゃいない癖に、こういう時に限って神に縋ろうとする。それも、実際居るのかどうかすら、はっきり信じていない神に……無神論者め。くだらん、全く、くだらん限りだ」
「おいおい、俺は普段から神を信じてるぜ? じゃなきゃ熱騒者(アメイモス)にはならんよ」
 そこでジェフリーは、心外だと言いたげに肩を竦めると、そっと右手を胸前に遣った。相手から見て時計回りに、外から内へと三重螺旋を描いて見せる。習慣的な祈祷法だ。
「我等人の御身に神の祝福が在らん事を、さ」
「良く言うわこの背信者が」
 その様を見たビルは、鼻で笑い声を上げた。それから再び嘴を開いた鵞鳥と共に言う。
「関係無いね、どちらでも。その発想自体がくだらんのだ、神に縋ろうという事がな」
「ガーガーガーガー」
「ま、確かにそうなんだろうが、さ」
 それに一層深い苦笑で受け、だがはっきりとした口調でジェフリーはこう返答した。
「そいつだって乙なものだし、形振りは構ってられないさ……これも解らない?」
「……くだらんよ……まぁ、何でもいいがね。待ってろ」
 俯き気味にビルが言ったのは先程と同じものだったけれど、だが思う所はあるらしい。
 再び作業を再開した彼は、カウンターの下より捻り棒型の鍵を取り出した。レイア、と声を掛け、店の奥から出て来た年若い女性の方へと、それを投げ渡す。
 緩やかな半円を描きながらレイアの手中へと収まった鍵には、このインの構造からしてまず明らかにそんな部屋などある訳が無いのに、『727』なる数字が刻まれていた。

「こちらですよ」
 螺旋階段を登った先の二階客室が一つ、ビルの一人娘だという麗しき娘――その容姿や赤い瞳を見る限り、彼女が父親で無く、母親に似たという事は明らかである――レイア・ラザラスに誘われ、ジェフリー・ノーマッドがやって来た727号室は、その奇妙な名前に反して、別段何の特徴も無い部屋であった。余り清掃が行き届いていないのを特徴としても良いが、そうした場合、大概のインの特徴になってしまうだろう。
「なぁ、どうしてここは727号室なんだ?」
 ベッドに皮袋を投げつつ、ジェフリーはレイアに尋ねて見た。そこだけはビル・ラザラスに似ていなくも無い白銀の髪を摩りつつ、彼女が応えたのはこんな言葉であった。
「さぁ? どうしてなんでしょうね、貴方解ります?」
「いや、いやいや聞いたのは俺の方だぜ姉ちゃん。|屍漁り(ジャッカル)にでも脳味噌齧られたかい」
 ジェフリーは吐息を吐くと、ひらひらと掌を返した。その仕草にレイアはむっとした様だったけれど、役目を終えた以上残り続ける理由も無く、そそくさと部屋から出る。
 一人となった彼はもう一度吐息を吐きながら、ベッドに身を横たえた。薄汚れた天上の木目に片手を伸ばしつつ、そこに刻まれた猿達の姿を見据える。
 され、これで寝床は見つけた。部屋は上等とは言えないし、何だが奇妙な雰囲気でもあるけれど、贅沢は言っていられない。所持金を考えれば、この辺りで処置するのが妥当で、また目的の為には新都からもそれ程遠く無いここは都合がいいと言えよう。ジェフリーの目的、マハ・ザ・エルの新参者の多くが夢抱き、だが決して本気にはせぬ目的。メリアムン探求王が終生追い求めたというこの世の中枢、即ちはアモンの探求。
 とは言え、とジェフリーは噛み締める事無く欠伸をすると、ごろんと身を丸くさせた。
 探求は明日からで良いだろう。彼は純粋に疲れていた。ここまでの長旅が結構応えていたのである。道中、酒をしこたま呑んだ事と、これは然程関係が無い。
 それに、と、瞼を虚ろに瞬かせながら、ジェフリーは思った。本気と言えど、命掛けと言えど、やはり冗談には違いないのである、そう急く事も無いだろう。
 とでも思わなければ、やって行けない。
 そうして彼の発条が途切れてからも時計の針は回り続け、太陽は黄道を渡って行く。
 何回か、どれ程かも解らぬ数が過ぎた後、ジェフリーは、はっと起き上がった。
 何処か、だが遠くでは無く近くから、鐘の音が聞こえている。
 彼は手の甲で目元を擦りつつ、窓辺に拠った。濃く暗く汚れた赤のカーテンを開け放つ。
 入って来た時には意にも介さなかったその向こうに、セピア色に染まる古き家々の群れが広がっている。その中央部、幾つかの通りを超えた先に、同じ位古い神堂があった。他の建物よりも高い為もあるが、家と家の隙間が具合良く開いている為、はっきりと見える。
 鐘の音はそこから聞こえる。
 目を凝らせば午後五時を指し示す時計盤の下、頂上の小窓奥に金属製の鐘とそれを囲う機械要素郡が微かに影となって見えた。そしてそこから顔を出している一人の巫女。二つ並んだ光の反射は、眼鏡の所為だろう。微かに吹く風に、金髪が煌いている。
 特に珍しい光景では無かった。神堂ならば、大多数の地方に置いてあるものだし、巫女だってマハ以降の時代には抱いて、失礼、吐いて捨てる程居る。アモン機構(クロック)を置いていない塔もあるだろうが、それは置いてある塔と同じ位はあるし、機構自体至る所にある。
 だから別段気にするものでも無い筈だったが、気付けばジェフリーは通りを歩いていた。
 その理由を端的に指し示す言葉がある。古代の勇士から今を生きる多くの男達にまで脈々と受け継がれているそれは、好奇心と呼ばれていた。熱心なアモン信奉者なら、螺旋角の神の導きとでも言ったかもしれないが、まぁ、そういう所である。
 理由など、それだけで充分過ぎるだろう。
 今だ周囲にその音を響かせる鐘と重ねる様にして、何時も聞いた名も知らぬ曲を口笛で吹かしながら、ジェフリーはゆっくりと曲がった道を進んで行く。睡眠を取ったのは数時間程度だが、体の疲れは無く、しかし弧を描き続ける狭い通りを延々と行くのは精神的になかなか辛かった。科学的啓蒙を齎した諸聖典の一つ『聖者(プリースト)ジョゼフ・リーの塩』で語るまでも無く、『人の生きる所には遍く神の力が、螺旋が隠れ潜んでいる』というのは良く知っているが、受ける印象に違いは無い。グラグラクラクラキュララララ、だ。
 そうやって弧を越え続けた末、ジェフリーは神堂へと辿り付いた。
 無言のまま回転扉を押し、そっと入る。
 外が在り来たりのものであった様に、中もまた在り来たりのものだった。円状に広がる空間には、溝の刻まれた円柱が建物を支えるべく何本も並び、周囲には説教拝聴が為の丸椅子が生えている。床と一体化しているその野太い姿は、神堂の全体と似ていなくも無い。
 そして入り口から伸びる赤青二色の絨毯の上を行けば、アモン像の下に至る。
 螺旋角の神は、その部位と人の形――これは無論逆であり、神が人の形をしているのでは無く、人が神の形をしているのだ――である以外に、はっきりと定められた特徴が無く、場所と時代ごとに違った容姿で描かれている。特にその顔は千差万別で、羊、狼、渡り鴉、鵞鳥、梟、猿、蛇などから、ゼンマイシダという奇妙なものまである。また、肉体に関しても老若男女問わず存在するものだから、地方の者が別の地方の神像を見た時、これが果たして自分の故郷で信奉されているアモンと同じなのかと、首を傾げる事も間々あった。
 因みに東方では、狼の頭がそれなりに有名である。
 ただ、それでもある程度広く知られている姿に若い男の者があり、今ジェフリーが耳の穴を掻き掻き見上げている像もまた、その典型だった。造られた時自体は恐らく古いのだろうが、しかし何度も修復されて来たらしい石灰製のそれは、浅黒く塗られた一物まで逞しい肉体に、太陽の如く――これも逆だ――燃え立つ赤い髪をして、同じ材質で作られた台座の上に胡坐をかいて座っている。両の腕は全てを受け入れる様にゆったりと開かれ、一際丹精な顔立ちに穿たれた、喜びを秘める赤い右目、憂いを宿す青い左目で東方から来た男を見据えており、それと同じ配色の螺旋角を頭部に誇っている。
 赤と青は、アモンを象徴する色だ。諸聖典の一つ『螺旋創世記』に詳しいが、天地創造の折、アモンは自ら虚無の海に分け入った。その時、潔白であった身は黒く染まったというが、にも関わらず彼は身を沈め、内に秘めた熱き思いのままに、大地を引き摺り上ると、その思いによって一心にそれを乾かした。だが余りの熱さによって大地が解け始めた為、はっと我に帰った彼は、何とかせねばという一念で煮え立つ大地を冷ました。その逸話によって、赤と青は神の色と呼ばれる様になった。情熱の赤、冷静の青だ。
 そういう事になっている。
 今は誰一人としていない肉親の誰かに聞いたそんな話をジェフリーは思い出しながら、眉間に皺寄せた真剣そうな表情で、ふぅんと言った。
 折り良く耳垢が掻き出される心地良さにふぅと一息入れつつ、願いを聞き届いてもらわねばならぬ、だが残念ながらその当人では無いただの像を眺める。
「偉大なるアモン……か」
 それから自嘲の思いで唇を吊り上げると、アモンに付けられた二つ名の一つを口にした。
「頼むぜ神様、あんただけが俺を救える筈なんだ……え? 『祈りを聞く者』ならよ」
「しかし忘れてはなりません。その名だけがアモンを示すもので無い事を」
 その時、ジェフリーは声を聞いた。
 静かに澄んだ、何の意識も感情も篭っていないかの様な声を。
「『生命の息』『自らの時を完了する者』『計り知れぬ者』『悪意司る者』『焔纏う者』『その姿、神秘なる者』『枝葉を伸ばす者』『底の知れぬ者』『詩を歌う者』『自らを生む永遠の神』『太陽の神』『利己的なる者』そして『隠された者』……『多くの名を持つ者』の名は偽りでは無く、全てアモンが何者かを現しているのです。祈りは聞き届けられるだけでは無い」
 彼は声のする方、神像より横に進んだ奥にある螺旋階段の方を見る。
 今しも階段から降りて来ようとしているのは、一人の巫女であった。小柄で肩の小さい体でゆったりとした黒い巫女服を纏い、赤と青の羽飾りをつけた、蜂蜜と同じ色に輝く髪を腰元まで垂らしている。その髪は実に美しかったけれど、顔の半分以上を隠す異様に分厚いレンズの眼鏡によって、すっかり台無しとなっている。
 ジェフリーは彼女の方へと体を向けた。
 口元の笑みは変えぬまま、今の言葉を聞かなかったものとして問い掛ける。
「さっき見たな、その顔……よぉ邪魔してる。あんたがここの巫女なのかい?」
 巫女は両の手を腰前に、音も無く近付きつつ、こくりと首を縦に振り、
「えぇ、そうです……ドロシー・ダルウィッシュと申します」
 直ぐ傍までくると、その黒く染まった右手を伸ばして来た。
 行き成りの挨拶に少し動揺しながら、ジェフリーも刺青付きの右手を伸ばす。
「ジェフリー、ジェフリー・ノーマッドだ。ジェフとでも呼んでくれ」
 そうして手と手が結ばれた時、彼はドロシーの白い頬を見詰めながら言った。
「……あんた、螺鈿子(モザイク)って奴かい」
 螺鈿子(モザイク)とは原因不明ながらに生まれつき白黒二色の肌を持つ者であり、悪性のものでは無いが、アモンの持つ赤青二色に通ずる事、また人間では本来ありえない黒い肌という事で神聖視され、ちょっとした禁忌として取り扱われている存在だ。比較的巫女に多く見られるのは、そう言った理由からである。
 その問い掛けに頷いてから、彼女もまた返して、
「そういう貴方は東方の熱騒者(アメイモス)ですね。踊り狂う赤銅肌の猿達がその証……」
「おうよ……なかなか珍しい者同士が揃ったものだな、イカした事に」
「そうですね」
 己が何者なのかである事に誇りを持つジェフリーはにやりと笑ったが、ドロシーの方はさして興味も無い様子でまた頷くと、そっと手を離し、アモン像の方を見詰める。
 面白く無い女だ、とジェフリーは吐息を放ち、ちらとその身を眺めた。その黒い衣に下に隠された肌の、何処までが白で、何処からが黒なのかを想像し、独り悦に浸りつつ、視線を彼女のそれと合わせて、神像の方を見た。
 偽者のアモンは、先程から変わらぬ視線で二人の人間を見守っている。その二人は押し黙っていたが、暫くの時が経ってから、ジェフリーの方より、言葉が放たれた。
「所であんた……噂を聞いた事は無いか?」
「どの様なものでしょう?」
「そうだな……ずばりと言ってしまえば、アモンが現れた、という話だ」
「小耳には」
「本当かい」
「えぇ。ですが、きっと誤り。先に語った通り、彼は『隠された者』ですから。仮令どの様な事であれ、アモンがこの世界に姿を現す事は無いでしょう。もう二度と」
「……いや……きっと確かにその通りなんだろうがね……」
 ドロシーの返答は、彼が予想していた通りのものだったが、それでも巫女ならば、仮令それがこのマハ・ザ・エルだけでも相当数居る者だったとしても巫女ならば何か知っているのでは無いか、と微かに思っていただけに、落胆は大きかった。幸先は芳しくない。
 ジェフリーは溜息を零すと、くっと首を竦めた。それから仕方無いとばかりに首を振り、
「ちょっとした無駄足、だったかな……まぁいいか。そろそろ行くさ、邪魔したね」
 そう言って笑ってから、くると振り返って立ち去ろうと歩み出す。
「お待ちなさい」
 と、そこでドロシーの声が背後に届き、
「どうした? まだ何か用でも?」
「貴方は何故アモンを求めるのです? 巡礼者にも見えぬ貴方が」
 続けて語られた質問は、インの主人にも言われたものである。
 嗚呼またかい、とジェフリーは唇を歪め、
「至極単純な話だぜ……歪曲病の事を?」
「小耳には。東方で流行っている病、との事でしたが……」
「俺もそうだ」
「……」
 沈黙が場に降り掛かり、たっぷり時間を置いてから、それは払われた。
「……俺もそうだ……ありゃ死の病でね、治る手立ては今の所見つかっていない。もしか、見つかったとしても、直ぐ受けられるとは限らない……だったら? 答えは簡単だ」
「それでメリアムンの再来に? その手の甲の猿達を真似て?」
「悪いかい? 螺鈿子(モザイク)。多かれ少なかれ皆考えている事だぜ、神よ我を救い給え、ってな」
「いいえ……納得致しました、ありがとうございます」
「馬鹿な……くだらない事とは思っているがね」
 ジェフリーの話にドロシーはそう言うと、すっと頭を下げる。彼は彼女に対する、そして何よりも自身に対する嘲りの笑みを浮かべながら、また背を向けて、
「遣らずには居られない訳だよ……笑ってくれ。今度こそさよならだ。邪魔したな」
 片手を振りつつ、出口を目指して歩き始める。その背に、視線を感じながら、踵を鳴らして。好奇心は当に掻き消え、後には苦い想いだけがある。それらしく振舞っていようと、神堂とは結局、アモンとは何らの関わりも無いのだと、改めて実感した。
 |胸糞悪い(ファッキン・アモン)。
 ならば次にする事は一つ、と考えながら回転扉に手を触れた彼の耳に、彼女の声が届く。
「一つ加えましょう。アモンは、貴方の願いも聞いてくれる筈です。姿多いけれどやはり『祈りを聞く者』なのだから。苦しみ喘ぐ人々が祈るならば、神は彼等を救うでしょう」
 だが、そんな事は解っているし、また、そうで無ければ意味が無い。
 ドロシーの言葉を、ジェフリーはまるで聞こえなかったかの様に無視した。奥歯を噛み締め、にわかに震え始めた手で勢い良く扉を押し開ければ、足早に外へと出て行く。
「ですが――」
 その為に、彼女が語ろうとした続きは、彼には届かず、ただ偉大なる神の御姿を模した像だけが、最初の時と微塵も変わらぬ格好で、巫女の言葉に耳を傾けていた。
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