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3.愉快な堂々巡りの行き止まり

「スキップ! メッセージだよ! メッセージの内容を知らせにきたんだ! メッセージだよ! スキィィィィィィィィィィィィップ!」
 カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』
11:45

 そして九日目の朝が訪れた。
 この『九』という数字は、特に重要性の無い、忘れてしまって構わないものである。
 少なくとも、アモンにとっては。諸聖典の何処にも、その数に関わる逸話は無い。
 そういう事になっている。
 故に何の不安も抱く事無く、また歪曲病の発作に襲われる事も無く、平穏無事なる惰眠の中、懐かしき夢に想いを馳せていたジェフリー・ノーマッドは、窓の外を満たす聞き慣れない音によって、目を覚ました。無数の水滴が何かに当たり、素早く弾けて行く音。
 雨か、と目元を擦り擦り呻く。暫く前からその兆しは出ていたが、とうとうかという所である。ここにも増して乾燥した地域であった東方において、雨は珍しい現象だ。生まれて来てからそれを目撃して来たのは、数える程しか無い。どれとばかりに、彼は寝具から身を起こすと、さっと紅いカーテンを開け、それからぎょっとした。
 硝子一面が黒い雫に覆われていた。まるでインクを落とした様に、或いは虚無の海が混じったかの様に、灰褐色の雲から降り注ぐ水滴が、黒く汚れているのである。
 ジェフリーは唖然とした。雨とはこの様なものだったかと疑いながら、窓を開ける。
 彼の身に降り掛かるその雫は、何とも言い難い異臭を放っていた。

「黒い雨か……」
「嗚呼、黒い雨だ。ありゃ一体何なんだ。この辺りじゃぁ、雨ってのは黒いものなのかい?」
 階下に下りたジェフリーは、ビル・ラザラスへそう訪ねた。黒い雨など見た事が無いし、それに諸聖典の何処にも、その雨に関わる逸話は無い――『九』という数字の様に。
 因みに、今朝はあの『ガーガーガーガー』は無い。何故か彼の肩に、イジドアが居なかったのである。何時如何なる時であれ、ビルの傍らにはあの手乗り鵞鳥が佇んでいたのに。
 まぁそういう事もある、 と、ジェフリーが思案顔で頷くと、そんな事とは関係無しに、ビルは今までの何よりも神妙そうな顔付きを浮かべつつ、先の質問に応えた。
「……降り始めたのは最近だ。原因は不明。学者連中が必死になって調べてるらしいが、どうだろうな……皆は暗黒王(ネフレンカ)の涙とでも呼んで、心配しているがね」
「暗黒王(ネフレンカ)、か……マハ・ザ・エルにも異変は起きていたって事かい」
 カウンターにて頬杖を付きながら応えるジェフリーに、ビルはそりゃそうだと笑い、
「何も無い、と思ったかね? 若造(ヤンキー)。アモン降臨の与太が、何故地方で無く、中央で上げられたのかと、考えて見るがいい。ただ始まりの地だからか? 勿論それもあるが、しかしそれだけでは無い。噂は不安の為に起こり、という事は、不安を起こす原因があるのさ」
「それがこいつかい。イカしてるな」
「それがこいつさ……お前曰くの、イカした事を言ってやろうか?」
「何だよ? ビル」
「その黒い雨なんだがね」
 ビルは語りながら、懐よりマッチを取り出した。
 一本手に取り、擦って火を灯せば、ジェフリーと自分の眼前に赤い光を浮かべ、
「燃えるんだ。こう、ぼぅっと、な」
「へぇ、水の癖に燃えるのかい、あれ」
 そうして二人は殆ど同じタイミング、つまりビルがふぅと火を吹き消し、先端を黒く焦がした軸棒をぽきりと折ったその瞬間に、窓の方へとその視線を向けた。
 硝子一枚通して見える世界は、気味の悪い程の墨色に染まっている。

 そのビルは、ジェフリーが朝食を口にしている間に、何処かへ出掛けてしまった。ちょっと出かけて来る、と娘のレイア・ラザラスに言い残し、墨色の雨が中へ入って行く。
「何だ親父さん、こんな雨の日に何か用事でも?」
 捻りパンを千切り千切り食しつつ、ジェフリーがレイアへと聞くと、銀のマグカップに珈琲を注いでいた彼女は、ポット両手に小首を傾げ、
「神堂の手伝いに行って来るとか言ってましたよ。ほら、貴方の部屋から丁度良く見える、」
「あの巫女の所か……何だ、知り合いだったのかね?」
「そりゃそうでしょう。この辺りには、他に神堂も無いですし」
「それで、手伝い?」
「あそこの神堂、巫女さん一人だけですからね。他に誰もいませんから」
「ふぅん……」
 ジェフリーは脳裏に、窓を開けた時に見えた神堂と、巫女ドロシー・ダルウィッシュの姿を思い描いた。決して新しいとは言い難い建物である。一向に止む気配を見せぬ所か、強まるばかりの雨によって、どれ程の影響が齎されるか解らない。ならば特に怪しむべき点は無いのだけれど、巫女一人だけ、という辺りが何と無くキナ臭い。
 そこで廻り始めた彼の発条の勢いは、既に酒の入った人間のそれであり、
「……はん、耄碌してるみたいで、何とも、そうじゃないみたいだな?」
 彼は神妙な顔を浮かべると、己から見て逆時計回りに右手で三重螺旋を描く。
 レイアは眉を潜めると、呆れた様に溜息を漏らし、
「貴方は……そういう風にしか考えられないのですか。ジャ、」
「ジャッカルにお脳を齧られた訳じゃないぜ? 性分なんだ、仕方ないだろ。文句ならアモンに言ってくれ。東方じゃ、皆こんな感じなんだから、これは土地柄の所為だぜ」
 決まり文句を言おうとした所を先に行かれ、ますますその表情を渋くさせた。
 代わりに彼女は赤い瞳を細めてジェフリーを睨み、
「でもアモンだって、祈祷の仕方違ってる人に言われたくないでしょうね」
「ん?」
「逆ですよ、廻し方。それじゃ、侮蔑になっちゃいます」
 同じく右手でぐるりと、己から見た時計回りに三重螺旋を描いた。が、ジェフリーは腕を組み、首を捻った。自分が普段しているのと何が違うのか、気付かなかったのである。
「そうだったかな?」
「そうですよ」
 レイアもまた腕を組み、首を縦に振るう。余程自信と重要性を感じているのか、実にしたり顔である。ジェフリーは、勿論そんな風には感じておらず、わざと大仰に肩を竦め、
「まぁ何でもいいさ。結局回転してる事に違いは無いだろ?」
 訝しがる彼女を他所に、喧しい音を上げて羊乳(ミルク)も砂糖も入っていない珈琲を啜る。
 外では、その黒い飲み物にも増して尚黒い水滴が降り注がれ続けていた。

 結局その日の間に雨が降り止む事は無く、インの中でだらだらと過ごした。レイアとくだらぬ会話の応酬に勤めたり、今日も来ていた緑衣――尤も、最早完全な緑で無く、所どころ黒を帯びていたが――の男を観察して酒の肴にしたり、螺旋銃(クロックガン)の手入れをしたり。
 明くる日ジェフリーが目覚めると、黄銅色の太陽が雲疎らな空を、水気を帯びた大地をセピアに染めていた。何時の間にやら、黒い雨は止んでいた。後には黒い水溜りと、黒ずんだ街並みが広がっている。そしてあの何とも言い難い異臭。
 彼は勢い、ベッドから抜け出すと、自称イカした探求へと乗り出した。
 一日、間を置いた中、意気揚々と始められたそれは、しかし芳しい成果を上げなかった。
 人々は日頃の活動を一時休止し、薄汚れた石畳や家の壁、或いは駆動車(モービル)なんかの清掃に従事していたけれど、ジェフリーの質問――ちょっとおたく云々――への返答は、前日からのものと殆ど大差無かった。これで四度目となるが、何も無し、と言ったって良い。
 ただ若干違ったのは、アモンなど見ていない、噂では聞いているが、どうこうと言った後に、でも、と付け加えてがら、溜息交じりにこう告げる所である。
 でも、本当に居たなら、結構楽なんだがなぁ、と。
 どうやら螺旋都市の市民達も、神の存在証明を欲し始めた様だ。それでも、求めに行かぬ辺り、ジェフリーとしては今だ楽観的であるとと言わざるを得まいけれど。
 そして彼等は襤褸布で黒い水を拭き取ると、何かしらの容器にそれを入れて行く。ある程度溜まった所で硝子瓶に移し変え、コルクで硬く蓋をした。
「回収するのか。燃える水がそんな珍しいかい」
 まぁ実際珍しいが、それなら木でも燃やしていればいいのに、とジェフリーが半ば呆れつつ聞くと、ある清掃者は苦笑いと共に、マハ・ザ・エル図書館の方を指差して言った。
 『聖者(プリースト)ジョゼフ・リー』の一派が、研究の為に買い取ってくれるんだ、と。
 曰く、アモン機構(クロック)を製造した者達の末裔である彼等は、次なる機関を目指して、この黒い水を利用しようとしているらしい。何とも欲深な限りだ。その為に振舞われている金額は、大した額でなかったけれど、貰えぬよりはマシという所であった。
 ふぅんと鼻で応えつつ、ジェフリーも集めて見ようかと思った矢先、指差された方向から爆音が響いた。黒々とした煙が天へと上がって行き、そこへ向けて消防隊の赤い、情熱的に赤い放水|駆動車(モービル)が駆け抜けて行く様を見詰めながら、彼は本格的な呆れ顔を浮かべる。
 異変の最中に、一体何をしているのやら、と。
 勿論それも別の側面から見れば違ったろうが、ジェフリーにそんな視点は皆無だった。

「やぁあの時の若造(ヤンキー)じゃないか。二日ぶり、という所だな」
 それからジェフリー・ノーマッドが、グレイ・ネヴィンズと遭遇したのは、野次馬根性旺盛に、黒煙が漂う方へと、件の口笛吹きながら歩いている時の事であった。
 マハ・ザ・エル市長は、とある喫茶店のテラスにて、優雅に珈琲を啜っていた。まだ雨の汚れが椅子に残っているにも関わらず大胆に腰を下ろし、羊乳(ミルク)も砂糖も目一杯入れた乳白色の飲み物を口にしている。螺旋屋根を高々と掲げた市庁舎が近い為か、御付きの者の姿は無かった。勿論それはグレイの周囲であり、隠れ潜んでいる可能性も大いにあったが。
「よう市長、だったか……二日ぶり、黒い雨はどうだったかい?」
「まずまずという所だな、前のよりはマシだった……どうした、座らないのかね」
 ジェフリーとしては別段彼に用も無く、また余り好きな人間では無かった――何せ胡散臭い――為、早々に立ち去りたい所だったが、声を掛けられてしまっては逃げたくも無い。
「それじゃ、お言葉に甘えて……」
 そう言って彼が腰を下ろすと、グレイは微笑と共に頷いた。それから、通り掛かったウェイターに声を掛けて、ジェフリーの為の珈琲を注文してやる。
「悪いねぇ、見ず知らずも同然だっていうのに」
「何、一度出逢えば顔見知りだ。それ以上でも、それ以下でも無く。ついでに言えば私の金は市民の金だからな、これは、ただ元あった場所に返しているに過ぎないよ」
 その台詞は何とも尊大で、ジェフリーとしては鼻を折りたくて仕方が無く、
「違いない違いない……それにたかが数スピカだ、遠慮会釈も要らない……よな?」
「勿論だ。が、少しの恩義は感じても良いんじゃないかね? これは礼儀の問題だ」
「全くだね。では少しの恩義として……サンキュー、グレイ・ネヴィンズ市長」
「嗚呼それでいい……どういたしまして、東方の市民。私も嬉しいよ」
 そうして二人はにっと笑い合い、去って行くウェイターを見送った。
「所で、あれだ、君もアモンを探しているのだろう? もう見つかったのかね?」
 暫くして、グレイがそう聞いたのは、追加の珈琲が届いてからの事だった。
 ジェフリーは、思わずごくりと、熱く黒い液体を飲み込んで、
「嗚呼違いない、ね……何だい市長、誰から聞いた?」
 その言葉に、グレイは喉を震わせて笑った。
「誰からでも無いよ市民。ジョーナの事をよくよくと知っていれば、だ。あれの性格と目的から考えれば、喧嘩を売る相手は自ずと限られてくる……つまり同胞だよ」
「同胞、ねぇ」
 ジェフリーは、ちらと右手の甲で踊る猿達を見やった。確かに、志という意味でも、技という意味でも、今の名はなかなかに適切であると言えよう。
「うむ。どちらも身に成らぬ事をしているという意味で、正にそうだろう」
「……そりゃあんた、どういう事だい」
 だから別の解釈によって、二人を等しくしたグレイに、ジェフリーは胸糞悪さを感じた。
 それを知ってか知らずか、初老の男はせせら笑いを浮かべて言葉を紡いで行く。
「居るかどうかも解らない相手に縋るのかね? 真っ当な大人が? 勇敢な男が? 明晰な紳士が? 鼻で笑わざるを得まいな。あいつも君も、現実から逃げているだけの子供に過ぎんね……君が一体、どの様な理由で、螺旋角の神を求めているのかは知らないが……あれかな、ジョーナの様に、大切な者でも救おうと? 肉親か、はたまた恋人か?」
 かつて耳にした覚えのあるこの台詞は、現にアモンを追い求める身として、グレイの飄々とした口振りから聞かされると、実にまた腹に据えかねるものがあった。
「……生憎、金払わない恋人が出来た試しは無いし、肉親は皆死んじまって、ね」
 ジェフリーはそう言い終えるや、一気に珈琲を飲み干した。空になったカップを、猛々しくテーブルに置くと、そのまま立ち上がり、親指で自身を指差しながら、こう称した。
「何故俺がアモンを求めるか、だって? 決まってる、俺自身の為だ。いいかい、良く聞きな、グレイ・ネヴィンズ市長。俺は歪曲病なんだ、知ってるか? 歪曲病だ。あのグズグズで、全くイカしてない歪曲病なんだぜ……ええ、おい? 神様の奇跡に頼ろうとして、何が悪いんだ? 皆だって、あんただって、した事が無いとは言わせねぇ」
「いやいや悪いとは言って無いさ……ただ、無意味だと言いたいだけであって、ね」
 だがその威勢も、この男の前では、正に無意味だった。
 頭に血が登るのを感じながら、ジェフリーはくるりと向きを変え、
「ご馳走さん、珈琲をありがとう……それじゃアモン探しに言ってくる」
「どういたしまして……頑張ってくるといい、止めはしないさ」
「言われずともだぜ」
 その背に掛かる言葉を無視するや、彼は足早にその場を後にして行く。
 だからジェフリーは、グレイが最後に言った台詞も耳にはしなかった。
「そういえば……おぉい、まだ名前を聞いてなかった、君の名前は何というのかね?」

 因みにノーマッドとは、『放浪者』という意味である。
 ジェフリー? ジェフリーとは――忘れてしまった。元々は諸聖典由来の|神の眷属(ジェフティー)を意味していた気もするし、そうじゃなかった気もする。どちらであったかは、もう定かで無いけれど、簡単に忘れる位だから、大して意味も無かったに違いあるまい。
 そういう事になって貰うとしよう。
 まぁ、それはさて置き。
 九日目を越えた次なる日のここまでは、物語の展開上、余り重要で無かった。
 ジェフリーという名前の意味程にだ。
 言わば少しごちゃごちゃとして着色のされた場繋ぎに過ぎず、何となれば、聞いた先から忘れてしまっても結構である。まるでそんな事は最初から無かったかの様に、だ。
 語らねばならないのは、ジェフリー・ノーマッドがグレイ・ネヴィンズと遭遇してからの事であり、また者であり、それが誰かと言うと、あのジョーナであった。
 ノーマッドという名以上に不吉な名を冠した、あの青年との出会い。
 それは彼曰くのイカした聞き込みが案の定、無碍に終わって、螺鈿子(モザイク)の巫女にでも愚痴ってやるかと、旧都が神堂に向かっている最中の出会いだった。
「お前……ようジョーナ、だったかな? 景気はどうだい」
「……」
 沈み掛けの太陽が都市の色彩をますますセピアとさせる中、二人は肉屋の前で対峙した。この頃に至れば、もう黒い雨の影響は殆ど無く、にわかに乾いた風が去来しているけれど、先にも上げた通り匂いばかりはどうしようも無いものであり、肉付きも人付きも良い店主であったが、顔を顰めながら店仕舞いを行なっている。そんな親父を尻目に、ジェフリーとジョーナは、真っ向から睨み合った。斜陽の影は、昨夜の雨にも東方風のジャケットにも、また密かに伝え聞かされる『王』の黒衣にも増して色濃くて、
「……その様子じゃ、全然みたいだな……お互いに?」
「……そうらしい……道行く老人にも、こう言われてしまった」
「何だって?」
「くだらん事は止めろ無神論者、だとさ」
「そりゃまた奇遇だな、俺もここの市長に似た様な事を言われたぜ」
「……ミスタ・グレイにか……それはまた難儀だったな」
「嗚呼全く……」
「お互いに……」
 会話の応酬によって、二人の間の空気も色濃くなって行く。
 ジェフリーは先程からずっと、癒える事の無い胸糞悪さを感じていた。あのグレイ・ネヴィンズと出逢った時から決して変わらない、吐き気にも似たあの嫌な感覚だ。
 という事は、つまりジョーナの方でも同じものを抱いていた訳であり、ならばこそ、その治癒の方法に決闘が、何の遠慮会釈も無い決闘が望まれたのは、自明の理であった。
 少なくとも、ジェフリーとジョーナの間では。
 その行為は、はっきり言って無意味であり、無価値であり、為になる事など、何も無かった――最低でも、その行為自体が、彼等二人の状況に及ぼすものとしては――けれど、若い男の心には、多少であれ効果的でもあった。とりあえず拳を振るって置けば、すっきりとはする。それが格式ばり、演劇的性質を帯びて行くならば尚更となり、且つ格好良くなって、意味とか価値らしきものも見える気になる――ジェフリー的に言うなれば、つまりイカスという事だ――のだ。やらぬよりかは、やった方が良いだろう。
 またそれは、数が多く秩序立てば戦争と呼ばれ、無秩序となれば暴動となり、数少なく秩序立てば決闘と叫ばれる様になる――そこで更に秩序を失えば、喧嘩に陥るのだが、趣の違いこそあれ、二人とも体面を重んじた為、幸いと秩序は失われずに済んだ。
 かくして、この場で行き成りとはならず、ジェフリーとジョーナの間に決闘の約束が結ばれた――時刻は今日の深夜十二時、場所は旧都に程近き新都のとある十字路にて、と。
「待っているぞ」
「こちらこそ」
 熱騒者(アメイモス)と凍静者は茶と灰の視線を絡め合わせると、握り込んだ右手と左手をぶつけた。
 そして、終始唇の横線を崩さぬまま、波打つ灰色の髪を揺らして立ち去って行くジョーナを笑みで持って見送るジェフリーに、ここで初めて肉屋の親父が口を開いた。
「兄ちゃん悪いが、ちょっとそこ退いてくれんか? 道洗っときたいんだけど」

 その言葉を自ずと無視しながら、ジェフリー・ノーマッドは、約束の時まで自室に篭っていた。ビルが、またレイアが何度が食事に呼びに来たけれど無視するままにベッドへ座り、先端に深い噛み跡を付けた愛用の螺旋銃(クロックガン)を握って撃鉄を軸として廻しながら。元来それはアモン機構(クロック)を充填する為の行為だが、既に限界まで廻し尽くされている今は、ただの手慰みか、良くて精神集中と言ったものに成り下がっている。
 そんなただの手慰みか、良くて精神集中を薄暗い部屋の中で延々行なっているジェフリーの脳裏には、ジョーナ達のイザコザが原因したのだろう、昨夜の雨の中に見た、懐かしき夢の思い出が、回転覗き絵の様に映し出されていた。
 それは、もう何年も前の光景であり、彼が熱騒者(アメイモス)の技術を会得した時のものである。
 その日ジェフリーは、一派の聖地、荒野の中に並び立つカルナック環状列石で最後の試練へと挑む所であった。七匹の猿達の化身とされる石達に見守られながら、熱騒者(アメイモス)としての技術を持って、己が師を討つというものである。
 彼の師匠は、まぁどうせこの場面にしか出ないのだから覚えて貰う必要も無いけれど、カイエ・サタナキアンと言う。当時は中年に当たった、小太りの温和そうな男だったが、熱騒者(アメイモス)としては確かな腕を誇っていた。駿足漢(スピーディ)なる二つ名も、元々はカイエのものである。また少年ジェフリーに、酒と煙草と音楽を教えたのもこの男だった――女は違う。女は、弟子自体が勝手に学んだものである。師匠の責任では断じて無い。
 ともあれ、子供の時分に早々に親元を離れた身としては、カイエこそが親であり、環状列石の元で始められた試練は、師匠越えであると共に、親越えの要素も兼ねていた。
 その為に、ジェフリーとカイエの戦いも熾烈な、正に死闘と呼べるものとなった。
 余りにも熾烈な死闘であった為に、開始から数秒で蹴りが付いた程である。
 まぁ死なんて付くものがだらだらと進んでいたのでは、格好も付くまい。
 そうして勝ったのは――既にその右手の甲が如実に語っているが、ジェフリーだった。
 彼は己が手で親であり師匠である男を倒し、その証と二つ名を受け継いだのである。
 最早語ってもつまらない、周知の事実である通りに。
 ジェフリーはそんな時代を思い返して、悦に浸っていた。
 常人の眼では到底捉える事の出来ぬ正に熱風の如き、という事は、本当にそうであったのか彼とカイエ以外には解らない戦いっぷりを想像して、来たるべきイカした決闘への闘志を高めていたのである。つまり、精神鍛錬という奴だ。効果があるかは知らないが、まぁきっと気分だけは良い事だろう。気分だけは。
 所で、一つ余談を語りたい。
 後継者はあえて記憶を呼び覚まさなかったが、件のカイエは死んでなどいなかった。熱騒者(アメイモス)としての力の反動か、大分老け込んではいたけれど、小太りの温和そうな印象そのままに、カルナックで酒場を経営していた。評判は上々で、人々の憩いの場を築いている。
 当時も今も、ジェフリーはそれが気に入らなかった。席を明け渡したならば、潔く消えるべき、もとい、カイエならば、潔く自殺するものと考えていたのである――醜くも生き続けた、彼の祖父や祖母とは違って、だ。それを何とまぁ、実際口にした彼に驚き呆れながら、カイエは、こう言い返したものである。
「おいおい、漸く私は猿どもから解放されるのだぞ。熱騒者(アメイモス)の名の下に、我武者羅に走り回る必要が無くなったんだ、これからはもっとゆっくりやらせて貰うさ」
「でもあんたには技が残ってるじゃないか。そいつは一体どうするんだい」
 大してジェフリーが応えると、カイエは頭を振り振り、
「どうもこうも無いよ、ただ使わないだけださ。そう出来るからと言って、しなくてはならない訳でも無いし、伝統が引き継がれた以上は、無理に行なう必要も無し、だね。大体、科学の時代にゃ、錯誤も良い所だぞ、こんな技。無法者相手には銃で充分だし、今時|氷静者(アメイミン)ってのもね。あの抗争でお互い懲りてから、まだ百年しか経ってないんだぜジェフ」
 これは事実であり、血で血を洗い合った結果、現代の二派は、かなり穏便にやっていた。お陰で両者共に緩くなり、現代ではちょっと人より早く動ける者という扱いだったが。
 勿論それは集団での話であり、個人の場合は全く別である。そしてジェフリーは、当時も今も、心の底で対等な敵手を求めていたのだ――潔い死を齎してくれる為の。
 彼が師と決別し、ただ一人のスピーディを名乗り出したのは、言うまでも無き事である。

 局地的回想を繰り返している最中に、時計の針はぐるりぐるりと廻り続ける。
 そして時が巡れば、ジェフリー・ノーマッドは約束の地に居た。
 彼と相対するジョーナとが取り決めた、とある十字路に。
 そこはなかなか悪くない場所だった。元来アモンとの関連性から円弧が尊ばれる為、直線によって形作られた十字模様は忌避される上に、全くの偶然の一致なのだが、その不吉さよりかつて一度、同様の決闘が行なわれた地でもあったのである。
 全く、歴史は繰り返すとはよくぞ言ったものだ。
 過程と結果? マハ・ザ・エル図書館にでも行けば解るのではあるまいか。
 もしくは郊外にある墓所にでも行って、本人達に聞いて見るが宜しい。
 なかなかイカス、とジェフリーなら口にする結末なのは確かだ。
 ただ、今ミスティックスネイクを咥えつつ、件の曲を鼻で奏でている彼は、その事実を知らなかった。もし知ったとしても、何も変わりはしなかっただろう。寧ろ縁起が良いと、乗り気になったに違いない。ただでさえ大乗り気だというのに、若いとは結構な事だ。
 これによって、何が変わる訳でもあるまいに。
 ジェフリーは溜めに溜めた毒の煙を吐き出すと、視線を頭上に向けた。空には昼間と変わらぬ疎らな雲が、また奇妙な形を見出せる星々の連なりが、太陽の代わりの月が青白く輝いて見える。立ち上る煙を通して見るそれらは幻想的であり、昂ぶる心を抱える彼の胸を、柄にも無く静かに揺らした。流石にこの時間とあっては人気無く、また風も殆ど無い夜にあっては感慨も一塩だ。正に柄にも無い事だったけれど。
 ジョーナが姿を現したのは、そうして何本もの吸殻が石畳に落とされてからの事である。
 彼は先にジェフリーと出逢った時と変わらない、灰尽くめの姿だった。一点変化があるとすれば、それはジャケットの下、腰元に巻き付けられたホルスター位だろう。螺旋銃(クロックガン)、そして細い箱状の弾倉を何本かそこに指している。その敵手がしているのと同じ様に。
「遅ぇよ」
 ジェフリーは薄っすらと笑みを浮かべつつ、吸い掛けのスネイクを放った。火の付き、半分以上残ったままのそれを、乱暴に革靴の踵で踏み付ける。何度も何度も、ぐりぐりと。
「懐中時計を持っていないのか?」
 その様を見詰めながら、呆れた様にジョーナは言うと、長衣の懐を漁って、
「……今がその時だ」
 取り出した真鍮の懐中時計をジェフリーに見せ付ければ、その針は十二時一分前を示している――と、言っている間に、十二時と相成った。
 約束の時である。
「嗚呼そうかい……案外几帳面な奴なんだな、お前……」
 文字盤を呆れた様に見詰めながら、ジェフリーは首を横に振るう。
 その肩は、既に一定の、だが奇妙な律動を刻み始めていた。
「お前こそ……時間前から居たとは……律儀、じゃないか……」
 対するジョーナの方も同様である。以前の時の様に、まるで変わらない挙動だ。
 熱騒者(アメイモス)と氷静者(アメイミン)、両者等しき呼吸法により、己が内側に太陽を築いているのだ。何時爆発してもおかしくない、肉体を嫌が応も無く突き動かす力の根源を。
 そして渦巻く大気が充分に満たされた時、彼等はまた同時にそれを解き放った。
 狂信的獣達宿した手を振り被り、腰元に吊るした螺旋銃(クロックガン)へと素早く手を伸ばす。
 最早言葉も無く合図も要らず、ジェフリーとジョーナの決闘はこうして始まった。
 尤も、呼吸法の為、言葉は元より合図をしている暇も無かったのではあったが。

 所で、螺旋銃(クロックガン)にはちょっとした撃ち方のコツというものが存在する。
 有史以来、人類が取り扱って来た射撃武器の中でも一際変わったそれは、腕、特に手首のスナップを利用した曲がる弾道である。撃鉄を引き、まだ銃身の中に弾がある状態で、手首を振るう。或いは、その順番が逆でもいいけれど、兎に角、前へ前へと突き進む弾に別の力、回転を加えてやる事で、弾道を曲げるのである。これの会得はただ体の使い方を学ぶだけでは無く周囲の状況まで考慮しなくてはならないから、紛いなりにも扱える様になる為には相応の修練が必要になるが、この技術を用いる事によって、予測不能の、そして遮蔽物無視の一撃を見舞う事が可能となるのである――なかなかイカスじゃないか。
 因みにアモン機構(クロック)が齎した強い反動の中で、高速の弾丸に力を加えるべく銃身を振るうのは至難であり、この技を行なえるのは、肉体の力を無理矢理引き摺り出す事が出来る熱騒者(アメイモス)か、或いは氷静者(アメイミン)位だった。同時に必要性という意味でも、だ。普通の人間が相手であれば、そんなもの要らない。良く狙って撃鉄を引く。これだけでもう終わりである。
 そもそも誰が考案したかと言って、その両一派に他ならない。大体の話、彼等以外でそんなものを考案する者など居りはすまい――どう捻れば思い付くのだ? そんな用法。
 ジェフリーとジョーナは、その互いが受け継いだ力と技を存分に行使していた。
二人の動きが根本的に同一のものであるならば、それはまるで舞踏の様である。
 螺旋銃(クロックガン)を抜きながら撃鉄を引くや片腕を薙ぎ払う、と同時に彼等は横へ跳んだ。横回転を加えられた弾丸が、視界の外を通って元居た石畳を穿った。と、撃鉄を軸に銃身を回して倍増発条(スプリガンク)を充填し、切り替えし気味にスナップを利かせて、歪曲した弾道を打ち放つ。
 傍目には――傍目には、もう人や、人の動作として、しかと把握する事は出来ない。おぼろげな人影が、風を切って回りながら――それは弾丸を避ける為にある、直線で進むだけの、少々は曲がる弾丸を避ける為の――撃っては放ち、放っては避け、避けては撃ち――スピーディの二つ名に相応しく、またジョーナにも付けられているだろうその名の通り――時に弾と弾とをぶつけ合わせつつアモン機構(クロック)を廻しながら、弾倉を代えながら――繰り返し繰り返し、かつてこの地で執り行われたという決闘を、或いは熱騒者(アメイモス)と氷静者(アメイミン)の間で勃発した抗争を、もっと大袈裟に、大仰に言ってしまえば、この世界で行なわれてきたあらゆる戦いを真似る様に、二人以外には誰も居ない筈の十字路の上で廻り続ける。
 己こそがアモンの下にあるべきだ、と、そう叫ぶ様に。
 ジェフリーとジョーナは螺旋を内に、螺旋を担い、螺旋を元に、螺旋を撃ち続ける。
 最初、彼等は完全に拮抗していた――それこそは、永遠に踊ろうとしている様に。
 しかし、十二時から少しずつ時を隔てて行く度――と言っても、それは秒針での事だったが――徐々に徐々に、二人の間に乱れが生じ始める。長時間――勿論大した時間で無く――肉体の限界を超えていたが故、最終的な地力の差が仄見えて来たのだ――詰まる所単純な話であり、ジェフリーの体力は、ジョーナのそれよりも劣っていた。恐らくは酒と煙草の所為なのだろうが、正直、今の状態を維持するので手一杯だったのだ。胸糞悪い事に。
 ジェフリーの頬から何筋もの汗が滴り落ちた。中空に散ったそれは直ぐに粒となり、地に着く前に強風によって四散するが、その苦い顔は変わる事の無い。
 が、しかし、結局の所、決闘の勝者は彼の方だった。
 決着は、何十発もの弾丸を撃ち尽くし、弾倉の山が積み上げられてから起こった。
 ジョーナの弾丸が、遂にジェフリーを捉えたのである。歪曲した軌道を持って迫るそれの一つが、半ば偶然に、半ば必然として、疲弊した熱騒者(アメイモス)の手に命中したのだ。
 威力として見れば、それは大したもので無い。だが、衝撃はジェフリーの右手より、螺旋銃(クロックガン)を弾き飛ばし、その些細な変化は、彼の身を常人の枷に無理矢理押し戻した。
 ジェフリーは耳障りな呼気を吐きながら、もんどり打って倒れる。今だ残ったままの力によって体を崩し、石畳の上を転がって行った末、摩擦によって漸く留まるまで。
 呻きつつ、彼は起き上がろうとするが、しかしそれを見過ごすジョーナでは無かった。
「……終わりだな……」
 滝の様な汗を滴らせ、立ち上がろうとするジェフリーの傍に、彼はやって来た。既にその身も元通りの人同然であり、無理な動きによる反動が、同様の疲労を齎している。だが、その左手にはまだ螺旋銃(クロックガン)が握られているのだ。ジェフリーのそれは、彼方へと飛んでいる。
 後、ほんの少し撃鉄を引き絞れば、事はそれで終わるだろう。
 ジェフリーは、耳障りな吐息で返したけれど、決してうろたえはしなかった。銃口に向けられた視線は、寧ろ笑みを宿している程である。
 ジョーナは何事かと訝しがろうとし、側頭部を貫く衝撃に、その暇も無く倒れ付した。
 今だ理解及ばぬ彼の手から螺旋銃(クロックガン)が零れ落ちるのを、ジェフリーもまた見逃さない。
 気が付けば二人の立場は一転していた。
 倒れているのはジョーナであり、その生命を握るのはジェフリーとなっていた。
 何をしたのか。
 銃撃の応酬が中、ジェフリーは一発の弾丸を予め放っていたのである。それは外から内側へと、円を描いて進む様な回転を掛けられた弾丸だった。ジョーナにも、他の誰にも気付かれる事無く、それは孤独にこの場を廻り続けた――何時か何処かで、半ば偶然として、半ば必然として、誰か、勿論ジョーナに命中する事を望まれながら。
 そして、弾丸は見事に本懐を果たしたのである。
 何が勝敗を分けたのか? ジェフリーの方が、ジョーナよりも幾らかアモン的であったという事だろう――要するに、性根が螺子くれていたという訳だ。
 同時に彼の方に、神がかったツキが舞い降りていたのである――実際その様な企てが、上手く行く確率はどれ位になるだろうか?
 イカした結果じゃないか、全く。
「……終わりだな……」
「……」
 銃杷を軸に倍増発条(スプリガンク)を廻しながら、ジェフリーはそう笑みと共に言った。ジョーナは何も言わない。灰色の髪の一部を赤く染めながら、己が上に立つ相手を睨むだけだ。長い間――正直に言えばジェフリーも忘れ掛けた程――螺旋を描き続けた弾丸の威力は、人一人を殺し切るには充分では無かったが、それでも勝負を決するに余りあるもので、
「……何か言い残す事はあるかい?」
「……」
 ジェフリーの問い掛け、東方では当たり前の様に行なわれてきたその問い掛けに、ジョーナは首を横に振るった。勝負は決した――もう終わったのだ、何も言う事は無い、と。
 その反応は、もし状況が逆であるならば、ジェフリーもしたであろうものであり、彼は自身が銃口を向けた相手へと賞賛の口笛を上げた。その潔さや良し、である。
 そうしてジェフリーは、人差し指に力を込めた。ジョーナの命と、この決闘と呼ばれるものを終わらせる為に――最初に語った通り、そうした所で何一つ状況の変わる事は無いだろうけれど、それでもまぁ気分だけは良くなるだろう。気分だけでも。
「……では、さよなら、だ」
「……」
 そうなるべくジェフリーは笑みを消すや、瞳瞑るジョーナへ撃鉄を引き絞る。アモン機構(クロック)の中、倍増発条(スプリガンク)に込められていた力は解き放たれ、螺旋銃(クロックガン)の中の弾丸を弾いて飛ばし、ただの常人――今のジョーナだ――を余裕で死なす傷を、彼の者の身に負わす筈であった。
 事が起きたのはその一瞬前で、ジェフリーは撃鉄を引く事無く、再度倒されていた。
 倒されたと知ったのは引き摺られていた時であり、引き摺られている事を理解したのは、力一杯壁際に叩き付けられ、鈍い衝撃が背中から全身へと直走った頃だった。
 ジェフリーは唾と共に呼気を吐いた。疲労の上に上塗りされた苦痛に顔を歪ませる。
 それからその淀んだ茶の瞳は、重石の如く自身を捕らえて離さぬ者の姿を見た。
 月光を背にしたその影はどうやら女性であり、白銀の髪を靡かせながら赤い瞳――アモンの右目、或いは右角に宿った、情熱の赤だ――を爛々と光り輝かせている。
「お前は……」
「市長として言った筈だがね、人死には出すな、と……聞こえていなかったかな、ジェフリー・ノーマッド君……そういう名前らしいな? なかなか暗示的じゃないか」
 仄青く見える輪郭の中、彼女がレイア・ラザラスであると気付いたのは、聞き覚えのある男の声がジェフリーの耳に舞い込んでからの事だった。
 そのか細い体の何処からそんな力が湧いて出て来るのか、レイアに寄って完全に身動きを封じられている彼は、首と眼だけを動かして、声のする方を向く。
 新都広がる方へと伸びた通りに、グレイ・ネヴィンズが佇んでいた。今宵は取り巻き一人連れて居なかったけれど、その姿自体は先日と何一つ変わっていない。無帽の頭から垂れている波打つ白髪、灰色のフロックコート、そして青――アモンの左目、或いは左角のに宿った、冷静の青だ――に光り輝く猛禽の如き鋭い瞳、と何一つ。
 その何一つ変わらぬ様相で持って、グレイはまたジョーナを睨みながら言った。
「そうしてお前にも……もう一度言わねばならないのかね、私は?」
「……しかし……しかし、貴方は歪曲病だ、父さん……」
 その視線を正面から受け止めながら、ジョーナ・ネヴィンズは応える。氷静者(アメイミン)としての疲労により、解放された今でも起き上がる事は困難だったが、どうにか片膝を立てつつに。
 彼の実の父親は、驚きに開かれたジェフリーの瞳を流しつつ、鼻で笑った。
「外で私をそう呼ぶなと言った筈だが……それはまぁ良かろう。しかし、その父さんの為が、この乱痴気騒ぎかね? 夜も更け、市民達が寝入った真っ最中の? 挙句が東方から来た田舎者の流儀に合わせての芝居じみた自殺だと? 浪漫だな、実に愚かな浪漫だ……なかなか懐かしいと、思わないか? ビル。彼等は全く、私達の昔にそっくりだ」
 グレイはそうして、旧都の奥へと進む通りに視線を向ける。
 二人の若者も同じ様に目と首を動かし、そこにビル・ラザラスの姿を見出した。
「嗚呼そうだなグレイ……反吐の出るその下らなさなんて、嫌に成る程良く似ている……」
 今日もまた鵞鳥のイジドアを連れていない宿屋の老主人は、そう言って首を横に振るう。
 その様子に血を熱く滾らせ、ジェフリーは叫んだ。レイアの拘束の中でもがきながら、
「おい……おいおい、ちょっと待て……何だ一体、あんたら一体何なんだ?」
 彼の頭は混乱していた。当然現れた三人の役者に、彼等により変貌したこの一幕に。
 という事はジョーナも同じ思いであり、叫ぶ事こそ無かったけれど、彼もまた無言の抗議を、父親と、どうやらその知り合いだったらしい見覚えのある老人へと向けた。
 そんな二人に応えて、グレイはせせら笑いを浮かべて言う。
「何だ、と言われれば、そうだな、助言者だろうねぇ、私達は」
 対して鼻で笑ったのはジェフリーであり、
「……助言者……だって? 意味が解らんね……一体何を助言出来るんだい……?」
 それに続いたのは、溜息交じりのビルの声で、
「何が、か……確かに、ただの老いぼれ二人に出来る助言などたかが知れている……だが、」
「……だが? だが、何だ……教えてくれ、ご老体……」
 ぐっと胸を押さえつつ、ジョーナがそう促せば、彼は深い吐息を吐いた後にこう言った。
「だが……だが俺達は、お前達が求める者を既に知っている……逢っているのさアモンに、この世の何よりも愚かで、この世の何よりも偉大な、あの螺旋角の神に……」
 その言葉に、ジェフリーとジョーナは口をあんぐりと開けて固まった。その硬直具合は、仮令偽りであれ、その身に太陽を宿していた者達とは到底思えぬ具合である。
 彼等の様子に短く甲高い笑い声を上げてから、青い瞳のグレイはこう後を継いだ。
「そして私達は祈り、それは聞き届けられたのだよジョーナ、ジェフリー君。私は叡智を望んだ。人々の間にあって、敬われるに足るだけの叡智を……そうしてビルは、私の古き友は、復活を望んだのさ。病に倒れ、冥府へと運ばれた、たった一人の愛娘の復活を」
「……十五年も前に、な……」
「……」
 喜悦を含んで向けられた視線に再び溜息を漏らして、ビルは頷く。先程から表情一つ変えず、また身動ぎ一つしていなかった赤き瞳のレイアの指が、俄かに握り締められた。
 それが齎す痛みでジェフリーは我を取り戻すと、自身でも意外な程の声量で叫ぶ。
「う、嘘だっ、出鱈目だっ、たちの悪い冗句だっ、在り得ない、そうに決まってるっ」
「……何故そう思う?」
 彼の声にあくまで動じる事無くビルが尋ねれば、ジェフリーは胸糞悪さを一杯に膨らませると、レイアの腕を振り払って伸ばされた右腕より人差し指を突き出し、
「あ、あんたは、あんたは最初にこう言った筈だっ、アモンなんて居ない、とっ」
 指差されたビルは、やはり何らの動揺も見せずに、淡々と応えた。
「……俺は居ないだなんて言って無いぞ若造(ヤンキー)……お前達に、十五年前の俺達を繰り返すくだらないお前達に取っては、はっきりしない……そうは言ったがね……加えるならば、知らないとは一言も言ってないな……くだらない、くだらないとは繰り返したが」
「そして私はそもそも聞かれなかった」
 彼の対岸に立つグレイは、薄汚れた歯を剥き出しにし、
「……本にも書いたのだがね。ジェフリー君、読まなかったかな?」
 そう続けてから、彼の先祖とされる青き梟が如く、まだ固まったままの息子の方を見、
「ともあれ、これで解っただろうジョーナよ。私は確かに歪曲病で、親孝行なお前は、それを治す為にアモンを探した……だが、私は既に神が、隠された神が何処に居るのか、その答えを知っていたのさ……この意味が解らないお前ではあるまい」
「……は、い……」
 その言葉に、ジョーナは、ゆっくりと首を縦に振った。理由は兎も角、最も大切な者がそれを求めていない以上、彼の中でアモンを探す意味は消え去ったのである。
 ジョーナは舞台から独り、降りた。
「ふ、ふざけるなっ」
 けれど、最も大切な者と自分が同一であるジェフリーには、到底納得出来る話では無い。
「ふざけるなっ、ふざけるなよ爺どもっ、人をおちょくる様な真似してくれやがってっ」
 成る程、グレイは求めていないかもしれない。既に一度祈りを聞き届けられた彼にとっては、まぁそれで良いのかもしれない。しかし、ジェフリー求めていた。人の手では決して治せぬ病を癒す為、彼にはアモンがどうしても必要だったのである。
「言えっ、教えるんだっ、アモンは、螺旋角の神は一体何処に現れたっ」
 故にジェフリーは喰らい付いた。眼を見開き、口角泡を俄然飛ばす姿は、全く潔く無かったけれど、今の彼に格好付けるだけの余裕は無く、その様子に憐憫を込めた視線を投げるや、ビルは肩を竦め、グレイは微笑を讃え、
「そもそも……現れた、という表現が可笑しい。彼の神は愚直で、その言葉を違える事は無い……人間に世界を譲り渡したならば、もう二度と戻る事は無いだろう……つまり、最初から何処にも行っていなかったのだ……世界の外に、ずっと鎮座したままで……」
「その代わり、力の顕現は至る所に隠れ潜んでいる……アモンが掲げる二色の角……螺旋、だな。つまり螺旋を追い掛けた先、その大元にこそ、神は居る。私達はそう結論し、やがてその正しさは証明された……螺旋なる世界の中心、虚無の海より最初に引き摺り出された大地、今はマハ・ザ・エルと呼ばれる場所の、何処が本当の中心なのか、ずっと探して、」
「御託はいいっ、欲しいのは回答だけだっ、結局アモンに逢うにはどうやって、」
「……螺鈿子(モザイク)です。貴方も知っている、あの螺鈿子(モザイク)の巫女……マハの末裔……彼女こそが世界の中心の、本当の芯……アモンへと繋がる、螺旋の門……」
 そして彼等の言葉を、最後にレイアが紡いだ。そうして今まで唇を閉ざしていた彼女は、ビルの溜息とグレイの嘲笑を背に、ジェフリーの驚愕に染まった視線を正面に受けつつ、はてと小首を傾げるや、微笑みを持ってこう言ってのけたのである。
「|墓守の犬(ジャッカル)に襲われたみたいな顔ですね。これが貴方の知りたかった事でしょうに?」
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