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終端・螺旋果て

「わしにどうしてあんたを救うことができよう? おのれを救うことさえできぬわたしに?」微笑をうかべて、 「まだわからんかね? 救済はどこにもないのじゃ」
「じゃ、これはなんのためなんだ?」リックは詰問した。 「あんたはなんのためにいるんだ?」
「あんたがたに示すためじゃよ」ウィルバー・マーサーは答えた。 「あんたがたが孤独でないことをな。わしは、いまもこれからも、つねにあんたがたといっしょにいる……」
 フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
11:54

 そうして気が付けば、ジェフリー・ノーマッドの魂はその肉体へと戻っていた。背には冷たく硬い床の感触があり、頭には暖かくも柔らかい布の感触がある。瞼を開ければ、感情の乏しい表情で彼を見詰めているドロシー・ダルウィッシュが垣間見える――己が腿を枕代わりに、ジェフリーの頭をそっと撫でる彼女の手は、両方とも黒かった。黒い巫女服に隠されたその肌の下の、一体何処から何処までが黒く変わったのか、知りたいという欲求はもう彼には無い。その理由もだ。知るだけ野暮だし、答えはもう大体解っていた。
「……アモンには逢えましたか?」
 ドロシーは小さくそう語り掛けながら、ジェフリーの髪や頬をそっと撫ぜる。
「……嗚呼、逢えた……」
 その何とも言えぬ心地良さに身を委ね、彼はこっくりと頷いた。
 それからふと、ある言葉を思い出し、浮かんだままに口にする。
「『時は月より流れ出で、やがて太陽はそこに沈むでしょう。永遠に、二度と上がる事無く』……あれは本当の事だったんだな……例えでも何でも無くて……」
「えぇ」
 それに対してドロシーも頷いた。
「知っていたんだな……」
「えぇ……巫女は、少なくとも私は、彼と直接繋がっていますから……」
 そして、その指をそっとジェフリーの瞼に持って行き、
「貴方も、もう解るのでしょう? 紛いなりにも彼と繋がったのですから」
「……嗚呼……そう、だな」
 その下の眼で、彼は彼女の瞳を見た――赤青二色の瞳を、そしてそこに移り込む自分の顔、アモンの寵愛を受けた証たるそれを何時の間にか宿している自分の顔を。
 何時の間にか、など考えるだけ野暮である。その理由もだ。
 全ては脳味噌で無く、心臓で理解出来る――生命の息吹を一心に受けた、心の臓に。
 ジェフリーは吐息を吐き出しつつ、そっと右手を掲げた。その肌の色は、以前よりも黒くなっていて、手の甲で踊り狂う赤銅色の猿達の姿は、おぼろげにしか見出せない。
「アモン、か……」
 それらが今も追い求めている、かつて自分が追い求めていた太陽を顕現とする者、螺旋角の神と称されつつも、その実は螺旋角の悪魔だった者の名を、ジェフリーは言った。
 その口元に、苦味を帯びた微笑を浮かべながら、
「まさか、あんなのが、俺達を作った主……だったとはな……」
「はい……」
「愚かで弱くて醜くて、目の前の事しか見ていない……まるで人間みたいな……」
「……違いますよ」
 と、そこでドロシーもまた、唇の先に少しの、ほんの少しの笑みを浮かべ、
「アモンが人間みたいなのでは無く……私達がアモンの様なのですよ。何せ、」
「何せ、俺達を作った主……だからな……」
「はい……」
 二人は力なく笑い合い、それからジェフリーの方は掲げた右手を胸前にやり、
「という事は……きっとアモンも死ぬんだろうな、何時か……きっともう直ぐに……」
「はい……と、言って欲しいですか? 貴方は」
「いいや、止めて置こう……もう答えは知っていて……あ……」
「えぇ……? 如何されましたか?」
 乱れ無く淀み無く心音を上げている胸に耳を向けていたジェフリーは、はっとして体を起こした。ドロシーが訝しげな視線を送る中、彼は今また浮かんだ言葉を口にする。
「……『嗚呼、太陽はやがて渦の下に、渦はやがて無の元に』……」
「……それは?」
「……大北海の詩人が書いた、とある作品の題……まぁ俺はそれを知らないんだが、ね……知っているのは、それを元に作られた曲の方だ……陽気なんだけど、何処か切なくて……凄い激しい感じ……俺が好きな曲だ……今の今まですっかり忘れていたんだ、その名前を……音とかは、しっかり覚えてたんだけどね……音だけは……」
 そう言って彼は鼻でそれを奏で始める――陽気だが何処と無く切なく、激しい律動を持った曲は、しかし鼻歌では一層物寂しい――その名を知った今では尚の事で、
「……」
 ジェフリーはそのまま暫く奏で続け、ドロシーもそれをただじっと聞き入っている。
 そうしてそれが終わりに差し迫った頃、彼女は彼に対し、こう尋ねた。
「それで……まぁ聞くだけ野暮ですけれど……これから貴方は一体何処へ向かい?」
「……」

 その問い掛けは、一時的であれ沈黙の幕を舞台に下ろした。
 それが漸くと上がったのは七日過ぎ、九日を経た、十日目の事である。

 727号室から小ざっぱりとした格好で出たジェフリー・ノーマッドは、階下に降りた。
 一階の酒場に顔を出せば、インの主であるビル・ラザラスが居て、その手には手乗り鵞鳥のイジドアが居る――腹の蓋を開け、中に入った小型のアモン機構(クロック)を晒した格好で。
 裏蓋には、文字が刻まれていた――『オールドロマンス歯車式人形店』、と。
 ビルはそこにある小さな摘みで倍増発条(スプリガンク)を廻していた。無言に、また無表情に。
 その様子を見たジェフリーは、俄かに瞼開き、
「あんた、それ……玩具だったのかい」
 対するビルは落ち着き払った声で返した。小さく廻り続ける手はそのままに、
「嗚呼そうだ……知らなかったのか?」
「……聞いてなかった」
「言ってなかったからな」
「……見てなかったのは?」
「修理に出してたのさ……こいつは、十五年も前に作られた奴でね……」
 そうして彼はふんと鼻で笑うと、ジェフリーの方を見ようともせぬまま唇を開けて、
「……俺とグレイが出逢った時、アモンもまだ少しは元気だった……まぁ、お前が逢った時よりも、心持余裕があった程度だろうが、ね……そこで俺達は祈りを叶えられた訳だが、意気揚々とは行かなかった……これはジェフ、お前も知っての通りさ……一人の人間を蘇らす為に、何が代償となったのか……もう十五年も前だが、あの感覚は今でも忘れられん……広がって行く余波、そして降り注ぐ黒い血の匂い……」
 珍しくそう饒舌に語るけれど、しかしジェフリーは聞いていなかった。
 彼が関心を持ったのは十五年前という部分であり――よくよくと思い返せば、それは彼の幼少期と符合する。幼少期、それは彼の肉親が次々に死んでいった頃であった。
 ビルとグレイ・ネヴィンズのアモン探求が、その原因だったのだろうか? 可能性は大いにあるだろう。しかし、それを兎角言うにはもう時が立ち過ぎていたし、今のジェフリーに、彼等を非難する資格は何処にも無かった――いや、寧ろ誰が非難出来るものだろう。人間であれば多かれ少なかれ誰であれ、きっとそうせざるを得ない筈なのだから。
 |胸糞悪い(ファッキン・アモン)、とは最早言うまい。
「――イジドアはレイアのペットだった……」
 そうジェフリーが己の内に沈んでいる間にも、ビルは言葉を紡ぎ続けて、
「あいつが病で倒れた時、一緒に仲良く逝ってしまった……俺は最初こいつも蘇らすつもりだったんだがね、直ぐに止めたよ……レイアも、それで良かったと言っている……私のせいで一杯人が死ぬのだとしたら、きっとイジドアならその倍は死ぬでしょう……と」
 がきりと限界まで倍増発条(スプリガンク)を巻き終えた所で言葉を止めると、彼はアモン機構(クロック)のスイッチを入れ、ばたりとイジドアの蓋を閉じた。偽者とは到底思えない、発条仕掛けの鵞鳥はその瞬間から紛い物であって、紛い物で無い命を与えられ、ぱちくりと瞼を閉じ開きする。
「だから俺は代わりにこいつを造って貰った……俺に出来るのはこれ位だ……死んだものを生き返らすんじゃなく……今生きているものの為に、アモンから貰った命を分け与える……こうやって発条を廻してやる事位だと、解ったものでね……」
「……」
 ジェフリーはそこで、ならばアモンは誰から命を分け与えられるのか、と言いそうになったけれど、しかし胸中に収めた。ビルの方が、余程それを理解しているだろうから。
 二人の男はそこで唇を閉ざし、イジドアが彼等の意思を代弁する様に言った。
 それが、この言葉である。
「ガーガーガーガー」

 渦中のレイア・ラザラスは、インの外の通りに居た。道端で寝転がっている――誰が見間違えられよう、それはあの緑衣の男だった――に、そっとシーツを被せている。
「……彼は?」
 ジェフリー・ノーマッドがそう歩み寄って聞くと、レイアはよっと立ち上がり、
「常連さんですよ、知っての通り……でも、余りお金が無くて、お酒は買えても泊まるだけは出来ない……逆を薦めてるんですけどね。値引きするからと、でも聞かなくて……」
「ふぅん……」
 彼は赤青二色の瞳を細め、男の眼鏡面を見下ろしながら、小声で呟く様に言った。
「……只者だったのだな、こいつ」
「え?」
「いや、何でも無い……こっちの話だ」
 そして鼻先を軽く掻き、咳払いを上げると、まだ注がれる少女の赤い視線に眉を潜め、
「……何だい」
「ああ、いえ……ただ、」
 レイアはジェフリーの顔をまじまじと見詰めながらに応えた。
「憑き物が落ちた様ですね……前はもっと野良犬みたいな人だったのに」
 対する彼は、何とも居心地の悪そうに顎を摩りつつ、突然にやりと笑みを浮かべ、
「そりゃあれだ、髭剃ったからだろうね」
「まぁ」
「それから何処かの誰かが思いっきりふっ飛ばしてくれたからじゃないかい?」
 その言葉に、彼女の頬は桃色に変じ、
「だ……そうでもしなければ、止められないと思ったからですよ」
「ふぅむ……あれは蘇ってから?」
 蘇り、という言葉によって、さっと顔色を戻した。
「……はい……アモンと繋がったから、と巫女さんには言われました。その力が、肉体の限界まで発条を廻したんだ、と……偶然みたいなもの、らしいですけどね」
「成る程ね……」
「……貴方は?」
「ん?」
 そこでジェフリーが頷き返すと、レイアはもう一度、まじまじとその顔を見詰め、
「貴方はどうなのですか? 何か、変わった事は?」
「……そう、だな……病は治ったみたいだが……他は良くは解らん……ただ、」
「ただ?」
 彼は暫し熟考したが、直ぐに止め、それから紋章薄れた右手を空へと掲げた。
 黄銅色の光を放ち、街をセピアに照らしている太陽に向けて、開いた掌を向け、
「……そう急く事も無いんじゃないか、って思える様になった、かな……」
 きゅっと、その五指を軽く閉じた。握らず、掴まず、本当に軽い感じに。
 その様子を見詰めていたレイアは、くすりと口元を緩めて、
「……本当に変わったのですね、貴方……良い方向に」
「……まぁ、ね」
 そんな彼女の表情は、意外かな、ジェフリーの発条を暖かく廻した――しかし妙ではあるまい。神聖な巫女に発情はしなくなったと言ったけれど、ただの何の変哲も無い娘の些細な表情に心惹かれないとは、一言も言っていないのだから。
 人間の営みとは、そうやって巡って来たのである。仮令それが勘違いだったとしても――実際レイアにその様なつもりは毛頭無く――繰り返し繰り返し、螺旋の様に。

 その事は街へ出ても感ぜられる事実であり、途中、屋台で購入した安物の色眼鏡を嵌めて新都をぶらつくジェフリー・ノーマッドの目には、それがありありと感じられた。目的地が無い訳では無かったが、しかし彼は道草したい気分であり、実際、それは正解だった。
 マハ・ザ・エルは、以前と余り変わっていない様に見えた。
 そこに住む住人達も、また同様である。
 一般的な捻りパンの売り子とその職人。自鳴琴(オルゴール)弾きに合わせる踊り子。鶏のドネルケバブ屋台。笑顔の素敵な自転車整備員。口髭を蓄えた喫茶店の老主人。お喋りな床屋の兄ちゃん。肉付きも人付きも良い肉屋。青菊を印章とする郵便配達員(ポストマン)。一夜だけにも関わらず、危うく懐を大北海に変えてくれる所だったルーレットのディーラー。ジェフリーには縁の無い菓子師と店員の可愛い姉ちゃん。最早曲芸のレベルにまで至ったピザ職人。自動(プレイヤー)楽器まで取り扱う楽器店の店主。良く馴染んだ無頼漢。放水ホース握る屈強な消防隊。神聖な黒山羊から取れた新鮮な乳を売る羊乳(ミルク)屋。|回転覗き絵《ゾートロープ》を見せている胡散臭い男。掘削機(ドリル)片手に汗水流して働く労働者達。紐で吊るした水晶を地面に垂らす胡散臭い探索師(ダウザー)。上等な蒸留酒を惜しげも無く出してくれる酒場のマスター。ボールからナイフまで、何でもジャグリングする少女。発条駆動車(クロックモービル)の慇懃な販売員。言葉の代わりに音楽で交わす角笛(ホルン)吹き。老熟にして寡黙な銃職工(ガンスミス)。蔓伸ばす南方からの植物を売っている花屋のおばちゃん。物欲しげな子供達と、それに囲まれた綿菓子屋台。何重もの片眼鏡を付けた時計職人の兄ちゃん。アモン機構(クロック)の整備士とその回転士、即ちは身も知らぬ歩行者、等等――
 かつてジェフリーが巡った時と、その印象は大差無かった――若干の違いは、彼等の表情に憂いの影がある事だろう。二週間前と違って、アモン降臨の噂も広がり、住人達がその名を口にする回数も多くなっている。黒い雨はこの十日間の間に一度ならず二度も降って、実は今も密かにその匂いを忍ばせているし、聖人(プリースト)ジョゼフ・リー一派の研究室が燃える事もその回数以上はあった――彼等はきっとこれからもそれを行なうだろう、性懲りも無く、その黒い液体の正体に気付かず――しかし、それもまだまだ余裕はあるし、グレイ・ネヴィンズが打ち立てて来た新都の数々の建物も、堅牢に聳え経っている。それが仮令砂上の楼閣だとしても、それは聳え立ち続けるだろう、あの男の性格を考えるならば。
 寧ろ違っていたのはジェフリーの方であり、彼はかつて、この街をこう憂いた事があった――ここには螺旋しか無い、と。それはきっと、彼と命を削り合った身であるジョーナ・ネヴィンズも感じた事だろう――しかし、今はそうでない事を知っている。
 隠れ潜む螺旋の中のその向こうに、一体何が隠れ潜んでいるのか。
 今のジェフリーの両目と胸は、それを感じ取っていた。仮令どの様に隠れ潜んでいようとも、彼が愛したあの音楽の様に――痛ましい程に、しかし決して辛くは無く――

 そうして、ぐるりぐるりと街中を巡った末、ジェフリーは神堂に辿り着いた。
 そこのアモン像は相変わらずの勇ましさと若々しさを誇っていて、彼は笑みを零したくなったけれど、しかし堂内に、螺鈿子(モザイク)の巫女が姿は無い。
 ジェフリーは、しかし彼女が何処に居るのか、大体の見当は付いていた。神像を横に通り過ぎ、奥にて伸びている螺旋階段を登って行けば、目当ての人物が確かに居た。
 ドロシー・ダルウィッシュはアモン機構(クロック)を廻していた。倍増発条(スプリガンク)とその他諸々の機械要素を動かし、力を蓄えている――小柄な体を震わせ、その額に汗を滲ませて。
 その姿を見た瞬間、ジェフリーは色眼鏡を外しつつ、無言の内に歩み寄った。突然の訪問に少し驚いた様な声を上げるドロシーを無視し、彼女が握る取っ手を掴むや、ぐるりぐるりと廻し始める――半ば置いてけぼりに、けれど彼は彼女と共に螺旋を廻して行く。
「貴方……答えが……出たの、ですか……」
 大の男の動きに付いて行こうと力を出すドロシーに、ジェフリーは、嗚呼と頷いた。
 その赤青二色の瞳を、同じ瞳を持つ巫女へと向けながら、
「何処へ行くのか……そう、あんたは言ったな……」
「……えぇ……」
「そこで逆に聞くんだが……」
「何……でしょうか?」
「この神堂で……住込みの回転士が……必要じゃないか、と思ってるんだが……」
 その時、倍増発条(スプリガンク)は限界まで廻り終え、がきりという音を上げた。そしてそれは再び回転を始める――何度でも遣って来ては、しかし決して逃れる事の出来ない終わり目掛けて。何時か全ての――それはアモンとて例外では無く――ものの寿命(クロック)が終わり、誰に言われる事無く何もかも忘れ去られ、虚無の海に帰る、その時を目指して、黙々と――
 それがどうしたというのだ。
「……駄目かな?」
「……」
 にぃと笑みを浮かべるジェフリーに、ドロシーは汗を拭い拭い暫し沈黙を齎した。
 と、ふいにその唇を緩めるや、彼女は白い指先を胸前にやり、それからぐるりと、己から見て時計回りに、内から外へと三重螺旋を描いた。そうしてこう唱え、
「……神と、子等の御身に幸福が在らん事を……」
 それから付け加える様にこう言ったのだった。
「今日もまた良き日となるでしょう……そして明日も……これからも、ずっと……」

「ここまで見に来たかいがありました」
 ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』
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