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2010.02.19 瑪瑙の心臓
 久々に一本書けたと思ったら、こんな出来のもので正直一体どうしたものかという所だが、しかし出来てしまったものは致し方が無い。人間、根を詰め過ぎるとろくな事が無いという好例だろう。
「おまえたちがどこかへ行けるなんて考えがどうして出てくるんだね?」
 カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』


 何だか近頃何かが可笑しい、思う様に動けないし動く様に思えない、とK・R・レーベンが親友のダレン・エカンスに話すと、心臓の手入れは何時したのかと返って来た。
 言われて見れば確かに最近、中を覗いて見た覚えが無い。忙しさにかまけて、すっかりと忘れていたのだ。ではきっとその所為だ、と試しにダレンの手を借りて、がっしょんとばかりにレバーを引き起こし、二十四本の肋骨をぱっかり開けると、案の定、心臓が定位置より、僅かばかりずれていた。その所為で臓内歯車も上手く噛み合って居らず、潤滑油の切れて大分長そうなそれは、がったんがっとんとずれた駆動音を上げている。のみならず、核である瑪瑙自体が何だか以前見た時より――それが何時だったかはもう定かでは無いのだが――磨り減っている様に感じられる。これではもう疑い様が無く、成る程、こんな風になっていたなら調子も可笑しくなる筈だ、とレーベンは頷き、当然だ、寧ろ何故今まで気付かなかったと呆れるダレンの言葉にもう一度深く頷いた。
 ともあれ原因は解ったものの、整備以上となると素人の手にはどうしようも無い。下手に弄って何かあったらそれこそ一大事だと、レーベンはがっしょんと肋骨を閉め直し、ダレンへと慇懃に礼を言うや、心臓の修理をして貰いに工房へと出掛けた。
 十月の十六日に産まれた彼を観てくれるのは、黄玉秤が目印の天秤工房である。代々そこを管理しているアストライアは公正公平な慈悲深い女神であり、誰であれ彼であれ関係無く、修理に尽力してくれる為、他の月産まれにも評判がいい。腕もまた確かだ。
 彼女ならばきっとこれ位どうにかしてくれるに違いないと、レーベンは期待に胸を膨らませ、そして胸は理解した時から妙に気に触る動悸を一層激しくさせた。
 彼は天球の中心、遥かな中空に浮かんでいる真鍮色の太陽を見上げながら街路を歩いて行き、黄道都市の内円部、処女製造所と天蠍実験場の間にある天秤工房へとやって来る。
 そこでレーベンを観たアストライアは、しかし意外の言葉を彼に投げ掛けた。
 問題なのは心臓なのでは無い、と。
 彼は、ぱっかり開いた胸の奥で独特の縞模様を描いている己が心臓を、それから紫苑の色と匂いを持つ髪をした女神の方へと視線を送ると、どういう事かと首を傾げた。
 アストライアは言う――確かに、随分と放置していたのは感心出来るもので無く、位置のずれがその所為なのは間違いありませんけれども――心臓には何の異常も見られない。彼女はそう言った後、ですが、と頭を振り振り、こう付け加える。経験が心臓に研磨を促し、光輝を満たした為、肉体が付いて行けていない。それが齟齬の原因なのだ、と。
 レーベンは驚き、過ぎ去った日々の、忙しなくも意義深い時間を思い起こして、女神の言葉に納得はするけれど、では、どうやって解決すればいいのか、皆目見当が付かなかった。俺は一生このまま、がったんごっとんと進まねばならないのか……人形の様に?
 体を代えれば良いのです、とアストライアは事も無げに返した。その心臓が収められるに相応しい肉体に――記憶と認識は脳の領域であれば、貴方は一度無へと変えった後、有へと舞い戻って、それから別の貴方になる。貴方という存在が変われば、貴方が存在する世界もまた変わり、気付いた時には、いや気付く間も無く、想像もした事の無い新世界が目の前に広がっている事だろうが、しかし貴方が貴方である事は、心臓に宿った魂が変りない為に変わり無く――それ所か、心臓が奏でる豊かな動悸に見合った貴方は、真の救済を感じる事でしょう――即ち確たる動機、全て何もかもが一致した世界を。
 この解決方法と、その為に失うもの――正確には一度失い、それから再び得るものだが、恐らく同じものが戻る事はあるまい――を聞いて、レーベンは目眩に似たものを覚えた。確かに魅力的ではあるけれど、同時に躊躇も感じてしまうのは、今のこの肉体、この世界にもそれなりの愛着を持っているからで、他に方法は無いのかと彼は聞くが、天秤の担い手はにべも無い。臓内歯車を取り替えたり、潤滑油を注ぎ足したり、肉体を動かしたり、その欲望に従事たり――しかし、それは根本的には何の解決でも無く、やがて全ては元通りとなるでしょう……レーベンは暫し悩み、少し考え、だが殆ど間を置かずに、答えを決めた。選択肢は無かった。有って無い様なものだった。どうして他を選べようか?
 アストライアはレーベンの自由意思による選択――実質一択であれ、だが選んだ事には違いない――を認めると、直ぐに、えいや、と彼の胸から瑪瑙の心臓を抜き取った。それは限り無く近く、つまり限りはあるのだが真円に近くて、その輝きと相まり、実に美しかった。彼女の側で立ち竦んでいるK・R・レーベンとは比べる必要もあるまい。ただ、公正公平で通っている女神は、彼を殺したり、捨てたり、燃やしたり、缶詰に加工したりは決してしなかった。アストライアは、彼を地球へと解き放った。天球と表裏を成すあの惑星へ、肉と魂が同義である、つまりは肉に取って真の救済に満ちた地へと――レーベンに選択肢は無かった。有って無い様なものだった。どうして他を選べようか? 皆がそれを選んでいて、地球の総人口は七十億に届きそうなのだというのに……
 ――そして女神は心臓を手に、すりすりと工房の奥へ消えて行く。製造設計の短くも長い時を経て、それはふさわしい器を得るだろう。最早それは新たな瑪瑙の心臓を持った者であり、男かも知れないし女かも知れない。老人という場合もあれば若人の可能性も勿論ある。どころか、人間ですら無いかもしれない。が、少なからず、K・R・レーベンでは無い、豊かな動悸が齎す確たる動機を持った別の存在であると同時に、十月の十六日産まれであるのは間違い無く――そしてまた、同様の事を反復するのは、想像に難くない。
 何故なら、レーベンがレーベンで無くなったとしても、彼は彼であり続けるのであり、そうである以上、いづれ齟齬を生じるのが道理だ。その都度、工房の女神が手際良く術式を行うとしても、繰り返し、そう繰り返し、それは起こるのだ、慈悲深い彼女が何と言った所で――で無ければ、何故私はこんな益体も無い与太話を語っているのだろう。
 或いはこれは、地球へと送られた幾千幾万のレーベンの一人として、かつて在った事を思い出しているのだろうか――記憶を持たぬが故に全てが真新しく、真の救済に満ちているという点に置いて、天球とまた変わらぬ場所にいる私達の――何にせよ、選択肢は無い。有って無い様なものだが、これの場合は少し意味合いが違う――一体がその両者の何に違いがあるというのだろう。何も変わりはしまい……問題にすべきはただ一つ、たった一つの単純な問題だ――天秤の女神が、私を、無限に懲りる事の無い十月の十六日産まれの私を、ばっさりと見限ってしまわないか否か? 花言葉が何と言おうと、安心は出来まい。
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