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 昨日はバイトも休みという事で、元・文系大学生、現・文系フリーターならば読んでおかねばならぬとかねがね思っていた、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を、丸一日掛けて読了する。まぁヴォネガット先生曰くの、亜米利加人がペル・メルという発音でポール・モールを呑むのと同じ考えもあったがね。肺ガンは、体の良い自殺、と。ドグマグを読んだ俺も、これで何時何時発狂しても問題無くなった訳である。

 冗談はさて置くとして、しかし今作、期待していた狂気、恐怖は然程感じられなかった。余りに饒舌過ぎる語り口は、世界に没入させるより寧ろそれを拒絶する様に感じられてしまい、その意味では少々肩透かしを食らってしまった。発狂の噂はそれこそ体の良いキャッチフレーズであるから無視するにしても、受けていた印象としては近代日本文学版ネクロノミコン的なものだったのであるが。

 そういえば、以前親父殿から今作を借り受けようとした時、「ドグマグよりもこっちの方が面白いから」と言って『少女地獄』の方を差し出されたのだが、その意図が何と無く解った気もする。

 ただその分、冗長なまでに理知的な言葉で練り込まれた、用意周到且つ底意地の悪い迷路世界を愉しむ事が出来たかな。何が底意地の悪いと言えば、この迷路の構造か。出口の無い迷路なんてものは、実体化した幻影並みに有り触れたもので新鮮味も何も無いのだけれど、入り口の無い迷路などという代物は、始めて見たかもしれん。

 出口の方は寧ろしっかりとあって、ご親切にもそこまでの道順はちゃんと示唆されているのだよね――正直な話、物語の一応の開始時点で、何の疑念も抱かずに直ぐ隣へ行ければ、そのまま抜け出せたのではと思う、二人の博士が違う言葉でそう予告している様に――が、そこへ行く為には入り口の在り処を思い出さねばならず、そして元来た道を辿り、これまで何をして来たかを理解すれば理解する程、出口へ行く事は出来なくなり、そこで自らを手に掛けるか、再び奔走を始めるか……どちらにせよ朽ち果てる他無く、しかも用意のいい事に、実はまだ迷路に入ってすらおらず、故に入り口も出口も未だ無くて、これから再び、もう一度、正に悪夢的な迷路の中を、出口求めて彷徨わねばならない、だが出口へ至るには……そういう可能性も予め提示されているのである。

 この何もかもが曖昧模糊とした感覚は何とも日本的だね……恐らく、神をも恐れぬ不退転の自我を持ってすれば、脱出可能な迷路だろうに、それを保つ事が容易では無い……寧ろ確固たる自己なるもののアンチテーゼであり、そう言ったものが通用しないという意味では、成る程、確かに今作は恐怖であり、狂気であるかもしれない。

「アアッ……お父オさァ――ン……お母アさ――ン……」

 しかし、にも関わらず、不快を覚えずに、どころか切なくも物悲しい気持ちにさせたのは、迷路を形作っている一端が血縁、肉親という、条理、道理を超えた先の、切っても切り離せぬ関係にあるからだろうか――この辺りもまた日本的と思わせるが――終盤、全てを理解する事は誰にも出来ないという事を含めて全てを理解した『私』が、感極まる様に叫んだ上の台詞が最も印象的で、心に残っている。
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