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 最初に付け足して置いた台詞は、所謂孫引きであり、 こちらにて見つけた。自身、その作品を未読であるが、今作を一言で表すのに、相応しい言葉だと思うので、あえて置かせて貰う。即ち、
「大昔、人間と神々は助け合っていたの。でも、聖書とコーランは神を一人ぼっちにしてしまったわ。だから彼は気が狂ってしまったの。たった一人で‘完全な存在’になろうとして。そして、最近では誰も彼の言う事を聞こうとはしなくなったわ。でもね、エリヤ。人は何かを信じるべきよ。‘なにも信じない’そう言ってしまうことも時には必要だけど。神様は、気が狂いながらも私達を愛しているんだから。」
 遠藤浩輝『EDEN』


 兎にも角にも、テーブルマナーか何かの講釈だと思って聞いていて欲しい――今日に置いて一応に『言論再統合(バベルリバイバル)』と呼ばれているその現象――この世界に在る万物全てが、分け隔て無く概念的対話を行える様になった現象――が唐突に、何の脈絡も無く起こった時、かつての人類種は一際大きな動揺を示したものである。
 高度な社会的動物を自称する彼等に取って、意思疎通(コミュニケーション)というものを根底から覆したバベルリバイバルは、確かに深刻な問題であった――まぁ思い出して欲しい。自分としては愛している隣人の頭の中を、何もかも理解出来る様になったあの瞬間の事を。
 勘弁してくれ。
 当時、多くの人類種がそう思ったものである。隣り合った者同士が、だ。
 ただ、実際の所この現象は、彼等の間でさえ致命的では無かった。
 バベルリバイバルが現に起こる遥か以前から、人類種の肥大化した脳髄は、それがどの様な状況になるかを予想していた――暇潰しの一環として。神秘家、哲学者、映画監督にSF作家等などが産み出した、以心伝心的状況に対する主義主張、そして作品達は、空想の苗として人類種の意識下に埋め込まれ、歳月によって健やかに育まれていたのである。
 結果、当時の彼等には、バベルリバイバルを受け入れるだけの心の準備――より正確には、他の並大抵の状況も含む、落胆にも似た平静さを保てる程度の土壌――を備えていた。恐怖や驚愕とは無知から齎されるものである以上、既知の事態に対してならば、慌てず騒がず落ち着いて対処も出来よう――人類種の脳髄もなかなかやるでは無いか。それが宿主を含むこの世界にした事は大概褒められたものでも無いけれど、これは数少ない例外という所だろう――やったね(グッジョブ)脳髄。伊達に美味しいだけじゃぁない。
 とは言え――それもやはり程度の問題であり、空想にも限界がある、と言われている様に、或いはまた考える事と実際に感じる事には深く広い隔たりがある、と考えられている様に、人類種がその土壌にも関わらず、バベルリバイバルに対して酷く揺れ動いた事は、最初に言った通りの、それこそ周知の事実である。
 まぁ思い出して欲しい――今しも口に入れようとしている動植物の肉の内に遺された声、地に叩き落され、その身を四散させた虫の空ろな吐息、肌と言わず、内にも轟く小さき者どもの微笑ましい木霊、吹き荒ぶ風に波打つ水面、そこに漂う花粉や黄砂や細菌の生存への熱意、母親の子宮の中で眠りに付いている胎児が見る夢、地下深くから溢れ出て来る石油達の悲喜交々な笑い声、それらを血として力として必死に稼動している機械や人形の咆哮、そしてその全てを乗せて虚空を巡り行く地球と、その全てを抱いて虚空を形作る天球と、そんな二つの狭間に在って、何処までも広がる虚空その物の、意思無き意思という名の大いなる意思――そう言った諸々を何もかも理解出来る様になったあの瞬間の事を。
 勘弁してくれ。
 当時、多くの人類種がそう思ったものである。耳を塞いでも聞こえる大騒音に囲まれて。
 かくして彼等にとっての混乱――もとい、混迷の時代が始まった。
 皆、何が起きたかは解っても、どうすれば良いのか解らなかった――誰が解るというのだろう、ソロモン王の土星の輪乃至はファフニールの血で造った百万人分のブラッディ・メアリーなんて代物を? しかも書物や電網(ネット)に知を求めれば、それらの息吹が耳に付くのだから鬱陶しい――その鬱陶しさすら語り掛けて来るならば、尚更にだ。
 因みに――概念的ならば、言葉にして表す事はまず不可能だったけれど、あえてその愚を犯してどうにかこうにか翻訳して見れば――鬱陶しさは、大体こんな事を言っていた。
「何悩んでんだい? 元気出せよ、お前には俺がついてるじゃんか」
 この様にして彼等は苦悩に、何故か結構陽気に、人懐っこく喋ってくる苦悩に耽る事となったのだけれど、それも余り長い時間は掛からなかった。
 何故か――理由は幾つかある。
 まず彼等以外の存在は、バベルリバイバルに対して、然程影響を受けなかった。その現象と状況について、人類種より思索に富んでいた海豚や二十日鼠は置いておくとしても、その他の存在は、特に変わりはしなかったのである――寧ろ何が変わるというのか? 喋れる様になった所で、それは一つの観測された事実が変わっただけに過ぎない――バベルリバイバルが起こった前でも後でも、珈琲豆は珈琲豆であり、水は水であり、薬缶は薬缶であり、カップはカップであり、カフェインはカフェインであり、安堵感は安堵感である。鬱陶しさにどれだけ反論しても鬱陶しいのと同じ様に、それ以上でも以下でも無く――珈琲を煎れてごくりと遣れば、喉は潤い、体は火照り、我知らず豊かな溜息が毀れるものだし、そのまま湯気を追って夜空を見上げれば、月は素敵な真鍮色の輝きを放っている事だろう。背を預ける安楽椅子は相も変わらず静かに、心地良い揺れを提供してくれるし、脚の下で仲良く行われている猫と鼠の喧嘩もまた終わるという事を知らずに繰り返し、そう、繰り返し繰り返し行われ、そして時は音を上げて終わりに向けて流れ続けるものなのだ――何も変わりはしない。肥大化した脳髄を持たない存在にとって、バベルリバイバルとは、そういうものである。それ以上でも以下でも無く。
 それ以上でも以下でも無く。
 そして次に人類種は、その姿勢を見習う事にしたのだ。
 もとい、そうなってしまった、と言うべきだろうか。
 環境を自分達の都合の良い様に変えて行くのが人類種の特徴であるが、しかし環境そのものを作り出せる訳では毛頭無く、そうしてまた言ってしまえば、バベルリバイバルとは環境そのものなのである。この宇宙で最も速い存在が光である――中年婦人間の噂話が時に光速を超えるのは、別の次元へと移行している為であり、ここでは除外させて貰う――のと同じで、どうする事も出来ない類の代物だ。
 どうする事も出来ない。
 ならばどうするか。
 答えは単純且つ明快でたった一つしか無く、人類種以外の万物が、万物の声に対してそれを行っているのは先にも語った通りだが――彼等はバベルリバイバルを受け入れた。
 少なくとも、受け入れようとした――意思疎通(コミュニケーション)の為にこれから必要になるのは、指でも口でも眼でも体でも無く、ただ唯一の心であり、そして鼓膜を震わさずに聞こえて来る多くの声は、雑踏のざわめきがほんの少しばかり騒がしくなったものに過ぎないのだ――そう己の脳髄に語り掛ける事で、この状況を切り抜けようと頑張ったのである。
 無論の事、誰もがそう出来た訳では無く、何人もの落伍者が物言う屍へと成り果てて行った――バベルリバイバルとは少々違う類のその現象について、チャールズ・ロバート・ダーウィンという人類種の一人が、自身の著者にて解説を述べている――のは、当人達がそう語っているので間違い無いが、その多くは見事脳髄を説き伏せる事に成功した。
 やったね(グッジョブ)人類種。伊達に『知恵ある類猿人(ホモ・サピエンス)』を名乗っちゃぁいない。
 所で、ついでながらに言っておくと――彼等が成功した要因は、空想に拠る心の準備、諦めてそれに従う他無い環境、現にそれに従っている有象無象等と、幾つか上げられるが、知らずして似た様な体験をしていたからという意見が有力視されている。
 それが何かと言えば、ディオニュソス的陶酔の宴、つまり所謂一つの酒盛であったとされているが、その説明は難しい――実際に行って見るのが、一番解り易いに違いない。
 ともあれ――この様にして、人類種が迎えた混迷の時代は長居する暇も無く、あっという間に過ぎ去り、万物全てが揃って今日の世界の幕を開ける事と相成ったのである。
 バベルリバイバル!
 素晴らしく何も変わっていない未曾有の大変転!
 だがしかし――と、我乍らまぁ、逆接に次ぐ逆接で、何とも恐縮なのだけれど――実はたった一つ、たった一つだけ、大きく変わった事がある。
 より正確には、大きく変わろうとしている事が。
 それは、今こうして語っている時でも、避けようも無く視界に飛び込んで来る――ほらあれだ。素敵な真鍮色の輝きを放つあの月の隣に聳え立っている巨大な影。
 リバイバルバベル――即ち再建された、或いは始めて日の目を見んとするバベルの塔。
 誰も彼も、何もかもが既に熟知している筈の歴史をあえて繰り返したのは他でも無い、塔が遂に完成したと同時に、また人類種へ心の準備をさせておく為でもある。
 これから大きく変わろうとしている事の為に。
 そもそも何故また塔が建てられたか――それは万物全ての疑問に端を発する。
 何が起きたのか、どうすれば良いのかは解った――肥大化した脳髄もこれこの様に沈黙を守っている――けれども、バベルリバイバルが何故、どうして、どの様に起きたのか、この世界のどんな存在も、当然だが、答える事は出来なかったのである。
 この世界のどんな存在も、だ。
 そこで、もし仮に、何故なんて言う素朴な疑問について答える事が出来る存在が居るとすれば――そして、バベルリバイバルなる現象は、明らかにその存在が居る事を証明している訳だが――たった一人、たった一人だけに違いない。
 そもそものそもそもにこの世界を産み出した、大元の存在。
 造物主――即ち、神と呼ばれ得るもの。
 その彼に、万物全ての声で持って語り掛ける――今から行われようとしているのは正しくそういう事であり、程度の差はあれど相互に無視して過ごして来た万物全てが、文字通り一丸となる為の概念的指標――それこそが、塔再建の理由に他ならない。
 語り掛けの時は、こうしている間にも刻一刻と近付いて来ている。
 今、万物全てと共に――ありとあらゆる所から、彼等の言葉に出来ない、だが忙しなく興奮している様子が感じられれば、この日の為に費やして来た日々の記憶がぐっと胸を付き、それがまた囁きの中へと溶けて行く――あの天と地を結ぶ螺旋状の塔を眺めつつ、これまでの歴史を顧みて思うのは、リバイバルと付かないバベルについてである。
 下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如く――バベルリバイバルが基本的に何も変えなかったとすれば、逆もまた然りだ。在りし日の真実を知っているものは、最早存在しないけれど――これもまた、一つの変化であるのかもしれない――そうで無ければ、この世界は、当の昔に落伍者と成り果てていた――既に成った後だという可能性は、皆がまぁきっと違うよと言っている為に、あえて無視する――筈である。けれど、実際は違う。あの現象が起こるその瞬間まで、万物は、万物全てが分け隔てられ、意思疎通(コミュニケーション)の通じない世界でずっと過ごして来たでは無いか。
 そういうものであるとして。それ以上でも以下でも無く。
 それ以上でも以下でも無く。
 ならばこそ、神に対する疑問はいや増して行く――何故バベルは崩壊したのか。それは本当に、語り継がれて来た様な理由であったのか。仮にそうだとすれば――間違い無く違うだろうけれど――何故またバベルリバイバルなんてものが起こったのか。
 約束の瞬間は、もう、直ぐそこまで近付いて来ている。
 万物全ての一人として、その時を待ち侘びながら、まぁこう考える――きっと返って来る神の答えは、これから語り掛けられるものの中に、予め含まれている筈だ、と。
 そして、その時にこそ、本当の意味でのバベルリバイバルが起こるに違いあるまい、と。
 下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如く。
 因みに――後ほんの数秒を経て発せられる第一声は、あくまで概念的なものであり、それを言葉にして表す事はまず不可能だったけれど、あえてその愚を犯してどうにかこうにか翻訳して見れば――万物全ての声は、大体こんな事を言うつもりであった。
 即ち――隠れてないで出ておいでよ。皆貴方を待ってるよ。(オリー・オリー・オックス・イン・フリー)
 そして、その瞬間が訪れた。

END
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