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 ブラッド・ピットとタッグを組んだというのが、大々的に宣伝されているけれど、印象としてはパルプフィクションのブルース・ウィリス……まぁ、トゥルーロマンスの時よりはよっぽど重要だし、前面に出ているから良いかな? という感じのタラちゃん最新作『イングロリアス・バスターズ』を見る。

 劇場へ見に行く見に行くと行った挙句、結局行けずに、心待ちにしていたのだけれど――あのオチの通り、今作は最高傑作では無かろうか。タラちゃん、では無く、クエンティン・ジェローム・タランティーノという一人の映画監督としての。少なくとも、これまでの作品とは一線を画しているのは間違い無く――うん。面白い。確かに面白い、のだが、デスプルーフの次がこれとは、いやはや正直どう反応して良いものやら。

 ただ、やっている事に関しては何一つ変わっていないのだよね――王道をあえて外すのが王道と言わんばかりの、次の瞬間に何が起こるか予測が付かない事を予測出来る、様でさっぱり出来ない脚本、長々と続けられる事で独特の緊迫した空気を醸し出すあの会話、小ネタや小物の扱いの上手さ、一癖も二癖もある登場人物、往年の映画オマージュ、そしてB級的アクションとバイオレンス――と。

 けれど、にも関わらず、今作を別格と呼びたくなるのは、これまでとは違う明らかなテーマ性を感じただけで無く、それが隅から隅まで、全編に渡って行き届いている様に思えたからで――実も蓋も無い事を言えば、今作には無意味なものが無いのだ。『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』の如く限られた時間と場所の中だけでは無く、『ジャッキー・ブラウン』の様な悲嘆さも矮小さも無く、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(あれは脚本と出演だが、充分過ぎる匂いを放っているかと)『キル・ビル』『デスプルーフ』等で印象深い、悪乗り染みた、付いて行ける人にしか付いて行けないネタや性癖のオンパレード(これが褒め言葉であるのは、言うまでもあるまい)に留まる事無く、清濁交わり、聖俗絡み合って、一つの映画作品へと昇華されている――それを高みへと上げたものこそ、これまで暴走気味であった映画への愛であり、今作では、それが概念的なものとして抽出され、作品を見事に牽引しているのである。

 というのも、今作で感じられたテーマとは、即ち映画への愛であり、そこから導き出される所の現実(史実)と虚構(映画)の対立であるのだ――無駄と呼ばれていた、良くて雰囲気付けとされていた会話、言葉というものが、今作では重要な要素として扱われ、またあらゆる場面、登場人物が、その対立構造にぴた、ぴたっと嵌め込まれて行く――彼だからこそ出来るぶっ飛び具合はそのままに行われる手腕は本当に見事で、反応に困ったのはその為だったりする。これはまるで何処かの巨匠が撮ったかの様な映画では無いか、と。

 そして、そんな今作を象徴する様な存在が、クリストフ・ヴァルツ演ずるハンス・ランダ親衛隊大佐であるのは、最早言うまでも無いだろう――彼は凄い。ブラッド・ピットも悪くは無いのだが、今作の彼には遠く及ばない――アメリカ、ハリウッド映画のアンチテーゼとも言うべき存在として四ヶ国語を自由自在に駆使し(各国の言語がそのまま使われ、一応の主人公達が母国語が、直ぐに化けの皮が剥がれる程度の外国語しか出来ないというのは、実にいい皮肉である)、作中の誰よりも冷酷で、誰よりも明晰、しかもウィットに富み、ユダヤ・ハンターの名に相応しい行為を遂行したと思えば、気紛れで逃亡者を見逃したり、意図も容易く祖国を裏切ってあの大団円、もう笑うしかないあの大団円に一役買って出たり――第一章のフランス語から英語へ切り替える展開や、メラニー・ロランにミルクを奢る演出等が抜群なのは言うまでも無いけれど、そんなランダ大佐を怪演と呼べる領域まで演じ切ったヴァルツこそ天晴れである。サミュエル・L・ジャクソンといい、監督は本当、良く見つけてくるものだ。 

 と、まぁ掛け値無しに褒めちぎった所で、唯一不安があるとすれば、今作を撮ったその次をどうするのかという事であるけれど――あのオチを見る限りは、大丈夫かな? ともあれ、『イングロリアス・バスターズ』見ているこちらが、ちょっと困惑してしまう程の、実に良い映画であった。二時間半と、結構な長丁場だが、それだけのものがあるのは間違いあるまい。
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