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 Guten Abend……いやここは迎宵と書くべきか。イドへ至る森へ至るイド延々ループの所為で絶賛イドブレイク中の理である。素晴らしいですねイドイド。寝てもイドイド覚めてもイドイド。全体的にスルメ曲だが、部分的にどれもこれも素晴らしい。至る所の転換が、あのね、もうね、そして、まぁ考察熱が危うい。久々に脳髄が煮え滾る感触が頭蓋に当たって何とも心地良い程である。歩けばイドイド止まればイドイド――人はそれを妄想と呼ぶのであるが。
 という訳で感想と考察――という名の散らしの裏、こじ付けのパレードをば、広げてみんとす。未だに上手く自分の中で全体の物語が構築出来ていないので、彼れや是れやの全てを並べようと思うが、まぁ、こんな事を感じ、考え、思う人がいるのね……と母の瞳に抱いてくれれば幸いである。

<イドとは何か?>

 まぁとりあえずここからかな。

 地名か人名かと思われていたが、井戸であり、id=エス=無意識、本能の事、と。共同体の中の重要な水源として神聖視されると共に、その逆転か、黄泉路の入り口とされて忌避されて来た井戸とエスを絡めるのは面白い。また、僕等の神曰く、エス=イドはリピドー(性=生の衝動)とデストルドー(死への欲動)の塊――光と闇の対比か――であって、そして後者は『タナトス』と同じ意味、と。軽く調べただけでも、くすぐって来るね? 但し、どうもそれだけでは無い気がする。この辺りは、もう少し練れそうな。

<何故、第『七』の地平線が序章は、独逸が舞台なのか?>

 一応の独逸好きとしては、まぁ見逃す訳にも行くまいか。

 まず、『七』の宗教的意味合い――七つの大罪、『罪には罰が在る』のは当然であるとして。

 形として、『七』という数字を墓=十字に見立てている感触を受けたかな? 下の横線が多いのは、斜陽の陰(と言うよりも、火刑の陰というべきだろう)か、或いは大地へと深く食い込んだ何かの根か。タイトルにもある『森』は、欧羅巴的なるものを構成する一要素、独逸の直系たるゲルマン的なものとは切っても切り離せない場所である。十字の墓=死と、木の根=生の両立、古代に置ける矛盾を孕んだ宗教感か、土着との習合か。後少し関係無いが、『七』という字は、典型的井戸の形と似ていなくも無く、歌詞中のイドの表記は、片方が鏡文字である二つの『7』を重ねた様なものに見えよう。しみゅらくらくらしみゅらくら。

 そして、読み――『なな』では無く『しち』とすれば、それは『死地』へと通じよう。死せる者達の地、或いはそれそのもの、と、ここで昔取った杵柄を引っ張り出すと、欧羅巴の中で独逸(と呼ばれる事となる土地)程、その呼称が相応しい場所も無い様に思う――ざっと上げるだけでも、黒死病、は言うに及ばず、ルターの宗教改革による混乱、そこから勃発し、近代化の遅延まで引き起こした三十年戦争の荒廃、そして史上最も魔女狩りが激しく行われた国と――天災とも人災とも何か違う印象を、あの国の中世史は与えてくれる「ボナパルト将軍に続けぇ」……は、いいや、うん。近代以降はどうだったか? という答えは、同胞(とも)としてあえて言うまでもあるまい――補足すれば、童話という題材――元々教訓乃至寓話であるとすれば、墓場から始まるのも頷けるか――もグリムがあり、イドを提唱したのもフロイト、と。嗚呼、東方植民運動もあったっけ。現在の独逸への領土拡大。あれは十字軍遠征の宗教熱が別の形を持った、謂わば東進すること幾星霜という奴であるね……ま、どちらが先かは知らないが、このテーマをやるには、独逸で無ければならなかったと個人的には思っている。

 そうそう、思っている――とはつまり、私だけなのだが、それついでに。『魔女』の歌詞を見ていて思ったのだが、もう一つの見立てとして、『亡』もあるかもしれない。こじつけても宜しいですか? 亡者を地下から見守る目、と書いて、『盲』と読むのですよ。ひかりなきもの、と――まぁ、亡者が少女を想えば、男の妄想となり、心を洗い流そうとすれば、ワスレモノとなる訳なのだが。しかし、あの二つへの想起はありじゃないかな、とか思っている――とはつまり、私だけなのだが、それはまぁ、後ほど。

<Marchen von FriedhofとElise(?)とは何者か?>

 陛下とミk、げふげふ。

 (傍観者によって傍観されている)傍観者の存在は、SHの通例であり、男性像として現れるのはRoman以降の輪廻として、その名前や外見から、やはりメル及びエリザベートと関係があると思われる。

 描写を見るに、井戸に落とされて死んだもう一人のメル=イドと、エリザベートが渡した人形か? しかし、メル・エリザベートとの性格の不一致――脱線するが、メルと光の件は、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』を思わす。俗世から隔絶された森で母親一人の手で育てられていたパルチヴァールは、ある日「お母さん、神とは何ですか?」と問い掛け、「光り輝くもの」と聞かされた為に、森へ踏み入った騎士の一行の光り輝く鎧姿を見、神だと思い込んで、騎士への憧れを抱く様になる――また、関係者にしては一部余所余所しい部分が見受けられる。『墓所の童話』なる名前と、『人形だった少女』という出自を思うに、純然な等号では結べないか。母子を呼び、殺せ侵せと叫び、メルが堕ちたと思しき井戸=イドの正体が、ここに絡んでこようか。

<イド=井戸の正体は?>

 意味としては先に言った通りと思うけれど、物語としては別問題であろう。

 言明されているのは『光と闇の童話』の中だけなので、重要なのは彼と人形の会話か――『其れこそが奴の本能』(因みに『其れ』は、独逸語で『es』であるね)『増え過ぎても、結局宿主を殺すだけ』『人と大地の関係と同じ』……ここらを見るに、メルツ=メルヒェン=イド(井戸)で無く、また人間でも無いものなのだろう。恐らく『黒き死の病』そのもの――細菌、という物言いは、如何に医学の国・独逸と言っても、少しばかりあからさま過ぎるか――かそれを齎すトーテンタンツ、ダンスマカブル、即ち擬人化された【死】の舞踏か――何にせよ、『病』と関わる存在であるのは、間違いあるまい。

 ここは割りと自信を持って断言してしまうが、『誰も恨まず、死せることを憾まず』にも関わらずの『復讐劇の始まり』、そして『駈け出す』のでは無く『疾りだす』【第七の喜劇】の様相は、『病』と考えれば上手く結び付けそうでは無いか。感情の有無に関係無く、誰彼構わず宿主を、そして宿主に触れた新たな宿主を死に至らしめる――『必ず其処で逢おう』必ずだ――のは細菌の本能だし、『疾りだす』病は、即ち疾病である――これはまた噂の大航海時代、またシークレットトラックの描写(右(東)から左(西)へと進む蹄の音、そして海を渡る水音)とも結び付けられよう。そう、コロンブスの交換である。旧大陸と新大陸との接触は、今まで双方に無かったものを齎したが、その中には『病』も存在した。旧世界からは、ペストや天然痘等が――また脱線するが、天然痘と言えば、井戸に堕ちた少女として我が国で有名な山村貞子は、(明言されていないけれど)名状し難き海の『何か』との混血児=謂わば『神の眷属』であり、その死の直前、滅び行く天然痘に感染した結果、呪いのビデオという落とし児を遺している――そして、新世界からは梅毒等が交換に出されている。この梅毒こそ、情欲=イドの『病』と呼べるだろうし、その速度もとんでも無いものである。あの時代に地平線を超えて超えて、日の出づる国に辿り付くのに、僅か二十年しか掛かっていないのだ――思わず、『嗚呼・・・悪魔とはお前達のことだ!』と叫びたくなるね、うん。

 そうそう、ここで独逸へと矛先を向ければ、疾病とその宿主に関わる者として連想されるのは、ハーメルンの笛吹き男である。(イドの舞台であると思しき)『テューリンゲン』(の魔女)とは離れているが、念頭に置いていても良いかもしれない――何せ一般的に言われている物語に反して、ハーメルン市の公文書には、子供達が消えた、としか記載されていないというのだからね。『そして歴史だけが残った』という所か。

 まぁともあれ『黒き死の病』、疾病は重要な要素であり、これはイドの三曲に一貫するもの、その向こうに仄見える【第七の地平線】へも通じる主題と思うのだが、ここまでダラダラダラダラと書き連ねて、正直疲れた為、続きはまた明日の夜にでも。登場人物と物語、そして総括という所かね。
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