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補足と追記をば。迎暁、理である。やぁ、前々回前回を見返して、ちょっと余りにもくど過ぎる、という事で概要とあらすじのまとめを、そして一つ、重要なものを忘れていたので、ちょっと加えてみんとす。

 後、ここで言うのも何だが、デイリー一位でおめでとーっ。さぁ次はウィークリィだ。
【イドへ至る森へ至るイド】個人的概要
 ※思考の推移は上記リンク参照

・少年から少女そして母親へ、
 愛する者、愛する我が子を奪われた女=母が
 世界を憎悪するに至る道筋が『イド』の物語。

・『喜劇』とは、子を想う母が憎む者もまた子を想う母である事。
 誰もが自分の愛する者の幸福を第一と考える為、この哀しい『喜劇』は
 病の如く伝播し、繰り返され続ける。

・翻って、ある想いが、行いが、ただ一つのものとは限らない。
 自我(エゴ)の下には無意識(イド)があり、
 童話が歴史を反映するなら、逆も然りであり、
 光が、表があれば、闇も裏もまた存在する。語られる者だけが全てでは無い。

【イドへ至る森へ至るイド】個人的あらすじ
 ※歌詞で示されている以上のものは、概要と同じく、上記リンク参照
  また一部補足的なものも有り

独逸のとある村にて、黒死病蔓延。井戸に、病=死を齎すイド的な何かが育まれる。
(『童話』途中の、メルヒェンとエリーゼの会話)
 ↓
アンネリーゼ、方伯侯との間に不具の息子を産む。
(『魔女』冒頭の会話)
 ↓
テレーゼ、方伯候との禁断の関係で、盲目の息子メルツを産む。
(『母にして姉であり~』『ごめんなさい~』
 また、メルツのアルビノ的容姿は、容易にエルを連想させる。
 或いはアルビノ=日の下に出られないという事で、盲目では無い可能性も?
 ※人形説在り。『ゆりかご』との類似はありうると思いつつ、
 個人的には人形である事の意味が解釈出来無い事、
 『賢女』とされた女性と赤子代わりの人形が結びつかない為、疑問視)
 ↓
罪の意識を覚えたテレーゼ、メルツと共に出奔。
以下、彼の眼を治す為に、森の中での隠遁生活。
(『森に移り住み 贖罪の日々を~』『傷を癒し 病を癒し~』)
 ↓
アンネリーゼの息子、死去。或いは、不具を憐れんでの殺害か?
(『無明の刻の果てに暴かれるままの』付近で聞こえる不穏当な音)
 ↓
侯妃ソフィ、侯女エリーゼ=エリザベートの姉の危篤に、テレーゼの元を訪れる。
(『その夜 駆け込んで来たのは~』)
 ↓
『とても不思議な出来事』が起こる
 ↓
エリーゼ、死去。メルツ、視力回復。
(救われる命があれば~』『光を手に入れたけど』)
 ↓
エリーゼの死去に寄って、ソフィ、テレーゼを糾弾。
テレーゼはメルツと共に、逃亡の旅へ出る。
(『鳥籠』の、『二人は笑った……』以降の会話より。
 またここで、アンネリーゼが、テレーゼとメルツの存在を知ったと思われる。
 テレーゼを直接糾弾したのは、ソフィでは無くアンネリーゼか。
 方伯候の関心はメルツ? 或いは同じ境遇でも二人幸福らしき母子を妬んでの?)
 ↓
ソフィ、エリーゼの妹エリザベートを溺愛、『鳥籠』に閉じ込める。
エリザベート、エリーゼの代わり或いはお守りの人形を貰う。
(『鳥籠の中にいる事』~)
 ↓
メルツ、エリザベートと出会い、蜜月の日々を送る。
逃亡生活故の別離に際し、メルツ、人形を貰う。
(『童話』及び『鳥籠』の描写から。『せめて私の~』)
 ↓
メルツ、アンネリーゼの放った(或いは直接は関係の無い)手下二人に騙され、死去。
井戸に堕ちたメルツのイド(裏)的存在として、メルヒェン=アンネリーゼの息子、
及びエリーゼ=人形に宿ったエリザベートの姉、この地平線の観客として顕現。
(メルツ当人はそのまま死んで『喜劇』の象徴と化したか、
 『疾りだす → 夜の復讐劇』=疾病の根源となったか? 第七に期待)
 ↓
テレーゼ、アンネリーゼの手配か、魔女として捕らえられる。
彼女を憎み、世界を呪いながら火炙りにされる。
(『童話』及び『魔女』の描写と、その冒頭の台詞『私は貴女を許さない……』)
 ↓
エリザベート、『望みもしない婚礼』を受ける事となる最中、
テレーゼ、そしてメルツの死去を知、何かを覚悟する。
(『衝動は~』『狭い鳥籠の中~』『やがて疾りだす~』
 『Elysion』を思わす扉の音、『お父上がお待ちです』という台詞を聞くに……)
 ↓
三兄妹、井戸にて『何か』を見つける。
(『童話』冒頭。PVでは本そのものだったが、果たして……?)

<『とても不思議な出来事』=井戸へ至る森へ至るid>

 そして、これが無ければ片手落ちも良い所だった追記である。

 個人的に、自分はSHの解釈に、超常的概念を持ち込む事が嫌いである。勿論、超常的存在は至る所に出ているのだが、それは地平線の外側=或いは檻の外=その世界の枠から外れた者であって、中に居る者達とは一線を画している様に思えるからだ(当然、それ自体一つの解釈なのだが)。

 だから、『魔女』にて書かれた『とても不思議な出来事』も上手く解釈する事が出来ず、曖昧なままにしていたのだけれど、これまでの解釈に上手く嵌る所か、それに寄って全て丸く収まる事が解った為、ここに加えて置く事にしたい。

 まず『とても不思議な出来事』で何が起きたか、解釈する材料は以下の歌詞である。

 救われる命があれば、奪われる命がある。
 それを因果応報と切り捨てても良いのだろうか……。

 息子は光を手に入れたけど


 (これは概要までの流れでも触れた事だが)まず前者から、誰かが生き、誰かが死んだのは間違い無い。そして、後者から、メルツが(視力の回復であれ何であれ)生きる者に回った事が解れば、死んだ者がソフィの関係者である事も解ろう。だが具体的に何が起きたか? それは前者の後に続く『イド』らしきものの台詞から推測出来る。ここの所、前半部は歌詞に記載されているのだが、後半が聞き取れなくて弱っていたのだけれど、どうもこの様に言っているらしい。

Hörst du mich, du stehent?
(そこにいる君、私の声が聞こえるか?)

dann kann mir du glauben....grab mich aus...!
(ならば私を信じて大丈夫…私を掘り出してくれ…!)


 『君』或いは『そこに居る君』が何者かは解らないが、恐らくはテレーゼかメルツであろう。と同時に、これが『とても不思議な出来事』に関わっているのは違い無い。二人の内のどちらかが、イド的な何かに呼ばれるまま、それを掘り起こした――となると、以下の歌詞の背景音にも符合する。

 冷たい土の下に 埋められたはずの
 歴史の闇の中に 葬られたはずの
 陰の存在


 この背後に聞こえる音は、鼠の鳴き声、そして井戸の滑車が廻される様な音である――恐らく、続く『無明の刻の果てに 暴かれるままの』と合わせて、歌詞だけ見れば、メルツとエリザベートの事を謡っている様に聞こえるこの部分は、イド的な何かが掘り起こされると共に、アンネリーゼの息子の殺害=メルヒェンの誕生、エリザベートの姉の死去に至るまで=エリーゼの誕生を示しているのかと考えられる――表があれば裏があるのだ。

 さて、その上で、もう一つ気に成るのはこの歌詞である。

 生命の目的は《生キル事》と《増エル》事

 最初、これは単純にイド的な何かと対になる言葉だと思っていたのだが、この生命の目的を、本能と言い換えればどうなるだろう? 生命の本能、つまりそれは『es』としてのイドでは無いか? そしてイドとは自我乃至超自我によって抑制され、或いは昇華されるものだという。生命のイド、生きる事と増える事、即ち生殖が昇華されると何になるか? と考えればそれはただ一つ、子を産み、愛し、育む事に他成るまい――となれば、イドを掘り起こしたのは、テレーゼの方だろう。そして、何が起きたか、或いは何をしたか――【イド】=子を想う母親としての本能はこう唄っているではあるまいか。

(愛しい可愛いお前の坊やを救う為に、他の誰かの子供を生贄として)殺セ

(愛しい可愛いお前の坊やを育む為に、他の誰かが子供を愛す摂理を)侵セ


 そう、そしてここまで来て、漸くタイトルの意味も理解出来て来ようでは無いか――イドとは、つまり井戸=そこに潜む病乃至死を齎す何か=それによって別の誰かの願いを叶える存在(tanatos……)=id=無意識=(愛する者を愛す者、子を想う母親の)本能の事なのである。だからこそ、イドへ至る森へ至るイドへ至る森へ至るイドへ至る森へ至るイドへ至る森へ至るイドへ至る森へ至るイドへ至る森へ至るイドへ至る森へ至るイドへ……と、繰り返されるのだろう(メルツが死んだその理由は、何であったか……)。我が子可愛さに殺セ侵セと唄う井戸へ、己がイドに突き動かされるままに……正に『喜劇』として、『第七の地平線』目指して。

 以上。纏めと補足と追加だったが、蓋を開けて見ると、何も変わっていない気がする……が、まぁ、これで多分本当に書く事は無い、と一応満足したので、一先ず突っ込み待ちという事で一つに。
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