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 神の贈り物によって山羊からその似姿と相成った人類は、『白の者』と『黒の者』に分かれ、紙の文化と対立の歴史を深めていた。そんな白と黒の間に居る少数派=灰の者であるサイカ・ネルレラクに舞い込む黒の頭目からの依頼は、贈り物=『パルプグラマトン』を捜せというものであった。世界終末の兆しが陽光に乗って注がれ、合わせる様に白の代理人も動き始める最中、サイカは守護悪魔モノ=クロームと共に、唯都グァラ=グァラ探求へ赴く――彷徨える彼の行く先に、求めるものはあるのだろうか。
パルプグラマトン PulpGrammaton


■作者より一言(改)□
「『ネコちゃん、おいで。ネコちゃん…… アアーッ!』な皆愉しい猫SFを創ろうと思っていたのですけれど、ちょっと台所で手違いが起きまして。何と、出来上がって見たら、山羊臭いばっかりの何時もの三文小説でした! まあ、必要になったら出前のピザを注文すればいい事。兎も角中へ。どうぞどうぞ!」




Y.辿り着かぬ天上の戯言

 ――何故山羊は四角い眼をし、紙を貪って、珈琲を見つけるに至ったか?

  ■□■□

 意外かもしれないが、『真理』は結構そこら辺に転がっているものだ――この世界は平らで、上から見ると円卓の様な形をしているとか、珈琲は最も好ましい飲み物であるとか、人類の祖先は山羊であるとか――こう言ったものは長い歴史の中、様々な人間達によって証明されて来た事実であり、最早誰も、何も疑い様は無い。
 けれど全てが全てそうである筈が無く、寧ろ意見を分かつ方が圧倒的だ――世界の裏側はどうなっているかとか、珈琲には何の乳を入れるべきか、或いは入れないべきかとか――これらは決して証明出来ぬ主題であり、日夜激しい論争が繰り広げられている。
 中でも最も熾烈なのは、人類の始祖アダムの『色』を巡るものに置いて他なるまい。
 遥かな昔、神から地上の生き者達に向けて贈られた素晴らしい品物――長方形状の黒い石柱とも無限の長さを持つ巻譜(スクロール)とも良く熟した珈琲とも伝えられているけれど、その役割は『贈り物』という意味で変わらない――を、あの怠惰の極みたる創造論の化身、最も邪な空想の怪物『猿』より奪い返し、それを手にした事で山羊から人間へ、神の似姿へと生まれ変わったアダムの髪は、眼は、肌は、一体何色であったのか――

  ■□■□

 知っての通りこの世界には、三種類の人間が暮らしている――白の者と黒の者、そしてその中間である灰の者だ。この内、最後の一者に関しては白と黒の混血であり、数もまた少ないから良しとするにして、問題なのは最初の二者の諍いだった。
 白の者――或いは、黒で無い者はこう主張している。
「我等こそ、由緒正しきアダムの末裔にして神の忠実なる使者である」、と。
 黒の者――或いは、白で無い者はこう主張している。
「我等こそ、由緒正しきアダムの末裔にして神の忠実なる使者である」、と。
 そして両者は、こう主張している。
『アダムと神の御名を騙る愚か者どもよ、地獄の業火に焼かれるがいい』、と。
 人類の歴史はそんな白か黒か、どちらなのかを決しようとする者達の戦いによって紡がれて来たと言っても過言では無く、その歴史は合間合間に赤、血の色の赤とする小休止を挟みつつも途絶える事無く繰り返し繰り返し、続けられて来たのである。
 盲目なまでに。愚鈍なまでに。

  ■□■□

 そしてそれは最初に言った通り、今日にあっても衰えを知らず、白の者も黒の者も真理探究に余念が無い。その手段こそ、技術の進歩と時代の変化によって血の気薄れて来てはいるけれど、別の言い方をすれば、より巧妙になったという事でもある。
 そう、これもまた疑い無きものだろう――本質は何一つ変わらないのだ、と。
 変わらない変わらない、きっと世界が終わるまで、何一つ変わらない――

  ■□■□

 だが実の所、それは間違いだった。誤りであった。

  ■□■□

 ここで少しネタ晴らしをさせて貰う――今更じたばたした所でもう手遅れだ――ちょっとした事件を経た後で、人類は変わる事になっている。白だとか黒だとか、そんな事は気にも止めない存在へと――それが果たして良い事か、悪い事かはこの際もうどうでもいい事として、かつてアダムがそうした様に、彼等は生まれ変わるのである。
 先の言葉は、この様にしよう。
 変われる変われる、それでこそ■□■□の似姿さ、と――
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