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1.山上の羊達の都市
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 唯都(ザ・シティ)グァラ=グァラは、東西を貫き通るディルカ川に寄って南北に分け隔てられた都市であるけれど、怪猿(トロール)殺しの英雄を由来とする、山河に響く木霊の様な名前が指し示している様に、北であれ南であれ、大した違いなんて存在しない。
 市庁舎と図書館を乱雑に搔き混ぜ、一つに纏め上げたカルナイン管理塔(ミナレット)と、川の両岸に立ち並ぶ製紙工場(パルプミル)の群れを中核として、外へ向かう程に新しい建造物が犇めき合っている街並みは同心円状に、どの方角に対しても区別無く進行している為、塔という格好の目印が無ければ、自分がどちら側に居るか、簡単に見誤ってしまうに違いない――『角が告げる』という言い回しが、言い回し以上のもので無ければ、だが。
 いやそれどころか、地図の上から眺めれば、もっと変わった唯都の特徴も見えて来る。名称で言えばグァラ=グァラの『=』部分、即ちディルカ川を境に北と南で見比べると、丁度鏡写しになった様に、似た様な建物が反対側にも建てられているのだ。片方に喫茶店(カフェ)があればもう片方にも喫茶店が、片方に雑貨屋があればもう片方にも雑貨屋が、という按配であり、都市景観の相似は、細部にまで渡っている。これは街の外側へ行く程、という事は、後から建てられたものであればある程にこの傾向を持って来るので、恐らくは両地区の建設者達が意図してそうしたに違いないが、それでも少々出来過ぎであり、その近似は波風に犯されていない水面に映った影の様――勿論どちらが影であるかは定かで無い。
 どちらも影である可能性だって無い訳じゃない。
 誰の、何の、と言えば、決まっていよう。
 あの名前も定かで無い我等が創造主の、だ――

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 だから、場所で言えば南側の中腹、新しくも無ければ古くも無い、中庸なる時を経た通りを歩むサイカ・ネルレラクは、こんな事を考えて見たりする――今自分が居る丁度反対側には、もう一人の自分が居て、同じ様に通りを進んでいるのではあるまいか、と。
 目的の場所へ、孤独に脚を進めながら、同じ様に反対側の自分の事を想っていて――
 けれどそんなものは、眠り浅い男が見る真昼の夢想に過ぎず、それにそもそも、唯都(ザ・シティ)を二分しているのは川の流れでも無ければ家の並びでも無く、人の塊である。北半分にはその身体的特徴と歴史的根拠を元に『白の者』と称し、称される者達が暮らしていて、南半分にはその身体的特徴と歴史的根拠を元に『黒の者』と称し、称される者達が暮らしており、互いが互いに、自分と相手は全く違う存在だと公言して憚らない。大昔から水面が穏やかであった試しは一度も無いのであり、またサイカが目指す場所に待つ者は、身も心も位ですら黒の者、黒の中の黒である――あんな者が、もう一人も居て溜まるものか。
 にも関わらず、そのもう一人は確かに存在するのだから厄介だ――救いは、そう思うとも無く思っているサイカの頭蓋が灰色の巻き毛で覆われている事で、白でも黒でも無ければ反対側など在り様が無いのだから、先の夢想はやはり夢想と、放り捨てて構うまい。
 尤も、それ故に厄介事へ駆り出される事を思うと、何とも頭が痛い限りだが、と、具合良く暇を潰している間に、彼の両脚は、目的の場所へと彼を運び、そして立ち止まった。
 通りを分断する様に、三叉路の中央に佇むそれは、独特の臭気漂わす精紙工場(パルプミル)からの煙に寄って古紙色に塗り潰された空の元、古錆びた色彩の看板を掲げて、同種の中では大きくも無ければ小さくも無いその自己を一所懸命と主張している。
【グァラ・カプリ座】
 これと似た様な名前の幻画館が北側にもあった筈、と思い返しながら、薄汚れた黒白両面仕立て外套(リバーシブルコート)の懐から黒の切符(チケット)を取り出すと、サイカは端まで開け放たれた扉の中へと入って行く――刹那、生暖かい陽光がぐらり揺れたのを、全くの気の所為にして。今回の召集と、流行りの異常は関係無いのだと、そう自分に言い聞かせて――それ以上の、彼にとってはそれ以上と言わざるを得ぬものが待っているとも知らず――

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 サイカ・ネルレラクが指示書――とてもそうとは思えないが、しかし意味、役割を考えれば、間違い無く指示書である存在に気付いたのは、既に朝が昼となって久しい頃、癒えぬ疲労と眠気に耐えつつ薄汚れた寝具から抜け出し、質は兎も角量だけはお墨付き――これは半ば字義通りであり、当局曰く、充分な消毒と濾過はしてあると言うけれど、誰も信用していない――なシャワーを散々浴びた後の事だった。
 伸ばすに任せられた灰の髪と片角をタオルで手荒く拭きつつ、集合住宅(アパルトメント)の扉下部と一体になった郵便受けを半裸のまま覗けば、エリ=ファス・ガゼット紙の朝刊と数枚の迷惑便(スパム)と共に、封筒が入っている――二本の捩れ角に寄って象られた『L』の黒い封蝋は、切手の貼られていない事と相俟って嫌と言う程見覚えのあるものであり、開けるまでも無くその中身を案じさせてくれる。どうせろくでも無いと解り切った、その中身を、だ。
 肩に濡れたタオルを巻きつつ、サイカは気乗り薄なままに、それを開けた。出て来たのは、裏に一言『来い』と流暢な文字が書き込まれたグァラ・カプリ座の入場切符(チケット)――上映する幻画(キノ)は『羊達の都市』なるものだそうだが、新し過ぎるか古過ぎるかで、聞き覚えがまるで無い――が一枚きり。この手の込んだ適当さ、或いはいい加減な周到さはあの男の好む手だ、と溜息交じりに時計へと目をやれば、上映時刻はもう差し迫っている。ディルカ川に程近いここからでは、自分の、他人の、馬の、車の、如何なる脚を使った所で到底間に合わぬだろう――それに髪だってまだ乾いていない。
 という訳でサイカは、慌てて家を飛び出すよりも、たっぷり遅れて行く事を選んだ。
 呼び手との関係を思えば奇妙なものだが、部下の遅延なんて、あの黒の頭目に取っては、痛くも痒くも無いだろう。その程度の度量が無ければ、何時裏切るとも知れぬこんな自分を目になんて掛けまい。尤もそんな事は出来ないと、鼻から踏んでの登用であるのは間違いなく、至極残念な事にその通りである訳だが――羊非羊(メェルド)。

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 ともあれ肌と髪が勝手に乾くのを待つ間、テーブル一杯にエリ=ファス・ガゼット紙を広げ、『終末の前触れか』という大仰な題目を無視し、遺法薬紙(ドラッグ)を扱っていた黒の売人の疑い深い自殺記事を軽く流し、愚にも付かない新しい角用研磨剤の宣伝広告――『角の手入れは魂の手入れっ』――を眼の慰みにしつつ、即席仕立て(インスタント)珈琲――何時もと違って素のまま飲んだが、脳味噌は一向にしゃっきりしてくれない――と、即席仕立て(インスタント)粒状食紙(シリアル)で持って大分遅めの朝食を済ませたサイカ・ネルレラクは、なるべく汚れていない服を、何時もの外套を、その他諸々を身に付け、内ポケットに切符(チケット)を押し込み、取り止めも無い空想を面白くも何とも無い小旅行の道連れにして、途中までは馬車で、吹っ掛けられてからは自分の脚でグァラ・カプリ座へと出向いたのだけれど、館の中の掛け時計は、案の定、約束の時間を彼方へと置き去りにしており、戻ってどうこうする気は無い様だ。
 短い幻画(キノ)一本なら終わっても良い頃合となれば、流石に焦りも肌を伝う訳で、彼は半ば前言を撤回する形で、入口直ぐの受付に立つ中年のもぎり――赤く焼ける胴の肌、墨の様に黒い髪と顎下の髭、黄金色に輝く虹彩に長方形(モノリス)状の瞳孔と来れば、絵に描いた様な黒の者だ――に切符を指し出すと、幸運にもまだ上映中らしい、とは言え、何時終演の鐘が鳴り響くとも限らない会場目指して、足早に歩んで行く。
「おい灰色の、あんたラーシュさんとこの人だろ」
 と、そこで先のもぎりが声を掛ければ、半身だけで振り返り、
「案内しろって言われてる。あの人だったら特等席だ、右の階段上がって直ぐだよ」
「……それはそれは、感謝を……」
「良いから行けよ鼠野郎。ラーシュさんだぜ、どれだけ待たせりゃ気が済むんだい……」
「……全くだ……角が軋む限りだよ……」
 訝しがる視線と共に、愛想の欠片も無い言葉をせせら笑いで受け止めれば――この態度は白黒共通のものだけれど、しかし事実とあっては応える意思も心も無く――言われた通りに正面右手側の階段を、螺旋状にぐるり伸びている段差を、一段飛ばしで駆け上がる。
 そうして登り切った先では、その役目を全うしてるとは言い難い防音扉と、馴染みと言えば馴染みである双子の黒の警護人が三位一体と待ち構えており、明らかに友好的で無いそれと彼等の態度に思わずサイカは回れ右したくなるのだけれど、そんな事は出来る筈も無い上に、無言の内に扉を開けられれば、進む以外の選択肢等跡形も無く消えてしまう。
「……羊非羊(メェルド)……」
 誰にも何にも聞き取れぬ様、喉の奥でそっと呟くと、揃って感情に乏しい表情を浮かべている二人の男――もう一人の自分が直ぐ傍に佇んでいるのはどんな気分か――の間を通って、彼は大音響かす薄暗闇の中へと一歩を踏み込む。一歩、また一歩と行けば扉は締まって最早戻れず、そして目の前では、遮る者無く仄輝く映写幕(スクリーン)に人の疎らな通常席、それから段々と並んでいるのに、一席しか埋まっていない特等席が見下ろせて、
「……上映中に時計を翳すのは甚だしい礼儀違反だから、確認はしてないさ。しかし、」
 その一席から声が届く――年若い少年の、だが長い歳月を感じさせる独特の声音――
「するまでもあるまい――途中入場、それもこんな良い所でやって来るなんて、ね、もっと甚だしい礼儀違反だと悟りたまえ、サイカ……サイカ・ネルレラク……」
「……御陰様で、僕は忙しいんだドン=ラーシュ……ろくに寝る暇も無い位で、ね……」
 振り向く事無く、そう台詞の様に紡がれる言葉に対し、サイカは肩を竦ませつつ、彼の隣へと近付いて行く――カルナイン管理塔(ミナレット)に属さぬ巷の主、その影響力を持ってして黒の王と呼んでも差し支え無い人物ドン=ラーシュ・バフォメトは、現れた部下に一瞥もくれてやらず、眼前で展開されている幻画へと一心に視線を送っている。幾度も幾度も『漂白』されて来たその容姿は幼くも美しく、子供っぽい興味、関心を示す表情の奥から、拭い切れぬ経験の微かな痕さえ滲み出て来なければ、サイカもつい忘れてしまいそうになる――この男が、自身のこれまでの人生の、裕に八倍は長く生きているのだという事実を。
 科学技術(サイエンス)とは末恐ろしい――金持ちの道楽で納まっているから、まだマシだが。
 と、そこでドン=ラーシュはくすくすと口元を緩めて、
「嗚呼……実際そこは感謝している、本当だぜ? サイカ・ネルレラク。お前は優秀だ。先日も上手く処理してくれた様だし、だから一緒に幻画でも、と思ったのに全くもう……」
 そんな事を呟くものだから、サイカは始めて幻画に意識を向けた――途中から、しかも終わり間際ならば、一体何が展開されているのやらさっぱりであるけれど、登場人物達の動作や表情を見るに、事態が終盤らしい佳境に入っている事だけは理解出来る。服飾からして舞台は一応近現代という所だろうが、流行も映像も前時代的なもので、古過ぎるからこそ知らなかったと言うのが正解か、と、そこで傍と気付くのは、人物の大半が奇妙な顔立ちをしている事実で、その様相は擬人化した羊を思わせる。化粧なのだろうが良く造られたそれは、角も毛もそのままに服を着、流暢なニグラト語を話し、数少ないまともな容姿の人物達と演技している。まるで本物の人間であるかの様に。
 まるで本物の人間であるかの様に――
「……ドン=ラーシュ、これはどういう幻画なんだい……?」
「最近の若いのは、物を知らないな……」
 思わずそう返すと、唖然とする珈琲色の顔と円となった金眼が鋭くサイカに差し出され、
「切符に書いてあったろう『羊達の都市』さ……名前位知っていても良さそうだがね」
「……すまないね、最近の若者で……」
 彼はもう一度肩を竦めるが、ドン=ラーシュは特に気にする風でも無く、
「空想科学の今や古典的名作だよ……長い長い遠征に失敗し、疲れ果てて帰る途中の開拓者達が立ち寄った街は、神の似姿として進化した羊達が支配する、恐怖の場所だった、と」
「……羊がか……荒唐無稽な……」
「そんな事を言うものでは無いさ、ま、筋だけ言えば確かにそうと言えるがね……でも、やっぱり口に出しちゃいけないよ。この幻画の為にやって来た御婦人も居る位だから」
 上映中に談笑を勤しむのは礼儀違反では無いのか、と、思っている最中、首だけで丁度反対、左手側に設けられた別の特等席を示されれば、今度はサイカが唖然とする。
 映写幕からの微かな明かりでも見分けられるのはドン=ラーシュ程では無いにしろ『漂白』、概ね字義通りの『漂白』が成されているからだが、髪も白ければ肌も白い、瞳だけが銀と輝く、その容姿端麗な娘こそ、カルナイン管理塔に属さぬもう一人の巷の主、その影響力を持ってして白の后と呼んでも差し支えない人物であり、そして彼女の隣には――
 そして彼女の隣には――
 サイカは二重に驚く胸中を誤魔化すべく、最初のそれをあえて口にした。
「……ドン=クラリス・アザゼルじゃないか……こんな所で一体何を……」
「だから幻画を見に来たんだって。折角の再上映だから、わざわざここまで来たって事。僕もクラリスも、お前が言う所の荒唐無稽な奴が大好きで、ね……ほらご覧よ」
 黒の頭目は白の頭目に対して微笑みを、更にあろう事か手を振ってさえ見せれば、あちらもこちらに気付いたのだろう、色さえ問わなければ素直に喜べる微笑みが返って来る。
 この薄暗がりでもはっきり解る、鋭く突き刺さる四角四面(スクウェア)の凝視と共に――
「……それで結局、僕は何の為に呼ばれたんだい……」
 その紅い視線から逃れる様、サイカはドン=ラーシュへと向き直った――まさか、本当に幻画を見に来ただけではあるまいのは、白の頭目が居る事で明らかである――直接的抗争こそ稀であるが、反目し合っている事は今も昔も変わり無いというのに。
 そんな彼女から再び銀幕へ視線を戻しつつ、頭目はゆっくりと唇を開けて、
「……レーフ=ノマーという名前を聞いた事があるかね? サイカ・ネルレラク」
「……いいや全く……」
 サイカが正直に首を横に振れば、ドン=ラーシュは満足げに頷き、
「それは僥倖……『隠れ潜む者』だからね、そうで無くちゃぁいけないよ」
「……誰だい、そいつは……隠密か何かか……?」
「先任者さ。元、ね。お前程に優秀な男だった。特殊な命(めい)を授けていたが、その命(いのち)はもう何処にも無い……実に惜しい……後少しで事態を解決に導ける所だったのに……」
「……それで……僕が後を告ぐ命というのは……?」
「……『パルプグラマトン』という名前を聞いた事があるかね? サイカ・ネルレラク」
「……いいや全く……」
「それは僥倖……もとい、当たり前か。聞いていても困るよ、今思い付いたのだから」
「……ふざけてるのかあんた……」
 のらりくらりと、一向に本題へ至らない会話の押収に、流石のサイカも顔を顰める。
 と、ドン=ラーシュは、違う違うと、片手をはらはらとはためかせ、
「真面目も真面目、大真面目だよ……私はお前にそれを捜して貰いたいのさ」
「……その、『パルプグラマトン』とやらを……?」
「実の所、捜す、とは少し違うが、そう……神からの素敵な贈り物を、ね」
「……それはどういう意味……」
「言葉通りのものだよ……神話を、歴史を知らないのかね? 最近の若者よ」
「……」
 サイカはその紅い瞳を思わず逸らした。不意に、目の前に居る少年の、いや男の正気が疑われて来たからだ。荷重く気も重い陽光の異常の調査かと予想していたのに――一体他に何がある――よりによって神の名で出、あまつさえ進化の神器を捜せとはある種の何でも屋を自称する者に取っても、容易には受け入れられない――一体それは石なのか紙なのか豆なのか、それとも全く別のものか――けれど、逸らした先から人と人もどきが入り乱れる可笑しな画が眼に飛び込めば、嫌が応も無い自分の立場を思い知らされるだけであり、
「……羊非羊……」
「それは、やってくれるという事で良いのかね?」
 思わず漏れ出た呟きにドン=ラーシュの嬉々とした声が返れば、次に吐かれるのは溜息ばかりで、サイカは二度、三度、首を横に奮ってから、頭目の方へと改めて向き、
「……他にどんな言葉があるというんだい、あんたに応える為に適切な……?」
「それこそ僥倖というものだよ……詳しくは自室で確認したまえ。今回の件で必要になるものが置いてある……期待しているよ、サイカ・ネルレラク……」
「……具体的には何も解ってないがね……まぁ、やってみるさ……」
 そしてちらと見れば、既に反対側の特等席にはもう白の頭目の姿しか無い――急ぐ必要があるだろう。そうサイカは振り返り、出口へ向けて歩き始めれば、その背後からこんな台詞が聞こえて来たけれど、そこに込められた感情は良く解らなかった――

  ■□■□

「何と言う事だろう……ここは唯都(ザ・シティ)……俺達の故郷……その成れの果てなんだ……」
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