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5.この世の限り
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 三日――それは短くもあり、また長くもある時だった。その間に一体何が出来るかと聞かれれば上がる数は少ないだろうが、しかし、何も出来ないという訳では無い――

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 一日目――サイカ・ネルレラクは、モノ=クロームを伴い、ドン=ラーシュ・バフォメトの邸宅へと向かっていた。彼からの依頼を遣り遂げた事を告げる為、『パルプグラマトン』を渡す為に――今更それにどんな意味があるかは解らないが、しかし事の始端があの男であるならば、終端もまたそうであった方が何かすっきりとはするし、ドン=ラーシュに、黒の頭目に、あの神からの言葉を読ませてやるのも悪くは無いだろう――
 そう考えつつ、唯都(ザ・シティ)グァラ=グァラの南側、グァラ・カプリ座に程近い中腹の通りを馬車に乗ってサイカ等は向かった――奇妙に薄暗くなり、時折雑音走らせている空は雨も上がっており、所々に残った名残たる水溜りの上を車輪が抜ければ、豪勢な造りの、けれど真新しいという訳でも無い館の前に辿り付く。
 そして使用人に導かれ、例の双子の警護人の許可の下、ドン=ラーシュの書斎に招かれれば、そこに待っていたのは黒の頭目ともう一人――驚く無かれ、白の頭目ドン・クラリス・アザゼルであり、サイカもモノも思わずと己が得物を出しかねるが、だが二人の間に流れる穏やかな空気に、そしてサイカ達が来るまで彼等が何をして遊んでいたかという事実に、二人は直ぐに角を抜かれ、互いの顔を、紅と黒の瞳を見合わせる――ドン=ラーシュとドン=クラリスが向かい合って座っている珈琲テーブルの上には、黒と白と灰の薄い色紙が山と散らばっており、そして其処彼処に立ち並んで、或いは並び損なっているのは、黒と白と灰の山羊の折り紙だった。そうして新参者には眼も暮れずに、さも愉しそうに紙を折っては畳み、畳んでは折っている白い娘を、傍目には姉妹――従姉弟と言い直した方が的を射るか――程に年の離れた黒い少年が、カップ片手に見守っている――
 今眼の前に映るそれをどう解釈したものか、隣に立つモノと目配せし合っても埒が開かぬと判断した彼は、こほり空咳を上げた後に、そっとこう尋ねて見た。
「……ドン=ラーシュ……一つ聞きたいのだが……」
「嗚呼何だい、サイカ、サイカ・ネルレラク……例の件は遣り遂げてくれたのかな?」
 そして返る声は含む所無く機嫌良く、薄ら寒いものを感じつつもサイカは続け、
「……僕の見立てが正しければ、彼女はドン=クラリス・アザゼル、じゃないか……?」
「うん、そうだよ……視力は大丈夫かね、お前、嫌に眼を腫らしてるみたいだが」
「ドン、あの、モノの黒眼から見ても、何であっちのドンが居るかさっぱりなんだけど」
 モノがその後を――と、やがて関係も無いけれど、彼女は既に『パルプグラマトン』へと眼を通している――継げば、ドン=ラーシュはさも当然の如き口振りで、
「お前達揃って節穴かい、全くもう……僕と彼女は友達なんだ。友達が友達の家にやって来て、遊んでいる――それの何処が、さっぱりなんだろうね、クラリス?」
 そう応えれば、名を呼ばれたドン=クラリスはここで始めて顔を上げ、満面の笑みを二人の来訪者へ向ける――その銀の瞳の余りの清々しさに、サイカは思わず羊非羊(メェルド)と呻きつつ、ドン=ラーシュの方を見詰め直し、
「……あんた……もし、それが本当だって言うなら、」
「本当だよ、こんな事で嘘を付いたって仕様が無いじゃないか、そうだろう?」
「……兎も角……本当だって言うなら、何故それをもっと早く言わない……あんた、いや、あんた達が友人だって言うなら……街を二分する必要は無い……そうじゃないのか……」
 懐に丸められた『パルプグラマトン』の感触を受けつつ、若干の怒気と嫌味を込めてサイカがそう言えば、ドン=ラーシュは乾き切った笑みをその紅い唇に浮かべて、
「それはお前と、お前の姉の関係に似ていなくも無い、という所だな……私達の関係が個人的に友好であったとしても、立場はそれを考慮しちゃくれないし、二つに分かれたものを結び付けるなんて、とてもとても……な、それが歴史の重み、家柄の尊重、善き市民の在り方という奴だよ。僕はバフォメトで、彼女はアザゼル……そうだろうクラリス?」
 首を横に振り降りそう言えば、その姿は年相応の老人、骨と皮と諦めと、そして形得ぬ欲だけの人間に思え、普段との落差に戸惑いを感じつつ、サイカは眼を逸らす様にしてドン=クラリスを見たが、そこには先と変わらぬ――そもそも、彼女にそれ以外があるか解らないが――笑みが爛々と灯っていた。透き通った、余りに透き通ったその微笑は、白痴的であり――彼は見た事自体を後悔し掛けるのだが、何とも居心地悪そうに頬を掻くモノもまた同じ思いであれば、心は多少休まり、と、そこで再び外見通りの気概を張りとして得たドン=ラーシュの若々しい声が、サイカの鼓膜を奮わせて、
「ま、それは置いておくとして……『パルプグラマトン』は何処だねサイカ、サイカ・ネルレラク? 瀕死の神の恭しき遺言だよ、改まって見てみようじゃないかい……」

  ■□■□

 その台詞――そして差し出された『パルプグラマトン』を広げ、ドン=クラリス・アザゼルと共に仲睦まじく神の贈り物に眼を通すドン=ラーシュ・バフォメトの姿と、読み終えた直後に幼い顔へと現れた、何の驚きも無い納得の、しかしそれだけでは無い複雑な笑みを見るに付け、サイカ・ネルレラクが思い浮かべたのは、新たな記憶によって大分隠れ、今やあるか無いかの感覚しか残っていない――〈先任者〉よ、眠れ安らかにっ――レーフ=ノマーの憑本(ノミコン)を口にした時の事だった。それ自体と、その包装物が回りくどくも仄めかしたのは、これからの指針であった訳だが、しかしこうして振り返れば、それは過ぎ去ったものも、また辿り付くものも暗に現していたと言え――総括すると、どうも黒の頭目は最初から全てを知った上で、サイカに行動させていた様に思えてならない。その『全て』とやらが実際に何処から何処までかは定かで無いが、ふと見たテーブルの上の、飲み掛けのカップに隠れる様に寄り添い合う二匹の灰山羊――御丁寧にも一匹は片角である――を見れば、無邪気そうに口の端吊り上げている白の頭目もまた絡んでいるのは想像に容易い――そして老獪なのか幼稚なのか、しかし間違い無く歪み切ってはいるドン=ラーシュとドン=クラリスの二人が、何を企み、いや望んでいたかは直ぐに判明した――
「感動的だ……何とも感動的じゃないか、サイカ、サイカ・ネルレラク。名も無き神に祝福を、だよ。全く、ね……これこそが真の鍵だ。僕等なんてお話にならない……」
「……何を言ってるんだい、あんた……」
「つまり神は居なくとも紙は在るという事さ、彼処に確かに。説得力たるや正に神の折り紙付き、と、なればモノ=クローム、守護悪魔、ちょっと御使いを頼んでいいかね?」
「別に構いやしないけど、終わり来るって、今更何をおっ始めようってんだいドン?」
「何、そんな事は解り切った事じゃないかい、なぁクラリス」
 と、疑い深い二人の視線をしかと受け止めながら、白黒の頭目は銀と金の視線を混じり合わせながら、くすくすと本当の子供の様に、仲の良い従姉弟の様に笑って、
「エリ=ファス諸々にこの言葉を載せてやるんだよモノ、終わりが来るより大至急、さ」

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 二日目――その朝、唯都(ザ・シティ)グァラ=グァラは大混乱、いや大混濁を迎えていた。
 既に昨日の時点で、エリ=ファス・ガゼット紙が、或いはその他の黒か白かの新聞が、神からの贈り物をとある灰の者――モノ=クローム曰く、「時が早ければきっとこの頭に、『黒の重要人物の部下たる』とか付いたんだろうね、白の、でもいいけどさ」――が発見した事、そこに刻まれていた言葉、そして、これが肝心なのだけれど、その現物がカルナイン管理塔にて期間限定の公開をしている事を大号外で伝えており、日を跨ぐ前に、唯都に住む全市民が、世界の終わりを知っていた――あらゆる風評(ゴシップ)から嫌が応も無く。
 読者の反応は様々だった――笑う者、怒る者、嘆く者、泣く者、等など等などと、十人十色と溢れ帰っており、通り、特に管理塔へ至る通り、二つの門の辺りは酷い有様だった。また家々では、明かりという明かりが灯され、それから喫茶店(カフェ)や飲み処(パブ)は何処も彼処も超過営業の大盛況であり、それは日が暮れ、月が昇り、月が暮れて、日がまた昇っても然程変わらなかった――何人か、離脱した者も出たけれど――彼等は家族で、友人で、或いは行きずりの者達で、議論を繰り広げていたのである――果たして、世界の終わりは本当だろうか? もし本当だとしたら、我々はどうしたらいいのか? その他諸々――
 この内、前者に付いては多くの者が割合早い内に決着を付けた――『本当である』と。それを見に行く――かつての万物は兎も角、今の人類がそれを読む為には、逐一触れる、神の息吹の残りを肌で感じる事が必要がある――だけで時間切れとなってしまいそうな『パルプグラマトン』を幸運にも直接味わった者は当然として、そうでない者達も、風に乗って伝わって来る読了者達の言葉や周囲の状況から、真であると考えたのである――或いはもし万が一そうでなかったとしても、そうと思って行動すれば憂いは無い、ともだ。ただ、三日と言わずこの瞬間にも砕け散ってしまいそうな黄ばんだ空の下に生きていれば、信じないという方が、難しかったに違いない――そう、問題は後者の方である。
 『我々はどうしたらいいのか』――思えば、世界の終わりの時、と冠せられずとも、これは究極の問題であると言える――繰り返そう、『我々はどうしたらいいのか』――
 その疑問の為に、次の日に至っても、市民達は戸外に犇めき合っていた――そこに、白も黒も、灰も関係無ければ、特に管理塔(ミナレット)周辺、見捨てられたディルカの川沿いは、群集で覆い尽くされており、良くもこれ程、と傍から見れば感心してしまう様な状態だった――

  ■□■□

 そう、そして、その諸々が混じり合った中、思考の熱気に当てられた黒の者Aは、ふらふらと外へ、外へと抜け出していた――喋るのに疲れ、考えるのに疲れた彼は、何処か休める所は無いかと右往左往した訳だけれど、生憎、大概の場所に人が居る。
 そして未だ『パルプグラマトン』を求める者多ければ、内側では無く、その反対に向かうは必然である――黒の者Aは、滲む汗を懐紙で拭きながら、息を切らして歩いた。
 歩き歩き、小一時間程経った所で漸く人も疎らになり、と、丁度良い所に公園――住宅と住宅の間の、ほんの小さな空間ではあるが、ともあれ公園――を見付けた彼は、これ幸いと中へ入り、また具合良く木の葉の影となったベンチに座れば、ふぅ、と彼は漸く人心付き、やれやれと顔を上げる――異様な光も、空も、ここからは隠れて良く見えない。多少難を言えば、多少お尻の下が冷たい事だが、こんなもの、火照りの中では丁度良い位。
 そうして、暫くの間、ぼんやりと葉っぱ越しの景色を見上げていると、どさりと、別の側の入口からやって来た誰かが隣に座った。そして漏れる吐息は疲労を含んでおり、黒の者Aは、御同輩がやって来た、と、と何だかちょっと嬉しくなって、やぁ今日は、と思わず声を掛けようと顔を向けた所で、それが白の者Aである事に気付いた。
 雨でも無いのに、重苦しい沈黙の幕がそっと降り掛かる――
 黒の者Aは焦った――何故こんな所に白の者が居るのか。あの恐るべき敵対者、捕まればただでは済まない白の者が、いやまさか、ここは唯都の北側で、間違って迷い込んでしまったのでは無いかしら――と。首をそのままに、その長方形(モノリス)状の金眼を動かすが、街並みは至って普通であり、嗚呼何だ南側か、と一瞬ほっとするけれど、直ぐに、北も南も余り大差無く、方向感覚に自信無ければ(半ば彷徨い出て来た身としては勿論自信無く)管理塔(ミナレット)を見ても解らないというエリ=ファス紙の記事を思い出し、また慌てて瞳動かして今度は人を捜す訳だが、残念な事に今は何処にも見当たらない――隣に座る、この男以外は。
 ただし、それは白の者Aも同じ思いであったらしい――ちらちらと横目で盗み見れば、あちらも焦り顔であり、鏡に映したかの様に同じである態度は少しばかり緊張を解いてくれるが、しかし決して油断はならない――何せ相手はあの白/黒の者なのだから――
 白/黒の者Aは、そう考えると、こほり空咳を催してから、おずおずと顔を向け、
「こ、今日は」
「こ、今日は」
 と、ほぼ同時に口を開いた――どちらが先で、どちらが後かは解らない。始めての出会いに、どうにか成功した事と比べれば、そんな事は些細なものだ、論じるまでも無い。
「……」
「……」
 けれど続かない――もしかしたら敵地のど真ん中かもしれないこの状況から早々に抜け出したくて、相手の腹を探っているのだけれど、そうして出て来るのが、まるで自分と同じ腹であればどうしようも無く、Aは辺りを伺いながら、愛想笑いを浮かべ合い、
「嗚呼……そういえば、もう直ぐ世界が終わるみたいですな」
「その様で……いやはや、全く、これは、これは、大変な事ですぞ」
「……」
 我知らずまるで天気の事でも話している風に言い――実際、何が起きているかを考えれば、半ばその通りであるのだが――そして同じくそう返せば、二人の男はきょとんと、もう一度金と銀の瞳を交じらせ、それから思わず、笑ってしまった。何だ、こんな事であったのか、と彼等は胸中密かに納得し、隣の男もまた同じ思いだろうな、と、言葉無く動作無く頷けば、憑き物が落ちた様な、晴れ晴れとした心持ちで黒の者Aが立ち上がり、
「ま、最後位健やかに過ごせる事を……さようなら、機会があれば、また何処かで」
 見上げる白の者Aもまた、さっぱりとした感じで、今度は深く、深く頷き、
「えぇ、ありがとう……さようなら、機会があれば、また何処かで」
 去って行く黒い背を眼で追い掛け、その姿が見え無くなった所で、彼もまた立ち上がり、元来た方へ、別の側の出口へと向かって、この場を後にする――

  ■□■□

 ――こんな事が幾らでも起きた。心の境界が無くなった事で、分け隔て無く接せられる様になったのである――それは半ば偶然であるが、また半ば必然であり――

  ■□■□

 そして三日目――その時にはもう、市民達の熱狂は消えていた。
 彼等の多くは理解したのだ――即ち、『パルプグラマトン』の内容を、人伝に耳にして自分で考え、或いは身を持って経験する事で、創造主が望まれた事を理解したのだ。
 だからこの世界最後の朝日――その光の色彩を、加減を抜かせば、普段と変わり無いそれが地平線の彼方から顔を出した時、市民達の大半はその太陽の姿を見習った。まるで何事も無いかの様に、日々の活動を始めたのである――終わりまで残り後僅かという中で、昨夜からの跡片付けなんかも交えながらに、皆共に、変わらぬ日常を過ごそうと決めたのだ。勿論、そうは生きられない者も居た訳だけれど、彼等には彼等の仲間が居る。終わりまでの時を、終わりらしく生きる為の仲間が――何も寂しくなんか無い。
 この様にして穏やかに、或いは健やかに時は経ち――円弧を描きつつ、太陽が地平線から地平線へとあっと言う間に駆けて行くと、唯都グァラ=グァラは黄昏に染め上げられる。
 文字通りの落日だった――これを最後に、次の日が訪れる事はもう在り得ない。
 そう、そして昼が夕へと翻れば、誰に言われる事無く、市民達はディルカの川沿いに集っていた――何時も通りの時を過ごした後で、その日々に今生の別れを告げる為に。
 それはなかなか壮観な光景だった――人々にはもう白と黒の、北と南の違い等無く、思い思いの岸辺で、想い想いの誰かの隣で、ディルカ川が向かう遥か先、西の彼方へと今しも沈まんとする皺だらけの太陽を仰ぎ見ていた――実際の所、その水は決して綺麗とは言えず、製紙工場(パルプミル)による汚染ですっかりと濁り、匂いもまた酷かった訳だが、しかし髪の、肌の、瞳の色を誰もが気にも留め無くなった様に、そんな事を四の五の言っている様な輩は殆ど居らず、そして彼等の顔は一様に紅く染め上げられている――憂いも無ければ怯えも、憤りも無い、ただ侘しさだけが残る表情が、そこにそっと浮かんでいて――
 長い長い歳月の中、分け隔てられて来た人類は、この様に川の流れの元に集い、今再び一つとなった――ここに置いて、彼等は変わったのである。何もかも全て取るに足らない事と朗らかに受け流す、そんな一つの存在へ――残された時間はもう後十分も無かったが、兎にも角にも、彼等は生まれ変わったのである――流石は神の似姿だ――

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 そんな者達の中に、サイカ・ネルレラクの姿もまたあった。
 何時もと違う灰色の外套に身を包んだ彼は、自宅から程近いとある橋の上、黒、白、黒、白と居並ぶ人々の中で、彼等と同じ様に夕日を眺めている――空を道連れに草臥れ果て、音と共に崩れながらも、最期の灯火を欄と輝かせている恒星を――
 或いはあの星もまた、創造主の望みを叶えようとしているのかもしれない――そう、ぼんやりと眺めながら、今や黒の頭目から、彼の依頼から開放され、自由の身となったサイカが眺めていると、眼の前に紙のカップ握る白い手が突き出て来て、ふと視線を横へ動かすと、何時の間にか彼の隣にはモノ=クロームが立っており、
「今日は、兄さん、終末の瞬間に、神の偽りの贈り物でも如何かな?」
 微笑と一緒に、黒い手で握るもう一方のカップ掲げれば、サイカも笑って手を伸ばし、
「……ありがとう、嬉しいよ……でも、どうしたんだ、その手は……」
 不思議そうに、だが問い質す風でも無く言うと、モノは、嗚呼これかい、と、手袋も何も付けていない五本の指を、楽しそうにひらひら中空へ泳ぎ回らせ、
「言って無かったっけか……螺鈿子(モザイク)さ、あんたの逆の人間さね」
「……と、言うと……」
「黒であり白である。黒の方が強いけど……名前の由来だね。多分ドンがあんたの守護悪魔にモノを選んだ由来でもある、あの人の趣味さ……と、何だい、珍しいかい?」
「……始めて見るし、始めて聞く……灰の者だって、数は少ない筈だが……」
「突然変異なんだとさ、学者先生曰く、ね。黒いのと白いのが交われば必ず灰いのが産まれるが、こっちは親に関係無く、極々たまにしか産まれない。で、大抵は間引かれる。真っ当に大人になったって二番目に新しい記録は、凄いよ、ドン=カルナインまで遡るって言うんだからね。曰くの更に曰くな上に、文献発掘した当人すら信じて無かったけど」
「……それは……すまない事を聞いたね……」
 その言葉にサイカは思わず顔を背ける――かつて泣いていたのは誰であったやら――けれど、モノは差して気にした風でも無く、寧ろ、はんと鼻で笑い声を上げて、
「どんな意味があったか知らないが、もうどうでもいい事さ、ね、灰の者。だからこそ、モノの両手はすっきりさっぱり、楽な限りだよ……と、何なら兄さん、ちょいと一泳ぎ出来る格好になろうかい? 自分で言うのも何だけど、凄いったら無いよ、この体」
「……からかうなよ……そら、折角の珈琲が冷めてしまう……」
「はいはい、と、悪かったね……乾杯、だ」
 見え難いのを幸いとその頬を染めつつ彼がカップを差し出せば、にやにや笑いそのままに彼女も続き、二つの容器は音も無くぶつかって琥珀色の水面を軽く揺らす。
 そうして一口二口と飲み込み、安っぽくも妙にほっとする即席仕立て(インスタント)な味に舌鼓を打てば、どちらからとも無く二人は向き直り、ディルカの川下の方へと視線を送って、
「で……とうとう終わっちまうんだな、こいつも」
「……そうだな……」
 モノはちびりちびりと珈琲を舐めながら、口の端と共に眉も上げて、
「何とも妙な感じだね……ちゃんとしっかり考えれば、それはつまり死ぬって事の筈なのに、別に怖く無いんだね……や、違う。怖いっちゃ怖いが、他人事というか……嗚呼そうなのね、と、ただそれだけの感じ。あの戯言(グラマトン)の所為か知らないが……」
「……同感だね……僕達だけじゃなく、皆がそう感じているだろうが……」
 そちらの方を向く事無くサイカもこくり頷けば、モノは、でも、とカップを傾け、
「でも、やっぱ複雑ではある、っていうのは、ここまでの経緯をモノ達が知ってるから、もとい当事者だから……酷い話だよ、ちょっと振り返って見るだけでも、ね」
「……その通り……実に酷い話だって、僕も思うよ……」
「でも、」
 と、そこで彼女は縁から唇を離すと、にんまりとそれを三日月の形に変え、
「羊非羊(メェルド)とは言わないんだね兄さん……拗ねた餓鬼みたいにさ、そっぽ向いて羊非羊って」
「……嗚呼、そうだね……うん……酷い、酷いが……酷いだけ、だ……」
「いい事、かは解らないが、いい眼だよ、と……兄さん、あんた、それは?」
 と、吊られて笑みを浮かべるサイカを見ていたモノはふと気付く――白い布紙に覆い隠された筐状の何かが、彼の小脇、欄干の上に置かれている事を。
「……嗚呼これは……」
 今度は自身が説明する番となったサイカは、そこでふと遠い瞳を浮かべ、
「……僕の姉だよ……昨日、焼いて貰ったんだ……折角だし、ね……」
「何という……嗚呼、兄さん、こっちこそすまない事を聞くが、さ」
「……何だい……」
 その紅い眼を覗き込む様に首を伸ばしながら、モノは何時に無く真摯な顔色を示し、
「後悔してるかい、あんた……その、つまり、」
「……実の家族を手に掛けた事を……?」
「嗚呼、うん、一番酷い話だろ、それ……何だい、はっきり言うじゃないか、灰色の癖に」
「……まぁ……ね……うん、僕も思う……でも……」
「でも?」
 そこでサイカは棺に触れながら、寂しそうな、だが悲しそうでは無い笑みを浮かべ、
「……あの時……神が出て来るあの瞬間までは、互いにどうしようも無かったと思うんだ……僕も彼女も生粋の堅物(スクウェア)だから、ね……きっと、僕が彼女を殺していなければ、彼女が僕を殺していただろう……謝りながら泣きながら……と、それは、まぁ、この末路並みにも皮肉だろう……全く、何処で何を間違えたやら……でも、だからこそ……だからこそ、漸く……いや改めて理解出来たって思えば、ね……間抜けと言えばこれ程間抜けな話も無いし、酷く荒唐無稽なのも解ってる……でもそれが僕の答えであり、また罪でもあるとするれば……悔いだけはしない……僕は二度と、フェリスを失うつもりは無いんだよ……」
「それが兄さんの姉さんの名かい……しかし、あんた、それはまた、」
 と、彼の言葉を聞き終えたモノは、半ば呆れ気味の口調で笑い出し、
「戯言だよ……とんでも無い戯言だ。饒舌に語ってくれたが、そこは理解してるかい?」
「……さぁね……姉殺しを成し遂げたんだ……実はとっくに逝かれてるのかも……」
「由来通り、名前通り?」
「……由来通り、名前通り、さ……嗚呼、でも、」
 サイカも調子を合わせて笑い声を発するも、直ぐにそれを微笑に戻した。それを察したモノもまた再び真顔を造れば、彼は地平線の彼方へと視線を投げ掛けて、
「と……どうしたい、何か言い足りない事でも?」
「……そう、一つだけ……悔いは無い、でも、望みなら有る、とね……それが絶対叶わないのは神の折り紙付きだし、意味があるのやら無いのやらだけど、でも……出来るならしたい事がある……フェリスに……いいや皆に……一つだけ……」
「へぇ、そりゃまた……兄さん、一体どんな戯言なんだい?」
「……うん……それはね、」
 そうして彼が言葉を紡ごうとした瞬間、狙った様にその時は訪れた。
 星が堕ち、空が破れ、光よりも尚速い闇が、全て何もかもを飲み込んで――

  ■□■□

 もう居ない――
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