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 聖夜等知った事では無い、と言う衝動に駆られて手前勝手な『Märchen』考察。

 今回は『薔薇の塔で眠る姫君』『青き伯爵の城』である。前回のは、こちらから。
【誰がラフレンツェを産んだのか】
 『生と死を別つ境界の古井戸』を超えた先の一曲目は『薔薇の塔で眠る姫君』。モチーフとなっているのは名前からも解る通りの茨姫(眠り姫)、七つの大罪はHochmut、即ち『傲慢』である。

 さて『暁光』の側にあって『境界』に最も近いこの曲は、対となる『硝子の棺で眠る姫君』と同じく、いや、それ以上に原作通りである。演劇的誇張こそあれ、雪白姫のキャラクタに合わせる様な俗っぽい(あざとい、とも言えるか?)改変はここには無い。恐らく七つの曲の中でこれが一番『童話』……現代人が特に疑い無くその名を呼ぶ時に思い浮かべる所謂『童話』をしているだろう。

 だが、その様に『童話』である為、逆説的に『童話』で無い部分が解り易いのもこの曲である。

 中でも顕著なのが、この台詞だろう。

  ――そして彼女は、
 生まれた姫を森に捨てることになる……。


 端的に穏やかで無い内容は、《十三人目の賢女》の名がアルテローゼ=Alte Rose=古薔薇である事から、ますます穏やかで無くなる。これを英語に訳せば、Old Rose=オルドローズ、そう、『エルの絵本【魔女とラフレンツェ】』にて、ラフレンツェを拾った魔女の名前と同じなのだ。原作に沿った流れで終わるこの唄は、最後の最後で別の地平線に繋がる可能性をそこに示すのである。

 となると、野薔薇姫はラフレンツェの産みの親なのか? 何故ここで彼女が出て来るのだろう?

 それをあくまで可能性としても、何故野薔薇姫は実の娘を捨てる事と相成ったのか?

 この子捨てという明白な罪が何処から来るのかは、同じ姫である雪白姫と比べる事で理解出来よう。

 野薔薇姫の曲で問題となるのは行動、中身、精神である。だから唄の大半は、何故そうなったのか、という理由と動機を語っているし、野薔薇姫を始めとする登場人物達がどの様な人物かも(魔女=悪役=はぶかれものであるアルテローゼを抜かせば)その行動でしか把握出来ない。正に『予定調和』と現れる王子が今回求めるのも美しい肢体(死体)では無く運命的な境遇、極めて抽象的概念的意味での『美しい姫君』である。本人も言う様に『私のエリス』という訳だ。

 だが、これらは要するに容姿、外見、肉体には焦点を置いていないという事であり、肉に対する軽視が見て伺える――その辺りはアプリコーゼとアルテローゼの対決でも同様だろう。余命十五歳と言えば確かに呪いだけれど、逆に言えば少女として最も美しい十五歳の肉体で死ねる訳である。対して、死んだ様に百年間眠るというのは、確かに肉体的には死んで無い訳だけれど、そんな長い間独り眠り続けるというのは、死と一体何が違うというのだろう。また、アプリコーゼは、野薔薇姫が目覚めた時、その体が、周囲がどうなっているかを口にしていない。呪いと祝いが拮抗している為か、彼女は眠った時のままの姿と場所で当たり前の様に目覚めているが、アプリコーゼの祝いだけだったら、そうとは限らない訳である。少なくとも、あの閉ざされた城と外では時間の流れにずれが生じている。それがどの程度は解らないけれど、野薔薇姫の物語が『伝説』と称される程だから、数十年以上は経過している筈である。そんな未来での暮らしは、決して楽なものではあるまい。アプリコーゼが地上、俗世間を鑑みてないのが良く解る訳だ。彼女に与する側がそうである様に。

 そうして忘れてはならないのは、この様な一方を重視してのもう片方の軽視という図式は雪白姫にも見られたものであり、と同時に、それこそが彼女の罪であったという点である――その雪白姫が絶対視していたのは自身の肉体的美しさ、美貌だった。野薔薇姫にも、その様な何か一点があって然るべきである。

 ではその一点とは何か。それを読み取る鍵の一つは、彼女が現在の境遇に陥る直接的原因、齢十五歳となった日の朝、古い塔へと昇って行く前に囁いているこの台詞である。

 ……どきどきだわ……。

 野薔薇姫の本音であろうこの言葉からは、恐れや怯えと言った負の感情は感じられない。代わりに汲み取れるそれは好奇心であり……聞き様によっては、これから起こる事を待ち望んでいる、愉しんでいる様にも聞こえる。自分の今後が決定するという重要な日のそれとしては似つかわしく無いし、合わせて続く行動も、軽率と言えば余りに軽率だ。これで賢女と魔女の逸話を知らなければ話は別だが、彼女はそれについて自分で唄っているのである、知らぬという筈が無い。

 これだけでも充分と言えば充分だが、決定的なのはメルヒェンのこの台詞である。

「成る程……それで君は、野薔薇に抱かれたわけだね。
 目覚めへと至る、接吻が欲しいのかい?
 だが、残念ながら、私は君の王子様じゃない。
 さぁ……もう暫し。運命の相手は、夢の世界で待つものさ……」


 彼はここで『欲しいのかい?』と聞き返している。つまり王子とその接吻を欲したのは、野薔薇姫自身なのである。雪白姫の場合は、目覚めの接吻を姫の死体へさせる為に『特殊な性癖』を持つ王子が必要であり、だからメルヒェンがそれを利用した訳だが、今回はそうでは無い――彼女は解っていた訳である。眠る姫を目覚めさせるには何が必要なのかを。

 もっと言えば、そこに何が伴うのかも(意識してか、せずかは解らないが)理解してたに違いない――人ならざるものに運命的に誕生を予言され、祝いと呪いを一心に受けてその対決を招いた存在、その果てに哀れにも魔女の手に囚われてしまった麗しき姫には必ず救いが、王子様が伴うものだ、という事を。

 その様に良く良くと振り返って見れば、彼女が抱えるものが仄見えて来る――そう、雪白姫が肉体的美を重んじるならば野薔薇姫は精神的美を、自分が姫であるという『矜持』を重んじているのである。

 だから彼女の在り方は、姫としてぶれる事が無い。一度だけ、本当にたった一度だけ、油断からか興奮からか、本心が漏れてしまった事があるけれど、それ以外は恙無く、姫は姫で在り続ける。

 こうして見ると、アルテローゼは野薔薇姫が姫で在る為に利用された、とも言える訳で、哀れみを覚えさせてくれるのだが、しかしそこは生粋の、役割として出ない本当の意味での魔女が故か、彼女は『転ンデモタダジャ起キナイ』。最期に『もう一つ呪い』を残して、アルテローゼはこの国=地平から去って行くのである……野薔薇姫にとっては致命的と言って良い呪いを残して、だ。

 そう、『童話』であれば、姫は王子によって目覚め、魔女は滅び、二人は婚姻を結んで、めでたし、めでたし――で完結する訳だが、現実はそこで終わらない。結婚した二人には夫婦の生活が、男と女の営みが付いて回るものであり、やがて子供が、娘が産まれるならば(元の話の中では、王子は寝ている間に仕込むそうである。テッテレェ……)、今度は彼女が姫となり、野薔薇姫は王妃である。姫で在る事を矜持とする彼女にとって、これは酷い屈辱であるに違いない。

 そして今一つ、《捜し求めていた女性》=エリスと唄っている様に、肉から霊に転向した王子が本質的に仮面の男アビスと同じである点も、野薔薇姫の立場を危うくする。理想の姫君を欲し、いただきます』するその彼女を手に入れる為ならば、『どんな困難も乗り越えて』みせるし、実際みせた男である。父と娘なんて血縁関係等、彼にとっては物の数ではあるまい(何処ぞの王子への言葉を借りれば、『あいつの場合に限って常に最悪のケースを想定しろ。奴は必ずその少し斜め上をいく』という所だ)。

 ともあれ、この様にして『生まれた姫』という生々しい肉なる存在は、野薔薇姫の『姫』という概念的な在り方を否定するもので、彼女が彼女を捨てたのもむべなるかな、という所ではある……が、そんな事で現実から逃れられる筈が無いだろう。『望もうとも、望まざるとも』朝と夜が繰り返せば、十五歳の麗しい姫君も、少しずつ、だが確実に姫とは称し難い年齢へと近付いて行くし、実の子を捨てたという事実はこれから先、一生付き纏う事になる……姫で在り続けるという『矜持』で『恐ろしい事』を仕出かした『傲慢な』彼女が『魔女』として裁かれるのも、そう遅い時ではあるまい。

 そして、ここまで考えれば、何故この唄が『エルの絵本』へと繋がるかも解って来よう――冥府の番人』という立場を恋した青年の為に自ら捨て去り、一人の女として『愛欲』の焔に身を任せたその姿こそは、正に野薔薇姫が捨て去った肉なるものの形だし……そんな彼女の恋がオルフェウスの冥府参りに利用されてしまった、自分が捨てた筈のものから結局の所逃れられなかったとすれば、何とまぁ似た様な母と娘ではあるまいか。

【宵闇に響くだけの唄】
 エリーザベト=『磔刑の聖女』の前、言い換えればメルツの一応の救いの手前である筈の『青き伯爵の城』は、その位置関係に反して、内容的に最も過激な曲であり、また終わり方もまるで救いが無い。モチーフは名前からも解る通りの『青髭』、大罪はWollust、即ち色欲を掲げている、事になっている。

 と、言う事で、まず最初に訂正しなくてはならない。二回目の時、自分は『復讐する者とされる者は同じ罪を持っている』と言ったけれど、これは正しくなかった。今回、それぞれの女優達はそれぞれの罪を示す動物を象った印章と、それを宿した仮面を付けているけれど、雪白姫のそれは蠍、即ち色欲、青髭の妻達のそれは蛇、即ち嫉妬と、曲の最初に述べている罪と違っているのである。

 これがどういうものかは、雪白姫を省みれば良く解る。彼女が第一としていた美とは肉体的なもの、性的な魅力を伴って当然であれば、その美に伴う罪は色欲であり、美を失った王妃が抱く罪こそ嫉妬なのだ。つまり唄の最初で語られるのは復讐される側の罪で、印章は復讐する側の罪という事である。だから、彼女達はそれを付けた仮面を被る訳であり、その両者は大概一緒だが、しかし例外もある、と。

 ただ、この事に関しては正直スルーするつもりだった。出来れば曲の中だけの解釈に留めたかったのもあるし、そこまで重要な点では無いと考えたのもある。雪白姫と王妃が違っていても、特に問題は無いだろう、と……所がどっこい、今回でこの事を取り上げた様に、その罪の違いこそ、この『伯爵』を解釈するのに必要な視点だった――まぁ正確には、その解釈の中で傍と違う事に気付いた訳だけれど――即ちその罪の違いとは、青髭とその妻達が、肉と霊のどちらに属しているかを示すものなのである。

 ではその事が何を示すのか、を説明する前に、まずはどちらがどうなのかを述べておこう。

 まずは復讐者である青髭の妻達からだ。

 寂しさ埋めるように 虚しさ燃やすように 不貞の罪を重ねた嗚呼……

 無残にも死を遂げて逝った彼女達だが、こう唄っている様に、全くの潔癖であったという訳では無い。これを唄うのが何番目かの妻であり、青髭が『誓いを破られたことに腹を立てた』のが最初の妻ならば、どの妻も同じであったに違い無い訳だけれど、性的、肉体的欲求に任せて夫で無い男と体を重ねたというのならば、それは色欲と呼んで構うまいし、罰せられてもある意味では仕方が無い。

 けれど、妻達がその様な罪に及んだのは、伯爵が自分達を愛してくれなかった、もとい、自分達を抱きながらも別の誰かを愛していた事に気付いてしまったからである。彼女としては『誰よりも愛していた』のに、そうでは無かったからこそ、それを紛らわせる為に『不貞』、と書いてイドと読む、即ち肉の衝動に身を投げ打ったのだ。

 だが、どれだけ『罪を重ね』ても、他の男との行為に及んでも、妻達は決して満たされない。『本当に抱いて欲しいのは肢体ではなく魂』だからである……それも、他ならぬ青髭に、だ。

 だから逆に言えば、『』の伴わない性交なんてものは、彼女達に取って見れば何の意味ももっておらず、更に言うと『肢体』と『』は全くの別物なのである。『禁じられた部屋』にある体を『死体と衝動』と、まるで自分達のものでは無い様に呼んでいるのはその為なのだ。

 妻達からして、真に重要なのは『』の方である。だが、青髭の愛は別の誰かに向いている、と、彼女達は言っている……その誰かが誰なのかは、『魔女として断罪』されたという点からするにまぁ二通りあり、一人は青髭の元となったジル・ド・レイが愛したという聖女ジャンヌ・ダルク、もう一人は断罪された魔女の近似からテレーゼ・フォン・ルードヴィンクが考えられる訳だが、そのいづれであれ共通するのは、既に肉体的には死んでいるという点である。思い出の中の存在は誰よりも何よりも美しい上に、死せる者となれば生ける者にはどうしようも無い。故に妻達には、その存在を取り除く事も出来ずに、精神的不満を肉体的快楽で補う他無く、けれどそれ故に満たされなくて……そう、彼女達の罪は色欲では無く嫉妬なのだ。そして、ある意味で最早比べられないというのに、それを比べてしまうのは、妻達が肉なるものに興味が無い霊なる側に位置しているからに他ならない。

 では、対する青髭の方はどうか、と言えば、彼は徹頭徹尾、肉なる側である。

 『何故人間ッテ愛ト性欲ヲ切リ離セナイノカシラ』とエリーゼも言っている様に、青髭の愛憎には肉体が付き物だ。倒錯こそしているが、彼がその妻達を殺すのも、彼女達が他の男と寝た=肉体的関係を持ったからに他ならない。彼女達からすれば『』の伴わないそんな行為に意味等無いのだけれど、『肢体』を重視する彼には、それが裏切りにしか思えない。だから青髭は妻達を、彼の側からすれば処罰するのである、それも全て肉体的苦痛が伴う方法で。

 それからその死体を『禁じられた部屋』に仕舞っているも、肉なる側であれば推察が出来る――復讐が、憎悪が『歪な愛情の形』であるならば、彼女達がもうこれ以上罪を犯せない様に閉じ込めた(実際、それは唯の『死体』、妻達からすれば抜け殻同然なのだが)と考える事が出来る訳である。

 もしくはもう一つの可能性、と、個人的にはこちらの方が高いと考えているのだけれど、罪を犯した魂を罰して、せめて体だけは大事に取って置いているのかもしれない。と言うのも、肉体でしか物を見ていない青髭からすれば、妻を娶る基準もまた肉体である事は充分考えられる訳で……野薔薇姫がそうであった様に肉体的特徴が一切語られていない青髭の妻達であるが、その姿はあの『彼女』に瓜二つなのではあるまいか。彼女達は、青髭が自分達に誰かを重ねている、この場に居ない誰かを愛していると唄っているけれど、彼からすれば、『彼女』の中に別の誰かが居るのを見ていたのでは無いか。その誰かの魂が、『彼女』に『彼女』らしからぬ不貞を成させているのだと彼が考えたならば、あの様な蒐集に走ったのも頷けまいか。そうすれば、妻達の罪も理解出来る――本当に居ない者と比べていた訳なのだから。

 また単体で上げれば唯の下ネタでしか無いあの台詞にも、彼が肉を重んじている事が良く出ている。

 例え相対者が神でも 唯 穴さえあれば 嗚呼 貫いてくれよう―― 《私の槍で》!

 穴さえあれば貫いて見せる、とはつまり、穴が無ければ貫けないという事である。御自慢の槍も、『』という形が無ければ、肉が無ければどうにもならない訳だ。だから彼は神……『摂理』を貫く事が出来ぬまま、愛する者を奪われた悲しみを嘆く事しか出来ない。だから愛する者の代わりとしての肉なる女性、恐らくは愛する者と同じ姿をした女達を娶っては裏切られ、裏切られては殺している……。

 ただもしかしたら『どれ程 信じて祈っても 救ってなどくれなかった……』と唄っている様に、愛する者を奪われる前であれば、霊なるもの=神や信仰、(自身との)肉体的繋がりを伴わない愛も信じられたのかもしれない。貴族階級として戦争に従事している為に元々そう言った素養があったか……『彼女』が肉体的死を遂げた事を痛烈に嘆いている辺り、元々という気がし無くも無いが。

 しかし何であれ、今の彼はもう肉しか無い。何故彼女達が自身を裏切るかに思い馳せる事無く、眼の前で行われている自分以外の者との情事を根拠に殺害へと至る様は、肉なる欲求に憑かれた者、正に色欲の化身という訳である。

 と、聊か長くなってしまったけれど、この様に青髭とその妻達は二つの罪に、肉と霊にほぼ完全に分断されている。その為上でも軽く触れた様に、彼女達は互いに『私は彼/彼女を愛していたのに彼/彼女が私を愛してくれなかった/裏切った→だから私は不貞を犯した/妻を殺した』と半ば勝手に言い合っている訳で、その自己中心的態度は、対となる『黒き女将の宿』にも見られるものではある、が……この曲が本当に喜劇となるのは、ここからである。

 肉と霊に別れ、両者が自分達しか見ていない。これが意味するのは即ち、妻達が青髭の喜劇を終わりに出来ていない、彼女達の復讐劇が愛しい彼の救いになっていないという事に他ならない。

 そう、肉なる青髭には、霊なる妻達の事が解らない……解らないから、彼女達が高らかに唄う声が聞こえない。聞こえないから、その唄声が響く中で青髭と新妻のやり取りが普段通りに行われるのであり、そして彼は彼女を何時も通り処罰しようとする――前妻達の声に促されて扉を開けただなんて思いも寄らない彼からすれば、新妻はただただ自分の言い付けを守らなかった愚か者である。しかも彼女は兄達に助けを呼び、彼等は早々に現れた(原作の一つなら伝書鳩を使ってだが、叫んでいるのを見るに、青髭に娶られるという事で辺りで待機していたのでは無いか)……この妻もまた、他の男と密通していたのである、許して置く事は出来無い。そして聞こえる事の無い前妻達の声が喜劇の終わりを告げるのと同時に、青髭と男達の戦いが始まり……壮絶な立ち回りの末、彼は遂に死を迎える……青髭からすれば、新たな妻とその浮気相手に寄る卑劣な共謀の結果である。そして後に残るのは、恐るべき化け物『青髭』が滅んだ、それ以上でもそれ以下でも無い結末、という訳だ。
 
 哀しみは憎しみ、肉か霊かと歪に偏った愛を持ってしては癒せ無い。だから彼女達、青髭の妻達の歌う唄こそが、宵闇に響くだけの唄なのである。これを喜劇と呼ばずして、何をそう呼ぶのか。

 しかしまぁ思うに、彼女達こそ、扉を叩くべきだったのかもしれない――ぶらん子の場合は逆であるが――鍵が開かれるのを待っているだなんて方法では無く、衝動を溢れさせ、死体を動かして。こうすれば、青髭にも解って貰えたかもしれない。自分達が彼を裏切った訳では無いのだ、と。或いは逆に彼女達も、彼が何を見ていたのか解ったかもしれない。そうすれば、また違う結末もあったのでは無いか。

 ただ妻達の罪は嫉妬である。肉を持って説得乃至肉体的な心中(原作の一つはその様なものだったと記憶している)を試みた場合、また別の肉なる壁が立ち現れる。

 青髭は大塚明夫だ、というのは半ば冗談にしても、数の理で負け、奇襲による傷を負っている中、互角かそれ以上の大立ち回りをした化け物である。イド的な何かに寄るステータス補正を受けたとしても、妻達が敵うかは怪しい所であり、だがこれで一番最悪なのは、青髭が正気に返り、且つ生き延びる場合だ。これは彼と新妻が幸福になる結末に至り兼ねない。彼女を介して扉を開かせる=彼女に青髭を嫌悪させるという手段を講じた妻達が、そんな一人だけ救われる結末を望むとは到底思えない。

 こうして考えると、この末路も、まぁ一つの救い、ある意味望み通りであったのかもしれない。青髭という化け物、青髭の妻達として一纏めにされた女、そしてただの被害者でしかない少女とその兄弟、と、詰まる所は、平等に誰も救われない結果となった訳なのだから……

 と、聊か所で無く長くなってしまった(上に、ちゃんと纏められて無い気もする)けれど、この辺りで終わりと行こう。次回はとうとう遣って来た、『磔刑の聖女』=エリーザベトについてである。
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