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 新しく入って来たバイトへの教育を任されたのだけれど、正直人に何かを教えるのは苦手である。感覚的に物事を覚える(その為に何度も何度も失敗し、失敗する訳だが。グルングルンと)質なので言葉にして説明するのには時間が掛かるのだ。何故という名目上の理由を聞かされねば自分が納得行かぬ為に、多分別に言わなくて良い事まで言ってしまっているだろう。個人的には欲しいのだが。

 にも関わらず、今週取った三連休――流石に卒業式の日位は、ね――の所為で、後数日で一戦力となるべく仕立て上げ無ければならないとは、正直しんどい。誰がと言って、その新人がだが。昨日二日目だったが、大分参っていたみたいで、まぁ実際、俺だってこのペースで覚えさせられたら参っているだろう。習うより慣れろ、しかし慣れる為には習わねばならぬ悪循環。

 が、まぁそれも仕方が無いと諦めて貰って、どうにかさくさくやって行きたい次第。後三日だが。

 まぁー、そんな事は私事なんでどーでもいーんですけどねー、件のヴェンディング・マシン・レディさんの所にジュースでも奢るよと新人連れて行ったらですねー、妙にイラン人っぽい先客が居りましてですねー、そこで待っていたら、あれあれ、「最近暖かくなってきましたね」とか言っている訳ですよー。

 正直あれは空耳の類だったんじゃないかと疑ってた所なんでー、嗚呼やっぱり言ってくれてるんだなぁと感慨深げに硬貨を落としましたらぁ、返って来た言葉が「いらっしゃいませ」だけだったんですよー。

 ……

 (お、おのれー)


 何だか知らないがイラン人に殺意が芽生えた、そんな初春の夜よ。イラン人関係無いけどさっ。
 と言う訳で昨日は地元の駅前に出来たばかりのちょっぴりオサレな喫茶店でハッシュドカレーを頂いたり、大学に行って象と鯨と時々スフィンクス(エスパー続唱型広がりゆく土地拘束デッキをサブで構築した。感想:場がまるでデッキをバラして見た時の様だ)のプレインズウォーカーとあな懐かしき六十四式ブラザーズになって思う存分、魂を癒した訳だが、あれだね、前作ベルフェゴールの自己解釈になるが、人間、救済とか究極とか永劫とか、そんな御大層な事を求めちゃいけない――そもそも意識的に求める自体をしちゃ行けないね。ダメ、絶対。そんな事よりギャザしよーぜっ。

 まぁその代わりに今日のバイトはリニューアル・セールで偉い大変だった訳だが……勿論、もうすっかり慣れてしまったから労働自体は楽しく、半ばルーチンワーク化された内容は曼荼羅的なものとして、一種の瞑想状態に近い効果を及ぼしてくれるから、これもよりけりなのだけれど。

 そうそう、そんな事はどうでもいいのですけどね、バイトの休憩中、例のヴェンディング・マシン・レディさんの所に行ましたらですね、今日は『いらっしゃいませ』しか言ってくれなかったんですよ……それだけならまだいいのですが、二の句で出てきたのが、『ポイントカードをご利用になれます(出来ます)』……

 何と言う事だろう(オー・マイ・アモン)。

 先日何も応え無かった事がこう響くとは……悔やんでも悔やみ切れぬ、初春の夜よ。
「……これは聞いた話ですが、かつてある東洋の君主は、側近の賢者たちに、すべての時代と状況に真実かつ適切にあてはまるひとことを案出するように、と命じました。賢者たちはこんな言葉を君主に捧げました―― 『そしてこれもまた過ぎ去るであろう』……」

 というかつての大統領リンカーンが語ったとされる話を聞いたのは我が魂の師匠カート・ヴォネガットの『タイムクエイク』の中でだったけれど、今朝(もといついさっき)ニュース番組をザッピングしながら薄ら寒い程度の関心しか抱けない自分に気付き、軽い慄然を覚えると共に、この言葉を思い出していた。

 これは直後に、『困難な時代であれば慰みになる言葉だ』と続いた後、『しかしそれが真実で無いと信じよう』となって、現代に生きる人々への友愛と関心を呼び掛けるのだが、しかし哀しいかな嬉しいかな、気分として何とも相応しい言葉である。勿論今は困難な時代かもしれないし、若干意味合いが違っているとも思うのだが、“けれど、だからこそ”(全くの余談:基本曲のみで音楽を評価する人間でありながら、実質的にこのフレーズのみによって、同人バンド:少女病の『refrain』評価がストップ高である。丁度トーマス・マンが伝える所の“にも関わらず”と同じ塩梅で)私の曼荼羅にしっくり収まる台詞だ。

 繰り返してみましょうか? 『そしてこれもまた過ぎ去るであろう』

 まぁ、情報媒体を通して世界を眺め渡すだけの無能な傍観者を現代社会の人間に見出すだなんて児戯は、それこそこの記事のタイトル元であるパトレイバー劇場版二作目、二十年以上も前から、或いはもっと昔から言われている事だし、目新しさも何も無いだろう。

 けれど、だからこそ、或いは、にも関わらず、今の時代なのでその児戯が通用するのだと感じてしまうのは、自分もまた当事者である筈の現代社会の人間であるが故の自戒なのだと思う。全く安っぽい自戒だと鼻で笑ってしまうが、何、たまに早く起きたのだから、こういうのも良いだろう。

 話を飛躍させて宜しいですか? 北欧でも希臘でもケルトでも埃及でも日本でも、神々は人間と同じ様に死ぬ存在なのだ。無論の事、その死はまた我々のものとは幾分か違うものだけれど、根本的には相違無い。そして彼の者、全知全能である彼の者ですら死んでしまう事は、二十世紀の頭に叫ばれた――それは迫真の演技による死んだふりかもしれないが、だが無能な傍観者がどうやって見極めるのだ? それが死んだふりなのか、或いは本当に死んでいるか、と――我々が逃れ得る道理が何処にある。

 ……だがまぁ、こんな戯言も、所詮過ぎ去る事であるのは間違いなく。

 とりあえず語りたい事は語ったので、そろそろ大学へ行く事にします。今日はバイトも無いので、日がな一日、プレインズウォーカーか、時代錯誤の哲学者(この手の話題を出す度にギリシャへ帰れと言われる。帰れるものなら帰りたい)か、はたまた貯古齢糖は明治産まれの似非文学青年か、まぁ大体そんな感じの過ぎ去り方をしたいと思う――そういえば、問題児/Disruptive Studentこと鏡写しの青使い御用達テフェリーさんも言っていたっけ。子供の頃は神になれると思っていたが、今は違うと解っている、と。
2010.03.12 自動販売貴
 と書いて、ヴェンディング・マシン・レディと往年の自作が如く呼びたくなったのは、今日バイトの休憩中に向かった自販機が、「いらっしゃいませ、最近暖かくなってきましたねっ」とか語り掛けて来おって、喉元まで、喉元まで「うん、そうだね」という言葉が出掛かったからに他ならない。

 嗚呼いや大丈夫、まだ言ってないから大丈夫。まだ駅の自動改札音声『係員までお申し付けください』にときめきを覚えてわざと間違え続けるとか、そんな領域までは達してないから大丈夫。うん、そうだね。

 しかし後一歩の所でコミュニケーションを求めに行ってしまったのも事実であり、全く持って最近の自販機も侮れない。これで上の台詞に続いてもう一押し来られていたら、間違いなく陥落していただろう。いいぞ某清涼飲料販売会社、もっとやれ。あ、でも関西弁の男性知能は喧しかったので、別にいいや。
2010.03.11 黄昏Q
 某所に上がっていた迷宮物件を見る。二話でぽしゃったという押井守のOVAなのだが、うぅむ、らしい、何とらしい作品か。当時(今もか?)大いに受けなかったそうだけれど、確かにこれはちょっと無理。でも、好きな人間としてはもうあの語り口からして堪らない。螺旋の如く旋回しながらも決して核心へと到達しない、いや寧ろ螺旋自体が核心にして既に到達してしまっているのだというこの感覚は、嗚呼曼荼羅に似ていようか。無性に性に合うのだよね、うん。友人が今作を凄い好きと言っていたのも頷ける。

 そういえば言っていなかったけれど、天使のたまごをDVDで買っていた。ぐるぐると数回見た後でアルバムも購入済みで、やっぱり肌にひたっと合う。そろそろまた見たくなったから、人集めて鑑賞会でもしようかしら。良作だけれど気持ち悪いって感想出てたけど気にしない方向で。
2010.03.10 雨降って
 身固まる。寒さで。今は確か三月じゃないのか、何だこの白兎みたいな狂いっぷりは。

 それともこれは某変態ドクターの力なのか。最近俺の中で株上がりまくりの照井さんは、自分の復讐の相手があんなだと知った時、どんな反応してくれるのか、楽しみでほくほくとしてはいるのだけれど。

 そういえば、一人FFRことアクセルも偉い格好良く感じる。流石平成ライダーマジックという所か。デザイン上のどんな難物でも演出次第でどうとでも魅せてくれる……まぁ一部、どうにもならなかった輩が居た気もするが、例外は何にでもあろう。インディアンポーカー、あれさえ無ければっ。

 しかし孤高のヒーローというのも面白い題材であり、出来れば一度書いてみたい所でもある――レトロ=スチーム辺りと絡めて。どうやって、かは、まぁ出来てからのお楽しみ。
2010.02.28 フリーダム
 と言うのは正直余り好ましからざる状況と思うのは封建社会の従者側の子孫だからか。日本人が無礼すぎる程に礼儀正しいのは、大半の者達がそう言った先祖を持っているからと授業で聞いて、妙に納得した覚えのある理である。

 先日は大学に行き、成績発表を見て、無事に卒業が決まったのを確認して来た。

 そこに見事、と付けられぬのは、今後の行き先が決まっていないが故であり。

 まぁこうなってしまったのも自業自得、ちょっとした体たらくと思いながら、もう暫くは今のバイト先で御厄介になりつつ、サークルに遊びに行ったり、公募送ったりという日々になりそうである……余り変わっていないのは、まぁお約束という所で。

 あ、目標としては未だ取ってない運転免許を確保する事ですね、ええ、身分証として。
2010.02.23 神託
 バイト先のリニューアル・オープンに向けて、棚の移動やら何やらをする。別の店舗からの手伝いも来てくれたので、割に早く終るかな、と思ったが、別段そうでも無かった。まぁ、動かしながら、位置の確認をしていたともなれば、仕方もあるまいけれど。

 その帰り、手伝いの子と話した所、三月一杯で辞め、県外で一人暮らしするのだという。確か専門大で今年卒業と聞いていた為に、へえ、では仕事先が見つかったんだ、と問うと、いやそんな事は無いですよと返って来、何だ俺もそうなんだよ、と思わず二人して大笑いしてしまった。そんなものだ。

 しかし、どんな事情があるのか知らないけれど、一人暮らしという発想は無かった、というのも、何とも情けない話ではあるが、やっぱり必要に駆られないとどうしても、ね。いやまぁ、必要に駆られる必要があるのは確かな時期なのだけれど、必要に駆られる必要に駆られる必要が起きないのだから仕方が無い、と、いう所で、一人暮らしっ、そういうのもあるのかと思ったのが、一昨日の深夜。

 今? 久々に引いた風邪で俄然ぐろっきーで御座いますよ。

 これは遠江を離れてはならぬ、というサイレントヒルの神様からの御言葉に違いない候。
2010.02.10 孤独のキネマ
 ポップコーンとオレンジジュース(なっちゃんだけど)って映画館の味だよなぁ、と今日は久しぶりにバイト休みという事で、カルディでお勧めされたミントチョコと珈琲買いに行くと共に、映画を見に行く。タイトルは、『Dr.パルサナスの鏡』……が、時間間違えてしまったので、調整の為に『アバター』も一緒に。3Dはやっていなかったが、まぁ話の種という事で。どうせ会員カードの特典で無料だったし。

 まぁ映画の内容に関してはそれぞれまた記事を上げるけれど、一つだけ言える事は、この喰い合わせ、某所で上げられていたデュエリストとトム・ヤム・クンの如しだった。ある意味では、選択を間違えたかもしれない。片方が片方の完璧な噛ませ犬に成り下がっていたのだから……どちらが噛ませだったかは、言うまでもあるまい。

 ともあれライダー見に行って以来、久々の大スクリーンだったので、その辺りは素直に堪能出来たな。

 所で、映画始まる前の事前予告が長い、のは置いておくとして、ああいう所で映画と関係無い、普通のCMが流れるのは、実に幻想をぶち壊してくれるので止めて貰いたいのだが如何なものか。そうでもしなければ、今やって行けないのだろうな、とレンタル屋の繁盛を見るに解っているつもりではいるが、しかしどうも、ね。せめて公開始まったら、映画関連だけのものを遣って貰いたいものだ。

 後、アバターとパルナサスの間のランチ兼お茶には隣のデニーズで。ああいう所に一人で行くのは実は結構初めてだったりするけれど、なかなか悪くないもので。飛び込みで頼んだデザートの所為で少し出費が大きくなったのは痛かったが。後、チキンジャンバラヤをもしゃもしゃ食ってたら、レジを済ませていた新卒リーマン風の三人組が、『マナ加速で四ターン目に』とか『プレインズウォーカーが~』とか言っていて、思わず反応してしまった。何だか微妙に感慨深いものである。しかし良く聞き取れなかったけれど、四ターン目に何を出すつもりなのだろう。レクシャルか?

 と、そういう所で実に良い休日が過ごせた次第。次行くのはダウニーホームズとティム・アリスだな。
 人類の無意識と宇宙の意思が望んでいる週末的な発音で。

 昨夜、小説友達兼まいみくの黒木さんとだらだらとメッセしていた時、臨床心理士の事務を遣っていた友人さんの話を聞いた。曰く、その人の場所では、子供の患者に箱庭(療法)をさせていたそうなのだが、状態が良くなって来ると、皆最後には、曼荼羅を作り出すのだという(少し調べて見たが、これは取り立てて珍しい事では無く、寧ろ普遍的に見られる現象なのだとか)。

 この時点で、あー、という気分になったのは、常々お前は本当に箱庭(世界)が好きだな、と良く小説を読んでくれるてけーの君が言った台詞を思い出したからだけれども(それ以前に、会話の流れとして、自分が小説を書く意義は得られぬ救済を自分で作る為=一種の箱庭療法じゃないの、というものだったが)試しに曼荼羅の項目でウィキって見たら、更に得心が行った。

 以下引用。

 全ての曼荼羅に共通する点としては、(1)複数の要素(尊像など)から成り立っていること、(2)複数の要素が単に並列されているのではなく、ある法則や意味にしたがって配置されている、ということがあげられる。密教系の絵画でも、仏像1体だけを表わしたものは「曼荼羅」とは呼ばない。「曼荼羅」とは、複数の要素がある秩序のもとに組み合わされ、全体として何らかの宗教的世界観を表わしたものと要約できるであろう。

 これは正に拙作『アモンクロック』で試みた事そのものであり、またその他の作品でもまた行なって来た事でもあり、詰まる所、私にとって小説を書く事とは、即ち、曼荼羅を描く事に他ならなかった様である。アモンの感想でこれが一つの完成形などというものを貰ったりしていたが、言われる筈だ、あれで一つ悟りの境地に達したのだから。そりゃ小説も書けなくなる訳だよ、必要ないのだから。

 しかしそれは地上に住まう者としてどうなんだ、という所でもあり、嗚呼早く問題起きねぇかなぁ問題。
 良い買い物をしたと思う矢鱈でっかいクライスコーヒーと、あれ赤ってこんな不味かったっけ、と久々に酒絡みでがっくり来たジョニー・ウォーカーをがっぶがぶ飲みつつ、ぼちぼちと生きてます、と、毎度お馴染みの花束風に……しかし短編読む読むと言ってからどれ位経っているだろう。或いは長編読んでからも? 正直、ネタは覚えてるが内容半ば忘れて……いかんなぁ、読み直すか。

 それはさて置き。

 まぁ卒論も書き終え、口頭試問も無事に終え、後は結果を待つばかりなれど、気分的には最早フリーダム。気付けば一番長くやっていたバイト先で、実質店長直属のフリーターの兄ちゃん的ポジションが着々と進行中……いや良いのだけれどね。このまま就職出来れば……無理なのは良く解っているが。

 何よりも悪いのは執筆についてで、正直ろくに書けていない。アモンクロックが分不相応に受けが良かったからか? 或いは特に義務として書く必要が無くなった、自由の身になったからか? どうにも身が入らず、書いては消し、書いては消し、という感じ。うぅん、自分自身に聞きたい所だ、どうやってお前は小説なんてものを書いてたんだい、と。

 ともあれ、ぼちぼちとはやって行こう、うん、そう言う時期もあるだろうさ。

 ただ、何と無く、ノートPCのキーの調子が最悪(しかもAとエンターと来たものだ)というのはあるかもしれん……止め具が割れてたからスティック糊で補強して見たけど、これ流石に駄目かなぁ、修理出さんと。
 という訳で大分遅れてしまったけれど、霧彦さんが逝ってしまわれた訳で……。

 序盤の和解シーンが何ともブチャラティな限りで、これはいよいよ仲間になるかな、と期待していたら、屋敷の地下へ潜伏し、真相を知って、お義父様に立て付いた辺りからいよいよ雲行きが怪しくなり、ミックに颯爽とじゃれつかれてまさかの義妹に助けられた所での会話の過去形っぷりに、嗚呼これはもう駄目だ、と思っていたら案の定……それでもまだ最後の望みを託していたら、まさかの雲散霧消である。それでも霧彦さんなら、霧彦さんならどうにかしてくれる、とか思ったが、オールアップの公式アナウンスが……。

 うぅん、正直今になっても、まだ復活してくれるんじゃないか、という希望はあるのだけれど、確かにあの終わり方は近年稀に見る程潔く。残念ではあるが、こうやって惜しまれながらの退場というのが、ある意味最も相応しいものであるのかもしれない。二号ライダー・アクセルの登場と共に去って行くのも、構成的には上手いと思うし。

 ともあれ、良き悪役にして良きライバル、良き友人で、良き夫になろうとした彼に神のお恵みがあらん事を。

 ……まぁナスカメモリは残っているんだし、あれがダブル側に来るフラグが立ったとも言うのだけれど。
 徐々にバイト中での実績が付き、やる事に重みが付いて来た気がする今日この頃、如何お過ごしか。いやぁ、実際は楽しいし嬉しいから良いのだけれどね、こういうのは。積み重ねの結果が目に見えて解るというのは喜ばしい。仕事とは、こうであるべきと思うね、うん。

 それはさておき、仮面ライダーダブルの話をしようぜ。いや最近と言わず、ここまで実に面白い限りで真に良いのであるけれど、次回がやばい。あれですよ、霧彦さん。霧彦さんがやばい。まじでやばい。何がやばいって、もう死亡フラグがびんびんで、冴子さんが夜も眠れない状態な位やばい。先週と今週の描写を上げるだけでも、気持ちが良い程にフラグ立てまくりで、逆に大丈夫なんじゃね? と安堵したいが、どうやら一時撤退はガチらしく、嗚呼。

 思えば、ダブルの物語は、彼と亜樹子が、今の場所にやって来た所から始まった訳で。ダブルの実質的ライバルであれば、ポジション的にはもう一人の主人公と言っても過言では無いのだが、その癖、もう尻とかDVとかDVとか尻とかで俄然ネタに走ってくれる、と思ったら、締める所はちゃんと締めてくれる(否菊的意味)し、法的な意味では明らかに悪人だが、しかし一抹の良心と美学を持ち合わせている。何とまぁ美味しいキャラだ事。最初はパパンを裏切り、ラスボスになるのかな、とか思っていたから、良い意味で裏切ってくれたのもポイント高し。あんなイケメンの癖して、まぁ特訓とは良くやるという感じである。今週の翔太郎との兼ね合いも、適度に微笑ましくて素敵だった。

 で、そういうキャラ性を踏まえた上で、彼の怪人モチーフがナスカ(の地上絵)というのが面白い。傍目にはただ荒野に引かれた線にしか見えないけれど、天上から眺めれば、それが偉大で巨大な芸術である事が解る、と。そしてそれは、かつてはオーパーツだの、宇宙人が作っただのと言われていたけれど、今では人間の手によって造り出せる事が証明されている。自然の侵食は元より、車の侵攻なんかで大分荒れてきているとは言え、その目的が何であったのかはまだはっきりと解明されていないとは言え、古代の人々の手によって造り出されたのだ。何と彼に合ったモチーフじゃないだろうか。

 そして、天上に漂う雲は、地上へと近づくにつれて、霧と呼ばれる様になる。一時離脱した彼が、ナスカに刻まれた地上絵の如くに研鑽を磨き(ナスカの能力が、地上絵毎に対応した特化という意見を見たが、確かにそれっぽい。巨人で巨大化とかされるのは勘弁だが)再び登場してくれる事を願おうではないか。

 ……これで何事も無く続投したら、「そうか、さらばするナスカはいなかったんだ」と微笑むとしよう。

 そうそう、後彼をしてブチャラティに例える意見もあり、メモリを麻薬と置き換えれば、嗚呼納得と、味方化フラグを感じて興奮した訳だが、それって結局最終的には死ぬんじゃとも思ったりした訳で。嗚呼もう本当に、来週が待ち遠しい限りである。
 アルバイトする、なんでジョッベンな上に、そも日本が悪いという事実。

 それはさて起き、先程バイト先へ行った所、今日は休みである事が判明。

 何度目だと唸りつつ、下記のモノを借りて来る。休みの職場程楽しいものは無い。まぁそこまでびびっと見たいものでも無かったのだけれど、前々から見たいと思っていたものを幾つか取り押さえて見た。

・ナイトミュージアム2
・トランスフォーマー リベンジ
・ファーマ
・スピリット
・ウォッチメン
・ベルヴィル・ランデブー
・タッチ・オブ・スパイス

 トランスフォーマーを一瞬モーファーと打ち間違えそうになったのは内緒。ウォッチメンは前に一度見たけれど、また見たくたなったので再トライ。タッチ~とベルヴィル~は以前のディナーラッシュと同じチョイスの仕方、ジャケット借り。Z級では無いからまぁ大丈夫、とは思うけどね。ファーマは、コーエン兄弟という事で結構期待。スピリットはどうなんだろう、評判的には余り良いのを聞かないのだが。

 ともあれ最近はビジュアル的に良いものを得ていなかっただけにここらで勘を取り戻したい所である。
 Frohes neues Jahr!

 オデッセイ再来でモノリスがうっはうはで、おめでとう。

 何だかろくな一年じゃ無かった気がするが、今年こそはと、まぁよろしくに。

 俺、今年の元旦はバイト無いから、ジャック・ダニエル飲みながらゆっくり眠るんだ……
 今年も残す所云々。昼間から今までバイト入り続け、気持ち良く仕事納めした理である。割と長い時間働いていたけれど、ルーチンワークが多々って感じだったので疲れはしなかったか。嗚呼、単純作業は悟りと同じ効果を脳にもたらすらしい。素晴らしいね単純作業。

 と言う訳で今年最後の記事には、GATSさんから回ってきたブログバトンをば。折角だし、区切りとしては良いかな、と思ったので受け取ってみんとす。バトンとかもう久々だけどね。もう流行りは過ぎたかな。
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2009.12.30 新中華を食す
 グーグルIMEは、なかなか賢いのだけれど、漢字の大半が使えないのは何とかならないのか、とマーボーを変換しようとし続け、結果、麻婆豆腐と打つだけで良い事に今気付く。まぁそりゃ出ないよなぁ、と何だか納得した様な、ちょっと納得出来ない様な。

 と言う訳で、弟の誕生日(二十六日。ニアピン)にかこつけ、まぁ忘年も兼ねて浜松にある中華料理屋ムーランへ食事に行く。ブログをまともに更新するのも久々だが、家族と外食というのもまた久しいかな。

 で、このムーランが、また凄く良い店だった。上のホームページを見て頂ければ解るだろうが、いわゆる中華料理屋では無かった。店の感じは中も外も実に小洒落ていたし、出て来る料理も目に綺麗だった。勿論、味も素晴らしかったのだけれど、面白いのはお勧めの酒であり、何とワインなのだね。しかもこれがまた、すっきりと合うのだから驚きである。新中華(ヌーベルシノワ、正確にはヌーヴェル・キュイジーヌ・シノワーズだとか)というらしく、成程、話には聞いた事があったがこういうものかと、堪能させて貰った。マスターも気さくで面白い人だった。ブログの紹介を見たら、若い頃は放浪生活を送っていたらしい。自分もかような修行時代とその結果を得て見たいと密かに頷く。

 ただ、それでも一番の衝撃は、麻婆豆腐かな? このお店、新中華の前に四川を冠しており、出て来るものも、香辛料を利かした薫り高い逸品ばかりだったが、中でもこれが一番驚いた。いやはや、今まで食べた事の無い感覚である。美味しい。確かに美味しいのだが、それと同時に、心底辛い。いや、ただ辛いのでも無い。辛味と一緒に他の味までぶわりと押し寄せ、舌を通り喉を抜け、胃へと落ちては、次、辛いけど次、嗚呼次、と欲してしまうこの感じは、今こうして書いている時でも蘇ってくるばかりで、何とも小腹が減って来る。

 実は食べ切れずに包んで貰ったタレ(しかもお土産代わりに増量してくれた)があり、先程も夜食として白米に掛けて食べたのだが、これがまた進む進む。最近体重にも結構気を使っていたのだけれど、そんなの関係無いとばかりに二杯も行ってしまった……嗚呼、何とも恐ろしい限りである。

 かく訳で、年の最後に素晴らしいものが味わえた。

 麻婆の健やかな汗と共に、思い残す事無く新年も迎えられようか。
 楽しかった、出来事を、打ち消す様に~♪

 ケンタッキーのあの歌の歌詞がどうしても思い出せない今日この頃。それだけ? とか、どうせお粗末なプレゼントだったんだろうさ、とか、恥知らずな赤使いに言いたくなる様な台詞では無かった筈だがな。

 で、結局何やったの、と聞かれれば、まぁ去年と同じく、サンタの格好しつつバイトしたり。嗚呼、後は、大学のサークルで独り者が集まってのクリスマス会を、ね。うん、リア充爆発しろ、とはよくぞ言ったものだ。バケツティラミスが出て来て、美味かったけれど、正直カレー鍋の後で食傷気味だったり。差し入れがてら持って来た黒猫のワインはそれなりに好評だったのが、嬉しい所か。

 ともあれ、今年も残す所後僅か。恙無く終了する事を祈りつつ、こんなもの置いておきますね。



 メリーユールの日でサトゥルヌスが僕をむっしゃむしゃ!!
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